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かなたの操作するキャラクターが飛び上がって、リーチの長い回転蹴りを繰り出す。
舞香のキャラクターにそれを対処する方法はなく、一方的にダメージを受ける。
「っ、また同じ技を……!」
着地と同時にまたそのキャラクターが飛び上がって、回転蹴り。
再びダメージを一方的に受けて、舞香のキャラクターの体力がどんどん削られていく。
「いい加減に……!」
もう何度目か分からない空中からの回転蹴り。
ついに舞香のキャラクターの体力ゲージが赤くなって、瀕死状態に突入する。
「こ、っ……ああ……」
同上。
ついに舞香のキャラクターの体力が、あと一撃というところまで迫る。
それと同時に憤った舞香がゲームの筐体に勢いよく手をついて、反対側のかなたに声を上げた。
「さっきからずっと同じ技ばかり! 貴女にはプライドというものがないのですか!」
「うるっせーなプライドで勝てるほど格ゲーは簡単じゃねーんだよ! とっとと死ねっ!」
かなたのキャラクターがまた同じ軌道で飛び上がる。
そして回転蹴りが舞香のキャラクターに当たった瞬間、画面に大きく『敗北!』という文字が表示された。
画面の前で舞香が項垂れる一方で、筐体を挟んだ向こう側でかなたがこちら側を覗いてくる。
「あーっはっはっはっは! また負けてやんのお嬢様! ゲーム下手くそすぎるでしょ!!」
「うっ……うぅぅぅぅううう!」
「いいよ、悔しかったらもっかいやってみる? ま、何回やってもアタシが勝つと思うけど! あ~久しぶりの雑魚狩り気持ち良すぎ~~!! やっぱ初心者ボコしてる時が一番たのしーんだよね対戦ゲームってさあ!!」
こいつ、レバー握るといつもより八割増しで人格悪くなるんだよな……。
とはいえ舞香も舞香で、充分健闘した方だろう。これで五回目の対戦にはなるが、なんとか格闘ゲームの操作方法は覚えられたのだ。ガードや回避もできるようになり、一試合目に比べれば対戦時間はかなり伸びている。
ただ、その悪足掻きがよりかなたの機嫌を良くしているようにも思えるけれど。
「こ、こんなはずでは……。そもそもあの飛び蹴り、やけに強くありませんか!?」
「大丈夫だ舞香、お前の怒りは正しい。あのキャラの飛び蹴りはこのゲームで一番強い技だ。発生が早くて威力も高いからガードも崩しやすいし、リーチも空中技で最長の上に後隙もほとんどない。あの技だけ使っていればこのゲームは勝てる。かなたもそうだけど、この技を使いたいからキャラクターを選んでる人もいるくらいだから」
「それはゲーム側の調整不足では?」
実はもう調整はされているが、それを舞香に伝えるほど俺は冷酷になれなかった。
「卑怯な女……! そんな手を使ってまで私に勝ちたいのですか、楠見かなた!」
「うん。ゲーム初心者にただただ強い技を一生擦って、理不尽に勝ちたい」
「それでお前はゲームを楽しめているのか……?」
「白目剥くほど楽しいけど?」
それはゲームではなく、ゲームを通した相手の反応を楽しんでいるのでは?
