一
少佐という肩書きに感慨はなかった。
デラーズが少佐であると言うから、少佐なのだなと思っただけだ。
権限も裁量も特に増えたりはしなかった。増えようがないのだ。デラーズ・フリートは名前こそ勇壮だがただのゲリラ組織に過ぎない。敗残の兵の集まりだ。寄り合い状態に過ぎない。
敗残の兵。
ガトーに取り憑いて離れないのは、その言葉だけだった。一年戦争のあの時、最終防衛線であったア・バオア・クーで戦っていれば、勝てたとは全く思っていない。ただ、死ねただろう。死んでしまえば、そこには勝利者も敗残者もいない。
死ねなかった。
デラーズが命を預けろと命じたからだ。階級が上の者に命じられれば、従うのが軍人だった。そしてガトーは軍人である自分の居場所が、似合いだと思っていた。言われれば、従う。目の前にいるのが敵だと言われれば、これを斃す。それだけで良かった。それ以上のことなど望んでもいなかった。
デラーズの地位に自分がいたら、と考えただけで身震いが出る。
三年も、待てなかっただろう。
あの旗艦グワデンの広すぎる謁見室にすら、耐えられなかったかもしれない。哨戒中隊長から大隊長に。そのていどでなければ自分は、耐えられないのだ。分かっていたからこそ、デラーズに従った。
当時は直接の上官ではなかった。
だが今は、直接の上官そのものでしかなかった。そして従うべき上官が変わるなど軍人にとっては些事であった。上官に不満を抱いたことなど、一度もない。咎められれば、ガトーは自分が悪かったのだと無条件に思うだけだ。
しばらく、デラーズとも会っていない。作戦行動中であった。
会わずとも、良かった。命じられたことだけがある。軍人にとっては、それが何よりも大切なのだと、ガトーは思っていた。
デラーズに死を禁じられ命を預かられた。
直後はずっと、月にいた。警戒は、甘かった。月は何処か独立独歩なところがある。勝手気ままなところがあり、それがガトーは余り好きではなかった。言葉には出来ない。ただ、好きではないのだ。
だから月から離れられるときはほっとしたものだった。
妙な息苦しさが、ずっとあったのだ。それは傍に女を置いたところでも、変わらなかった。むしろこの女を庇護しなければならぬのだな、という義務感からの息苦しさは加速した。その女とも、三ヶ月もしないうちに、すぐに別れた。こちらが一方的にいなくなっただけだったが、別れ話の一つも出来ずにただ姿を消した無責任な男。それでいいとも、思っていた。
地球に、降りた。
重力は月よりも息苦しさを感じさせたが、直接引っ張ってくるだけマシでもあった。全身に宇宙よりも、力が入れやすい。引力というものに引かれる自分の中に抵抗心が生まれそれは心地よかった。
常に、汗ばんでいた。それで良かった。
地球に馴れたくはなかった。何をするにも力を入れることを、忘れたかった。
汗ばんでいるのは、引力のせいばかりではない。
夕日が肌を焼いていた。沈む陽は別に美しいとも思わなかった。ただ、宇宙で見るよりも、幻想的ではあると思っただけだ。絵画のようで、そしてガトーは絵画になど造詣もなければ興味もない。
海に、沈んでいく。宇宙では沈むことがないものが、飲み込まれ、力を失い夕暮れとなり夜となる。見ていて、楽しいものではなかったが、ここはピックアップポイントであり、ここで待つのなら夕日ぐらいしか見るものはなかった。
制服を着ている。
連邦軍の、制服であった。少佐の着る服ですらなかったが、制服の示す階級など、どうでもいい。ただ着慣れない服を着ている自分は少しだけ新鮮でもあった。こんな服を着て、これからこそ泥のような真似をする。一年戦争の時には、考えもしなかった。やれとも言われなかった。だからガトーはそれを楽しもうとした。
ジープが走り寄ってくると、ほっとした。
