それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~   作:白桐

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「ダブルオー! 相手は証拠のデータが入ったUSBメモリを持ってるんですよ!

ちょっと、聞いてますかネル先輩!?」

 

 

 壁一面に大小様々なモニターが並ぶ薄暗い室内――ミレニアムサイエンススクール、ヴェリタスの部室にて。

 

 【セミナー】会計であり、本作戦の指揮官でもある早瀬ユウカは喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。

その傍らにいる小鈎ハレがその大音量を避けるようにして体を傾け、その表情に苦悶を浮かべていたが、

この時ばかりはこの秀才もそれに気が付けないほどに焦っていた。

 

 彼女の視線の先――そのモニターには、苛烈な戦いを繰り広げる二人の姿があった。

 

 

「……と言うかこの人、ネル先輩と真正面からやり合えるとか只者じゃないね」

 

「こんなの想定外ってレベルじゃないわよ……っ!」

 

 

 ドローンのカメラが捉える二人の戦闘は、まさに常識外のそれだった。

いくら銃弾に強いキヴォトスの生徒だろうと、遮蔽物を主軸に置いた撃ち合いが基本である。

隠れ、晒し、その隙をついて相手を撃ち抜く――あるいは裏取りをして相手の虚を突く。

 

 だからこそ、この映像の二人は異常だった。

ユウカにとってネルの戦闘能力は理解できる。

ミレニアムの最高戦力であり、C&Cのリーダーとしてどんな作戦も完遂する最強のエージェント。

接近戦を好み、圧倒的な弾幕の嵐を瞬間的に叩き込む。

そして完膚なきまでに相手を倒す――それが美甘ネルだった。

 

 しかし対峙する詳細不明の傭兵は、それを真っ向から相手にしているのだからユウカも驚愕する。

彼女の弾幕を受けても意に介さないとばかりに突撃し、圧倒的な暴力を以て逆に攻め立てていた。

さらにその顔色に疲労はなく、むしろ攻撃を受け、躱される度に怒りの感情が露になっていく。

 

 ネルは彼女から放たれる蹴りや拳を紙一重で避け、愛銃を乱射しながら距離を取り続けていた。

だがそこでユウカは、ネルがこの傭兵に対する立ち回りを、回避に重きを置いた動きへと切り替えていることに気が付く。

 

 ――あのネル先輩が後手に回っている?

 ――まさか約束された勝利の象徴(コールサイン"ダブルオー")が負ける――?

 

 ユウカは脳裏を過ったそんな最悪の結末に、眩暈と悪寒を覚えた。

このままではネルが先に消耗してしまうのは自明。

だが、それならばとユウカも思考を回転させる。

 

 

「そうだ! この戦闘のどさくさに紛れてデータのコピーとか出来ない!?」

 

「いやいや無理無理無理……こんなの嵐の中、田んぼの様子を見に行けって言ってるようなものだし」

 

 

 先ほどまで気だるげにドローンを操作していたハレも、ぶんぶんと頭を振って早口気味に異を唱える。

見ればモニター内では格闘戦から銃撃戦へと移行しており、両者の放つ弾丸が嵐のように吹き荒んでいた。

これではドローンが目標地点に辿り着く前に、スクラップになるのは火を見るより明らかだった。

 

 そして――。

 

 

『こちらゼロツー。

たった今、件のデータが入っていると思われるパソコンとサーバーが戦闘の余波で破壊された』

 

 

 最悪だ――ユウカは頭を抱える。

暴走した最高戦力と、それを圧倒しつつある正体不明の傭兵――。

そして目標物であるデータが入ったUSBメモリのことを考えると、このままでは自身が計算した最悪な結末が訪れてしまうかもしれない。

 

 

「ああもう! それじゃあ相手が持ってるヤツしか証拠のデータが残ってないじゃないの!

