それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~ 作:白桐
01-01
「――ホシノ、帰ろうよ」
それは何度目の問いかけだっただろうか。
夕陽が差し込む教室にいるのは私と彼女の二人だけ。
その中央にある年季の入った長机の上には、拳銃と黒を基調とした
可変式の無骨なバリスティックシールドが折りたたまれて横たわっていた。
夕日によって照らされたそれを彼女はじっと見ていた。
こちらに背を向けているため表情は分からない。
否、私にはそれを見る勇気などなかった。
小柄な彼女の背はいつにも増して小さく見えていて、そのまま夕日の中に溶けて消えてしまいそうで。
微動だにせず、呼吸をしているのかすら判別できない。
ただ一つの些細なきっかけと癇癪から――しかしそれによって生じた大きな失敗と後悔が、
蛇のように彼女の心を締め上げて壊死を進行させていた。
あの無邪気な笑みは、もうそこにはない。
もう二度とあの日々は帰ってこないのだと、否が応でもその残酷な現実を私に突き付ける。
だから、私は――。
「……先、帰るから」
逃げるように教室を後にした。
***
セリカが誘拐されたと発覚したのは、既に陽が落ちて星々が瞬く頃であった。
明日の何気ない用事を聞こうと連絡をすれば応答はなく、心配になった同級生のアヤネが彼女の自宅に赴くもいない。
さらにはバイト先である紫関ラーメンの店主に聞いても定時で上がった――とのこと。
「――皆、セリカの場所がなんとなく分かったよ」
不安を抱えるアビドス対策委員会の面々にそう言ったのは、タブレットを片手に部室内に入ってきた"先生"だった。
現在行方不明である連邦生徒会長によって招聘されキヴォトスにやって来た大人の先生――それが彼である。
そしてこの大人、『連邦捜査部シャーレ』の権限を以て連邦生徒会のセントラルネットワークを使用。
見事に彼女の端末が途絶えた最終地点――砂漠化の進んでいる市街地の郊外、
そこから廃墟が乱立するエリアへと向かったことを特定してみせた。
――連邦生徒会の議会を通さずに、である。
これは本来、連邦生徒会にていくつもの議会が通された上で承認されるものなのだが、
事態の緊急性を考え、この大人はそれら一切を無視して独断で使用した。
「バレなきゃ大丈夫」と、"先生"らしからぬ発言をして。
「それじゃあ出発だよ!」
そのように屈託のない少年のような明るい笑みで言うのだから、皆はその頼もしさに笑みを浮かべて力強く頷く。
対策委員会のまとめ役である小鳥遊ホシノもそれを見て、
いつもの気の抜けた笑みを浮かべたが、しかしその心の内は猜疑心に満ちていた。
大人、大人――。
嫌な単語だとホシノは思う。
弱者を搾取する外道、利己的で浅ましく金利を貪る悪の権化。
善人のように振舞うこの大人もどこかで裏切るのではないか、あるいは本性を見せて後輩たちを傷つけるのではないか――。
かつて自分に向けられた悪意から、ホシノは過敏と言えるまでに外部からやってきたこの大人を警戒していた。
「……仕方ない、か」
だからこそ誰にも聞こえない小さな声で、自身に言い聞かせるようにしてそう呟く。
ホシノは準備をする面々から離れ、空き教室へと入った。
足を踏み入れた際にジャリ、と不快な音が鳴る。先日掃除したばかりだと言うのに。
ホシノはスマートフォンを取り出し、電話帳でその人物の名前を見つけ――溜息を一つついた。
もう一年半も連絡を取っていない旧友の名を前にし、躊躇いが生まれる。
――散々迷惑を掛け、見限られた相手だ。
都合良く頼ろうなどと、そんな虫の良い話などあるはずもないのはホシノも重々理解していた。
しかし最悪の結末だけは避けねばならないと、誘拐された後輩の顔を思い出して決意を固める。
最善を尽くすのなら自身の信念だって曲げる――彼女がいつか言っていた言葉に、その通りだと頷いて。
覚悟を決めて、ホシノは通話アイコンをタップした。
数秒のコール音の後に"彼女"が電話に出る。
「久しぶり。元気にして――」
『何の用?』
冒頭の何気ない挨拶は、端的かつ結論を求める感情のない声に遮られた。
しかしそうして冷たい言葉に挨拶が中断されるのも、ホシノにとっては想定内である。
彼女は遠回しな言葉を嫌う。
良く言えば合理的、悪く言うならば機械的。
そして旧友の変わらない性格に対し苦笑を零す。
――だが今は懐古の情を感じている場合ではない。
口元に浮かべていた苦い笑みは、次の瞬間にはその表情から完全に消え去っていた。
「緊急の要件。そっちが見回りしてる地区にヘルメット団のアジトがあったよね。
後輩の子が誘拐されて、多分そこに運ばれてるから奪還を手伝ってほしい。
Flak41の改造戦車が随伴してるはずだから、見ればすぐに分かるはず」
『あんた一人でも問題ないでしょ』
「……念には念を入れておきたくて」
絞り出すようにしてその言葉を吐き出す――が、その返答は無言であった。
そしてどれほどの時間そうしていただろうか。
しばらくして溜息が返ってきた。
『……分かった。ちょうどジープ走らせてるから狙撃地点にはすぐに到着する。
無線の周波数は?』
「変わってない……ごめん」
『ごめんって何が? ……いや、争ってる暇なんてない。到着次第、足止めするから』
こちらの言葉を待たず「それじゃ」と、淡白かつ短い言葉を最後に通話が切れる。
ホシノは腹から吐き出すかのような深いため息をつき、脱力したように近くの壁にもたれかかった。
旧友との会話は――正直に言うと、ホシノにとっては気が重くなる案件であった。
かつての確執と自身が犯した過ちが罪悪感となって蛇の形を成し、彼女の体と心を締め付けてくるのだから。
「ごめんね、アキ……」
――だが自業自得なのだ。
私はそれだけのことをしたのだと、その罪を思い出してホシノは自嘲と謝罪を零さずにはいられなかった。