■
片桐舞香は、片桐グループの将来を担う有望な人材だ。
グループの次期党首候補としてその名前は広く知れ渡り、高校生ながら音楽業界の人間と多くの繋がりを持っている。そんな舞香を親父はたいそう可愛がっていて、既にいくつかの仕事を任せるくらいには気に入っていた。
そんな舞香は、学生ながら非常に多忙な生活を送っている。
日中は三後で学業に励み、それが終われば親父から任された仕事に携わったり、あるいは楽器のレッスンに時間を費やしている。さすがに休日までとは言わないが、それでも時には親父に連れられて会食に参加したり、一人で企業訪問をすることもあるみたいだった。
舞香はそのことについで一度も苦言を呈したり、弱音を吐いたりしたことがない。責任感と向上心の強い舞香のことだ。片桐の名に恥じない振る舞いを心掛けているのだろう。全くもって出来のいい、俺にはとても勿体ない妹を持ったと思う。
とはいえ、兄としてはやはり、心配する気持ちもある。
何より俺たち兄妹が触れ合える機会が削られてしまっているのは、かなり深刻な問題だと言えるだろう。
「つまり、こうして舞香と触れ合える時間は貴重なんだ。だから俺は舞香を選んだ」
「めっちゃ言い訳じゃない?」
「片桐くんが妹さんをとても大事にしていることは分かったから」
西園と佐伯さんは、うんざりした様子で俺の話を纏めていた。
「とにかく俺は、かなたと舞香の二人の間に差はないことを伝えたかったんだ」
「うんうん、そうだよねー。かなたちゃんも、片桐くんにとってはかけがえのない存在だもんね?」
「そこに関しては嘘を吐きたくないから、俺も素直に認める。かなたは俺にとって大事な人だよ。今ここで選ばなかったからといって、その気持ちが変わったとか、二人に優劣があるとか、そういうわけじゃない」
「……彼女も大変ね。こんな人が友達になっちゃって」
「本人はまんざらでもないみたいだけどねー」
によによとした、面白いものを見るような目をした佐伯さんがそうやって話してくる。料理を取りに行っていたかなたが戻ってきたのは、それとほとんど同じタイミングだった。
「はい、先に西園センパイのパンケーキ」
「あら、ありがとう」
「……あれ? かなたちゃん、私と片桐くんのぶんは?」
「なんかお嬢様が、コイツに見せる前に振り付けの最終調整するとか言い出してさ……今バックヤードに籠ってんだよね。だから、ごめん。もう少し待ってて」
「ああ、わかった」
「おなかすいたよー」
完璧主義の舞香のことだ。俺のために細部まで拘ってくれているのだろう。そういうことならいくらでも待っていられるので問題はない。佐伯さんには少しもう訳ないけど」
「じゃあ、先に西園センパイにおまじないするから」
「何か手伝った方がいいかしら? その、盛り上げとか、手拍子とか」
「いらない。何もしなくていいから、じっとしてて」
するとかなたは話をする片手間、指先でハートの形を作ってから。
「はい、萌え萌えきゅん。おいしくなーれ」
……………………。
「おしまい。食べ終わったお皿はそのままでいいから。ゆっくりお召し上がりくださ~い」
「……え、ウソ、ちょっと待ってこれだけ!?」
「何? 終わりだけど?」
「なんかもっと、こう、私としてはきゃぴっとした感じを想像してたんだけど……」
「サービスは以上となりま~す」
かなたのあまりにも淡泊な対応に、西園は不満を通り越して困惑している様子だった。しかし当の本人はこれ以上の会話を続けるつもりはないらしく、メイドという本分すら忘れて携帯まで触り始める始末だった。
確かに、そういうコンセプトとしては、これ以上ないほどに完成度が高いのかもしれないが。
そうして呆気に取られている西園が、そのままパンケーキをもそもそと食み始める。
「普通ね……」
「だって業務用だもん」
「だから絶対にそんなこと言うなって」
舞香が俺たちの料理を運んできたのは、それからすぐのことだった。
「大変お待たせいたしました、お兄様、佐伯様。こちらがご注文のパンケーキになります」
「ああ、ありがとう舞香」
「じゃあ早速、舞香ちゃんに”おまじない”かけてもらおっかな~?」
「……承りました。片桐舞香、全力で務めさせていただきます」
どうやら腹を括ったらしい舞香が、テーブルから少し距離を取る。
そしてしばらくの集中を経て、かっと目を見開いた舞香が、そのまま両腕で大きくハートの形を作って、
「ご主人様のための、スペシャルおまじないタ~イム☆ せーのっ、ラブラブラブリー、萌え萌えきゅん♡ パンケーキさん、舞香の愛でおいしくなっちゃえ♡」
おお……!