ダブルオー! 今すぐ戦闘を中止してください!」

 

『こちらゼロワン、リーダー完全にスイッチ入ってるから無理じゃないかなぁって』

 

『ゼロスリーも同意見です』

 

『こちらゼロツー、壁を抜いて狙撃は可能だけど……

手を出すのはリーダーに怒られてしまう』

 

 

 返って来るC&Cの面々の反応も芳しくないものだった。

 

 ――こうなったら自身の権限で、直接C&Cを動かすしかない。

 

 ユウカは決断を迫られていた。

ネルを裏切り、この戦いに一石を投じるべきか――と。

 

 そして彼女の視線が、ネルと対峙する傭兵へと向けられる。

C&Cを導入して臨んだ完璧な作戦の中に現れた、あまりにも大きすぎるイレギュラー。

彼女たち全員で掛かれば抑え込むことが出来る――そのはずである。

 

 しかしネルを圧倒的な暴力で追い詰めるこの傭兵を見て、その自信は揺らぎ始めていた。

 

 

「この人、本当に何者なのよ……っ!」

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「ゴリラかよっ、テメェ……っ!」

 

 

 傭兵の視線の先には、文字通りネルしか映っていなかった。

壁や柱、さらにはサーバーラックなどの大型の機材など見えていないと言わんばかりに拳や蹴りを振るう。

そしてそれらの遮蔽に隠れようと、その一部を粉砕して振り抜き、抉る――まさに馬鹿力であった。

 

 圧倒的な破壊力。

自身の得意とする間合いだが、さすがのネルもその暴力の前には飛び込むことに一瞬躊躇してしまう。

 

 ――ビビってんのか?

 ――このあたしが?

 

 自問自答。そして自分らしくないと。

ネルは自身を奮い立たせて攻撃の隙を見て懐に潜ろうと、その機会を待った。

 

 ――直後、傭兵の銃からマガジンが落ちる。

 

 念願のリロードタイミングが転がり込んできた事実に、ネルの体に熱が迸った。

彼女は今だと覚悟を決めて突っ込む――が、それを見越していたのか、最小動作で放たれた下段の蹴りがネルの足を打つ。

ふくらはぎを狙った蹴り――カーフキックと呼ばれるそれは、ネルの体勢を崩すのに十分であり、同時に彼女の足に凄まじい激痛を与えた。

 

 その直撃を受けたネルはその痛みに堪らず顔を歪めて怯んだ。

そしてそこに生まれた隙をこの傭兵が見逃すわけがない。

ネルの視界の片隅――傭兵の右手が右太腿のレッグホルスターに装備された拳銃に素早く伸びて、引き抜かれる。

 

 ――二発の銃声。

 ――その銃弾はネルの額と右肩に命中する。

 

 

「クッソ――ッ!」

 

 

 ネルは追撃を逃れるため、態勢の崩れるままに床を転げ、起き上がりと同時に短機関銃を薙ぐようにばら撒いた。

そのまま態勢を低くしたまま再び駆け出す。

しかし傭兵はその攻撃を意にも介さず、むしろ追従するようにして突進してきた。

 

 そして次の瞬間、彼女は大きく足を振りかぶり、その足元に転がっていたパソコンのモニターを蹴り上げた。

モニターは木っ端みじんに砕け、その破片が勢い良くネルへと飛来する――。

 

 それはまさに即席の散弾であり、大小様々な破片がネルを襲った。

銃弾ほどではないものの、体を打つ衝撃は決して小さなものではない。

特にこの傭兵の怪力によって放たれたものであるのならなおさらで。

 

 ネルは咄嗟に腕で顔を守りながら、決して足を止めずに室内を弧を描くようにして駆ける。

隙を見てそのガラクタの弾幕を躱して接敵をしようと試みる――が、それを見越したかのように、

彼女の自動小銃の銃口がこちらを狙っていた。すでにリロードは済んでいる。

 

 ネルは堪らず足を止め、真横に飛び退く。

銃声と共に肩口に衝撃が奔るが、今は回避行動に徹するべきだと判断して、

柱や電子機材を盾にしながら部屋内を疾走することを選択した。

 

 

(距離を離したらやられる……けど距離を詰めたら)

 

 

 ――剛腕と剛脚が振るわれる。

 

 微塵の隙などなかった。

この傭兵、腕力に物を言わせた単純な攻撃だけを得意としているのではない。

距離を離せば自動小銃による弾幕、近づけば凶悪なまでの物理的な暴力が振るわれ、距離を取らざるを得なくなる。

ネルはこの狭い室内で、距離感を上手くコントロールされているという事実に嫌でも気が付かされた。

 

 

(ブチ切れてる癖に、頭の回転も速ぇし冷静すぎんだろ……っ!)

