それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~   作:白桐

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「じゃーん! ホシノちゃん見て見てー!

アビドス砂祭りのポスター! やっと手に入れたよー!」

 

 

 ――懐かしい夢を見た。

 

 そこにいたのは穢れを知らない気の抜けた笑みを浮かべる上級生の彼女と、

それを向けられてむっつりとした様子で視線を向ける小柄な下級生の少女であった。

 

 そしてさらにその傍らの席には我関せずと言った具合に無視を決め込んで、

ノートに黙々と記帳を続ける神経質そうな女子生徒が座っている。

 

 それは在りし日の記憶であり、いつもの生徒会の光景であった。

 

 親友との久しぶりの会話という良い出来事が先刻あったからだろうか。

ホシノはその教室の隅でその光景を見ていた。

すぐに夢だと気が付くも、目の前の映像はホシノの意志に反して進んで行く――。

 

 

「この時はまだ、オアシスが湖みたいに広がってたんだよねー。

あ、このポスターは記念にあげる!」

 

 

 上級生の生徒は矢継ぎ早と言わんばかりに言葉を紡ぎ、

笑顔でその手に持っていたポスターを下級生の少女へと突き出した。

 

 ピラミッドと砂漠が描かれたその中央には『アビドス砂祭り』と大々的に表示されており、

それを眼前に付き出された少女はぴくりと眉を震わせる。

 

 その光景を見たホシノは全身に寒気が奔る感覚に体を大きく振るわせた。

体が強張り、呼吸が途端にしづらくなる。

見たくない、夢から覚めろ、やめろと、必死にこの場から逃げようと体に力を込める――が。

どうしても自身の体は動かない。

 

 

「えへへ、すごく素敵でしょ? もし何か奇跡が起きたら、まだこの頃みたいに人がたくさん集まって――」

 

「奇跡なんて起きっこないですよ、先輩」

 

 

 ――お願い、それ以上は言わないで。

 

 だがその願いは届くことはなく、どんどん状況は最悪の方向へと進展していく。

 

 サイレンのようなけたたましく形容しがたい騒音が脳内をかき乱し、息苦しさと心音が高まっていく。

さらに追い打ちとでも言わんばかりに眩暈までもが起きて、それらも徐々に波打つようにして強くなっていった。

だというのに目の前の映像は彼女の網膜に鮮明に映し出され、目を閉じようとも見えた。

そしてあの最悪な瞬間へと、一歩、また一歩と近づいていく。

 

 

「そんなもの、あるわけないじゃないですか。それよりも現実を見てください!

こんな砂漠のド真ん中に、もう大勢の人なんて来るはずがないでしょう!?

夢物語もいい加減にしてください!」

 

「うえぇ、だってホシノちゃーん……ご、ごめんね?」

 

「そうやってふわふわと、奇跡だの幸せだの何だの……

もっとしっかりしてください! あなたはアビドスの生徒会長なんですよ!?

もう少し、その肩に乗った責任を自覚したらどうなんですか!」

 

 

 ――駄目だ、それをしてはいけない。

 

 思い切り手を伸ばす――だが、やはりこの体は動かない。

 

 少女が声を荒げると、さすがに記帳をしていた少女も何事かと顔を上げた。

そして彼女が見た先には、小柄な少女がポスターを乱暴に引っ手繰った瞬間があり、

今まさに破り捨てようとしていて――。

 

 

「ホシノ、ダメ――!」

 

 

 次の瞬間、ホシノが最も恐れている音が室内に響いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 ――嫌な予感がした。

 

 いつものように朝食を食べ終え、身支度を済ませた後のこと。

梔子アキは形容し難い胸騒ぎに居心地の悪さを感じ、どうにも日課的にこなしている朝の作業に集中出来ずにいた。

例えば洗いものを片付ける際、危うく皿を落としそうになる――とか。

普段なら絶対にしないであろうミスには、自身が注意散漫になっていると自覚せざるを得なかった。

 

 そしてそんな折に、テーブルに置いていた自身の携帯端末が震える。

画面を見ればそこに映っているのは知らない電話番号であった。

それ自体は珍しいことではなく、破損などを理由に頻繁に携帯端末を変える誰かからのものだろうとアキは思う。

タスク404の誰かか――あるいは他の知り合いの誰かだろうか。

 