「めちゃくちゃいいな。死ぬほど可愛いぞ、舞香」
「あなた、そういう俗な語彙あったのね……」
率直な感想を述べる俺の隣で、西園さんは怪訝そうな表情を浮かべていた。
しかし、この舞香の姿を見ればそんな賞賛の言葉が出てくるのも無理はないだろう。普段はお淑やかな舞香が、ここまで可愛く開放的な姿を見せてくれていると思うと、感動で涙が出てきそうだった。現に俺の向かいに座っている佐伯さんは、親指をグッと立てながら何度も頷いている。
俺としてもペンライトなんかを振ってやりたいとことだったが、生憎とそんな用意はしていないので、泣く泣く賛辞を述べることしかできない。もし物販が出ていれば、あらゆるグッズを全て買い占めるつもりだったのに。
「すごーい! 舞香ちゃん、完璧じゃん!」
「もちろんです♡ お兄様にご奉仕できる、貴重な機会を逃すわけにはいきません♡」
「いつまでメロ声なんだよ」
「いいじゃないか、可愛げのある声なんだから」
「ほんっとにキモいからさっさと食って出てってくれない?」
冷めた視線を送るかなたと対を成すように、舞香が俺の元へと身体を寄せて来る。
「お兄様♡ あんな乱暴な言葉遣いの女のことは無視して、舞香のことだけ見ていてくださいね♡」
「ああ」
どうやら役に入っているというより、ヤケクソ気味の開き直りをしているみたいで、近づいてきた舞香からは熱っぽい視線と荒い鼻息が感じられた。ここまでくると危機感がうっすらと顔を覗かせてきたが、しかしながら抵抗する気も起きなかったので、そのまま舞香の行動を受け入れることにする。
「さあ、お兄様♡ 舞香があ~んして差し上げます♡」
「ありがとう」
「客との接触行為はNGだってさっき散々クギ刺したでしょ」
「ぐふッ♡」
有無を言わさずフォークを手にした舞香の頭に、かなたがメニュー表を振り下ろした。
「乱暴な女……♡ 楠見かなた、後で覚えておきなさい♡」
「アンタの声帯って一度スイッチ入ったら戻らないワケ?」
「舞香、フォークをもらってもいいか?」
「承りました♡ どうぞこちらをお使いください♡」
ようやく食べる準備も整ったので、パンケーキへと食指を伸ばす。
「では、舞香の愛情がたっぷりこもったパンケーキ、どうぞお召し上がりください♡」
「舞香……」
「それと、楠見かなただけでなく、どうぞ舞香もお兄様の家に泊めてください♡」
「舞香?」
泊めないからな。
「いや、ここまでやってるんだから、少しは折れてやりなよアンタ……」
「それとこれとは話が別だ」
「えー。舞香ちゃんがかわいそうだよ」
「いずれ俺がかわいそうになる」
「自分で言ってて悲しくならないの、それ……」
悲しいに決まってるだろ、ふざけるな。
俺だって出来る限り舞香の要望には応えてやりたいが、とはいえいつも言っている通り、家を出て行った兄と仲良くしているのは舞香にもよくないだろう。だからその要望については、舞香のために依然として拒否し続けるつもりだった。
時間の問題、それもかなり猶予がないものかもしれないが、それでも俺は抗い続ける。
「お味はいかがでしょう♡」
「ああ、舞香のおまじないのお陰で、業務用とは思えないくらい美味しいよ」
「アンタも業務用って言ってんじゃん」
うるさいな。
「とにかく、最高のサービスだった。来てよかったよ」
「お兄様にご満足いただけたようで何よりです♡」
「可能ならかなたも指名したかったんだけどな」
「いいよ別に。ルールだし。ま、来てくれただけ許してあげる」
不満気に見えるようで、どこか気を良くしたかなたが俺に視線を送ってくる。
そのまま談笑しつつパンケーキを食べ進めていくうちに、客もだんだんと増えてきたみたいで、食べ終わった頃には教室の外に少し列ができているくらいになっていた。食事も終えて、このまま居座るのも申し訳ないので、俺たちもそろそろ離れることにする。
