それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~ 作:白桐
「なんだそりゃあ……」
ネルが気の抜けたように深いため息をつけば、反響の如くそれは各自のデバイスを介して面々へと伝播していった。
張り詰めていた緊張感はそこにすでになく、各々の愛銃の銃口はすっかりと下がっていた。
対面する傭兵――梔子アキも、こちらと似たような疲れた表情を浮かべてこめかみを抑えていた。
『彼女は私の友人でね。
よくちょっとした素材のやり取りや仕事を請け負ってもらってるんだ。
そしてその交友の中で彼女から聞いたのはカイザーコーポレーションの悪行さ。
連中の不正の証拠を掴もうと、二年前から彼女は一人で戦っていた。
連中の所為で、多額の借金を抱えたアビドス高校のためにね』
『わお、約九億の借金は確かにでかい……』
インカムから届くウタハの説明を聞き、面々は納得と共にその視線はアキへと向かう。
やや気まずそうに顔を逸らす彼女の表情からはすっかりと怒気は消え、居心地悪そうに体を緩く抱いていた。
先ほどまでは羅刹の如く大暴れしていたが、その真実は所属する自治区の為に体を張って孤独に戦っていた――。
互いに敵愾心がなくなった今、この強者に残っているのは悪として仮面を被る献身と自己犠牲の精神であった。
間違いなくそれは彼女の本心であり善性で、賞賛と同時にその人間らしさにネルは安堵と共に笑みが零れる。
彼女もまた、すっかりと怒気や緊張と言うものが消え去っていた。
「テメエ、なんで嘘ついたんだよ……」
疲れたように笑いながらそう問えば、アキは苦々しさと照れの混じった曖昧な表情を浮かべながら視線を下に逸らした。
「あなたたちと私とじゃ、この情報の価値が違う。
こっちは確実に連中を潰したいのに、中途半端なやり方で取り逃がされたんじゃたまったもんじゃない。
一番痛いタイミングで、的確に連中を刺す必要がある。
……あと、後輩たちは巻き込めない。
学園間の問題になるより、私一人に注目が集まるならそれでいい」
「先に話せよそれ……
あと、あたしらもカイザーに舐められっぱなしってのは気に入らねえ。
やるんなら徹底的にやる。ぜってえ中途半端じゃ終わらせねえよ。
……HQ、そうだよな?」
『それには賛成ですが……いえ、目的が同じであれば問題はない……?
分かりました。必要であれば、そのタイミングの打ち合わせもしましょう』
「えっ?」
ネルがユウカをそう言いくるめてやれば、彼女は困惑しながらもその提案に乗ってくれた。
それを聞いたアキは、やや素っ頓狂な間の抜けた声を零して灰色のドローンへ視線を向ける。
早瀬ユウカに対するネルの評価は、
ミレニアムの生徒会組織たるセミナーで会計を務めていることから同校の部活やサークルの予算を預かっているのだが、
しかしそんな生命線を握られていることから名づけられたのが『冷酷な算術使い』という異名である。
それ故に研究に没頭する碩学の徒である同校生徒らからは恐れられているが――彼女が思っているように、決してそこに恐怖や嫌悪はない。
むしろ時には手を差しのべる"甘さ"に絆された生徒の方が圧倒的に多かった。
本人は立場上冷徹な宣告をする故に自身を異名の通りに卑下しているのだが、隠し切れない利他的な善性が好かれる要因にもなっていた。
そう言った人を惹きつける魅力をネルも知っていた。
そして共通の敵がおり、それらに受けた仕打ちを鑑みた彼女の心がこの不幸な一匹狼へと傾くのは必然で――。
「そちらの生徒会長は……」
『それは気にしなくて大丈夫ですよ。
今回の件は一任すると言われているので、延長線上の問題としてこのまま私たちで対応しますから』
――やはり甘い。
――政治的な駆け引きに用いることも出来ると言うのに。
だがそれはネルも満足な回答であった。
特に普段から内政を彼女に任せている"ビッグシスター"では飛び出してこないであろうその提案に対して。
そして最もこの場で驚いているのはアキだろう。
ユウカの提案を受け、一瞬固まって目を丸くする――同時に訪れた沈黙は、彼女が必死に状況を噛み砕こうとしている証拠だった。
しかし親友だと言うウタハが停戦を提案したこともあり、彼女は観念したかのように小さく肩を下げた。
「そうですね……ならその時は、是非お願いします」
先ほどまでの毅然とした態度とは打って変わり、半ば呻くようにしておずおずとそう口にした。
そして静かに頭を下げる。
「それとその、指揮官の方……
そちらの作戦を妨害してしまったこと、謝罪いたします。
……本当に申し訳ありませんでした」
『い、いえ……!
