それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~ 作:白桐
「――で、情報は?」
ブラックマーケットの出店通りから逸れた路地の一角。
その日陰に隠れる雑居ビル――傭兵チーム【タスク404】のアジトの一つで、梔子アキは厚みのある封筒を小さな丸テーブルの上に放り投げた。
そんな彼女の対面にはタブレットを操作する"情報屋"がおり、放り投げられた封筒を横目で一瞥すると静かに受け取る。
"情報屋"はそれを上着の裏ポケットにしまうと、テーブルに両肘をついて笑みを浮かべた。
向き直った彼女の獣人特有の狐の耳が機嫌良さそうにぴくりと揺れ、丸い黒メガネの向こうの細められた瞳が妖しく輝く――。
そこにかつて【山海経】で諜報員として辣腕を振るっていたという片鱗をアキは見た気がしたが、次の瞬間には人好きのするようなにこやかな笑みが浮かんでいた。
「【クラクラヘルメット団】の連中が、大量の電子機材を抱えて小さな雑居ビルに入っていったそうですよ。
違法弾薬を取り扱っていたお店があったじゃないですか。その近くです。
金がないって言っていた連中で、いい仕事を見つけたって嬉しそうに自慢していたそうですよ?
しかもビルも丸ごと借りたらしいですけど、それすらも依頼人からの貸し出し。
……怪しくないですか?」
「人数は?」
「十人。建物の横に路地があって、その影に一人。
交代でそこに見張りを付けているみたいです」
それらの情報を告げると、彼女はアキから視線を外して部屋の隅へと顔を向けた。
アキも"情報屋"の視線の先へと顔を向ける。
そこにはソファーに仰向けに寝転びながらノートパソコンのキーボードを叩き続けるチームメイト――"三本腕"の姿があった。
会話が不自然に止まったことから自身に視線が向けられたことを察してか、彼女はノートパソコンに差してあるUSBメモリを右肩から延びる義手で外すと、それをアキへと放り投げる。
アキはそれを掴み取ると、掌に収まったそのUSBメモリへと視線を落とした。
「これは?」
「差し込むだけでサーバーデータを丸々コピー出来る。
"黄昏"、腕っぷしは良いけど電子機器の心得なんてないでしょ」
「……助かるわ」
「ブラックな仕事だけはしないって話だったのに、やってることは特殊部隊なんだけどリーダー?」
不満げに"情報屋"へと視線を向ける"三本腕"に、彼女は上品に口元を抑えてくすくすと笑った。
「いいえ、この案件に【タスク404】は一切関係ありません。
名前も知らない傭兵が、私から情報を買った……それ以上の事実はありませんから」
「詭弁過ぎるでしょそれ……」
「意外とここでは通るものですよ。
それこそ今ここにはいない"運び屋"さんが良い例です。
普段から違法レースを楽しんでいるようですけど、関係ないの一言でクレームはなくなりましたから。
個人で責任を取れて、なおかつ迷惑が掛からなければ基本的には自由ですよ。
その点、"三本腕"さんはお利口さんで私としては非常に助かっています」
「私は義手の研究資金をもらえればそれでいいし……」
「私も迷惑かけるつもりはないわ。今までだってそうだったでしょ?」
「ええ、二年前からですものね。情報を集めているのは」
アキと"情報屋"の邂逅は二年前に遡る。
アビドス自治区での借金返済に行き詰まり、彼女がブラックマーケットに進出した時のことであった。
新参のアキは当然この地を巣窟とする先人たちの洗礼を受けることとなったが、それら全てを己の力だけで退けた。
同時に腕っぷしの強い生徒が流れてきた――などと、そんな噂の中心になるのは必然であった。
そして誰よりも先に彼女へ声を掛けたのが、この"情報屋"である。
その出会いは穏やかなそれではなかったものの、紆余曲折あり結果として互いの能力を利用し合うために契約を結んだ。
――"情報屋"は武力を求め、"黄昏"は情報を求めた。
「で、今度はどこの学園の情報をすっぱ抜きに行くの?」
「さあ? さすがに連中がどこの学園にちょっかい掛けてるかなんて分からないし。
でも連中の不正情報ならどこでもいい。最終的には全部リークするから。
強いて言うのなら、大きな学園なら都合がいいんだけど」
「……それ、もしかしたらなんだけどさ」
ふと"三本腕"が言葉を続ける。
相変わらずその顔はノートパソコンへと向けられており、何かの作業を続けていた。
「三日前、ミレニアムで大規模なクラッキングがあってさ。
ウチの【セミナー】が大騒ぎしてるんだよねぇ」
「ほう、それは面白い話ですねぇ」
初耳だと言わんばかりに、"情報屋"は嬉しそうな表情を浮かべて"三本腕"の言葉に耳を傾けた。
機嫌良さそうに狐の耳が揺れる――こう言った時、彼女の脳内ではありとあらゆる策謀が練り上げられていることをアキは知っていた。
「だけどほら、ウチってそういうのに強いじゃん?