 アキは画面の通話ボタンをタップし、通話に出る。

 

 

「もしもし――」

 

『アキ先輩ですか!?』

 

 

 だが携帯端末を耳に当てるなり、飛び込んできたのは甲高い少女のものだった。

それは電話越しではあったが、アキにも聞き覚えのある声だった。

アビドス廃校対策委員会――それも先日、領土侵犯を犯したゲヘナと対峙した後方支援の生徒。

しかも行政官である天雨アコに堂々と啖呵を切り、優位に交渉を進めた豪傑――少なくともアキは彼女をそう評価していた。

 

 

『あ、奥空アヤネです! 対策委員会の!』

 

「……何で私の電話番号を知ってるの?」

 

『ホシノ先輩が残した手紙に書いてあって――』

 

「待って。残したってなに?」

 

『それなんです! ホシノ先輩が、ホシノ先輩が――』

 

 

 今朝から感じていた胸騒ぎの正体が、まさに姿を現そうとしていた。

聞きたくない、いや話を早く続けろ、と――アキの思考が騒めいていく。

 

 まさか昨日、わざわざ話をしに来たのはこうすると決めていたから?

ありがとうだなんて、らしくもない言葉を言ったのも。

 

 ――あの馬鹿、まさか。

 

 

『退部届けを出して、行方不明で……っ!』

 

 

 ぷつん――と。

アキは頭の中で、確かにそんな音が聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「ホシノ……」

 

 

 その手紙を読み終えた時、"私"は力なく彼女の名前を呼ぶことしか出来なかった。

先日の夕方、以前から退部届の件を知っていた"私"は必死でホシノを引き留めようとしたが、

それでも諦観に沈んだ彼女にその言葉は届かなかった。

もっと良い方法があったのではないか、対話の仕方に問題があったのではないか――後悔の念ばかりがこの時の"私"の心の内には渦巻いていた。

ましてやここに残された手紙の内容もそれを強く思わせるものだったから、自身の責任をなおさら痛感してしまう。

 

 手紙の内容は端的に言えば、アビドスの為に自主退学すると言うものだった。

 

 自身の退学と、カイザーPMCの傭兵として働くことになったこと。

それによりアビドス高等学校の借金の大半の支払われ、キヴォトスを離れることになったこと――そして大人は嫌いだということ。

最後は対策委員会の面々に向けたお願いが個人ごとに書かれていた。

綺麗な筆跡で書かれたその文章は、自罰と謝罪が含まれた擦り切れた文言の羅列で構成されており、最後にアキへと向けた一文もあった。

 

 ――盾、返すね。

 ――この程度であのことをチャラには出来ないけど、皆のことをお願い。

 ――もし万が一にも敵対するようなことがあれば、その時は私の「ヘイロー」を壊して。

 ――ごめんね、アキ。本当にごめんなさい。

 

 

(学校の問題だけじゃない。やっぱりアキとの間にも……)

 

 

 机に置かれた可変前の盾を――ホシノが愛用していたそれを"私"は見て思う。

 

 キヴォトスに住む生徒たちにおいて、ヘイローの喪失は『死』を意味する――らしい。

銃弾を受けてもかすり傷で済む彼女たちにとって、それはもっとも希薄になっている概念なのだろう。

だからこそそれを望むほどの罪悪感とは只事ではない――二人の間に根付いた問題の深刻さが、否が応でも見えてきてしまった。

 

 だが次の瞬間、"私"のそんな思考を断ち切るかの如く、背後から衝突音にも似た騒音が響き渡る。

振り返れば、そこには教室の扉を勢い良く開けた人物がいた。

大型の狙撃銃を背負った生徒――梔子アキである。

その表情はいつか見た時の眉の吊り上がった憤怒に歪んだものであり、"私"を含めたその場の全員は堪らず怯んでしまう。

 

 

「ホシノは?」

 

「……とりあえずこの手紙を見て」

 

 

 "私"が読み終えた手紙を差し出せば、彼女はそれを引っ手繰って素早く文面に視線を走らせた。

読み進める度に手に力が籠っているのか、便箋は徐々にくしゃりと歪んでいき、

ぶるぶると震える彼女は手が、それをいつ引き裂いてもおかしくないように思えた。

 