「じゃあ、俺たちはそろそろ行くよ」
「そーだね。色々と楽しめたし、私は満足かなー」
「私も。片桐くんの意外な一面が見れてよかったわ」
「頼むから、小枝には言わないでくれ。あいつに見つかったらどうなるか……」
「諦めた方がいいんじゃない?」
そんなやり取りをしていると、かなたが領収書を俺たちのテーブルへ持ってくる。
「はい、これお会計。合計で三〇〇〇円ね」
「じゃあ、纏めて頼めるか?」
「あれ、奢ってくれるんだ?」
「二人は付き合いで来てもらってるから、この程度は払うよ」
「そう? なら、遠慮なく奢られておこうかしら」
「ありがとー、片桐くん」
今更二人に割り勘をさせるのも気が引けるし、ここは自分が出すべき場だろう。
そうして財布から出した料金をかなたに渡すと、にやりと笑われた。
「へーえ、カッコつけちゃって」
「そういうつもりじゃない。それにこの程度の金額じゃ、恰好も何もつかないだろ」
「どーだか。そうやって奢ってるトコ見せて、好感度稼ぐのが目的なんでしょ」
「……その理論だと、俺はお前にものすごい勢いで好感度を稼ぎに行ってることになるぞ」
「まあ、確かに。でも、悪い気はしないかもね」
へらへらと笑うかなたに釘を刺すつもりで言ったが、まさか肯定されるとは思わなくて、返す言葉が無くなってしまう。そうして渋い顔を浮かべる俺の後ろで、佐伯さんと西園がこそこそと話しているのが聞こえた。
「あの二人って、いつもあの感じなの?」
「うん。私が知り合った時点で既にこの仕上がり。すごいよね。なんていうか、どっちも」
「……これでただの友人って言い張るのは、無理がありすぎないかしら?」
やっぱり割り勘にするべきだったか?
「お兄様はこれからどうされますか?」
そんな二人のやり取りに無理やり被せるように、舞香が俺に尋ねて来る。いつの間にか先程の声色も消えていて、それどころか少しだけ言葉には鋭利なものが感じられた。おそらくそれは先程の声を出した反動だと、信じるしかなかった。
「せっかく佐伯さんと西園も連れてるし、もう少し他のところも見て回ろうかなって」
「あ、どっか行くの? それならアタシが案内してあげよっか?」
「は?」
会話に混ざってきたかなたに、俺よりも先に舞香が反応した。
「楠見かなた……まさか、貴女がここまで卑しい女だとは思いませんでした。貴女は自分に与えられた役割を放棄してまで、お兄様の傍に付き纏うつもりなのですか? 自分の私利私欲を優先するその行動が、誠実に役割を全うするクラスメイトに迷惑だとは思わないのですか?」
「そっちこそちゃんとスケジュール見た? アタシこれから外回りなんだけど?」
「……なんですって?」
「クラスのグルチャ確認してみ。貼ってあるから」
怪訝な表情を浮かべながら、舞香が取り出した携帯を覗き込む。
次第に愕然とした様子になった舞香が、震えながらかなたに言葉を吐いた。
「ま、まさかこのために外回りのスケジュールを……!? どこまでも姑息な女……!」
「いやアンタがクラスに常駐したいとか言い出して、アタシを無理やり外回りに充てたんでしょ……」
「お兄様やお父様がいつお越しになるか分からないのに、席を外すわけにはいかないでしょう!!」
「めちゃくちゃ私利私欲じゃねーか」
……まあ、事前に来訪する時間を連絡しなかった俺も悪いとは思う。
とはいえ親父と顔を合わせるのを避けるため、できるだけ時間をずらしたかったのはある。それに何より、どこから小枝の耳にこのことが入るか分からなかったので、可能な限り情報を不透明にしておく必要があった。
相手はあの小枝だ。策に策を重ねて臨むべきだろう。
「そういうことだから、三人の案内役はアタシがやる。ほらお嬢様、さっさと看板持ってきな」