なんて俺が発言する前に、舞香が再び筐体へ百円硬貨を叩きつけるように入れた。
「もう一度です! 次こそは必ず……!」
「あははっ、お嬢様がムキになってみっともないね~。ま、いいよ。今日はアンタにとことん付き合うつもりだったんだ。アンタをボコボコして、大好きなお兄様の前でみっともなく泣きベソかかせてやるためにね!」
「楠見かなたァ!」
「この前から思ってたけどいちいちフルネームで呼ぶんじゃねえよお嬢様ァ!」
力の限り叫んだ二人が、何度目か分からないキャラクター選択画面を起動する。
そんな二人に挟まれる形で立っていた俺は、とにかく舞香をどう慰めるか考えていた。
……でも、舞香がこんなに必死になっているのを見るのは、もしかすると初めてかもしれない。
昔から舞香は、何でもできる子だった。それこそできないことを挙げるのが難しいくらいに。
だけど、舞香はそれを誇りには思っていないように見えた。寧ろ、それが当然とさえ思っていたのかもしれない。親父を含めた周りからの期待に応えるため、優秀でなければならないという自己認識が、幼いころから既に舞香には根付いていたのだろう。
だから物心がついたとき舞香は既に、感情の起伏が少ない、大人しい子に育っていた。
俺に対する行き過ぎな姿勢については、ひとまず置いておくことにする。
そんな舞香が今、こうしてゲームにのめり込んでいる。
普段から責務に縛られ、自分の時間すらマトモに確保できないような、舞香が。
自分の出来ないことに対して、感情を露わにするほど熱中している。
そう思うと、この時間を作ってくれたかなたには、感謝するべきなのかもしれない。
「絶対に許さない……楠見かなた、貴女は片桐の敵……今ここで引導を渡してあげましょう……」
いや。
無理やり楽観的に捉えるのはやめよう。
今回は普通に初心者を狩っているかなたが最悪すぎた。
舞香でなくても誰だってああなる。
「またそのキャラ選んでるのか……」
「しょうがないでしょ、このキャラしか使い方分かんないもん」
「お前、本当にこのゲーム好きなのか?」
「だ~いすき♡ だって勝てるから♡」
ともすれば吐き気を催しそうなほど甘い声で、かなたが俺の質問に答えた。
「とにかく、舞香も初心者なんだからほどほどにしてやってくれよ」
「嫌だ。アタシに敬語使うようになるまでボコボコにしてやる」
「初めて会った時から敬語だろ」
「うるさいなー、水差さないでよ。ていうかヒマなんだったら飲み物買ってきて」
「……何がいい?」
「センス!」
この場合のセンスは「アンタのお任せで。つまんないヤツ買ってきたら罰金」を意味する。
せめて傾向くらい、と言おうとしたが、既に試合が始まっていたので黙っておいた。
格闘ゲームをしているかなたに話しかけると、最悪リアルで例の飛び蹴りを喰らうことになる。
「舞香、飲み物買ってくるけど何がいい?」
「ありがとうございますお兄様! スポーツドリンクでお願いします!」
「わかった」
忙しそうに返事をする舞香にそう答えて、大人しく自販機へ向かう。
「いい加減そのバッタみたいに飛び続けるのをやめたらどうですか!?」
「ん~~アタシの前世ってバッタだからピョンピョン飛ぶのがやめられないの~~!!」
「虫けらが……! 今すぐ駆除してさしあげます!」
いよいよ煽りも絶好調になってきたかなたと、とうとうよくない域の暴言を吐き始めた舞香。
そんな二人の声を背中で聞き流しつつ、俺は近くの自販機まで足を運ぶことにした。
■
結局、二人の勝負は八戦八勝でかなたが勝利した。
最後の方は舞香もかなり上達していて、初戦の五倍ほどの時間を生き延びられるようになっていたが、やはりそこには経験者と未経験者の大きな壁があった。バッタ音頭なる謎の音楽を歌うかなたが、その片手間で無慈悲に勝利をもぎ取ることで、舞香のメンタルは完全に折れてしまったようだった。
そして現在、筐体の前で項垂れる舞香の顔を、かなたが満面の笑みで覗き込んでいる。
「いや~、サンドバック役お疲れ様! 久しぶりに初心者ボコボコにできて気持ちよかったよ! それにしても、ゲーセンすら一度も行ったことないくせに、よくアタシに格ゲーでケンカ売ってきたよね? どう? はじめての格闘ゲーム、お嬢様はちゃんと楽しめたかな?」
「うっ……うう…………!」
「あー泣くほど楽しかったんだ? いや~、よかったよかった! 格ゲーの楽しさを味わえた上に、アタシの強さも身に染みて分かったもんね! これで自分の身の程も弁えたことだし、これからアタシに話しかける時はもちろん敬語だよね? 二度とアタシに舐めた態度取らないでね、負け犬お嬢様~~??」
「その辺にしてやってくれ。見てるこっちがかわいそうな気分になる」
「格付け、完了……」
静かにそう宣言して、かなたが俺の買ってきたコーラの蓋を開けた。
「少しは手加減してやろうとか思わないのか」
「無理~。そもそも格ゲーでアタシ負かせるとか言ってきたのコイツだし」
「だとしても煽りすぎだ。初心者をゲームから離れさせたらダメとか、この前言ってなかったか」
「確かに言ったね。でも限りある資源ってのが、実は一番おいしいんだよ?」
こいつどこまで最悪なんだ?