その、誤解が解けたようで何よりです。
それに、ある意味では共同の作戦だったと言えますし。
それとデータは……』
「お渡しします。
虫のいい話かもしれませんが、餅は餅屋にと言いますから……」
『最初から私を頼ってくれても良かったんだけどね』
「簡単に言わないでよウタハ。貸し借りを作りたくなかったのよ。
ただでさえウチは組織としては貧弱だから……」
「じゃあたった今、あたしらに借りを作ったってことだよな?」
ネルはゆっくりと彼女に近づいた。
足元に置いてあったつば付きの帽子を拾い上げ、それをアキに差し出す。
わざとらしく不敵な笑みを浮かべれば、彼女目を丸くしてこちらを見ていた。
「カタが付いたらサシでまたやろうぜ。それで貸し借りなしだ」
「……私はあなたみたいな戦闘狂じゃないから勘違いしないで。でも――」
呆れたような視線を向けられながらも、アキはその帽子を受け取った。
そして彼女もまた、上着の裏ポケットから件のUSBメモリを取り出してネルヘと差し出す。
「……それで許されるのなら、いくらでも」
不思議と悔しさはなく、USBメモリを受け取ったネルの胸中は爽やかだった。
確かに自身の敗北に思うことはあるが、それ以上に好敵手との出会いが彼女の世界を鮮やかに照らしたのである。
最強と称されていた自身が挑戦者となる――戦闘狂のネルにとってこの瞬間、退屈な世界が終わりを告げた。
それがどれほど嬉しいことか――。
『友情を育んでいるところ申し訳ありませんが、マーケットガードが到着しました』
コールサイン"ゼロスリー"――室笠アカネの報告に、ネルは我に返る。
素早い身のこなしで部屋の窓へと近づいて路上へと視線を落とせば、そこには停車した装甲車から慌ただしく飛び出すオートマタの傭兵たちの姿があった。
『C&C各位、撤退戦の準備をお願いします。
ただし、可能な限り建物の破壊は控えるように!』
「へいへい……ゼロツー、狙撃で足止めだ」
『了解』
コールサイン"ゼロツー"――角楯カリンに指示を出せば、返答と共に間髪入れずに銃声が響き渡る。
それは対物ライフルの正確な狙撃からなる後方からの火力支援。
見ずとも分かる。恐らくは既に表に展開する傭兵の一人を仕留めたはずだ。
そしてそれに負けるわけにはいかない――この時は柄にもなく、ネルは少しだけ見栄を張りたかった。
「おい、さっさと行けよ。
そっちは顔バレるわけにはいかねえだろ」
「……感謝するわ。ウタハもありがとう」
『友達なんだから、もっと頼ってくれると嬉しいな。
あとで連絡をくれ。窓口になろう』
そこからのアキは迅速だった。
帽子を被り直すと裏通り側の窓を乱暴に開け放ち、すぐさまその外へと飛び出していく。
その尋常なる膂力を以て飛び移った建物の外壁を蹴り、弾かれて飛んでいくピンポン玉のように、
あっという間にその姿は小さな点となっていった。
「……ああ、クソ」
「リーダー、もしかしてダブルオー名乗って初敗北?」
いつの間にか傍らにやって来ていたのはコールサイン"ゼロワン"――一之瀬アスナだった。
自身とは対照的な長身かつ起伏のある体型の生徒であり、彼女もまたC&Cのメンバーの一人である。
――そう言えばあの梔子アキも、アスナと似たような体型だったか。
ふとそんな彼女の容姿を思い出して、その表情が苦々しいものへと変わる。
負けられない理由が増えただとか、デカイのに強いとか反則だろうが――などと、
その理由は多岐に渡っていたが、共通点は自身が持ちえない理不尽なものばかりが大半となっていた。
しかしそれも併せて悔しさは確かにあったが、それでも晴れやかな心は曇ることはなかった。
「……まだ終わってねえ。次はぜってー勝つ」
いつもの鮫のような不敵な笑みを見せ、ネルは力強く両手の愛銃を構えた。
***
人目や監視カメラを避け、ブラックマーケットから脱出するのは何も初めてではない。
この肥溜めのような地獄で仕事をするようになってから、強者側であるアキでも窮地に陥る場面はいくらでもあった。