「こ、の……! 覚えておきなさい……この復讐は必ず、私自らの手で……!」
「そう言ってアンタがアタシに復讐できたことあったっけ?」
「楠見かなたァ!」
「だからなんでいちいちフルネームなんだよお嬢様ァ!」
俺たちをよそに、二人がもはや恒例になりつつあるやり取りを交わし始める。
「すまない、二人とも。たぶんもう少しで終わるから」
「ううん、大丈夫。見てて面白いし。ねー、ゾノちゃん」
「……あなた、いつの間にこんな愉快な子と友達になったの?」
「色々あったんだ」
訝しむような西園の視線に、俺は最低限の説明を返すだけに留めておいた。
■
私立三後女子高等学校。
大正時代に創立された技芸女学校を前身とする、百年以上の歴史を誇る名門校である。
かつては商人の娘や貴族の令嬢といった上流階級の子女を多く抱えていたが、現代では幅広い家庭環境の生徒の受け入れを積極的に行っており、全国的にも非常に高い知名度を有する女子高等学校となっている。
とはいえ入学希望者の多くは中・上層の家庭出身であり、六〇代後半という偏差値の高さも相まって、世間からは富裕層向けの教育機関という認識が強い。無論、いわゆる一般家庭の生徒の受け入れも行っているが、その高い偏差値ゆえ入学自体が難しく、結果として『お嬢様学校』という印象が定着していた。
そんな三後を当然、県内の女子たちは憧れの学び舎にしているわけで。
どうやらそれは、俺の隣を歩く西園も同じようだった。
「いいなー、三後……制服可愛いし……校舎もキレイだし……浅ヶ野に帰りたくない……」
かなたを先頭に出店が並ぶ中庭を歩く中、両手にチュロスと焼き鳥をそれぞれ握る西園がそんな言葉を漏らす。
「誘う時に言ってたけど、西園は三後が第一志望だったんだよな」
「そうなの! 両親もいいよー、って言って応援してくれたんだけど、受験で落ちちゃって。結局、滑り止めで受けてたうちの公立に進学したんだけど、やっぱり三後に通ってるクラスメイトが羨ましくてえ……!」
「それは、まあ……大変だったな」
「うぅ……せめて今だけは三後が私の母校だって錯覚したい……! もっと三後のもの食べて自分を騙すのよ……! 最近ちょっと太り気味だったけど、こうなったらもう考慮しないものとするわ……!」
嘆きながら西園がチュロスと焼き鳥を交互に口へ運ぶ。少し前は飴菓子をしくしく泣きながら食んでいた。もちろん、それらの商品の代金は全て俺の財布から支払われている。
声色からして感情の配分は憧れが三割、悔しさが七割といったところだろうか。どちらかといえば普段は冷静な西園がここまで感情を露わにするあたり、どうやら三後には相当な執着があるみたいだった。
そんな西園を後ろに連れて、俺の前を進むかなたが佐伯さんに話を続けていた。
「あっちが体育館で、その向こうにあるのがプール。あとテニスコートとラクロスコートも少し先にある。そんで反対側には剣道場と弓道場があって、道路挟んだ向こうに馬術部とかが使ってる広めのグラウンドがある」
「馬術……? え、馬? ちょっと待って三後って馬飼ってるの!?」
「うん。茶色いのと白いのが何匹かいる。よく土日の昼とかに向こうで元気に走り回ってるよ」
「ここ都内だよ……? どんだけお金持ちなのこの学校……」
愕然とした声を出す佐伯さんの後ろで、俺も静かに同調していた。
三後の敷地面積は俺たちの通う東浅ヶ野高校の倍近くあり、かなたが言った通り施設も充実どころか持て余すくらいには揃っている。俺も舞香から馬術部が存在していることを話された際、佐伯さんと全く同じような反応を返していた。
そうして固まる佐伯さんの後ろから、西園がそういえば、と声をかける。
「かなたちゃんは部活入ってるのかしら?」
「一応、美術部だけど」
「美術部?」
「美術部?」
美術部……?