 しかしそれを読み終えるや否や、彼女は手紙を机に叩き付けると、

折り畳まれたホシノの盾を掴んですぐさま踵を返した。

 

 

「今からあのバカを連れ戻してくる」

 

「ま、待ってくださいアキ先輩!」

 

 

 突発的に教室から出ようとするアキを、面々が慌てて止める。

"私"は出来る限り冷静に努め、彼女と真っ直ぐ視線を合わせた。

 

 

「……アキ、君が一人で抱えようとする必要はないよ。皆で協力しよう」

 

「私たちにも手伝わせてください」

 

「邪魔になるだけだから大人しくしてて」

 

 

 だがやはり、彼女は頑なに頼ろうとはしなかった。

個人の能力が優秀過ぎるということもあるのだろうが、それ以上にホシノに対する怒りが強いらしい。

握り締めた拳はぶるぶると震えていることから、その度合いも窺えた。

 

 

「あの馬鹿、少し待てって言ったじゃないの……!

そんなに私が信用できないって訳!?

本当に昔からどうにもならなくなったら感情に任せて突っ走る。

相変わらず先のことも周りのことも考えずに……っ!」

 

 

 ――だがその直後、耳を劈くような爆音が響き渡った。

 

 面々が慌てて窓へと飛びつけば、市街地から昇るいくつかの黒煙を発見する。

戦闘が起きている――"私"でさえそれを理解できてしまった。

 

 

「アヤネ!」

 

「こちらに向かって、数百近いカイザーPMCの兵力が進行中!

同時に、市街地に無差別攻撃をしています!」

 

 

 "私"がアヤネへと確認をすれば、起動していたノートパソコンに視線を落としていた彼女は叫ぶようにそう報告をしてくれた。

 

 ――カイザーPMC。

 

 つい昨日の邂逅を"私"は思い出す。

アビドス砂漠にて大規模な軍事施設を建設しており、施設侵入を理由にアビドス高校に対する利子などを法外に引き上げた張本人。

そんな苦い思い出に"私"は顔を顰めつつも、この暴挙の理由は何かと思考を巡らせる。

ホシノがいなくなったタイミングで、今まで傭兵たちを退けてきた対策委員会へ報復したいのか。

いや、しかしその嫌がらせは先日の利子の引き上げで済んでいるはずである。

だとすれば何か――そう、何かを狙っている。

だが、それはなんなのか。

 

 

「……アビドス生徒会がなくなったから」

 

 

 そしてその疑問に答えたのはアキだった。

その表情を怒りに歪めながらも、どこか躊躇いがちに零されたその言葉は何を意味するのか――。

 

 

「生徒会最後の一人であるホシノがいなくなった時点で、こちらの持っているアビドスの自治権が消失する。

自治区を運営する組織がないから、あいつらは空白になった最後の土地と学園の権利をもぎ取ろうとやってきた」

 

「でも対策委員会があるじゃないですか!

それに今までだってそれでやって来たし……!」

 

「対策委員会は公式に認可を受けた組織じゃない」

 

「……その通りです」

 

 

 淡々と告げるアキの言葉に、アヤネが暗い表情で頷いた。

声を上げたセリカは不安げな表情を浮かべて交互に二人を見る。

 

 

「セリカちゃん、私たちが勝手に名乗っているだけで、

そこに正式な書類の承諾とかは一切はないの……」

 

 

 そしてアキとアヤネの説明に"私"は納得に至る。

 

 ホシノの不在――カイザーはそれを狙っていたのだ。

ホシノへ契約を持ち掛け、アビドスの平穏を天秤に掛けたさせた。

年長者故に責任感も強く、後輩を大切に想っている彼女が何を選択するのか――答えは自明だった。

 

 だが、だからこそ――。

 

 

「じゃあなんで生徒会辞めちゃったの、アキ先輩……」

 

 

 それを口にしたセリカの声は震えていた。

いつもの強気な彼女はそこにはなく、この時ばかりはすっかりと弱々しく泣き出しそうな表情を浮かべていた。

そして誰もが彼女の言わんとしていることを理解する。

もし今もなおアキが自分たちの隣にいて、知恵を貸して、道を示してくれたのなら――。

 

