ゲヘナの愛する裁判長 作:このアカウントは削除されました
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正義とは?
その言葉で何を連想するだろうか。
形骸化された秩序、悪の対義語、人間が作り出したありもしない幻想。あるいは、社会を成立させるための虚構、犯罪を取り締まる機関、道徳上において前提とされる真実。
正義の女神は、剣と天秤を掲げている。【天秤】は〈公正・公平〉を意味し、【剣】は〈武力・権力〉を象徴した。「剣なき秤は無力、秤なき剣は暴力」。またレディー・ジャスティスは目隠しをされることもある。これは眼前の名誉・地位・身分に左右されることなく判決を下すため、とされる。目隠しがない場合でも、広い視野でもって判断をする、という意味に取られる。目隠しは必須ではない。逆に最初は侮蔑の意味で目隠しをされたとか。やはり盲目での審理は難しい。
しかし、正義は時に悪となり得る。逆説的に、「正義」を語る者は〈悪〉を恙無く遂行するための方便に使っている、と考える者もいる。物差しは人それぞれである。傾いた天秤も人から見れば平衡を保っている。正義はない。真実はない。無力と暴力のみがあり、力が支配する。物事は悪いようにしか成り立っておらず、個人は自身の正義を孤立させて否定する。
そう言えば誰が言ったか、「正義の女神は娼婦。勝者の胸に抱かれ、勝者が変われば新たな勝者へと向かう」。つまり、勝利こそ正義なのだ。
本当にそうか? 本当に、正義も真実もないのだろうか?
違う。
イェーリング著書『権利のための闘争』格言「剣なき秤は無力。秤なき剣は暴力」。これはパスカル著『パンセ』格言「力なき正義は無能。正義なき力は圧制」を意識していると言われている。読み解くと、『剣』は〈力〉、『秤』は〈正義〉、となる。ここでよく訊かれるのが、「〈誰〉の『剣』で、〈誰〉の『秤』なのか」、ということ。
ある人は言う。「それは為政者の『秤』だ」と。ある人は言う。「勝利者こそ当てはまる」。ある人は言う。「強者こそ『正義』」。
ここで考えてみて欲しい。「誰の」という質問は問題をより難しくさせている。問うべき質問は「誰か」だ。「〈剣〉と〈秤〉を持っているのは【誰】か?」。
為政者は『権力』という名の〈剣〉を持つ。勝利者も『勝利』という〈剣〉の証明をしている。強者は『秤』を奪い取る〈剣〉を身につけている。がしかし、元から〈秤〉を持っている者は少ない。〈秤〉こそ〈正義〉の本質でありながら、〈剣〉が注目を集めてしまう。それは〈力〉は人々にとって〈脅威〉であり、人というのは〈脅威〉を警戒し、目が離せないからだ。当然の理。
それだけの理由で、〈正義〉=〈力〉と捉える者が後を絶たない。
そこまで考えて再考しよう。
〈剣〉と〈秤〉を持つ者は誰か?
そう、ヒナちゃんだ。ヒナちゃんこそ、正義の女神なのだ。キヴォトストップクラスの〈剣〉に、義務感と正義感に溢れた思いやりある〈秤〉。彼女以外に『正義の女神』が似合う人物もいない。私の女神はヒナちゃんだ。
それなのに……
被告席をちらりと見る。白銀のモフモフモップが座っている。新聞・ニュース以外で見る久し振りのヒナちゃんである。尊い。可愛い。ヒナ吸いしたい。けれど、我慢して観察すると、目の下に隈。髪艶・肌艶が悪い。睡眠・食事が滞っている証拠だ。悲しい。
原告席を見る。赤髪のモフモフモップが座っている。最近よく話すようになった後輩。立法府から派遣された議長の側近。適当にサボっているからか肌艶・髪艶が良質だ。隈もない。健康体。
被告と原告で、モフモフvsモフモフ。二人とも美少女なのに、どうして健康に差があるのだろうか。
「まずは棗イロハ原告」
「はぁ……なんで私が、こんな…………」
「原告?」
「あの、この事件の訴状は
「それは認識しておりますが、書類には『棗イロハ原告』とあります。本法廷では、それに倣います」
そうですか、とイロハは肩を落とす。マコトにはめられたようだ。ご愁傷さまです。心の中で合掌。
正確性を期すなら、万魔殿は提訴できない。いや提訴できなかった。万魔殿の行動は議会の承認を必要とする。そこで否決されたため、こうして個人が原告となった。
「原告は、訴状通りに陳述しますか?」
「はい、訴状通りに陳述します」
「被告は、答弁書通り陳述しますか?」
「はい、答弁書通り陳述します」
あぁ、ヒナちゃんの声ぇ、よき……じゃない。真面目にしよう。
ここまではいつも通りの裁判。前世でも体験した内容。しかし、ここからゲヘナ流の裁判が始まる。今回はヒナちゃんがいるからいつもより静か。それでもままならない。
「原告の訴状を読ませて頂きました。被告が違法労働をしているという内容でしたが、証拠が載っていませんでした。証拠の提出をお願い致します」
「それは被告側がタイムテーブルの提出を拒んだからです。証拠を挙げようにもそちらが握り潰しているからできませんでした」
「……そうなのですか? 空崎ヒナ被告」
空崎ヒナちゃん。空
ヒナちゃんが答えようとして、隣にいるヨコチチハミデヤンが立ち上がる。一応、被告代理人という立場。
「握り潰した事実はありません。タイムテーブルには機密情報が含まれているため、提出は控えさせて頂きました」
「機密情報……被告側は機密情報についての概要を説明して下さい」
はい、とゲヘナヨコチチハミデヤンが横乳を震わせて、書類を読み上げる。風紀委員会行政官の服装からはみ出る横乳。大きな横乳。あいかわらずでかい。恥ずかしくないのだろうか。一番風紀乱している気がする。そう思う。