【ヴェリタス】が速攻で蹴散らしたらしいから、被害はゼロ」
「……もしかして、連中はミレニアムに喧嘩を売ったってこと?」
「かもね。以前からちょくちょくちょっかい掛けてたらしいんだけど、
今回の大規模なクラッキングはさすがに見逃せなかったみたい。
しかも逆探知で攻撃先の所在は掴んでるっぽいんだよね。
ただ今調べた感じだと、それに関連した抗議活動やらハックバックは行われてないっぽい」
「相手がカイザーかもしれないから、対策を練ってる?」
アキがそう問えば、"三本腕"は首を横に振った。
「いや、逆。
普段なら作戦概要とかの書類が機密サーバーにアップされるんだけど、今の所どこにもそれらしいデータがない。
……この静けさは多分、セミナーが【C&C】を極秘に動かす時のやり方だね」
――Cleaning&Clearing、通称【C&C】。
それはミレニアムサイエンススクールが誇る機密レベルの高い武力組織であり、
学区内外にて不正、損害行為を働く者を捕縛、排除を任されるエージェント集団だった。
アキ自身、ミレニアムの内情に詳しい訳ではない。
しかしこのブラックマーケットや"情報屋"との数年の付き合いが、
彼女の持つ他自治区の知識をそれなりに広めていた。
「"情報屋"の言ってる連中と、ミレニアムが狙ってる目標が同じならぶつかる可能性は高いかも。急いだ方がいいよ」
「ええ、そうするわ」
アキは素早く踵を返す――これから行うのは非合法の諜報活動だ。
対策委員会に犯罪行為はしていないと言いつつ、実のところはカイザーコーポレーションが絡むのなら手段を問わないのが彼女の方針だった。
目には目を、歯には歯を――先日の銀行強盗作戦など、本来であれば彼女は口出しする権利すらない。
あの時は結果として無事に対策委員会は情報を得ることは出来た。
しかし一歩間違えば敵対者にこちらの動きを察知され、最悪な結末を迎えていた――そして自身の思い描く計画が台無しになっていたかもしれない。
だからこそ、ホシノたちには大人しくしていてほしかった。
危ないことなら自分がするからと、アビドスでの青春を今の内に楽しんでおけ、と。
梔子アキの目標や行動原理はシンプルなものだった。
アビドスに巣食う悪意の根源。それを全て焼き払う為の準備の準備。
殴られたから殴り返す。それはアキにとっては至極当然の思考の帰結であった。
そしてアビドスに入学してから――いや、それ以前から
これはその復讐でもあり、今もなお引き継がれる苦痛と悲劇を止めたいという確固たる信念でもある。
そうして外敵を滅ぼし、静かになったアビドスを――。
「"黄昏"さん」
ドアノブに手を掛けた際に呼ばれ、アキはそのまま振り向いた。
そこには妖しげな笑みを浮かべる"情報屋"が丸テールブに頬杖をついてこちらを見ていた。
「無理だけはしないでくださいね。
私もあなたのことは心配していますから……それではお気をつけて」
にっ――と、大仰に口角を吊り上げて笑みを見せる彼女に背を向け、アキは部屋を後にする。
胡散臭いフリして本心なのだから気味が悪い。
そのように内心溜息をつきながらも、彼女の思考はすでに目の前の作戦へと切り替わっていた。
***
――ブラックマーケットの中心部から、西南に外れた路地にて。
雑居ビル群が乱立する汚れた路地をアキは歩いていた。
その姿はブラックマーケットを歩く際によく着る、動きやすいラフな格好である。
この日も例に漏れず素顔が分からないようにつば付きの帽子を被り、その口元にはフェイスガードを装着していた。
そうしてアジトから歩くこと十分程度の場所に、件の小さなビルが見えてくる。