 

 

 この傭兵の感情の発露は、短絡的な暴力を行うだけのそれではない。

昂る感情の傍ら、敵対者と周囲をしっかりと観察する冷静さも持ち合わせていた。

そして相手を自身のペースに引き込む――持ち前のフィジカルと頭脳を惜しみなく使うその戦い方に、ネルは当初の余裕などすでになくなっていた。

 

 さらにその銃撃戦の最中、突如"ピンッ"と嫌な音が鼓膜を突く。

そちらを見れば傭兵が小さな金具を口に咥えており、薙ぐようにして手を振るう姿があった。

そしてネルの腹部へと真っすぐ飛んでくるのは――手榴弾。

 

 

(ンなもん持ってる素振りなかっただろうが――ッ!?)

 

 

 自身の腹部に当たり、そのまま床に落ちる手榴弾。

ゆっくりと時間が流れる中、ネルは咄嗟に真横に飛び退く――直後、至近距離の爆発が彼女の体を真横から吹き飛ばした。

宙に体が浮き、そのまま部屋の壁へと背中から叩きつけられる。

 

 そしてその爆炎を突き破って傭兵が姿を現した。

彼女はネルへと飛びつけば、そのまま胸倉を片手で掴んで持ち上げる。

 

 

「テメェ――ッ!」

 

 

 宙に持ち上げられるネルだが、そこに反撃とばかりに彼女の顔面へと短機関銃を放った。

 

 不意打ち気味に乱射した弾丸が傭兵の帽子が弾く――だがそこに現れたのは、憤怒に燃える恐ろしい眼光。

痛みに悶えることも怯むこともなく、不動と言わんばかりに彼女は立ち塞がっていた。

 

 そして次の瞬間、ネルの視界が急転する。

 

 

「しま――っ」

 

 

 その言葉の先は続くことはなかった。

背中から床へと叩きつけられ、肺の空気が一気に吐き出される。

気が遠くなり、世界から音が飛ぶ――その最中、傭兵が倒れ伏した自身へと覆いかぶさる姿を見た。

 

 ――あ、終わった。

 

 そしてそのままの勢いで、拳を振り上げる。

今まさに自身の顔面へと彼女が己の拳を叩きつけようする中、ネルは他人事のようにそれを見ていることしかできなかった。

 

 

『――ゼロツー、援護を!』

 

 

 だがインカムから響いたユウカの声が、ネルの意識を繋ぎ留めた。

その言葉の意味を理解し、遠のきかけた意識が鮮明になっていく。

沸騰し、急速に熱を持つ思考、感情――。

 

 

「手ェ出すんじゃねえェッ! カリン――ッ!」

 

 

 次の瞬間、ネルの体内で強い熱が爆発した。

自身へのダメージも、突き付けられた敗北も――。

それらは今や自身に生じた怒りによって一瞬の内に吹き飛び、再び彼女に活力を蘇らせた。

 

 ネルは咆哮と共に両足を勢いよく突っ張るようにして跳ね上げ、傭兵の腹部へと蹴りを放つ。

傭兵は突然の咆哮とその反撃を受けて仰け反り――同時に、甲高い銃声が響き渡った。

 

 直後、傭兵の顔の付近で何かの破片が弾けて飛んだ――恐らくはあの無骨なフェイスガード。

そして彼女の顔を掠めたらしい弾丸は、その背後に弾痕を残す。

 

 傭兵が顔を抑えて飛び退くと同じくして、ネルも体を跳ね上げて距離を取った。

息が詰まって呼吸できないが、彼女はそれを歯を食いしばって耐える。

そうしていると揺らいでいた視界と呼吸が徐々に正常なものへと戻っていった。

 

 ――そして傭兵。

 

 

「――っ――っ――っ!」

 

 

 彼女は俯いたままその顔を手で覆い、ぶるぶると大きく体を震わせていた。

だがそれも束の間、勢い良く顔を上げるや否や、近くにあった電子機材を蹴り――砕く。

癇癪めいた暴挙は決してネルへと向けられることはなかったが、先ほどよりも感情を露わにするその姿に、

彼女は自身の熱がすっと引いていく感覚を覚えた。

怒っている時、自身よりも怒っている人間がいれば冷静になると言うが――まさにそれだった。

 

 

「アアァ――ッ! クソがァッ!」

 

 