実際は、待つことは何も楽しくなかった。
ハンドルを握るオービルはメカニックの服を着ている。アナハイム社の所属となっているが、元はジオンの整備兵であった。休戦協定後に、巧く入り込んだらしい。名を知ったのも作戦直前だが、疑いはしなかった。まだともに旗を同じくする、今はもう形を失った、それでもまだ戦おうとする敗残兵の一人なのが分かる。
敗残兵である自分は、連邦の服を着ている。
それがみじめだとは、不思議と思わなかった。
「少佐、様子を伺ってみましたが、恐らく楽勝です」
「侮りすぎるのも私の流儀ではないがな」
「侮っても、平気です。完全に箍が緩んでおりましたから」
オービルの見立ても、叱り飛ばせるほどではない。連邦の箍が緩んでいることなど分かっている。休戦直後の月で、フォン・ブラウン市で、ガトーが発見されなかったのがその証拠だとも思っている。
要するに連邦は、ア・バオア・クーを墜とした直後から緩んだのだ。
勝利者とはそういうものか、とガトーは思う。
ならば敗残兵の方がまだマシなのではないだろうか。だがそれでも、軍人は勝利者を目指すのが当たり前だった。ただの敗北主義者に堕す気は当然、ない。
「しかし、それほどか? 幾ら何でも、連邦の機密中の機密であろうに」
「それがこちらに漏れているだけでも、分かろうってもんですよ」
「お前が、やってしまっても良かったであろうにな。連邦の機体は素人がマニュアル片手にでも実戦で動かせるのが慣例だろう」
「そういうご命令でしたら、やってましたよ、俺は」
連邦を侮る気はなかった。そういう単純さは戦場では生死を分けるに充分だった。ジオンが最後に投入した学徒兵のような連中は、俊敏な操作が敵わず死んでいった者が多い。ジオンの機体とて操作系の簡略化は行われていたが、やはり十代の素人がすぐに操れるようなものではなかった。
数合わせのように戦線に投入され、そのために死んでいった。
死んでいった学徒兵を思い出すだけでも、ガトーにとっては今もまだ戦い続けるに充分な旗であった。
だがやはり、一人では何も出来なかっただろう。戦って死ねなかったことだけをいつまでも抱え込んで、荒れた生活を送っていたに違いないのだ。
だからア・バオア・クーで死ぬ気であった。
しかし、死なずに、ここにいる。まだやることがある。やれることを、デラーズが用意してくれた。やれとも命じてくれていた。だからガトーはまだ、軍人として生きていられるのだ。
「あれが、地球で見る夕日ですか。俺にはなんとも感動っての、ありませんね」
「私もだ。日差しが、纏わり付いてくる羽虫のようだ」
「何もかも、虫みたいなもんですよ、地球ってのは。日差しも、引力も。連邦のやつ、あの夕日を是非見てくださいなんて、言ってましたけどね」
「言わせておけ」
「部下の方々は?」
「配置は終わっている」
概要を伝え、作戦目的も伝え、配置を決めた。それらは今頃、いちいち確認しなくても良かった。自分の部下はいるべきところにいるし、やるべき時にやる。そうでないのなら、それは自分が隊長としての資質がなかったというだけのことだ。
ガトーは荷台に乗りこみ、麻の大きなシートの下に潜り込む。
それだけであった。ただそれだけで、良かった。これで連邦のトリントン基地に入り込めるというのだから、箍の緩みにもほどがある。
「……そう言えばすみません、大尉の服しか用意出来ませんでした。少佐」
「着る服で私が変わる訳ではないからな」
少佐でも大尉でも、ガトーにはどうでも良かった。ましてや、連邦の制服など。
走り出す衝撃を、荷台に伏せて耐え、麻布を被っている自分が、階級など。