「……なんでセンパイたちそんな顔してるワケ?」
「あ、いや、ちょっと意外だったから。かなたちゃんって絵も描けるのね」
「いや描けないけど? むしろヘタクソな方」
「え、そうなの? じゃあなんで美術部に……」
「いくらサボっても何も言われないから」
だろうな。
かなたから部活に関しての話なんて、この二ヵ月で一切聞いたことがない。
むしろ何らかの部に名前だけでも置いていることに驚いたくらいだった。
「でも、それなら帰宅部でもよかったんじゃないの?」
「帰宅部だとセンセーに捕まった時、逃げる口実なくなるもん。それに部活入っといた方が、面倒事も頼まれにくくなるし。いいよー、美術部。何か頼まれても、創作の熱が抑えきれない! って言い訳ですぐ逃げれるから」
「お前創作活動とかしたことないだろ」
「したことあるって。この前部誌のなんかで描かされたもん」
「え、私それ見たいかも。ねえかなたちゃん、美術室連れてってよー」
「絶対ヤダ」
「いけずぅ~」
ずいっと寄ってくる佐伯さんの顔を押しのけながら、かなたは口を尖らせた。
「で、センパイたち次はどこ行きたいの? 美術室以外なら案内してあげる」
「んー……私はもういいかなあ。回れるところは回ったし。ていうかー、もうごちそうさまって感じ」
「あら、そうなの? 私はまだまだ食べられるわよ」
「そういう意味じゃないんだよ、ゾノちゃん」
二人が何やら別の話をしているようなので、意図的にそれを無視してかなたに話しかける。
「なあ、かなた。三後って屋上は解放されてるのか?」
「え、屋上? 一応いつも空いてるけど……何すんのそこで?」
「特に何かあるわけじゃない。まあ、せっかくなら上から見てみたいくらいで」
時間的にもそろそろ帰る頃合いだし、最後に景色でも見ておきたいというのが本音だった。それにうちの高校は屋上は基本的に解放されていないから、普段はいけない学校の場所という点でも興味はある。
そうやってかなたに聞いていると、西園さんも話に入ってきて。
「屋上? いいわね、行きましょう」
「え、ゾノちゃんも乗り気なの? もしかして高いところ好きだったりする?」
「今私バカにされてる?」
「ごめんなさい」
食べ終えた焼き鳥の串を片手に戦闘態勢に突入する西園に、佐伯さんが頭を下げた。
「あのね、最後にこの学校の景色を見渡して、思い出にしたいのよ。屋上からの景色を脳裏にしっかり焼き付けておけば、寝てる時に三後に入学した夢を見られる確率が上がるかもしれないから……」
「ねえ、そーま。西園センパイってかなりバカ?」
「普段はこんなんじゃない」
憧れの三後に来れて、だいぶ舞い上がってるだけで。
「とにかく案内してくれるか?」
「一番近い校舎のとこでいいなら」
頷くと、かなたは俺たちを連れて近くの昇降口から校舎へと入っていった。
■
四階分の階段を昇ったあと、また別の階段を上ると屋上に出た。
ここまで来ると人も俺たち以外にはいなくて、教室や中庭では感じられなかった秋の風がより強くなって頬を撫でる。少しの肌寒さを感じながら屋上の柵にもたれると、より一層その風を強く感じられた気がした。
「あ! あれ、私たちの学校じゃない?」
「こう見るとしょぼいわね……」
「距離の問題だと思うよ、ゾノちゃん」
柵の向こうに見える街並みを眺めながら、佐伯さんと西園がそんな会話を交わす。
「……こうして見ると、やっぱり広いな」
「生徒の数に見合ってないよね。やっぱ無駄遣いが多いんだよ、この学校」
一方で俺とかなたは、眼下に広がる三後の全容を見ながら言葉を投げ合っていた。
「生徒の方もそうだけど、ここ勤めてるセンセも大半はお金持ちっていうか、ボンボンだからね。なんかの設備が壊れたらすぐに買い直すし、学校行事とかにもかなりお金つぎ込んでるし。この文化祭だってそうだよ。アタシは行かなかったからよく分かんないけど、体育館に昨日、人気の俳優さん呼んでたらしいよ」