 そして彼女も怒気を発した。

だがそれは決して撃たれた痛みによるものではない。

むしろ手合わせした限りでは、いくらカリンの放った対物ライフルだろうと致命傷にはならないはずだ。

 

 ならば怒っているのは――隠していた顔が明かされたから。

それを示すかのように、不意にぴたりと動きを止めた傭兵がこちらへとゆっくりと振り向く。

 

 その表情は怒りに震え、額には大きく青筋が浮かんでいた。

本来は端正であろうその表情を憎々し気に歪め、こちらを見るその姿にネルは堪らず一歩後退ってしまった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「――今ならいけるかも」

 

「情報出して!」

 

 

 傭兵がその素顔を晒した瞬間、ハレが素早くキーボードを叩いた。

 

 連邦生徒会のセントラルネットワークとまではいかないが、

他自治区の情報を収めたミレニアムのデータベースの精度の高さはユウカも自負していた。

ましてやこれほどの実力を持つ生徒ならば、ミレニアムが知らないわけがない。

 

 そして、それはすぐに分かった。

 

 

「分かった。アビドス高校三年、梔子アキ。

……え、アビドスって、あの砂漠の?

と言うかこの人、ウチのブラックリストに載ってる……?」

 

「何をした人?」

 

「ミレニアムに直接何かをした記録はないけど……

この人、一年の時にアビドスの自治区に侵入したゲヘナの情報部を壊滅させたって情報がある。

あとはアビドスに逃げ込んだ犯罪者を捕まえようとして、許可なく治安維持活動をしようとしたヴァルキューレの警備局も。

うわ、出張ってきた公安局も潰してるんだ、こわっ。

他には……今はもう戦術対抗戦とか合同火力演習に取って代わられて開催されてないけど、

二年前にあった最後の学園技術交流大会で狙撃競技部門一位、対テロ制圧競技部門二位の実績持ち」

 

「それは――」

 

 

 デタラメだ――しかもそれは一年生の時の記録。

一組織を相手に単独で挑み、退けるその規格外の能力に、ユウカは堪らず息を呑んだ。

そしてそれならばネルを圧倒する実力も頷ける、と。

 

 

「相当強いというか、多分ネル先輩並みの化け物だから、

昔のセミナーが脅威だと思ってブラックリスト入りさせたんじゃないかなって。

……あれ、というかこの人、よくウチに出入りしてるみたい。

それもエンジニア部の――」

 

『テメェらなにしてやがるッ!?』

 

 

 だがその会話を切り裂くように、スピーカーからつんざくような怒声が響き渡る。

ユウカとハレの身体が堪らず傾く。モニターを見ればこちらを睨むネルの姿があった。

その表情はやや引きつっていたが、それでも怒りの感情を向けているのだからユウカは思わず怯んでしまう。

 

 

『ごめん、リーダー。つい反射的に……』

 

『えっと、どうする? リーダーまだやれそう?』

 

『ったりめーだ……ッ!』

 

 

 C&Cの面々からの心配を受けながらも、ネルは荒い息を整えながら再び目の前の傭兵――梔子アキへと視線を向ける。

対するアキも、尋常ではないほどの怒気を発してこちらを睨んでいた。

あの場にいてその感情を直接向けられたのならば――正直、ネルのように堂々と対峙していられる自信はない。

 

 

『ですがリーダー。すでにマーケットガードが動いています。

撤退も視野に入れなければ――爆破しなければなりません』

 

 

 だがC&Cが一人――コールサイン"ゼロスリー"、室笠アカネの言葉にユウカは我に返る。

柔らかな印象を持つ穏やかな生徒なのだが、その戦法は各種爆弾による破壊工作だった。

それ故に彼女を独自に動くと言うことは、周辺に甚大な被害が及ぶと言うことであり、

学園の財政管理を担う彼女にとっては頭痛の種の一つだった。

 

 

「ほんっとーにそれだけはやめて!?