それこそ依頼人に陥れられ、ヴァルキューレ警察学校の警備局と何度か衝突しかけたり――など。
当時は
結果を見れば目標物を確保した上に協力者を得たが――。
しかしその過程はお粗末なもので、運が悪かったとしてもやりようがあったのではないかと思ってしまう。
さらには最強の一角と名高いC&Cのコールサイン"ダブルオー"にまで目をつけられる始末である。
親友であるウタハが場を取り持ってくれなければ、さらに面倒なことになっていただろうか。
アビドスの面々にも知られて学園間の問題に発展ともなると、いくらアキでも手に負えなくなる。
何より対策委員会の面々に――特にホシノには絶対に知られたくなかった。
――最近、本当についていない。
溢れた自己嫌悪と愚痴は溜息となり、茜色に染まるアビドスの市外地に溶けていく。
人通りの一切ない閑散とした道路の一角に車を停めて車外へと出た彼女は、
何をするでもなく車体に背中を預けてその景色をじっと眺めていた。
そうしていると、ふと懐の携帯端末が震えた。
画面を見れば、そこに表示されたのは"[ミレニアム]エンジニア部-白石ウタハ"の名前。
再び溜息をつき、アキは通話ボタンをタップした。
『アキ、大丈夫だったかな』
こちらの言葉を待たずに開口一番にそんな言葉が飛び出すあたり、相当心配していたのだろうとアキは察した。
普段は飄々とした言動の彼女だが、その実は情に厚く仲間想いの生徒である。
そしてホシノ以外でアキの抱えている苦悩を知る数少ない親友だった。
「問題ない……ごめん、本当に迷惑かけちゃって」
『むしろ大事にならなくて良かったよ。
……それにしてもこんな偶然もあるものなんだね』
「最近こんなのばっかりよ。誰にも会いたくない場所で、一番会いたくない人に会ってばかりで……」
『これは相当溜まってるね。エンジニア部に遊びに来て愚痴でも零していくことをオススメするよ』
「近い内にね」
苦笑を浮かべながら言葉を返す――ようやくアキはここで初めて笑みを零した。
しかしそれも束の間、すぐにアキの表情が再び強張り真顔になる。
「USBのデータはどうなった?」
『安心してくれ。
すでにウチのヴェリタスに渡して、セミナーからも正式に依頼が降りてきたところだ。
追加で受け取ったデータも含めてね。
「ご協力感謝します」と、我々の指揮官が言っていたよ』
「……話が分かる人で良かった」
『なんだかんだで好かれてる子だよ。
情に絆されやすいが、そこも彼女の魅力じゃないかな』
それを聞いてアキも安堵する。
あのC&Cの指揮官――生徒会組織であるセミナーの役員らしき生徒の提案には驚いた。
そして損得を無視して情だけでこちらの不手際を流してくれたのは、ウタハが言う通りの人物だからなのだろう。
結果としてアキはミレニアムの協力を取り付けることが出来た。
だがそれも幾重にも積み重なった偶然が起こした奇跡であることから、彼女自身は素直に喜ぶことが出来ないでいた。
対価を求めない人の優しさに助けられたのはいつぶりだろうか――ふとアキの脳裏に誰かの気の抜けた優しい笑みが過る。
口癖のように奇跡だと口にしていたあの人。
大したことでもない小さく、それでいて平凡な幸運や日常風景に対して、一喜一憂してころころと表情を変えていたっけ――。
ウタハが言う彼女はそこまで暢気ではないだろうが、"彼女"に似た精神性の持ち主ならば苦労しているのだろうかとやや心配になる。
部外者故に、それは余計な心配だと言うのは重々承知しているのだが。
しかしそこに次いで「それと――」とウタハが言葉を続けた。
それを切り出した際の口調がやや強張っていたことを察して、アキは彼女が本題に入ることを理解する。
『先刻のデータを解析してみたところ、分かったことがある。
各自治区への違法行為の指示や人員の配置、内容もそうだが……特にアビドスに注力しているようだ。
カイザーは、どうやらアビドス砂漠に大量の違法兵器と爆薬を持ち込んでいるらしい。
それに伴って、アビドス砂漠に大規模な軍事基地と採掘施設も建ててるみたいだ』
「用途は?」
