小僧が、自分から目を逸らしたのをケリィは感じた。何か、見られてはいけないものを、見られたのが分かった。ガレージに鎮座している、ヴァルヴァロ。目立つには目立つ。ここに入って、目に入らない訳がない。ただ、小僧の反応は、明らかに見えているもの以上のもの、を見てしまっていた。
不快だった。不意に腹に手を突っ込まれたような、不快さだった。
自分のことなど忘れたように、小僧がヴァルヴァロに走り寄っている。
立ち上がり、その背を追いかけた。何か言っている。どうでもいい。後ろから頭に手をかけて、投げ飛ばした。片腕でも、小僧一人を雑に投げ飛ばすのは造作もない。
「近寄るな」
言うと、小僧はガレージの床から、ケリィを睨み返してくる。鼻っ柱が強く、肝が大きいのは、間違いなかった。
「……それ、動くんじゃないですか?」
「お前に何か関係があるのか、小僧。いいか、こいつは、ガラクタだ。俺の道楽のためのな。分かったら二度と近づくな」
道楽。趣味。だが生きがいでもある。小僧に近寄らせる気はない。
「動くようにする気は、ないのですか」
「やかましい。お前みたいな小僧が、なにを」
ヴァルヴァロ。直せば、動く。直るような気は、ずっと前からしている。
パーツがない。時間がない。幾らでも、作業を進めない言い訳は出来る。言い訳なのだろうと、ケリィは思った。しかし動かす理由も、やはりなかったのだ。
「直す気が、ないんですか? ただの道楽ってやつ、本当ですか?」
「何が言いたいんだ?」
「直す気があるなら、手伝わせて、貰えませんか?」
「何故だ? 俺の、道楽を奪いたいのか?」
「壊れていて、それでも直せるものは、直したいんですよ、自分は」
「脱走兵まがいのような逃げ方をしておいて、偉そうな口を」
「自分は、直感しましたよ。今にも、動けそうなのに、動かさないでいるんだってね。一年戦争の時の、モビルアーマーでしょう? ジオンだったんですか?」
「首を突っ込んで、くるな。いいか、俺はジャンク屋の親父だ。入って来たものなら、何でも保管して、直す。商売のためにな」
「……ジムが壊れて入って来たら、直して売るでしょう? あなたは、それを売る気がないんだ。あと一息で、動くに決まっているのに」
言い捨てて、小僧はヴァルヴァロに向かってまた、走り出している。
自分に、説教をした心算など、小僧には微塵もないだろう。単に、壊れて、動かなくなったもの。あと一息で動きそうな機体を見て、はしゃいでいるだけだ。モビルスーツパイロットではなく、メカニックにでもなれば、よかったものを。メカニックならば、少なくともモビルスーツ乗りよりは、死ぬ可能性は低い。
乗っていたモビルスーツを、自分の無茶な乗り方で、壊したという。やたらそれで気が滅入るのは、メカニックにも向いているモビルスーツ乗りだからかもしれない。自分にもそういうところがあった。被弾する、敵に壊される。仕方のないことだ。だが、自分のミスで壊した時は、嫌な気持ちになり、機体に、頭を下げたくなったこともある。
また追いついて、引き戻した。顔を睨む。やはり、小僧だった。
学徒兵。自分が何をしたところで遅かれ早かれ撃墜されていただろう。名も顔も知らなかったが、何かはしてやりたいとあの時、よぎった。
「何故、これが動くと思った?」
整備でところどころが開放されている。だが、遠巻きに見ただけだ。
「動きたがっていると、思えたからです。声まで、聞こえた気がします」
「見た、だけだろう?」
「見れば、充分なんですよ」
「気持ちってやつに勝手に手を突っ込むのは、やめろ」
「このモビルアーマーにも気持ちがあるのだと、そう思っておられるのですね」
手を、離した。痛いところを突かれた。そんな気がした。小癪だったが、士官学校出から感じる小癪さではなかった。
「手伝いたいというなら、勝手にやれ。俺に他人を雇う金はない」
それで引き下がるだろうとケリィは思った。
引き下がらなかった。
「構いません、その代わり少しの間だけ、ここに置いてください」
構わない、と言ったのは、無給でもいい、という意味だろう。ケリィに足りない余裕は、別に金ではない。そちらならむしろ余っている。ただ気持ちの余裕がない、という意味だ。説明しなければならないことでも、なかった。
諦めるように、ケリィは座り込んだ。小僧を気持ちで弾き飛ばすことを、諦めた。躍起になって追い返そうとしなければ、目の前にいるのは、むきになるような相手ではない小僧、というだけだった。
「……軍に戻る気は、なくなったか?」
「分かりません。脱走なんて思われるのも、言われるまで気付きませんでしたから」
「暢気な話だな。士官だろう。今頃、探し回られているぞ」