トリントン基地に着く頃には日が暮れていた。勿論、夜なら荷台は目立たない。が完全にノーチェックで通っていた。見つかれば、それなりの言い訳も用意していたが全て無駄だった。ガトーは基地内に入るや布の下から飛び出し、ジープの助手席に座り直す。
「連邦はどこもこうですよ」
こんな奴らと戦っていたとは思いたくない。
勝利が、連邦を緩ませたのだと、ガトーは思い込もうとした。
「ご覧ください、少佐。ペガサス級が一艦入っています。相変わらず白いですよ」
強襲揚陸艦アルビオンが、よく見えた。白を基調にしたカラーリングが、ガトーに一年戦争を思い起こさせる。あの戦争時、連邦の遊撃隊らしき存在は、強襲揚陸艦一艦で戦局の所々に現れては状況をかき乱した。
「木馬か」
「遭遇したことは?」
「噂でしか知らん。肉眼で見たのは初めてだ」
オービルの声から少しだけ浮かれた口調を嗅ぎ取って、ガトーは微かな溜息を吐いた。整備兵では、仕方ないだろう。恩讐よりも、敵味方関係ない興味を、兵器や機械に抱いてしまう。それでも、やれと言われればオービルはあの艦を躊躇いなく破壊するだろう。感情は人、それぞれで役割さえ果たせば、それでいい。
「……三年前の木馬は、強襲揚陸したためしがねえって話ですよ。不時着ばっかりでね。詳しいデータは知りませんから、これも噂ですが」
「使い方は、自由だ。戦果もこれ以上なく挙げている」
そういう物言いをすると、ガトーは少しだけ気が楽になる。
自分が戦果も認めてやれぬような相手に敗北したのだとは、思いたくなかった。
そしてあのアルビオンが運んできたもののことに意識を向けられる。自分の役割は、そこにあるのだ。
「例のやつは既に搬入済みです。時間からして、装填済みか、今正にってとこです」
「ジオンでは初めてなのかな、例のモビルスーツに乗れと言われている私は」
「ありゃ連邦丸出しですからね。少佐には似合いませんが」
「乗るモビルスーツで、私が変わる訳ではないからな」
ジープを停めた。ごく自然に降り、特に挨拶もなくオービルは走り去っていく。やるべきことはオービルにも残っているのだ。
まるで散歩でもするように、トリントン基地内を歩いた。地図でのみだが、構造は頭に隅々まで入っている。散歩でもするように動けなければならないのだ。哨戒の兵たちは殆ど見なかったが、階級章だけで反射的に敬礼して済ませる連中だった。
雑だった。
軍務の上での隙があれば罠も警戒するし、何らかの手違いも検討する。ただただ緩んで雑というだけのものに罠も何もあるものかと、そうガトーは思った。
勝利というものがこうまで軍を緩めるのか。
一年戦争時の連邦軍には美しさすらあった。ここには何もない。
格納庫にも素通りするように入った。相変わらず敬礼のみ。身分証まで偽装しているのが、ガトーはばからしくなって来始めている。
二体のモビルスーツが並ぶように、格納されていた。
ガンダム。
一年戦争の、白い悪魔。コンスコン麾下のリックドム十二機を五分もかからず、なで切りにしたという、その改良型試作機。ガトーにはリックドム十二機を墜とせと命じられれば、無傷で墜とせる自負がある。だがその時間でやれるかと言われれば、自らの死と引き換えにと思って挑まなければ追いつけないだろう。
途中で若い士官とすれ違い、やはり敬礼された。正規兵に過剰な緊張を見せていた学徒兵を思い出すような、歳に見える。尉官であったから、士官学校出だろう。現場でのし上がろうにも現場がない。
一年戦争が三年続いていれば、あの学徒兵達も尉官にまでのし上がれた者がいただろうに。
「ご苦労」
敬礼だけで済まさず、声をかけた。若い、相手だったからだ。声をかけられると、挨拶だけでも学徒兵は喜んだものだった。目の前の二人は、ただただ緊張している。
「任務を命じられているのでもなければ、早く眠ることだな」
余計な事が口を突いて出た。二人は敬礼したまま硬直した返事を寄越す。