「すごいな……。前々から思っていたが、どこからそんな金が出てるんだろうな」
「お金持ちの子供ばっかりだもん。寄付金とかでいっぱい親御さんから巻き上げてるんじゃない?」
「流石にそんなことは……まあでも、これだけ設備が整ってるなら、居心地もかなりいいんじゃないか?」
「別に? あ、でも、どこのトイレも綺麗なのは気に入ってるかもね」
退屈そうに三後の校舎を眺めながら、かなたはつまらなさそうに呟いた。
「生徒も生徒で、お高く止まってるヤツばっかりだよ。ゲームとかアニメの話もほとんど通じないもん。別に性格が悪いとかじゃないんだけどさ、なんていうの? いい子ちゃんすぎるって言うか、頭からつま先まで両親の愛情たっぷり感じでさ。アタシなんかとは大違いで、なんか、向こうが悪いわけじゃないんだけど……困るっていうか」
「……確かにお前にとっては、中々に窮屈な学校かもしれないな」
「ホントにね。脳内お花畑の世間知らずなお嬢様だらけで、参っちゃうよ」
「そういう言い方はどうなんだ……」
「だって事実だもん。それこそこの前アンタが校門の前で立ってた時さ、うちの生徒がキャーキャーキモい鳴き声でアンタのこと持て囃してたじゃん? あんな感じで、頭のネジと股がユルい女しかうちにはいないんだって」
それはまあ、確かに、身に覚えがあるから否定しにくいけど。
「あ、そうだ。ねえねえそーま、アタシが許可してあげるからさ、うちの生徒に手あたり次第ナンパしてみてよ。それで累計何股まで行けるかでダービーしたい。十股までいけたらアタシからご褒美あげるよ」
「やるわけないだろ」
「五股までは余裕だと思うんだけどなー」
いつもの調子でいやらしく笑うかなたに、俺は頭を抱えるしかなかった。
思えば、こうしてかなたから学校の話を聞いたのは、もしかすると初めてかもしれない。
でも、それに新鮮さを感じることはなかった。むしろ、こうしてかなたが三後に辟易しているのは、俺の予想通りとも言えた。こう言っては何だが、かなたは三後の雰囲気と明らかに相容れていない。身内の俺ですら、三後らしい生徒だと思える舞香と顔を合わせるたび喧嘩しているのが、何よりの証左だろう。
そこになにも違和感はない。むしろこれまでのかなたとの付き合いの仲で、充分に納得できる。
ただ、それを踏まえると、やはり疑問に思うことがあって。
「……なあ、かなた」
「何?」
「どうしてかなたは三後に入ろうと思ったんだ?」
俺の問いかけに、かなたは普段通りの、まるで何でもない時のように口を開いた。
「お父さんの遺言」
それ、は……。
「……すまない。その……悪かった」
「え? あ、いや、別にいいよ。罪悪感とか感じなくても大丈夫だって」
かける言葉を選ぶ俺に、かなたは笑いながら言葉を並べてくれた。
そのままかなたは柵に背中を預けて、しばらく考え込んでから話を続ける。
「どっから話せばいいかな……お父さんがこの学校の人と知り合いでさ。アタシもここ入れたらいいねー、って言ってたんだよ。で、アタシが小学校の頃にお父さんが死んじゃって……その時、お父さんの銀行口座に三年分の学費が残ってたの。最初は生活費にするつもりだったけど、でもまあ、一回受けてみてもいいかなって」
「……それで、受かったのか」
「たまたまだと思うけどね。で、そっからはアンタの想像通り。お父さんとの約束で入ったけど、結局アタシの肌に合わなくて、あんまり馴染めなくてこうなった。あの約束が無かったらこんな学校とっくに辞めて、中卒で働いてたよ。でも、まあ……お父さんとの約束だし。一応、ちゃんと卒業はするつもりだよ。こう見えてもね」
肩を竦めるかなたに、俺はどう言葉を返すべきか悩んでいた。
かなたの家族のことは、いつか俺も聞くことがあるかもしれなくて、それなりに覚悟しているつもりだったが、それでもこうして言葉にされると、受け止めきれるかどうか躊躇してしまう自分がいた。