「……舞香もあまり気にするなよ。初めてならこんなもんだ」
「だとしても、屈辱です……。片桐の名を背負う私が、このような女に敗北を喫するなど……」
ちびちびと両手で持ったスポーツドリンクに口をつけながら、舞香が涙ぐみつつ叫ぶ。何気に舞香が泣いているところを見るのは、小学生ぶりかもしれない。これが感動とかならまだこちらも懐かしむ余裕があったのだが、こと今回においてはそういう感情が湧く余地もなかった。
いや、まあ。泣くほど熱中出来ていたのなら、それもいいことかもしれないけど。
なんて妹の涙をどう受け止めればいいのか考えていると、ふとその本人から。
「お兄様……どうか、私の仇を……」
「いや、俺格闘ゲームでかなたに勝ったこと一度もないから多分無理だぞ」
「え?」
きょとんと首を傾げる舞香に答えたのは、かなた本人だった。
「無理無理。コイツ、格ゲーのセンスなさすぎてコマンド入力すらできないからね」
「ああ。未だに何やってるのか分からないし、というか覚えることが多すぎてこういうゲームは無理だ。だからかなたに勝てるとは思ってないし、そもそもかなたにゲームで勝ちたいと思ったこともない」
「それはそれでなんかシャクなんだけど」
「え……? でしたら何故、お兄様は楠見かなたと何度もこのゲームを?」
「有人トレーニングモードだから。しかも無料」
「……要は舞香と同じで、サンドバック役をやらされてるだけだ」
俺は格闘ゲーム、というより対人ゲームそのものにあまり詳しくないが、かなた曰く『対人ゲーマーはCPUじゃなくて中身の入ったキャラクターをボコボコにしたい』らしい。この中身、というのが操作するプレイヤーを意味していることに気づいたのは、負けに負け続けた俺が初めてゲームセンターの天井を仰いだ時だった。
あの時、筐体を挟んで俺のことをあらん限りの語彙力で煽ってきたかなたの顔は、未だに脳裏に焼き付いている。
「楠見かなた……貴女は私だけでなく、お兄様まで侮辱するのですか……!」
「いいんだ、舞香。もう諦めてるから」
「よくありません! 楠見かなた、もう一度私と勝負しなさい! これは私のための勝負ではなく、お兄様の仇を討つための勝負……片桐の名に懸けて、今度こそ貴女を叩きのめしてあげましょう!」
「えー、もう格ゲー飽きたんだけど。他のにしない?」
「待ちなさい! 逃げるのですか!?」
投げ渡された空っぽのペットボトルには、捨てておけ、という意味が込められているらしい。そうしてふらふらと立ち上がって別のゲームを探し始めるかなたの背中を、舞香が怒りを露わにしたまま追いかけていく。
「あ、太鼓やろうよ太鼓。
果たしてかなたが見つけたのは、他のゲームセンターでもよく見かける太鼓を模したリズムゲームだった。確かにこれなら、音楽もできる舞香もある程度はかなたと張り合えるかもしれない。尤もこれは対戦ゲームではなく協力するタイプのゲームだと思うが、今この二人にこんなことを言っても仕方がないので大人しく口を閉じた。
「……ふふっ」
「え、何笑ってんの」
「楠見かなた……貴女は本当に愚かな女ですね。こちらのゲームは片桐グループが開発に携わっていると知らずに、勝負を持ちかけてくるとは。先程のように、この私が手も足も出せずに負けると思ったら大間違いですよ? 既に操作方法は熟知済みです。隙はありません」
「操作方法も何もねーだろこういうタイプのゲームに」
手慰みに片手でバチをくるくる回しながら、もう片方の手を当然のように俺へ差し出してくる。
観念した俺はいつも通り、数プレイ分の小銭をかなたの手に置いた。
「ん? なんか多くない?」
「どうせ何回かプレイするだろ。そのうちに俺はゴミ捨ててくるから」
「あ、そう。いってらー」
そうしてゲームを始めた二人を置いて、俺は自販機が置いてある場所へ戻った。