就寝中であったなら初動が遅れる。当然、前衛に回る確率は低くなる。叱責ものだろうが、叱責で命を拾うかもしれないし、叱責する相手もいなくなっているかも知れない。
感傷であった。だからすぐ、言ったことすら忘れた。
そして並んで鎮座するガンダム二機に目を向け、しげしげと観察した。
ガンダム試作一号機ゼフィランサス。
同、二号機サイサリス。
開発名まで、こちら側には漏れていた。連邦は本当に緩みきっているのだ。
「……なんとも美しいものだな」
自然にそう呟くガトーは、オービルに抱いた微かな嫌悪感や連邦の不甲斐なさに対する苛立ちなど都合良く吹き飛んでいた。モビルスーツの美しさに敵味方も何もない。
ましてや、自分の機体になるというのだから。
一年戦争で白い悪魔と恐れられた通称「ガンダム」もガトーは直接、見た事はない。ただ、試作機からは二機とも、間違いなくガンダムなのだという意匠が露骨に伝わってきた。
いかにも全体をスマートに改良したという一号機よりも、過剰に分厚い装甲と全体のサイズが明らかに大きい二号機の方が、ガトーは好ましく思った。巡り合わせが悪くモビルスーツばかりを乗り継いだが、モビルアーマーでも戦場を駆け抜けたかった。
二号機には、モビルアーマー然とした重厚さがあった。
宇宙戦を想定されているのだろうか。地上ではただの足かせとなる機体の重量も宇宙でなら推進力に転化することも出来る。だが実際は、地上戦でもその重装甲には意味を持たされている。
整備は完了しているようだった。やりかけで開いているハッチむき出しの部位もない。つまり、例のもの、は装填されている。
核弾頭である。
Mk82核弾頭は、地球上でも宇宙空間でもその威力を発揮する。
かつて条約によって使用が禁止されたほど、この時代においても最強の兵器。あとはコロニーか隕石でも落とすぐらいだが、そのどちらも宇宙からしかアプローチ出来ないのだから、連邦とジオン双方にとっての脅威、と言うならばやはり核だった。
それが、サイサリス、試作二号機には実装されている。
実験機であろうと実戦に投入されない試作機であろうと、核兵器を実戦で使用可能な機体を用意したのだ、連邦は。
ガトーはその情報が入った時には、連邦に感謝した。
まだ、やる気でいる。戦争をまだやるからこそ、そんな機体を開発する。そしてやるというなら、こちらも、まだ戦争をやれるのだ。
敗北も悪いことばかりではない。
殴り返そうという気概が湧いてくる。相手がまだやる、というなら尚のことだ。
高所作業用のタラップに乗り、無造作にサイサリスに近づいていった。警備が全くいないのは、技術者の作業環境を優先してのことかもしれなかったが、やはり緩い。わざわざ士官の制服など着てこなくても、オービルのような作業着でも良かったのではないかと思えるぐらいだ。
操作法は、さほどジオンの物と変わらない。ハッチを開けて、中を覗き込む。
「……何をしているの、ハッチを閉めて降りなさい!」
女の声。
兵士の声ではないと思った。顔も向けずに目だけを向けた。開発者然とした制服が目に入り、ガトーはどうでもよくなった。仮にデラーズ艦隊内でこんな真似をすれば、ガトーが何の服を着た誰であろうと軍人に銃口を向けられる。
浴びせられたのは、甲高いその女の声だけだった。何故かその声がガトーを刺激し、笑い出したくなったので、口元だけで笑った。
小僧ども、もし前回から引き続き読んでくれているのなら、嬉しい限りだ。俺も「自分が楽しければいい」なんて一匹狼みたいなことを言ったりするが、たまには群れに迎えられたりしたいもんさ。この作品は色んなやつらにフォーカスを当てていく形にしている。その方が、いいと思ったからだ。これからも見守っていてくれ。まだまだ物足りないぜ。