そうやって押し黙っている俺を見たかなたが、小さく笑みを零す。
「だからそんな気にしないでよ。むしろ、アンタにだから話したんだもん。自信持ちなって」
「……本当に俺で良かったのか?」
「いいの。そろそろ一人で抱えるのにも疲れてきた頃だったしさ」
平然と語っていても、俺には到底計り知れない葛藤があったはずだ。
でも、かなたはそれをたった一人で乗り越えた上で、こうやって俺に話してくれた。
だったら俺は、きちんとそれに向き合って、かなたという人間の隣に立つべきだと思う。
零れ落ちた過去の発露を、両手でしっかりと受け止めて、かなたと同じように大事に抱えること。
それ以外、俺が彼女にしてやれることはないように思えた。
「アタシのこともっと大事にしたくなった?」
「そうだな。憐れんでるからとか、同情してるからとかじゃなくて、お前が寄せてくれた信頼を裏切らないようにしたいと思った。この感情は大事にしたいし……俺の出来る限りで、優しくしたい」
「いい心がけだね。じゃ、せいぜいこれからもアタシのサイフ役よろしく」
「それとこれとはだいぶ話が違うだろ」
結局、こういう話をしている間も、かなたが普段の調子を一切乱すことはなかった。それがいいことなのか、悪いことなのかは、今の俺にはまだ分からない。でも、少なくとも彼女がいつも通り笑ってくれているのなら、それはとてもいいことのように思えた。
「それで、どうする? そろそろ戻る?」
「ああ。時間も丁度いいくらいだし、二人を呼んでくる」
かなたの提案に頷いて、遠くの方で柵の向こうを眺める佐伯さんと西園を呼びに行ったところで。
「そ、そろそろ二人に声をかけにいっても大丈夫かしら?」
「うん、多分……? なんか一段落したっぽいし、いいんじゃないかなー……?」
………………。
「……もしかして、聞こえてたか?」
「あ、いや、意図的に聞かないように、こうして離れてたのよ。盗み聞きするのも行儀が悪いと思って」
「何なら徐々に離れてフェードアウトしてもよかったんだけどねー。別に私もゾノちゃんも二人の邪魔がしたいわけじゃないし。それで、どうだった? 何か進展あった? あれでないわけないと思うけど!」
「たぶん佐伯さんが期待してるようなことは、何もないと思うけど」
「またまたー。あとでかなたちゃんにメッセで聞いちゃおっと」
いつの間にかなたと連絡先を交換してたんだ?
「とにかく時間もいい感じだし、そろそろ帰ろうと思ってるんだけど、どうする?」
「うん、いいよー。ゾノちゃんもさっき屋上からの写真撮ってたし、大丈夫だと思う」
「今日はスマホを枕の下に敷いて寝るわ……」
「潰れるからやめておいた方がいいぞ」
後生大事そうにスマホを両手で抱える西園に、少しの不安を覚えた。
■
それから屋上を離れ、再び中庭を通って校門まで歩く途中で、かなたがふと。
「そういえばそーま、アタシが頼んだ飲み物は?」
「あ」
忘れてた。
メイド喫茶から屋上にかけて色々とあったせいで、午前中に勝った飲み物を舞香とかなたにに渡し損ねていた。その場で立ち止まって鞄を開くと、若干膨れ上がった炭酸飲料と既に常温になった天然水が、寂しそうにお互いの身を寄り添わせているのが見える。
「破裂寸前じゃん」
「……一応、渡しておく」
「じゃあ一応貰っとく」
炭酸飲料を手渡すと、ついに一人取り残された天然水が物悲しそうに俺のことを見上げていた。
「帰り道だし、舞香にも渡しに行こうと思う」
「え? いや、いいよアタシからお嬢様に渡しとくよ」
「大丈夫だ。かなたの手を煩わせるわけにはいかない。俺から舞香に渡しに行く」
「別にそこまでアタシのこと気遣わなくても……」
「それに、舞香のメイド姿を最後にもう一度見ておきたい」
「だいぶそっち本音じゃねーか」
何が悪いんだ。
「すまない二人とも。少し舞香のところに寄ってくる。二人は先に帰ってくれて構わないから」