併設されているゴミ箱に空のペットボトルを捨てて、ついでにそのまま自販機で飲み物を買ったのち、来た道を戻る。格闘ゲームのコーナーから音楽ゲームのコーナーに移り変わったところで、方々から流れて来る音楽に聞き入って、自分の足取りが遅くなっていることに気が付いた。
「……ああ。あのバンドの曲、もうゲームに使われてるんだ」
音楽ゲームのデモムービーに見知ったバンドの名前が出ていて、思わず足が止まる。
聞き心地のいいキャッチーなメロディーと歌詞で作られた音楽だった。今の若い世代――それこそ俺達に刺さるよう意図的に作った、とか、そんなことをSNSで綴っていたような気がする。その思惑に嵌っているのかは分からないが、こうして立ち止まって聞き入るほどには、いい曲のように思えた。
音楽は好きだ。
別に片桐の家に生まれたからじゃない……とは思いたいけど、実際は分からない。
ただ、子供の頃から周りは音楽とそれに携わっている人間がたくさんいて、そんな環境で育ってきたから、自然と音楽が好きに、あるいは無理やり音楽を好きにさせられただけかもしれない。だから俺は音楽が好きだけど、それを胸を張って宣言していいものなのか、といつも疑問に思っていた。
いくら考えても仕方ないことだとは分かっている。別に音楽を嫌いになりたいわけでもない。ただ音楽が好きで済ませればいい話なのに、その出自に疑問を持ってしまうのは、俺の音楽が好きだという感情が、強制されたもの、あるいは親父が関わったものではないと信じたいからなのだろうか。
……かなたに聞かれたら、バカにされそうな話だな。
「あれ?」
凝り固まった思考をほぐすために適当にぶらついていると、ふと目に留まる人影があった。
ドラムセットを模したリズムゲームをプレイしている女の子だった。遊んでいる曲は最近コマーシャルでも流れているような人気の曲で、視界に入ってきた譜面はかなり簡単なものだったが、それでもいくつかミスをしてしまっているあたり、もしかするとこれが初めてのプレイなのかもしれない。
でも、そこはさして重要じゃなかった。そもそも俺は他人のプレイを観察するような人間じゃない。
それなら何故、俺がその女の子を気に留めたかというと。
「……佐伯さん?」
俺のクラスメイトで、文化祭でバンドを計画しているメンバーのうちの一人だったからだ。
正直、あまり関わりはないが、だからこそこんなところに彼女がいるのは意外だった。
周りの音で俺が声に気づかなかったのか、佐伯さんはそのままプレイを続けている。俺としても別に邪魔をするつもりはないが、かといってこのまま立ち去るのも盗み見のようで後ろめたくなってしまいそうだったので、彼女のプレイが落ち着くまで先程買った水を飲んで待つことにした。
「え、あれ、片桐くんだー?」
やがてプレイを終えた佐伯さんがこちらに振り向いたかと思うと、そのまま目を丸くして俺に声をかけてくる。俺としても驚かせるつもりはなかったので、軽く手を上げて挨拶をしたのち、挨拶を返した。
「こんにちは、佐伯さん」
「やっほ。……もしかして、見てた?」
「いや、盗み見るつもりはなかったんだけど、知ってる顔がいたから、つい」
「そうなんだ。いやー、恥ずかしいとこ見られちゃったなー」
そうやって佐伯さんはスティックを持ったままの手で、恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
「このゲームやってるってことは……バンドの練習? というか佐伯さん、ドラムなんだ」
「うん。別に立候補したわけじゃないんだけど、ドラムできる人がいないから流れで決まっちゃって。だから、こうやって一人で個人練習してるの。みんなの足引っ張ったら迷惑になるだろうし」
「……ちなみにだけど、他の楽器は経験あるの?」
「ないない。ドラムどころか、楽器なんて人生で触ったことないよー」
あー…………。
「……片桐くん? どうしてそんな変な顔してるのかな?」
「いや、なんでもない」