アキはそれを確認すると、周囲を見回して誰もいないことを確認して、近くの路地へと体を滑り込ませた。
そして肩から下げる自動小銃と、レッグホルスターに収まる拳銃のチャンバーをチェック――問題なし。
「……ふん」
ここからは時間との勝負だ。
騒ぎが起きてからマーケットガードがこの場所にやって来るまで、およそ三十分と言ったところか。
制圧に五分、人目を避けながらの逃走に十分――イレギュラーがなければ問題はない。
アキは一つ深呼吸をすると、何事もなかったかのように装いながら件のビルへと進んで行く。
周りの高いビルに埋もれる四階建ての小規模ビル。
凹凸はほぼなく、窓が並列に並ぶだけのシンプルな外装で、その手前には小さな路地が右側に伸びていた。
そしてその小さな路地の曲がり角から、自動小銃の銃口と何者かの靴先が僅かに見えていた。
間違いなく"情報屋"が言っていた見張りの一人だとアキは確信する。
銃口の傾き具合から察するに武器を構えてはない。
恐らくは携帯端末でも弄って暇を潰しているのだろう。
それならば都合が良いと、アキは通行人を装って静かな歩調で路地の前を通り――弾かれたようにそちらへと飛び込んだ。
「なんっ――んぐっ!?」
案の定携帯端末を弄っていたヘルメット団員の鳩尾へと、アキは真下から抉るようにして拳を叩き込む。
呻き声を上げてしな垂れてくるその少女をそのまま俵担ぎすると、雑居ビルの正面入り口へと向かい――両開きのドアを乱暴に蹴り破った。
「な、なんだ!?」
受付カウンターに寄りかかって雑談をしていたのは、ヘルメット団員二名。
アキは彼女らへと向かって担いでいた少女を投げつければ、二人は巻き込まてその場に転倒する。
そこへ追撃と言わんばかりに自動小銃を抜き放って掃射――それぞれ数発撃ち込めば気を失い、彼女らの無力化を確認出来た。
受付カウンターの横にある階段を確認し、アキは勢い良く駆け出していく。
そうすると今の騒ぎを聞きつけたらしい団員の一人が、踊場へと降りてくる姿があった。
直後、自動小銃の銃口を向けられる――だがアキは階段の数段を飛ばす勢いで跳躍するように駆け上がると、そのまま銃弾を受けながらもその顔面へと肘を叩きつけた。
ヘルメットのシールドは砕け、そのまま壁に叩きつけられた不良生徒のヘイローが消える。
それを一瞥すると同時に上階から銃弾の嵐が降り注ぐが、それもアキにとってはダメージになり得ない。
(やっぱり大したことのない連中……)
――見上げた先にはさらに二名。
アキは自動小銃を撃ちながらそのまま階段を駆け上がり、怯んだ彼女らへと接近。
銃弾によって怯んだ彼女らの顔面を、自動小銃の銃床で殴りつける。
アキの膂力により彼女らのヘルメットは歪に破損し、それがトドメになり数メートル吹き飛んで倒れ伏した。
階段を上がった先は、壁やパーテションの類は一切ない伽藍洞のフロアだった。
強いて言えば様々な武器やミリタリーボックスが置かれており、おそらく武器庫として使っているのだろう。
しかし目的の場所ではない。
「なんだ、カチコミか!?」
「スケバンじゃねえな……テメエ、何者だ!?」
その襲撃に驚愕と敵意を向けるヘルメット団の面々に、アキは冷ややかな視線を送った。
少なくとも今の彼女らに何も語ることなどない。
騒ぎ立てる彼女らを無視し、アキは真正面から突貫していく――そして蹂躙劇が始まった。
――二階。
狭い室内というのはアキにとっては有利な戦場だった。
持ち前の耐久力と膂力は、向けられた者からすれば文字通り戦車となんら変わりはない。