『分からないが、爆薬の量からすると採掘でもするんじゃないかと思える量だね。
そして武器の量も異常。
こちらは防衛と言うより、まるで何かを攻める作戦があるんじゃないかと私は思うね。心当たりは?』
「違法兵器についての話は聞いていたけど、採掘用の爆薬については初耳ね。
砂漠で建築しているその採掘施設のような建物で何かしようとしているのか……」
『かもしれないね。
ちなみに施設の方は概ね完成し、現在も稼働しているようだ。
何の目的で砂漠の一角を採掘しているかは、さすがに分からなかったけど』
新しく舞い込んできた情報に、アキは口を噤んだまま静かに目を細めた。
武器の件は以前に空崎ヒナから伝えられた情報だが、ここに来て採掘用の爆薬とは奇妙以外の何物でもない。
そして明らかに連中はアビドスの砂漠に何かを見出している――恐らく対策委員会の面々に傭兵をけしかけるなどの圧力を掛けているのもこれが理由なのだろう。
――ならば、次の調査対象はそちらだ。
『ちなみに私たちにリークを任せないとなった場合、誰かアテはあったのかな?』
「あなたの後輩に」
『彼女は元気かな?』
「相変わらず三本。何本が目標だっけ?」
『まあ、そう言ってやらないでくれよ。
脳波で自由自在に稼働、さらにラグなし演算装置込み、耐久性も確保された携帯型の超精密マニュピレーターときた。
それをあのサイズに収めたのはなかなかの苦労があったはずだ。
まあ、上手く使ってやってくれ。彼女もお金は必要だろうしね。
ところで話は変わるが――』
だがそこで嫌な予感がした。
このように話題が変わる際、ウタハが口にする内容が自身へ不利益が降りかかる予兆だと言うことをアキは身を以て知っていた。
エンジニアとしての性なのだろうか。
説明じみたその語りは、最も重要な事柄が最後に回されるという厄介な性質を持っていた。
『ネルが――君が戦ったC&Cのリーダーの子だね。
早速彼女が催促してきてね、いつミレニアムに来るんだと』
「……エンジニア部にも行きづらくなったじゃないの」
『それと、君が本気じゃないことも伝えておいた。本来の得物は対物ライフルだとね』
「ああもう、やめてよそれ……私、彼女ほど戦うのが好きなわけじゃないのよ」
『こればかりは甘んじて受け入れるしかないよ。
まあ、ミレニアムが協力するための条件だと思ってくれ』
――やはり最近、本当についていない。
見上げた先にある赤く燃える夕日が、やけに綺麗に見えたのは感傷的になっているからなのだろうか。
『とにかく、大事にならなくて良かったよ』
「……本当にごめん。正直助かった」
『君はもう少し人を頼るべきだ。
いかに誰よりも強くて、上手く立ち回れるとしてもね。
外交問題についてはアビドスは脆弱だから、そこを突かれると非常に脆い。
今は後輩もいるんだろう? 同輩に頼れなくても、彼女たちは頼るべきだよ』
「考えておくわ……今日は本当にありがとう」
『どういたしまして。とにかく君も気を付けてくれ』
通話を終えて、アキは深く息を吐き出す。
そしてこんなはずじゃなかったと、再び自己嫌悪がもたげてきた。
タスク404の面々には強気に問題ないと告げているが、その言葉通りに出来ているかと言えばそうではない。
終始緊張感を持って仕事をしているつもりだが、弛んでいるのではないかと問われると強く否定出来なかった。
いくらイレギュラーが発生したとしても、それを自身の力だけで乗り越えなければ意味がない。
人を頼るなど、自分のような自治区を半ば捨てた人間がしていいことではないと、アキは常々思っていた。
しかし落ち込んでばかりはいられないと、小さく頭を振って暗い感情から脱する。そしてに思考を切り替える。
まだまだやるべきことは多いと、今後の計画を頭の中で練る――が、ふとその時、上着のポケットに仕舞おうとしていた携帯端末が短く震えた。
それは通話の呼び出しではなく、なんらかのアプリの通知の類なのだろうと言うのはすぐに分かった。
案の定、画面を見ればそこに在ったのはモモトークのアイコンだった。