「ここにいれば、見つからないとも思ってますよ。置いていただけるんですよね」
その図々しさと暢気さは、叱り飛ばす気も失せる。ガトーなら、激怒していただろうと思う。ケリィから見ても、ガトーは少し、純朴に過ぎて、むしろ滑稽に見える部分があった。それで、好かれていたところもある。人間らしさ、とでも言うのか。
小僧は了解を得たと思ったらしく、無遠慮に、ヴァルヴァロをいじり始めている。止める気も、なくなっていた。手際だけを、見ていた。悪くはない。触っていい場所と悪い場所を、見ただけで理解していて、壊すのではないか、という危なげがない。知らない機体に接して、いきなりそれが出来るのは、やはりメカニックの資質だ。
焼けた基盤を見つけたらしく、さっさと外して、こちらを見て、持ち上げて見せていた。犬が獲物を獲ってきて、飼い主に誇らしげに見せてきたようだった。
前から、そこは気になっていた。見れば、焼けていることぐらい、分かる。大したことではなかった。褒めてやれることでもない。
小一時間ほど、あちこちを、小僧は手を伸ばし、確認している。ケリィが、気にしなければ、と前から思っていたパーツばかりで、一人で外せるものは躊躇いもなく外している。自分がやるべきことだったが、面倒な気分もあった。いつだって、出来る。そう思っていた箇所が、みるみる、正確に潰されていく。
急ぐことではないのだ。
言おうとして、やめた。勝手にやれ、と言ってしまったのは、自分なのだ。
手に、紙を持って、小僧が帰ってきた。喜色満面、という様子だった。それほど、機械を弄るのが、好きなのか。やはり、メカニックを志望した方が、よかっただろう。戦場に、わざわざ出る必要などない筈だ。
それも、ケリィが指図する筋合いではない。
小僧が、紙を差し出してくる。
「一通り、ざっとですけど、見させて貰いました。気になった箇所を書いてあります。パーツの交換だけで済むような箇所です」
「俺に集めろと?」
「自分が探していいというなら、そうしますが」
ジャンク屋の腹にまで、手を突っ込まれては堪らない、とケリィは思った。自分のやることが、なくなってしまう。他人を雇い入れればいいのに、とラトーラが一度だけ言っていたのは、こういうことか。
ケリィの手が回らないほど忙しいから、ではないのだ。
ラトーラは、ケリィがやることを減らしたいのだろう。減らせば、その分だけ、自分に構うだろう、ぐらいは考えているか。今でも、構っていないなどと、ケリィは思っていなかったが、足りなかったのかもしれない。
紙を奪い取った。読むと、小憎らしい気持ちになった。正確なのだ。
「集めてやる。多分、これなら、探せばある」
捜せば、何処かに転がっている。それを今まで、捜してもいなかった。転がっている場所の見当さえ、あっさり着くというのに、それをしてこなかった。それを突然現れた小僧に、指摘されてしまっている。
小僧は、ヴァルヴァロの大きな機体を見上げている。
ケリィも、見上げていた。
動きたかったのか。心の中でそう、ヴァルヴァロに訊いてみる。早く、動きたかったのか。動きたいというのに、俺が、させていなかったのか。
返事は、聞こえなかった。
俺が聞こうとしていないだけだろう。
ケリィは、そう思った。
一週間もすれば、ケリィも小僧を「コウ・ウラキ」と認識するようになってしまったが、相変わらず小僧と呼び続けた。名で呼び合うような関係には、やはり、なりたくない。意固地というより、躊躇いがあった。ウラキの方は屈託なく「ケリィさん」などと言ってきたが、あまりにも当たり前にそう呼ぶので、不快さはなくそう呼ばせておいた。
そのウラキが、ガレージに、消沈したような顔でやってきていた。
「……どうした、飽きたのか?」
「いえ。ラトーラさんが、不機嫌だったもので」
「気にするな。あいつは、いつもそう見える。いつも不機嫌なのだと言われれば、それは俺が悪いだけの話だ」
「いえ、その……手伝うのを、やめろと、怒っていました」
ラトーラは不機嫌になっても露骨に怒るということは滅多にない。その不機嫌ささえ、見た目がそうというだけで、本心がどうかはケリィにも分からないのだ。自分だって、そうだろう、とケリィは思っている。
「……何か、聞いたか、余計なことを」
「ケリィさんがモビルアーマーのパイロットだったと。ジオンの」
「昔の話だ。俺はもうジオンでもなんでもない。あの演説にも、乗る気はない。俺は、ジオンの残党ですらない。お前を置いてやる、と言ったが、それもただの気まぐれだ。そもそもお前はのされていたとき、連邦の制服姿だったのだぞ」
「そういうことでは、ありません」