それ故に弾丸を受けながらも平気な顔で、しかも自分たちを圧倒的な力で捻り潰していくその姿に彼女らが恐怖を覚えないわけがなかった。
アキがそのフロアを制圧するのに、数分と掛からなかった。
――三階。
階段を駆け上がり、出迎えたのは機関銃による弾丸の嵐だった。
しかし彼女はそれを見越してか、階下から彼女らの仲間の一人を抱えてきていた。
気を失ったそれを盾にし、弾幕の嵐を突き進む――その銃声に混じって聞こえたのは引きつった悲鳴だ。
接近した後は"盾"を棒切れのように振り回し、雑兵を蹴散らしていく。
弾丸は使わず、膂力だけで制圧した。
「――あと一人」
計九人――それがこの階層にやって来るまでに制圧した人数だった。
そして休むことなく階段を駆け上がり、彼女は最上階へと到着する。
そこは二階と同じように壁がなく、いくつかの柱がある広い空間だった。
その部屋の壁には大型の機材が所狭しと並んでおり、足元にはケーブルの束が乱雑に伸びていた。
そして部屋の最奥にあるパソコンに向かい、ヘルメット団の一人がキーボードを叩く姿を発見する。
アキは警告も無しに即刻その人物の背中を撃つ。
彼女は呻き声をあげてこちらへと振り返り、肩に引っ下げていた自動小銃をアキへと向けた。
しかし彼女が引き金を引くよりも先にアキは素早く駆け寄ると、胸倉を掴んで乱暴に地面へと押し倒す。
背中から叩きつけられた少女は苦し気に声を上げ、怯えたように震えることしか出来ないようだった。
「や、やめてくれ! あたしらが何をしたって言うんだ!?」
「雇い主は誰?」
「い、言えるわけないだろ!?」
その返答を聞くと、アキは彼女の体勢を強引にひっくり返してうつ伏せにする。
そして左手を掴んで捻り上げて伸ばし、その背中を自身の膝で押さえつけた。
こうすれば完全に身動きが取れなくなり、さらには左腕の関節が極まっている状態となる。
そして肘部分へと空いた手を添えた。
そうして肘部分を起点に捻り上げられた手は内側へ、添えられた手を以て肘の内側が外へ――と徐々に圧力を掛けていく。
いつでもへし折ることが出来ると、アキは捻り上げる手に僅かに力を込めた。
「最後のチャンス。雇い主は誰?」
「オ、オートマタの男だった! そいつが何者かは知らない!」
「……分かった」
それ以上の情報はないと判断し、アキは拘束を解く――が、立ち上がると同時に彼女の腹部を思い切り蹴り上げた。
錐揉みのような回転と共に浮き上がった少女は部屋の隅へと勢い良く転がり、壁に衝突するとぐったりとして動かなくなる。
彼女のヘイローが消えたことを確認すると、アキはパソコンへと向かった。
見ればそのディスプレイには数字とアルファベットが混合した文字の羅列がある。
詳細は分からないが、文字列の下部にあった『Delete』の文字がやけに目を引いた。
もしかするとサーバーデータを削除しようとしていたのかもしれない。
「危ないわね……」
アキはジャケットの裏ポケットから、"三本腕"にもらったUSBメモリを取り出した。
それをパソコン本体のUSB端子へと差し込めば、ディスプレイに小さなウィンドウがポップアップする。
そこには現在の進捗を示すゲージが表示されていた。
ダウンロードが開始されたという証拠らしい。
この待ち時間はもどかしいが、ゲージ自体の進みは遅くはない。
これならば数分しない内に終わる上に、予定通りマーケットガードが来る前に逃げ切れる。
しかし安堵しつつも、アキは決して警戒を解くことはなかった。
手持ちの銃器の各種チェック。
そして先ほど上がってきた階段や窓の外に視線を向けて警戒する――そんな時だった。