何者からの通知だろうかと思い、同時に画面にポップアップされた送り主の名前を見て――アキは固まる。
――小鳥遊ホシノ。
思わず停止し掛けた思考だったが、我に返るとすぐさまモモトークを開く。
そしてそこにあったのは、いくつかの短い文章だった。
――学校に来てほしい。
――二人で話がしたい。
「今度はなにやらかしたのよ……」
飾り気のない文章を見て、厄介事が起きたのだろうと結論を出すのに時間は掛からなかった。
ましてや
先日の黒見セリカがヘルメット団に誘拐された件を除けば、実に一年ぶりの出来事である。
だからこそ、余程のことが起きたのだと言うのは想像に難くない。
「猪突猛進桃色猪……」
かつて口癖のように吐き出した罵倒を小さく呟き、「分かった」と短い文章を送ってアキは車に乗り込んだ。
***
「ごめんね、呼び出しちゃって」
アビドス高校前に到着した時、既に茜色が群青に染まりつつある時刻となっていた。
ホシノは校門の前にぽつんと一人で立っており、こちらを見るとあの気の抜けた笑みを見せる。
それが
――気持ち悪い。
――その笑みを見て、久しぶりにそう思ってしまった。
「……あんたの家まで送ってあげるから、その間に話して。
というか、私もあんたに話したいことがある」
「そっか。じゃあ……アキの話から聞かせてほしいかな」
ホシノが助手席に乗ったことを確認すると、アキはゆっくりと車を発進させる。
流れていく風景はあの頃と変わらず、助手席にホシノを乗せているとなおさら懐かしい気持ちになった。
だが、そんな感傷的な懐古の念をアキは嫌悪していた。
梔子アキは過去や後悔を振り返らない。
進むべくして進んだだのだから、何を振り返る必要があると――。
それはかつて、ホシノが動けなくなりしばらく一人でアビドスの借金を返済していた過去があるからこその信念でもあった。
泣こうが苦しもうが後悔しようが、朝日は必ず昇る。
それ故に、そのような時間を現実逃避と感情の発露に割いている暇などない。
無駄なことを考えている暇があったら体を動かす――そうしなければ、自分たちは食い物にされる弱者でしかないのだから、と。
「私がコソコソいろんなことやってたのは、何となく知ってるでしょ?」
「……内容までは分からないけどね」
暗い思考を取りやめ、アキは本題へと入った。
しかしこれからするのは、対策委員会を拒絶したことの弁明ではない。
あくまで自分が成すべきことの為に、
「一年前からカイザーコーポレーションの不正を探し回ってた。
十分な情報が集まったから、これを利用して社会的に連中を抹殺するつもり。
あいつら小さな犯罪グループを利用して他自治区の学園にも干渉してたから、キヴォトスの学園全部と連邦生徒会を巻き込む」
「そっか……」
だが返ってきたのは生気の抜けた、感情の乏しい生返事であった。
そこに苛立ちを覚えるが、しかし声を荒げようとして思いとどまる。
横目でちらりと見たホシノの表情は無表情だったものの、やや下に落ちた視線がそこに憂鬱や悲愴を滲ませていた。
飛び出しかけた言葉をアキは引っ込めると、改めて視線を前方に戻す。
「……なにかあった?」
「借金を返しているカイザーローンのお金、ヘルメット団に流れてたって知ってる?」
「だから私、自治区内にいるヘルメット団を徹底的にボコボコにしてたんじゃないの」
「土地のほとんどがカイザーコーポレーションに買収されてる話は知ってる?」
「一年の頃からあんたが会計と書記の一切を私に任せてたからね」
「……砂漠で『宝探し』してるんだって」
「そこに違法兵器やら採掘の為の重機や機材、あとは施設も。そこに大量の爆薬を運んでる情報はさっき知った」
ああ、なるほど――と。
ホシノから投げかけられた質問を逐一返しながら、アキは彼女の抱える真意と背景にあらかた予想がついた。
この様子ならほんの数時間前だろうか。
自身がC&Cとやり合っていた頃、
そしてその浮かない表情もこちらに対する罪悪感によるものだ。
だが今はそれを無視しして、アキはさらに言葉を続けた。
「それで『宝物』だっけ?