ウラキが、自分の左腕を押さえている。無意識に、そうしているのだろう。そんなことで、何かが分かると思っているのなら、やはり小僧なのだ。左腕の治療が終わっても戦争が続いていたのなら、ケリィは戦線に復帰していただろう。ウラキは自分がそう出来るのか、考えているのかもしれない。
ケリィには、終わり際の話だったが、ウラキには、これからの話なのだ。
デラーズは戦争を始めるのだと、宣戦布告をしている。
ゲリラ組織のような残党艦隊が、それを布告して、何を以て勝利とするのか、ケリィには、分からない。全盛期のジオン軍が、総力戦を仕掛けても、結局は敗戦し、連邦有利での休戦協定を結ばざるを得なかったのだ。
ウラキはまだ左腕を、意識している。自分が左腕を失っても戦えるかと、自問しているのが、分かった。やはりウラキは、いずれは軍に戻るのだろう。
気晴らしに、ここにいるだけだ。役に立っていたから、ケリィに文句はない。いなくなっても、構いはしない。元々、一人で回していた商いなのだ。
「……ラトーラさんは、ケリィさんを刺激するようなことはやめてくれと、言っていました」
「ヴァルヴァロの整備が、進んでいる。あいつは、それが不安なのだろうな」
ただ助手でも雇ったというなら、何も言わなかっただろう。
ウラキは、連邦の士官なのだ。そしてケリィは、何を言い逃れしようと元ジオンには違いなく、そして腹の中には、まだ熾火があることを、ラトーラは察している。家で酒を呑まなくなった、というだけで、きっと、察していただろう。
その不安に、連邦の士官が関わってくれば、怒り、にまで繋がるのかもしれない。
根拠など、ないに決まっていた。ただそう思うから、という話だ。やはりラトーラは、自分のようなものとしか、暮らしを共に出来ない女なのかもしれない。
「昨日、ちょっと、外に出ました」
「好きにしろ。給金を払っているわけじゃない」
「街で、デラーズの演説が、また流れていました」
「楽しかろうな、むきになって喋っている人間を見るのは」
「楽しくは、ありませんでしたよ」
「ではどう思った?」
「デラーズの背後に、人がいました。デラーズ・フリートのエースパイロットなのでしょう。教本でも、知っています。ソロモンの悪夢と呼ばれていた人だと。アナベル・ガトーでした」
「……ガトーが、どうした?」
「お知り合いですか」
「まあな。ソロモンでは轡を並べていた。あれは俺など比べものにならんよ。階級が同じだったのが、納得いかないほどだ。それを見て、何か感じ入ったなどとは言うなよ。小僧のお前などは目も合わせてはいかん相手だ」
「自分は、連邦のパイロットですから」
「それも、そうか。だがどの軍に属していようと、相手のことは理解しろ。そのガトーがいたから、何だというのだ?」
「交戦しました」
ケリィは、少しばかり眉をひそめた。モビルスーツ同士で、きちんと戦っていたとは思っていなかった。士官学校上がりの、実戦経験に乏しい小僧。ガトー相手に、よく撃破されず生き延びたものだと思う。そこは素直に感心は、していた。
運だろう。連邦の、最大の武器。運は連邦に転がるのが常だ。
「ガトーは、どうだった?」
「怖いと、思いました」
小僧の思う恐怖だ、あてにはならない。それでも連邦に属し、まんまと強奪まで許したのなら、もう少しウラキは体面を取り繕ってもいい。それなのに素直に、臆面もなく怖いとだけ、言わせている。それがまた、ウラキらしいとも言えるが、ガトーは恐らく、鈍ってはいないし、錆びついてもいない。
「それで? ガトーと交戦して生き延びた、そういう自慢話がしたいのか」
「いえ。ラトーラさんを怒らせてしまいましたけど、これでひょっとしたら、ケリィさんが昔の話を、してくれるかもしれないって期待もあります」
「俺に話せるのは、戦争で左腕をなくして退役した。それだけだ。連邦で名のある奴と戦う機会もなかった。俺に一年戦争の自慢話など、何処にもない」
「ガトーという人は、どんな人でしたか」
「戦い抜いて、まだ諦めずに戦っている。生粋の軍人。それだけだろう」
それでガンダム試作二号機など扱わせたら、手に負えなかっただろう。ウラキはよく、生き延びたものだと思う。それともガトーは強奪を最優先して新兵同然の相手など、無視していたのか。
「回線が繋がったままでした。少しだけ、言葉も交わしています」
「何か言っていたか? いかめしいことしか、言わなかっただろうが」
「ジオン中興の志、を語っていました」
「言いそうなことだが、あいつの言葉では、ないさ」
デラーズの、言葉だろう。デラーズの代わりに、連邦の士官相手に言ってやった。ガトーは迂闊に敵と言葉を交わしたりは、しない。相手が、それなりの相手であれば別だが。