――ジャラ、と。
金属が擦り合わされたような冷たい音が耳を障った。
それは小さな物音だと言うのに、やけに大きく響いて聞こえたことにアキは目を細める。
その音は先ほど上がってきた階段から。
彼女は静かに自動小銃を構えた。そしてトリガーへと指を掛ける。
「よお、こんなとこで何やってんだ? 盗人」
階段から上がってきたのは小柄な少女だった。
桜と煌びやかな金色の龍が刺繍された
両手にはストックを長い鎖でつなぎ合わせた特異な短機関銃を一丁ずつ握っていた。
口角を吊り上げた不敵な笑みを浮かべ、ギラギラとした眼光を以てこちらを見ていた。
そしてそれに追従するようにして、無骨な灰色のドローンが侵入してくる。
少女に追従しているのか、彼女が足を止めるとそれに倣って中空で静止した。
なんともこの場にそぐわない衣装、そして組み合わせだとアキは思う。
だが直感が告げる。
纏う雰囲気や佇まい、何よりこちらの戦力を測るかのように小刻みに動き回る視線がそれを確信させた。
――面倒な相手に出会った、と。
***
美甘ネルは最上階にいたその人物を見て、状況をすぐに把握した。
彼女は自動小銃をこちらに向け、部屋の中央に立っていた。
そして部屋の片隅にはうつ伏せに倒れたヘルメット団の少女がいる――。
この詳細不明の長身の生徒、あるいは傭兵がこのビルを制圧したのは自明であった。
「……HQ、銃声が聞こえて突撃してみたんだが先客がいるぜ」
『HQよりダブルオーへ。まずはコンタクトを取って時間を稼いでください。
その間にこちらで素性を洗います。他C&Cは待機』
小声で作戦司令本部へと連絡をすると、今回の司令官――早瀬ユウカからそんな指示が返って来る。
今回の作戦は自身の所属するミレニアムサイエンススクールの敵対勢力の殲滅だけではなく、
とある証拠の確保が主であった。
それ故に殲滅による周辺被害を厭わない、普段の力任せな作戦行動はセミナーから固く禁じられていた――それはもう口酸っぱく何度も。
普段はC&Cの名の通り、容赦なく対象を『掃除』をするのだが、今回ばかりはそう言うわけにはいかない。
特にデータや電子機器が絡むのであればなおさらで、制約のある今回の作戦についてはネル自身、あまり乗り気ではなかった。
しかしまどろっこしいと思いながらも、その作戦地域がブラックマーケットなのだから慎重にならざるを得ない。
この地には違法な事業を進める悪徳企業がいくつもあり、それらに賠償責任を求められることは、組織として隙を晒すことになるのと同義だった。
『んー……ダメだねこれ。フェイスガード付けてるから判別できない。
あとスマホをハッキングしてやろうと思ったけど、ガード硬すぎて私たちでも半日は掛かるかも。
と言うかこのセキュリティの堅さ、これミレニアムの特注品なんじゃ……?』
インカムからやや気だるげな別の少女の声が届く。
それはネルの背後に追従する形で浮遊する、球形のドローンの操縦者のものであった。
ミレニアムが誇るハッカー集団、ヴェリタスの部員の一人――小鈎ハレ。
今回の任務でとある情報を抜き出すため、ホワイトハッカーとして参加した人員である。
『ハレ、ひとまず周囲のカメラをハッキングしてマーケットガードの動向を確認して。
というわけでダブルオー、目の前の生徒については任せますよ』
「分かった分かった。とりあえず話だけは聞いておいてやるよ」
通話を終え、改めてネルは目の前の傭兵を見た。
キャップと無骨なフェイスガードから、その顔立ちを判別することは出来ない。
しかし唯一こちらを覗く目は切れ長で、不気味な威圧感と剣呑な雰囲気を漂わせていた。