「まず、タイムテーブルから風紀委員の出退勤がわかります。ここから警備や巡回の時間が割り出され、犯罪者に利益が出ると判断しました」
「……なるほど、続けて下さい」
「次に、委員長は風紀委員会の最高戦力であり、犯罪者への抑止力になっております。そのため、委員長の休日がバレてしまえば、その日の犯罪率が増加します。以上です」
理に適っている。これは一般的に満足のいく回答だろう。流石、行政官をしているだけある。悔しいがヒナちゃんの右腕なだけある。ただし、ヒナちゃんの休日があればの話だが……。心の中で涙する。というか泣きたい。
涙を誤魔化して、言葉を搾り出す。
「わかりました。ありがとうございます。……原告は何か反論がありますか?」
「はい。私達は未来の予定を訊いている訳ではありません。過去のスケジュールを訊いています。過去の記録だけで犯罪者に利益があるとは思えません」
「異議あり! 過去のタイムテーブルから今後の予定が予測できることがあります。それが発覚されるのを阻止するためにも提出しませんでした!」
「それなら予定を変更すればいいじゃないですか? 見回りの時間も定刻ではなくその場の気分に合わせて変更したりいくらでも対応できるでしょう。そうすれば、高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に活動できますよ?」
「予定を変更するのに、どれだけの予算がかかると思っているんですか? ただでさえ万魔殿から予算を削られているのに、無駄な経費はなくさないといけないんです」
「ならこれはどうでしょう? 私達はあなた達から提供された情報を公開しません。なので提出して下さい」
「万魔殿の言うことなんて信用なりませんね」
まぁそうでしょうね、とイロハが肩を竦める。傍聴席が騒がしくなる。視線を向ける。万魔殿のモブ達がブーイングを放ち、風紀委員と揉めている。険悪なムード。
「静粛にお願いします。これ以上騒ぐようなら退廷してもらいます」
風紀委員会の無能どもがしゃしゃり出て……。なんだと!? そっちこそなんだ!? そのお喋りな口を閉じないと痛い目に合わせるぞ! こっちは風紀委員だ! ならこっちは万魔殿だ!
「静粛に。静粛に……」
謝れ! それならブーイングを止めろ! 煩い! あ、こら! 先に喧嘩を売ったのはお前だ! 先に手を出したのはそっちだ!
「静粛に! 廷吏! 傍聴席を改めなさい!」
廷吏が十数人、万魔殿と風紀委員会のモブを取り押さえる。そのまま連行。法廷内への銃の持ち込みは禁止されている。銃火器を特別許可されている廷吏によってあっさりとつまみ出される。静になる法廷。法廷秩序が守られ、仕切り直し。
「さて、被告・原告ともに発言は許可されてから行って下さい」
提出書類の不備も、不許可の討論も、ブーイングも、ゲヘナではいつものこと。前世でも時折あったから大丈夫だろう。正常の範囲内。今に始まったことではない。焦ることもない。落ち着いて、冷静で、正義を貫く。
「……被告はタイムテーブルを提出してください。原告を介しての提出が困難というのであれば、法務執行部に直接提出してください」
「ゔ……ですが…………」
「問題でもありましたか? 民事訴訟法第220条第4号の規定に抵触する恐れがある場合は、早めに申して下さい」
ヨコチチハミデヤンが何か話そうとする。しかし、ヒナちゃんが立ち上がった。ヨコチチハミデヤンを静止させる。
「委員長?」
「わかりました、サバキ裁判官。タイムスケジュールを提出します」
「委員長!?」
「アコ。とりあえず、裁判を終わらせないと仕事が終わらない。時間を無駄にはできないわ」
「…………はい、わかりました」
憎々しげに原告を睨むヨコチチハミデヤン。溜息を吐くイロハ。着席するヒナちゃん。泣きたくなる。
「……原告からは何か?」
「いえ、文書さえ提出して頂けるなら、今の所は何もありません」
「…………それでは、次回は1週間後です。被告の主張は『空崎ヒナは法律で定められた範囲内の労働を行っている』。原告の主張は『空崎ヒナは1日8時間以上の事務作業を行っている』。本日の審理は以上となります」
さて、終わった。オワッタとも言う。廷吏が起立の号令をする。それに従いながら、ヒナちゃんを見る。背筋はピンとしているが、顔色が悪い。仕事が詰め込まれているのだろう。悲しいことに羽沼マコト議長の策略にハマっている。助け出したいが、今はできない。今すぐ抱きしめて甘やかしたい、よしよししたい。昔は気楽にそれができていたのに、今は難しい。
お辞儀をしながら心の涙を袖で拭う。これ以上悲しんでいても事態は進展しない。これからも頑張らなければならないのだ。顔を上げた瞬間だった。法廷の扉が破壊された。火の粉が舞った。手榴弾。入ってくるのは銃器を持った不良ども。
「空崎ヒナぁああああ! 今日こそダチの仇をう────グハァッ!?」
「り、リーダー!?」
キレた。久しぶりにキレた。ショットガンを抱え台に立ち上がる。愛銃・ジャッジメント。前世で言う、サクソニア・セミ-ポンプ・ショットガン。そのスラッグ弾を一発一発不良どもの脳天に命中させる。
「法廷に! 凶器を! 持ち込むなぁあ!」
「お前が言うな!?」
不良どもはすぐさま鎮圧された。廷吏が全てを捕縛していった。私も捕まった。
その後、反省室で反省文を書かされることになる。これでも司法の長である。