顔に出てしまっていたのか、首を傾げる佐伯さんに首を振って答える。
……正直なところ、佐伯さんの演奏にはとても不安が残る。
何だろう? やっぱり基礎的なテンポ感が備わってないのか? そりゃあ経験者と未経験者じゃ音楽に対するリズムの捉え方なんて差が出て当然だけど、佐伯さんのそれは未経験者の中でも特に変というか……いや、あれか。自分がノってる時に無意識に早くなってしまうタイプか。カラオケとかでもよくある感じの、ああいう……。
じゃなくて。
「それじゃあ、練習頑張って……」
「片桐くん?」
これ以上ここにいるとマズイことになりそうなので、足早に立ち去ろうとする俺を、佐伯さんが引き留める。
「私のドラム見て、何か言いたいことあるんじゃない?」
「いえ、別にそんなことは……」
「なんで敬語なのかな?」
「……一人で練習する真摯な姿勢に心を打たれたから?」
「絶対ウソでしょ」
なんて口を尖らせながら、佐伯さんがじとっとした目をこちらに向けて来る。
「言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってくれた方がいいんだけどなー……?」
「うっ……」
もう逃げられないと悟った俺は観念して、慎重に言葉を選んだ。
「……これから言うのはあくまで俺個人の感想で、いわゆる大多数の意見とか、ドラマー常識とはまた別の意見として捉えてほしい。それに加えて、俺は部外者なので佐伯さんたちのバンド活動に口を出すつもりもない。あくまで俺個人が佐伯さんの話を聞いた上で、一介の有識者が答えた感想として捉えてくれ」
「急に利用規約みたいなこと言うね」
だってこうでも前提を置かないと、歯止めが利かなくなるだろうし。
そう。これは佐伯さんのためではなく、俺自身のためのブレーキなのだ。
「そもそもの話、ドラムはバンドの心臓と言われているんだけど」
「あ、うん。それはみんなからも聞いたかな。だからいなくて困ってる、って」
「そう言われる所以は、ドラムだけは代替が利かないからなんだ。ボーカルなんて歌が上手ければなんでもいい。ギターがいなくても音楽的に問題はない。ベースは……まあ、かなり重要だけど、いなくてもなんとかなる。ただ、ドラムだけはいないと話にならない。音楽が音楽として成り立たなくなるんだ」
車で言えばエンジン、パソコンで言えばCPUの部分。それがバンドにおけるドラムの立ち位置だと俺は思っている。ここまでは他の有識者も同じことを言うだろう。だからこそ、先ほどの佐伯さんのドラムを聞いた時、俺はとてつもない不安に駆られたわけで。
「佐伯さんは音楽未経験者なんだよね」
「うん。ほんとに、リコーダーくらいかな」
「ドラムセットを触ったことは?」
「あ、一回あるよ。みんなではじめてバンド練習した時に、ちょっとだけ。いろいろ叩いてみて、楽譜見せてもらったけど読めなくて終わっちゃった。それ以降は……えへへ、ご無沙汰してますって感じだけど」
「……そのあたりの話を聞いたうえで、改めて俺の感想を伝えるんだけど」
「うん」
「今の佐伯さんが文化祭でドラムを担当するのは、無謀すぎる」
そうやって言い放った言葉に、佐伯さんは口をぽかんと開けて。
「……え、今の流れ的に『佐伯さん天才だよ! 初めてでここまで叩ける人見たことない!』って褒められるつもりだったんだけど。私、ちゃんと『それほどでも~』の準備してたんだけど!?」
「逆。絶望的だと思う」
「そこまで!?」
残念ながら、その言葉には頷くほかなかった。
「さっきも言ったけど俺は部外者だから、ドラムをやめろとまでは言わない。バンド活動自体も、友達とやりたいと思って決めたことだろうし、そこに口出しするつもりはない。ただ、今の佐伯さんの演奏を見てると、音楽をやってる人間からするとやっぱり不安になるというか……相応の練習量は必要かな、って感想が出てくる」