それが何なのかは分からないけど、連中にとっては重要な何かなんじゃないの。
お金になる資源は調べた限り何もなかった覚えがあるけど……いや、あるいはもっと深い所にあるとか。
そしてそれこそが、私らをアビドスから追い出してでも手に入れたい物なんじゃない?」
「やっぱり、私なんかより本当にすごいよアキは」
「……で、何があったの?」
しばし車の走行音だけがそこにあった。
アキも特に彼女の言葉の続きを催促はせず、静かに待つ。
そしていくらかの沈黙の後、ようやくホシノが口を開いた。
「日中にその砂漠の施設を調べたら、連中とかち合ってさ……」
紡がれた言葉は弱々しく、とうとうその顔が俯き加減になる。
空崎ヒナよりもたらされた情報を基に、アビドス砂漠での調査をしたのが事の発端だとホシノは言う。
結果として何らかの軍事施設を発見し、調査を開始。
するとカイザーPMCの襲撃に遭い、これを撃退したがそれが良くなかった。
カイザーPMCの理事を名乗るオートマタの大男が現れ、不法侵入や武力行使の違法性を指摘された――。
勿論、それを受け入れたわけではない。
アビドス自治区だからこそ、それを調査する正当性はこちらにあると対策委員会は主張した。
しかし――。
「嫌がらせで馬鹿みたいに利子あげられちゃってさ、来月以降の利子九千万だって。
あとは一週間以内に保証金三億払えだとか……」
「なら一週間の猶予はあるわね」
アキは自身でも不思議に思うほどに、意外と冷静にその内容を受け入れることが出来ていた。
むしろそれは怒りのゲージが振り切れているからこその冷静さかもしれないが、だとしても十分に対抗策を考えられる余裕があった。
明確な切り札があるのもその要因の一つかもしれないが、それなりに自分も大人になったのだろうと納得する。
「傲慢な連中のことだから、チェックメイトを掛けたと思ってるはず。少なくともその一週間は動くことはない。
だからその間に、こっちはいろんな準備に集中できるはず。
ついでに法外な保証金や利子の吊り上げについてもリークしてやりましょう。
ちっぽけな学園に対してこれだけ大きな金額が動くとなれば、連邦生徒会も以前のように無視はできないでしょ。
一応七神リンにはコネがあるから確実に議題は通せる。
仮に連邦生徒会が動けないとしても、他の学園が別件でカイザーを追及するはず」
「……てっきり怒り狂うかと思った」
「私が怒るのは相手をボコボコにするって決めた時だけよ。
それとさっきも言った連中の不正情報なんだけど、実はちょっとした伝手で各学園やメディア、
あとは連邦生徒会へ連中の不正がリークされる手筈になってる。
特にクロノスは食いつきがいいでしょうね。
だから、さっき言ったことも連邦生徒会は無視できない。
攻めるならそのタイミングだと思ったんだけど……あんたたち行動が早すぎるわ。
もうちょっと情報収集に徹すると思ってたけど、まさかピンポイントで地雷を踏み抜くだなんて」
「……ごめん」
「だから遠回しに関わるなって言ってたんじゃないの。
昔からそうだったでしょ。
全部私に任せておけば良かったのよ、こういうことが起きるから。
……まあ、やったことは仕方ない」
――だからこそ、問題はこの先のことだ。
「それより先に対策を考えるべきでしょ。
何か策はある? 私は今の所、情報をリークして社会的信用を失墜させることくらいだけど」
「ある」
「どんな?」
「"黒服"の人、覚えてる?」
珍しい名前が出たとアキは思った。
それは度々自身らに接触してきた不気味な大人のことであった。
黒いスーツを着た不敵に笑う、気味の悪い大人――名前にこだわりはないらしく、
その容姿の通りの名で呼んで構わないと、礼儀正しく初対面の際にそう告げてきた。
特にアキはホシノが動けない時期、金銭難に陥ったアビドスの為に断腸の思いで持ち掛けられた依頼を受けた。
長期契約ではなく、あくまで短期の契約で済ませた当時の判断は、我ながら正しい判断をしたと今でも思う。
だからこそ、あの不気味な大人がホシノに接触を図っていたことに不快感を覚えた。
「私が