その視線は小刻みに動き、自身の一挙手一投足を観察、または警戒している――。
彼女の武器は現在こちらに向ける自動小銃と、右太腿に巻き付けたレッグホルスターにある拳銃。
これらの組み合わせはキヴォトスでも大衆向けとして広まっており、堅実かつ癖のない装備一式であった。
――だからこそ数の差を物ともせず、単身でこのビルを制圧した彼女にネルは興味を抱いた。
「下の階は見て来たぜ。一人でやったらしいな。
結構出来るヤツらしいが……お前、一体何者だ? 何の目的でここにいる?」
「……」
その返答は無言。
目的は分からないが、怨恨の類だろうか。
あるいは第三者による依頼でヘルメット団を痛めつけにきたか――などと、ネルがそこまで思考を巡らせた時だった。
――ピコン。
次の瞬間、静寂な室内に響き渡るのは小気味良い電子音だった。
音の聞えた方へと視線を向ければ、その傭兵の背後にあったのはパソコンのモニターである。
ディスプレイには小さなウィンドウが表示されており、その中央には「complete!」という単語が表示されていて――。
『分かった。この人も私たちと同じ。"データ"が目的なんだ』
そしてそれは戦いの合図となった。
ネルが弾かれたように走り出せば、目の前の傭兵もパソコンへと駆け出した。
位置関係的には傭兵が近くにいたこともあり、すぐさまパソコンを背にするとネルへと向き直って迎撃態勢を取る。
自動小銃の銃口が小さく輝いて爆ぜ、弾丸の嵐がネルを襲った。
だがそれをネルは左右のステップで翻弄。
弾幕を抜けて至近距離へと到達すると両手の短機関銃を乱射した。
「オラオラオラァ――ッ!」
「――っ!」
その弾幕は傭兵へと降り注ぐが、しかし顔色一つ変えずに彼女はネルへと蹴りを放つ。
速い――長身故にその足のリーチは長く、そしてその身体的優位に見劣ることなく鋭い。
一瞬でその危険性を判断してか、パソコンへと飛びつくのを諦めてネルは体を仰け反らせた。
鼻先を掠める靴先を見送り、仰け反った勢いのまま宙返りをして一度距離を取る。
そして着地と同時にネルが次に短機関銃で狙うのは――傭兵の顔だ。
放たれたその弾丸の雨には、堪らず傭兵も空いた手で庇うように盾にする。
その僅かに視界が遮られる瞬間、それを狙ってネルは姿勢を低くしたまま再び駆け出した。
彼女の視線の先にはパソコンの本体があり、そこにUSBメモリが差し込まれていたのが確認出来た。
恐らくはあれこそが、目的のデータを回収する為の道具なのだろう。
ネルはそう判断すると、傭兵の脇を抜けてそのUSBメモリへと手を伸ばす――。
「ち――っ!」
「ぐっ!?」
だが傭兵の動きは速かった。
手を伸ばしたネルの顔面へと裏拳が飛んでくる。
寸での所でネルは腕を使ってそれから顔を守る――だが衝突の瞬間、腕を介して伝わる衝撃は尋常ではなかった。
例えるならば自動車に轢かれるような衝撃、あるいは手榴弾の直撃を受けた衝撃――それとなんら遜色のない威力。
そして小柄な体躯故にネルは大きく後方へと弾き飛ばされる。
しかし彼女は反射的に体を捻り、空中で姿勢を整えるとそのまま床へと着地した。
――再び仕切り直し。
着地したネルは素早く短機関銃を向けるが、その時にはすでに傭兵はUSBメモリを回収していた。
そしてジャケットの裏ポケットに仕舞い、再びこちらへと自動小銃の銃口を向ける。
その佇まいに疲労や痛みと言ったものは見受けられない。
ただ静かにこちらを睨む傭兵の姿があった。
(なんだこいつ、全然微動だにしねぇ……ダメージ入ってんのか……?)