「いいわよ。せっかくだし、私も舞香ちゃんに挨拶しに行くわ」
「私もー」
俺の都合に付き合わせるのも悪いと思って提案してみたが、二人は付いてきてくれるらしかった。
そうしてかなたの案内に従いながら、舞香の待つ教室までの道を戻っていく。
昼時のピークを丁度過ぎたのか、1-Cのメイド喫茶は俺たちが退席した頃よりも少し客足が落ち着いてきたようだった。とはいえ空きが出来たわけではなく、席のほとんどが埋まっている状態だった。
「もえもえきゅ~ん! ほのか先輩にこの愛、届いてください~い!」
「ええよー、スズちゃん! ほら、もっとかーわいいポーズ取り! スズちゃんが今世界で一番かわいいねん! うち今回のためにスマホの容量空けてきたから、もっとかわいい後輩の写真いっぱい撮らせてな!」
「ありがとうございま~すっ!」
やけに盛り上がっている窓際のテーブルが少し気になったが、それを傍目に舞香を探す。
「お兄様! お戻りになられたのですね!」
すると俺が見つけるよりも先に、どうやら裏で会計作業をしていたらしい舞香が俺たちの方に駆け寄ってきた。
「どうなさいましたか? もしかして、また舞香のおまじないをご希望で……?」
「出来るなら是非ともそうしたいところなんだけど、俺たちはもう帰るところなんだ。それで、そういえばここに来る前に、舞香に飲み物を買っていたのを思い出して……もう常温になってるけど、それでもいいなら」
「そういうことでしたか。ありがとうございます」
嬉しそうに微笑む舞香に、鞄から取り出した天然水を手渡した。
「お兄様のお気遣い、心より嬉しく思います。大切に頂きますね」
「お嬢様ってだいぶコスパいいよね。ただの水でそこまで仰々しい言葉出てくるんだもん」
「黙りなさい、楠見かなた。そもそも貴女、いつまで外回りに時間をかけていたのですか? いくらお兄様たちを案内を並行していたとはいえ、十五分も予定の時間を超過しているとはどういうことですか?」
「積もる話が色々とあったんだよ。アンタには聞かせないけど」
「っ、この……! どれだけお兄様を私物化すれば気が済むんですか!」
「アンタにだけは絶対に言われたくないんだけど?」
また二人がいつものやり取りを始めようとしたところで、ふと佐伯さんが。
「それにしてもメイド喫茶人気だねー。やっぱりお嬢様学校でもこういうの好きな子いるんだ」
「どちらかと言えば、何が何でも楠見かなたにメイド服を着せようとする派閥が予想以上に多く……この学校に入学して初めて、私と楠見かなたは手を組んで抵抗したのですが、やはり数には勝てませんでした」
「……そういえばうちのクラスにも、片桐くんにメイドの恰好をさせたがる人いたわね」
「あはは、何ソレ。そーまオモチャにされてるじゃん。たぶんアタシ、その人と気ぃ合うかも」
あまりに恐ろしい発言をかなたが落とし、思わず全身の身の毛がよだつ。
額に滲んだ嫌な汗を拭っていると、舞香が俺の方に向き直って口を開いた。
「西園様の話で思い出しましたが、ちょうど今お兄様がたのご同輩もお見えになっていますよ」
「同輩?」
「ほら、あちらの席に」
そうして舞香が示した先に座る人物を見て、俺は固まった。
肩口あたりで丁寧に切り揃えられた、艶のある黒い髪。
人懐っこそうな垂れ目が印象的で、顔立ちも相まって柔らかい雰囲気を漠然と感じさせる。
服装は、うちの制服の上から深い赤のカーディガンを羽織った、普段俺が目にしているやつ。
そして何より、見覚えのありすぎる丸い黒縁眼鏡。
……ウソだよな?
「小枝……?」
俺がその名前を口にするのと、彼女が俺の方を向くのはほとんど同時で。
「そ、ッ……!? 颯真くんがギャルにメイド服着せて侍らせとる!!!?!?!」
終わった――。
■
リハビリもしなきゃいけないので、これからまたチマチマ書いていきます
目標は来月更新