予算カツカツだから、損害賠償とか突き付けられたら洒落にならないの!」

 

 

 故に今すべきことは、これ以上の戦線拡大を止めることである。

ましてやネルを圧倒する戦闘能力を見せられた以上、アカネの言う通り周辺被害を厭わない戦術を選ばなければならないかもしれない。

 

 

「とりあえず攻撃中止! 交渉! ハレ、ドローンを近づけて!」

 

「はーい」

 

 

 ハレに指示をすれば、ゆっくりとモニター越しの映像が彼女らへと近づいていく。

それに対して傭兵は自動小銃の銃口を素早く向ける。

だがネルがその前に立ち塞がった。

 

 

『……話があるんだとよ』

 

「初めまして、梔子アキさん。私は本作戦の指揮官です」

 

 

 モニター越しに視線が合う。

怖い――が、緊張と恐怖で声が震えないよう、しっかりとした口調でユウカは彼女と向き合った。

しかし彼女の名前を出した際、アキの表情が忌々し気に歪む。

さらに怒気を強くするその姿勢に、ユウカは「ミスった」と思わず表情を強張らせた。

やはり外交は苦手だと内心呟くも、しかしやらなければならないと自身を奮い立たせる。

 

 

「作戦上、私の名前は明かせないことをあらかじめご了承ください。

……梔子アキさん、あなたがUSBメモリにコピーしたデータが何なのかは理解していますか?」

 

『ええ……それと、まどろっこしいことは嫌いだから手短に済ませて。

もうマーケットガードがこちらに向かってるはず』

 

 

 冷静に言葉を紡ぎながらも、その端々には苛立ちがはっきりと見て取れた。

そして会話の無言の間に挟まる荒々しい息遣いは疲労からくるものではない――怒気を必死に抑え、理知的な会話を試みようとしている弊害のそれだ。

 

 

「そのデータには我々の学校に電子的な攻撃を仕掛けてきた、主犯の証拠が含まれている可能性があります。

それを他校に渡すことは出来ない……それはご理解いただけますね?」

 

『……いえ、学校は関係ないわ。

クライアントに頼まれて、このデータを回収してほしいと頼まれただけ。

どうしても欲しいと言うのなら金銭での解決を望むわ』

 

「……金額は?」

 

『五千万』

 

 

 高い――払えないわけではないが、払うのも癪だ。

ましてやブラックマーケットに半ば住み着いている不良生徒になど。

ふつふつと腹の底から湧いてくる不快感に、苛立ちと同時に自身の正当性が心の内にしっかりと形づけられていく。

 

 彼女はようやく、この悪鬼羅刹の如き傭兵と向き合う勇気が湧いてきた。

 

 

「これはミレニアムサイエンススクールの信用と利益を損ねる侵害的行為に他なりません。

学園間の軋轢が生じるのは、そちらとしても非常にリスクの高い行為ではないでしょうか」

 

『最初に言ったでしょ、私個人の仕事であると。

第一、アビドスに対して何を求めるつもり?

……何も返ってこないわよ。

生徒会も機能していないし、数名の生徒がただいるだけ。

何をどう騒ごうと根本的な解決にはならないわ。

抗議するならすればいい。私には関係のないことだから』

 

 

 堂々と指摘をするも、しかし返ってきた言葉は開き直りだった。

辛うじて学園という組織に収まっている不良生徒ほど厄介な存在はなく、取りつく島もない。

はっきりとそう切り捨てられ、交渉の長期難航をユウカは突き付けられた。

 

 

『こちらゼロツー、狙撃の用意はできている』

 

『突入の準備も出来てるよ!』

 

「待って。さっきので奇襲は警戒されてる。

……ゼロスリー、マーケットガードは?」

 

『……あと十分もすればビルに到着します』

 

 

 ――そしてタイムリミットも迫っていた。

悔しいが、自身の交渉能力ではこれ以上の話の進展は望めない。

 

 だが力づくで"データ"を確保しようにも、この出鱈目な傭兵相手には通用しない。

やはりネルだけではなく、通常の任務通りC&C総員で掛かるべきか――。

 

 

「ダブルオー、勝てますか?」

 

『……こいつ相手に十分は無理だ。

マーケットガードとの三つ巴になったら逃げられる』

 

 

 負けると言わないのはネルのプライドか。

恐らくその心の内は怒りと悔しさとで燃え滾っていることだろう。

 

 目の前の強敵に執着している――おそらく敗北を目前にし、

さらにはタイマンを邪魔されて、傷つけられたプライドが正常な認識能力を阻害している。

だが僅かに残った理性が、客観的な思考と自身の役割を繋ぎ留めていた。

 

 

「すまない、遅くなった!」

 