「……それ、まさか本当だと思ってないでしょうね?」
沈黙が再び訪れる――が、今度はすぐにホシノは顔を上げてアキを見た。
「……やっぱり怪しいよねぇ?」
おどけたように、しかし疲れたように力なくホシノは笑って見せた。
どうやらまだ正常な判断能力が残っているらしく、それにはアキも安心する。
「うん、やっぱりやめておく。
うまい話なんて――奇跡なんてどこにもないんだから」
「……そうね。少しは成長してるようで安心した。
昔だったら、後先考えず突っ込んで行ってたでしょうから」
「もう三年生だからね。昔みたいに馬鹿なことなんてできないって。
後輩の皆もいるし……アキもいる」
「……私はいなくていいでしょ。
あの子たち、結構しっかりしてるし。
あとはあんたが上手くやれば、それでいいじゃない」
「そこにアキがいれば完璧だよ。
それに今日、アキが一人でいろいろやってることを知って、心配したり怒ったりしてた。
もうかなり懐かれてるよ」
「……あんた、気味が悪いわね。何か悪いものでも食べた?」
「本心だってば」
「あの猪突猛進桃色猪がねぇ……」
「うへぇ、やめてよそれさぁ……」
――久しぶりの会話は、不思議と穏やかに続いた。
気が付けば互いに笑みが零れ、からかうような言動すら生まれるほどに。
居心地が良かったかと問われたら、素直に頷いていたかもしれない。
だが同時に穏やかな心の片隅で、じくじくと小さく刺すような痛みに苛まれる。
楽しいと感じると同時に浮上して形作るのは罪悪感と自己嫌悪だった。
一度彼女の見捨てた自分が、このように笑い合う権利などありはしないと――どうしても思ってしまう。
そして最終的にはアビドスを終わらせようとしていることを知ったら、彼女はどんな顔をするだろうか。
アビドスと優しい思い出と自責の念に囚われ、未だに現実を受け入れられないでいると言うのに――。
「……着いたわよ」
「うん、ありがと」
楽しい会話の終わりと共に、気が付けばホシノの自宅の前に到着していた。
周囲にはすっかりと夜の帳が下りており、頭上には満月が浮かんでいる。
アキが降車するホシノの後ろ姿を眺めていると、不意にその足取りが止まった。
「ねえ、アキ」
振り返ったホシノの表情はいつになく穏やかで――しかし間違いなく
それを見たアキは少しだけ心臓が跳ねるが、次の瞬間にはその笑みが気の抜けたものに変わる。
嗚呼、と――アキは自身の心がひどく冷めていく感覚を覚えた。
「今日、話せて良かった」
「……なによ急に」
「ううん、ただそう思っただけ。久しぶりにちゃんと話せたから」
「……そのへらへら笑うのやめて。本当に気持ち悪いから、それ」
「うへぇ、ひどいなぁ……」
やはり掴み所のない腑抜けた笑みを浮かべ、ホシノは自宅の玄関へと向かって行く。
それは友人と別れる際のありふれた日常風景だった。
なんらおかしな点もない何気ない一風景だと言うのに――この時のアキは、ひどいもどかしさを感じていた。
この瞬間が去っていくことに、自身は切情を覚え始めているとでも言うのだろうか――。
「ホシノ! あれは――」
気が付けば声を上げていた。
それに反応し、ホシノも再びこちらへと振り向く。
目を丸くして彼女はこちらを向いているのだが――アキは言葉を詰まらせたかのように、その言葉の先を言えずにいた。
たった一言。
しかしそれを口にするのが苦しく、難しくて――悲しい。
「――早く寝なさいよ」
だからこそ、そう告げることしか出来なかった。
まだ
感情のままに呼び止めた自制心のなさと、それを口に出来ない情けなさとでアキは自己嫌悪に苛まれる。
そして対するホシノは少し驚いたように目を丸くしていた。
そのまま笑ってくれればいいが――次の瞬間、その表情がふっと緩んだ。
月明かりに照らされたその表情は、どこか穏やかで儚くて――。
「ありがとう」
それは本当に綺麗な笑みだった。
彼女の持つ本来の笑みでも、作り物のそれでもない――どこか達観した不思議な笑み。
しかし素直に美しいと思えるはずのものだと言うのに、アキはどうしてもその笑みに対して心のざわつきを覚えずにはいられなかった。