「うー……。まあ、そうかもしれないけど……」
「とはいえしっかり練習さえできれば何とかなると思う。最悪ドラムなんて一定のテンポでエイトビート叩ければなんでもいいんだ。いわゆる普通のライブならまだしも、文化祭なんて音楽知らない生徒だらけだろうし、どうせそういうヤツらはギターかボーカルしか見てないからリズム隊の存在なんてどうでも……」
「片桐くん、なんか出てる出てる」
いけない。
「とにかく、バンドを成功させたいならもっと練習した方がいい。ゲームじゃなく、実際のドラムで」
「そうは言っても、ドラムなんてどこで練習すればいいのか分からないよ」
「おお……」
「どういう感情の声?」
こんなコテコテのドラムあるあるを現実で聞くことになるとは思わなくて、思わず声が漏れた。
そう、ドラムという楽器は練習が難しい。
楽器の難易度はまた別の問題なのでひとまず置いておくことにして、ドラムはとにかく演奏するための場所を確保することがまず必要になる。しかし、あんなデカい太鼓の集合体を置くスペースなど一般家庭にある方が珍しいし、そのうえドラムが出す騒音にも近い音も、主にご近所付き合いの観点から大問題になりかねない。
最近は電子ドラムも質のいいものが揃っているからそれでもいいんだけれど、アレはアレで振動という第三の問題点が出てくるし……あと本物と比べて静かとはいえ、うるさいものはうるさいしな……。
そんなドラム練習における問題点を、全て解決できる方法があって。
「スタジオを借りればいい」
「え、スタジオって一人でも借りていいものなの?」
「何も問題ないよ。むしろほとんどスタジオに個人練習用の料金設定があると思う。相場はだいたい一時間あたり一〇〇〇円いかないくらいかな? 都心じゃなくて地方の個人スタジオだと五〇〇円のところか、探せば見つかるんじゃないかな」
「へー、カラオケより安いとこもあるんだあ」
スティックを太ももの上でふらふら揺らしながら、佐伯さんは俺の話を聞いてくれた。
「とにかく、個人でドラムの練習するならスタジオ借りるのがいいよ。確かに場所代はかかるけど、少なくともゲームセンターで練習するよりも絶対に身に着くと思う。何より一度行ったことのあるスタジオがあると、今後バンドの練習する時に役に立つ。具体的には使いたいスタジオが予約で埋まってた時とか」
「あ、確かに。じゃあ私もスタジオ借りて練習してみよっかな?」
「探すのが面倒なら最悪、うちの会社が運営してるスタジオ紹介するよ。宣伝のつもりじゃないけど、質のいい機材とか、料金設定も学生向きのとか用意してあるから、佐伯さんみたいな初心者でも満足できる環境を提供できると思う」
「おー、さすが片桐グループの息子さんだあ」
かんかんとスティックで拍手をする佐伯さんが、しかしすぐに首を傾げて、
「ただ私、まだ楽譜すら読めないレベルだから一人でスタジオ借りてもしょうがないよ?」
「それも大丈夫。個人練習用の料金設定って言っても、一人用と二人用があるから」
「あー、教えてもらう人と教えてあげる人用ってこと?」
「そういうこと。その場合、もう一人音楽に詳しい人を見つける必要があるけど……まあ、そこは佐伯さんの人脈次第かな。それこそバンドメンバーの誰かに声かけてみるでもいいし、スタジオと契約してる講師の人とかもいるから、そういう人を頼ってみるのも手だよ」
「………………」
「こう言うとまた宣伝っぽくなって嫌だけど、うちの会社はそういうサービスもあるから、もし誰とも予定が合わないとかいう状況になったら、言ってくれればある程度は紹介を……」
なんて自分でも驚くほど、よく回る口で話を続けていたところで、ふと。
先程から佐伯さんが黙ったまま、じっと俺のことを見つめていることにようやく気が付いた。
「ねえ、片桐くん?」
「……な、何?」
「さっきから話を聞いてる限り、片桐くんも音楽にすごい詳しい人だよね?」
……しまった!