ネル自身もやはりそこに手応えを感じていなかった。
少なくとも至近距離からの接射を数度浴びせたにも関わらず、彼女は未だにしっかりと二本の足で立っている。
痩せ我慢か――否、ネルの観察眼はそこに一切の偽りがないことを看破していた。
硬過ぎると彼女は率直にそう思い、厄介だと思う反面、この傭兵に対しての興味が大きくなりつつあった。
『こちらゼロツー。リーダー、いつでも撃てるよ』
「……いや、手は出すな。こいつはあたしがやる」
『ダブルオー、そんなことを言ってる場合じゃ――』
「安心しろHQ、すぐにケリを付けてやるよ。
それより巻き込まれるから、部屋の隅に隠れてろ」
それもその通りだと判断したらしく、ネルと傭兵の衝突を見守っていたドローンは素早く部屋の隅へと避難していった。
これで気兼ねなく戦える――傭兵がUSBメモリを持っているが、何とかなるだろうとネルはそれ以上面倒事を考えるのを止める。
今や彼女の興味は、この目の前の傭兵の少女にのみあった。
そして彼女を見据えてネルは不敵に笑う。
「傭兵――お前、相当強いだろ?」
「……さあね」
「コールサイン『ダブルオー』」
自身のその言葉に、傭兵が目を細めるのをネルは見た。
「ミレニアムのC&C……」
「こいつを名乗るからには遊びじゃ――いや、お前と本気で遊びてぇ」
曰く、約束された勝利の象徴――。
ネルがこれを名乗る意味はただ一つ。
純然たる勝利宣言であり、今からお前を叩き潰す――そのことに他ならない。
「最近は生ぬるい相手ばっかりだった。なあ、楽しませてくれよ」
「そうね、それなら――」
――刹那、傭兵が動いた。
姿勢を低くしたまま前方に飛び出す。しかしそれはネルへと接近するためのものではなかった。
その数歩先には電子機材の収められた二メートルほどの長方形のラックが倒れていた。
彼女はそのまま大きく右腕を背後へと振り上げ――勢い良く真下から掬い上げるようにして殴りつける。
普通の生徒であれば手を怪我し、大型の機材は微動だにしないはずだった。
しかし彼女は違った。
倒れていたそのラックはくの字に変形すると同時に、弾かれたようにネルへと飛来する。
自身より背丈も重量も上回る巨大な質量――それが襲い掛かるという事実が何を意味するのか、理解できない人間などいない。
ネルは目を見開くが、その反射的な対応は的確だった。
すぐさまスライディングの要領で、飛来するラックと床の隙間へと体を潜り込ませる。
顔面すれすれを通り過ぎていくそれを躱し――そのままの勢いを用いて姿勢を立ち上げると、すぐさま両手の短機関銃を乱射。
だが傭兵はその時にはすでに左側へと飛び退いていて、部屋に乱立していた電子機材のラックの影に隠れる。
ネルの放った銃弾は惜しくもそこへと撃ち込まれて阻まれた。
しかしネルは迷うことなく傭兵を追うようにして、その影へと飛び込む――途端、彼女の視界に飛び込んできたのは拳だった。
「ハ――ッ!」
だがその不意打ちに対応できないネルではない。
姿勢を低くし、懐に入って拳を躱す――そして再び両手の短機関銃を接射。
傭兵の腹部へと銃弾が叩き込まれる。
だが次の瞬間、彼女の右手が怯むことなくネルの左腕を掴んだ。
「――っ!?」
ミシリ、と――。
掴まれた左腕の骨が軋む。
まるで機械に挟まれでもしたかのような冷たく硬い感触に、脳内でけたたましい警鐘が響き渡って彼女の防衛本能を呼び起こした。
ネルはその握力に驚愕しつつも、すぐさま引き剥がそうとその手を引く――が、びくともしない。