「……何に乗っていた、小僧? ジムカスタムあたりはいい機体だと、俺は思う」
「秘匿事項で、それは」
「まだ軍人の心算なら、脱走する気はなさそうだな」
秘匿事項。気にかかった。モビルスーツ乗りなど、自分が何に搭乗していたかを、名刺代わりに口にする者が多いし、それを上から咎められたりはしない。
たとえば、ガンダム試作一号機ゼフィランサス。
乗ったというなら、秘匿に当たる。頭をそう過り、それも考えずにおいた。聞いたところで、何がどうなるというものでもない。しかしこんな小僧が、とも思う。仮に相当な腕前だったとしても、階級は少尉だ。せめて大尉ぐらいが、乗るべきだろう。
「……何に乗ったかは、問わん。しかしまさか、勝手に乗ったか?」
「勝手に、乗りました。緊急でしたし」
「見込みは、あるじゃないか」
緊急事態で指示を待たず、即断即決し行動できる。あとから咎められるかなど、忘れている。現場での動きは、そういう局面があり、そう動ける者もいなくてはならなかった。だがそう、多く、いるものでもない。
ウラキはヴァルヴァロに少し近寄り、見上げている。ウラキが来てから、修復は効率よく回りいつの間にか優先事項になっていた。早く動かしてやりたい、とさえ思い始めている。だから、前より、ラトーラのことを気にかけなくなったかもしれない。それで、ウラキを責めたのだろうか。
「こいつ、なんて名前です? 機体番号しか、確認してません」
「知らんで、やっていたのか。ヴァルヴァロだぞ」
「聞かされて、いませんでしたから。……あと三日、ください。ケリィさんが部品を集めてくださったので、そちらの調整が済んで換装が済めば、九分九厘まで、動くようにはなると思います」
余計なことを。そう思った。人の道楽を邪魔している。
ウラキのやったことは、ケリィにも容易く出来ていたのだ。放置していた何カ所かを拾って補修したに過ぎない。それでも、ウラキは丸一日、ヴァルヴァロに取り付いて作業していた。
道楽で、仕事の手を一週間、止める気はなかった。たまに道楽を始めても、一度止めてしまうと、しばらく、触らなかった。注文が連続していた時などは、そのまま忘れることも多い。ウラキには、ヴァルヴァロだけに集中させてやったのだ。それでも、手は早いのだと認めざるを得なかった。
「でも、動かしていいのですか」
「今更、なんだ。俺は頼んじゃいない。勝手にさせてやっているだけだ」
「ただ、直すのが、楽しかっただけです。滅入っていた気分も、直りました。でも九分九厘までやってしまうと、本当に完成させてしまっていいのか、という気持ちにも、なるのです。ケリィさんの、ものですし」
「俺の、ものさ。言わば専用機だよ。分かっているだろう」
ヴァルヴァロは、操作系のインターフェース全てを、右腕一本でやれるように、改造してあった。左腕がやるべきことを、出来る限りに右側に寄せた程度だが、左腕が全く必要ない、という話にもなっていない。ケリィが作業の手を止めていた理由は、操作系のことで悩んでいたのもある。
誰かに売ろうとは思わない。俺の、ものだ。
それだけは間違いなく、確信している。
「九分九厘か。残りの、一厘は? 勿論、完璧な整備などないが、わざわざ言うならそれも分かっているのか?」
「これがケリィさんの専用機だとして、ケリィさんには、左腕がありません」
「片腕でも、乗れるようにはしてある」
「だからそこが、考えどころの一厘なんですよ」
ヴァルヴァロが、幾ら完璧でもケリィ自身は完璧には戻れない。義手を着けるというのは、何度も考えたが、どうにも、違和感が拭えず、片腕のまま暮らして、それに馴れるのだと決めてしまっていた。
整備仕事も、全て片手でこなせてしまうのだ。
戦いは、絶対に無理だった。あればかりは、義手では、少なくとも自分には無理だろうとケリィは思っている。咄嗟の場合に、義手と機体を、二つ操作しなければならなくなる。だったら、インターフェースを右に寄せられるだけ寄せる、というやり方ぐらいしか、思いつかなかった。
ウラキは違った。とんでもない方向から、ものを考えていた。
「……サイコミュ、ご存じですよね」
小僧ども、また更新だ。付き合ってくれ、頼む。今回の狙いは最後まで読んだお前たちに「はァ?」「何する気だお前」というリアクションをして貰うことだ。俺が暴れん坊になるのはここからだ。ここから俺は自由を発揮する。分かったか、小僧ども。自由を発揮しての作家業というものだ。発揮できないのなら俺はただの作業員に過ぎない。俺は作家でありたいからな。小僧ども、まだまだ物足りないぜ。