「いやあ……俺は……」
「バンドやろうって言ったみんなにもきっと予定があるだろうし、簡単には誘えないかなー。それに講師の人も呼ぶとまたお金かかっちゃうでしょ? しかも知らない人と二人きりなんて、仮に講師の人が男性だったら、女子高生的にはやっぱり不安になっちゃうかなー」
「う……」
「それに、ここまで私のドラムに口出ししたなら、片桐くんにもそれなりの責任があると思うんだけどなー。それとも片桐くんは、ただ私にアドバイスとスタジオ紹介しただけで、後はポイしちゃうのかな? やっぱり顔のいいイケメンさんって、こんな感じで女の子に対して無責任な人が多いのかなー?」
「ち、がっ……俺はそんなつもりじゃ……」
「逃げないのー」
そうやって後ずさる俺の袖を、佐伯さんが掴む。
「まあ、たまたまゲーセンで私に会っちゃったのが運のツキだね」
「そうですね」
「なんで敬語なのかな?」
「……もう逆らえないと思ったから?」
「あはは、確かにー。自分の立場がよく分かってて偉いねえ」
まるで聖母を思わせるような優しい笑みで、佐伯さんが俺の退路を完全に絶った。
……まあ、確かにそうか。
スタジオで練習した方がいい、とかアドバイスしておきながら、それに付き合わず中途半端に立ち去るのも無責任な話だ。とうか、そもそも佐伯さんのドラムに口出しする時点で間違っていたのだ。そうやって問題の所在を辿っていくとやはり、佐伯さんに偶然出会ってしまった俺が全て悪いのだろう。
期待を込めた視線で見上げて来る佐伯さんに、観念して口を開く。
「分かったよ……ある程度は付き合う。楽譜の読み方とか教えるから」
「やったー。ありがとね、片桐くん」
にへ、と気の抜けたようね笑みを浮かべてから、佐伯さんが袖から手を離す。
「それにしても、まさか片桐くんとゲーセンで会えるなんて思わなかったよ。というか、珍しいね? 片桐くん、あんまりゲーセンとか行くイメージなかったから。え、よくこういうとこ遊びに来るの?」
「最近、友達の付き合いでよく通ってるんだ。今日もそれで」
「……その友達っていうのは、後ろにいる三後の生徒さんたちのことかな?」
なっ……!?
「…………」
「…………」
かっ、かなた……!? それに舞香まで、いつの間に……!
「え……? アンタまたゲーセンで女引っかけてんの……?」
「違うんだ」
「え、片桐くんってゲーセンで女の子ナンパする感じの人だったの……?」
「違います」
「お兄様……楠見かなただけではなく、他にも女性と関係を築こうと……?」
「違うから」
向けられる三つの懐疑的な視線に全て否定で返す。
「というか、なんでここに……。太鼓はどうしたんだ太鼓は」
「そんなのボコボコにしたに決まってんじゃん。で、アンタがいつまで経っても帰ってこないから探しに来たんだけど……あのさ、イケメンだからって節操ないのはホントにどうかと思うよ?」
「違うって言ってるだろ。彼女はクラスメイトの佐伯さんで、ドラムの練習をしていたからつい声をかけて……」
「今度、二人で一緒にスタジオ借りて練習しようって話になったんだよね」
「佐伯さん?」
「……お兄様はまた、私の知らない女性と同じ屋根の下で過ごそうとしているのですか? 私というものがありながら、どうしてお兄様は楠見かなたといい、他の女性に手を出してしまうのでしょうか? お兄様と同じ部屋で寝食を共にするのに、私はいつまで待てばよろしいのでしょうか?」
「舞香、そうじゃない。だいたい佐伯さんの前でそんな話をするな。彼女に失礼だろ」
「いやでもアンタ前科あるじゃん」
「え、前科?」
「………………、っ……! っ!! っっ……!」
声にならない叫びが喉から漏れる。
やがてこの状況に耐えられなくなって頭を抱える俺を、三人が無言で見つめていた。
女三人寄れば姦しいという言葉が嘘に思えるほど、無言の重圧が肩に圧し掛かってくる。
いや、かなたと舞香はまだ分かるけど、佐伯さんは完全に悪ノリでやってるんじゃないか、これ。
………とにかく。
「ば、場所を……変えさせてほしい。きちんと全部説明するから……」
「じゃあ駅前のファミレスね。飲み物食べ物ぜんぶアンタの奢りで」
「……わかった」
かなたに抵抗できなかった俺は、その条件を無抵抗のまま呑むしかない。
そうして俺は、三人を連れてゲームセンターを離れることにした。
……鴨川さんに今日はもう帰っていただくよう、連絡を入れておこう。
■