あの背丈ほどある電子機材を拳一つで殴り飛ばしたことから怪力なのは理解していたが、まさかこれほどまでとは思わなかったとネルは後悔する。
ヘイローを持つキヴォトスの住人は確かに頑丈である。
しかしそれを意に介さんとばかりに、傭兵の手がネルの腕を締め付けていった。
間違いなくこのままへし折るつもりだと、ネルは直感した。
「離っ――せ――ッ!」
万力のように締め付けてくる相手の右腕を軸に、ネルは頭を思い切り下げる。
そして同時に振り子のように頭上へと勢いよく振り上げた右足で、そのまま傭兵の顔面を蹴り上げた。
命中――傭兵の側頭部につま先が叩き込まれる。
すると拘束が緩み、ネルはそのまま素早く手を引き抜いた。
ネルは頭から床に落下する形になるが、すぐさま空いた手を床に付き、飛び跳ねるようにして後方へと下がる。
しかしそこへと追撃と言わんばかりに、
傭兵は自動小銃の銃口を向け――瞬間、弾幕がネルを襲った。
ネルは地面に足が付くと同時に、すぐさま真横に飛び跳ねて射線を切る。
(痛ってぇ……!)
その際にいくつかの銃弾が体に命中するのだが、その痛みが尋常じゃないことにネルは驚いた。
普通に撃つだけではこうはならない。
ならばそれはあの銃自体が入念にカスタマイズされた結果か、
あるいはこの傭兵自体の特殊な体質によるものなのか。
もしかすると、彼女も稀にいる
ネルは苦痛に顔を歪め、狭い室内を疾駆しながら傭兵を視線で追う。
彼女の表情はフェイスガードによってその全容を読み取れないが、
こちらに向ける鋭い視線は敵意を剥き出しにしたものだった。
(ブチ切れてんのか……)
――いや、違う。
(あたしと同じだ。キレればキレるほど、めちゃくちゃ強くなる)
感情が強さに直結するタイプだと、ネルはその眼光を見てそう判断した。
怪力、耐久力、銃撃も何もかも。
強い感情によって何段階も大きなものになる――それこそ自分と同じように。
故にネルはこの時、彼女に身勝手な親近感と友情のようなものを覚えていた。
最初に見せていた澄ました表情はすでにそこにはない。
今では隠しきれない敵意と憤怒がその眼光に宿り、暴力性として溢れ出している。
そうだ、自分と同じなのだ。
いくら冷静に取り繕おうとも、暴力でしか解決できない直情的で短絡的な本質。
――それが強い同族意識のようなものをネルの内に芽生えさせた。
それを認識した途端、心の底から暴力的な衝動が湧き上がり、血潮と共に全身へと駆け巡っていく。
殴り合うことでしか理解し合えない。
もっと目の前の傭兵のことを知りたい、戦いたいという欲望が思考を占拠していく。
セミナーからの依頼も、C&Cのリーダとしての立場もなにもかも――。
今だけは全てを手放して、彼女とやり合いたいと心からそう思い――そんな炎のように猛る感情が、最後の理性を焼き切った。
「面白れェ――!」
――急ブレーキ、そして身を捻ってからの反転。
――両手の短機関銃を構え、引き金を引く。
すでに傭兵は背後へと迫っていた。
こちらが反撃へと移れば、すぐさま得物である自動小銃で応戦してくる。
数メートル程度の距離で撃ち合えばどうなるか――答えは自明で、互いに被弾は免れない。
肩口や顔面に降り注ぐ銃弾の雨は激痛を伴うが、しかしそれでもその一切の攻撃を二人はやめることはなかった。
再び接近戦ともつれ込み、銃だけではなく拳や蹴りといった体術を織り交ぜた攻防が始まる。
この時、インカムから響き渡る作戦本部の声など、ネルには一切届いていなかった。