 

 しかし突如、ヴェリタスの部室の扉が開かれる。

そちらを見れば、そこにいたのは息を切らした細身で長髪の生徒。

名を白石ウタハ。このミレニアムのエンジニア部の部長であった。

 

 ユウカはその突然の来訪者に驚いたが、それに答えたのは意外にも隣に座っていたハレだった。

 

 

「私がさっき電話で呼んだ。

多分、最もこの場で交渉役に適してると思うから」

 

「ユウカ、任せてほしい。

彼女のことは、この場の誰よりも理解している」

 

「ど、どういうことですかそれ!?」

 

「親友なんだ」

 

 

 飛び出たその言葉に思わずユウカは言葉を詰まらせた。

 

 彼女の交友関係の全てを知るわけではない。

しかしそれでも理知的かつ面倒見の良い性格は、多くの人を惹き付けることを知っていた。

そう言った彼女の人となりもあって、この恐るべき傭兵との縁も持ち合わせているというのだろうか――。

 

 

「頼む」

 

 

 普段は飄々とした掴み所のない彼女が、真剣な表情で真っすぐとこちらを見据える。

そのような緊迫した雰囲気を感じ取ってか、ユウカも只事ではないとすぐに理解できた。

 

 

「……分かりました。

ですが時間がありません。手短にお願いします」

 

「ありがとう」

 

 

 ウタハは素早く設置されていたマイクへと顔を近づけた。

 

 

「アキ、私だ。白石ウタハだ」

 

 

 そこで初めて傭兵の動きが止まる。

驚いたように目を見開いたのは、予想外の人物が登場したからなのだろうか。

しかしウタハはさらに言葉を続けていく。

 

 

「話を聞いてくれ。それと、ネルも落ち着いてほしい。

――ここで我々が争う必要はないんだ」

 

 

 え、と誰もが彼女の言葉に、そんな小さな声を零した。

なぜそう断言できるのか、そして彼女が何を知っているのか――。

 

 

「彼女の目的は、カイザーコーポレーションが各学園に対して行った不正情報の入手。

それを集め、最終的には然るべきタイミングで連邦生徒会と各学園へリークする。

C&Cがそこにいると言うことは、おそらく彼女と同じように不正の情報を探しにきた……と言ったところかな?

それならば、彼女とこちらの目的は一致しているはずだ」

 

 

 もちろんウタハには、今回の作戦の概要や成り立ちは説明などしていない。

だがそれ以上に彼女の口から告げられる真実に、誰もが息を呑んだ。

 

 そしてそれは目の前の傭兵も。

見れば先ほどまで怒気を発していた彼女も、すっかりと毒気が抜かれたようにその表情を引きつらせていた。

図星だ、と思う。

人心に疎い――あくまで自称だが――ユウカでも、その表情を見て確信した。

 

 

「え、確かにそうなんですけど、それじゃあ……」

 

 

 だがそうなると話は変わってくる。

ユウカの脳内に、今回の作戦の最終目的が反響するようにして思い浮かんでいた。

そしてそれに対する回答が、徐々に形になっていく。

 

 ――あれ、同じじゃない?

 

 先日からミレニアムに対して行われていた正体不明のハッキング。

しかし相手の技術はお粗末なもので、ヴェリタスやC&Cによる諜報活動により下手人の手がかりはすぐに見つかった。

 

 不良生徒のグループを雇い、機材を与えてハッキングという名の妨害活動を繰り返した集団――。

それが捜査線上に浮上してきた、悪徳企業と名高いカイザーコーポレーション傘下の子会社の一つであった。

 

 彼らの詐欺を始めとした多岐にわたる半ば犯罪行為に巻き込まれた生徒は多い。

狡猾にグレーゾーンを攻める連中に、各学園の中枢組織は煮え湯を飲まされてきたといっても過言ではない。

その被害者は調べた限りでは、自身らが所属するミレニアムを始めとした有名どころから、それこそ小規模な学園まで。

ゲヘナ、トリニティ、ミレニアム――そして件のアビドスも。

 

 つまるところ――。

 

 

『これ、別に戦わなくても良かった感じ?』

 

 

 階下で控えていたアスナが、階段からひょっこりと顔を出した。

同時に各自の通信端末から、大きなため息が聞こえてきたのは言うまでもなかった。

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