 

「先輩が今も生徒会にいたら、こんなことにならなかったんじゃ……っ」

 

 

 それは決して批難の言葉ではなかった。

しかしそのもしもを願わずにはいられない、行き場のない落胆と悲愴の念はアキに向けられていた。

行動や言動の節々に彼女に対する期待と憧れがはっきりと見えていたからこそ、セリカのその想いの強さはこの場の誰もが痛いほど分かってしまう。

アキも――私たちも、それには何も答えられなかった。

 

 しかし次の瞬間、爆発が再び耳をつんざく。

今度は近い――戦火はすでに近くにまで迫って来ていた。

 

 

「お、応戦しないとです!

何はともあれ、アビドスが攻撃されているのを見過ごすわけには……!」

 

「私が直接相手の指揮官を潰してくるから、あなたたちは学校を死守して」

 

「待ってくださいアキ先輩!」

 

 

 引き留める面々の言葉を待たずに、とうとうアキは教室を飛び出して行った。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「アルファ小隊、梔子アキとエンゲージ!」

 

「火力を集中させろ! 」

 

 

 戦火の回った市街地へと飛び出せば、すでにそこにはカイザーPMCの部隊が展開していた。

そして戦車を中心とした歩兵の戦列を発見すると、アキはバリスティックシールドを展開して突貫する。

そうやって自身に集中する弾丸の嵐を真正面から盾を構えて突っ込めば、敵部隊の動揺がその手に取るように感じ取れた。

 

 彼女は時折蛇行するような不規則な軌道で地を這うように駆け、こちらを狙う戦車の砲身から射線を外し続ける。

そうやって強引に敵部隊の前衛と接敵すれば、今度は盾で殴りつけてオートマタの敵兵たちを潰していった。

こちらへと放たれる自動小銃の弾丸たちを物ともせず、歩兵には格闘と素早く抜き放った拳銃を以て対処し、

戦車には背負っていた対物ライフルを接射――戦線が崩れるのに時間はそう掛からなかった。

 

 

「ば、化物――ぎゃっ!?」

 

「無差別やっといて、よくそんなことが言えるわね――ッ!」

 

 

 小隊の指揮官と思われるオートマタの兵士の胴へとライフルの銃口を突き立て――引き金を引く。

耳をつんざく怒りの咆哮と共に敵兵は吹き飛び、アスファルトの地面を転げた。

気が付けばすでに敵小隊は壊滅し、周囲にはその残骸と気を失った敵兵が散らばっていた。

 

 そして遠くには逃げ出した兵が見え――アキは素早くライフルのスコープを覗き込み、引き金を引く。

間髪入れずに五発。

するとその小さな敵影は力なく倒れ伏し、周囲に静寂が満ちる――未だ遠くでは戦闘音が鳴り響いてはいるが、一応の区切りはついた。

空になったマガジンを素早く切り替え、アキは再び周囲を警戒する。

 

 

「ハァ――ッ」

 

 

 彼女は戦闘終了を確認すると、深く息を吐き出した。

しかしそれは疲労によるものではない。

アビドスに戦闘を仕掛けてきたカイザーと、この地を穢そうとする悪意と、自己犠牲を選んだホシノに対する怒りから来るものだった。

 

 特にホシノだ。昨晩の会話はなんだったのか――少しは大人になったかと思えば、結局は人の忠告を無視してアビドスを去った。

それを思い出す度に、アキの心中はマグマのように煮え繰り返っていく。

 

 ――ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。

 

 

「た、助かったのか……?」

 

 

 背後から聞こえたそんな声に、アキは間髪入れずに振り返ってライフルの銃口を向けた。

だがそこにいたのはPMCの残党ではなく、私服を着た獣人の大人だった。

彼は銃口が向けられたことにびくりと体を跳ね上げるが、慌てて手を上げる。

そして彼がただの巻き込まれただけのアビドスの市民だとアキも気が付き、すぐに銃口を下げて駆け寄った。

 

 

「ごめん。怪我はない?」

 

「あ、ああ……あんたが連中を追っ払ってくれたからな。

さっきまで身動き取れなくて、ここに隠れてたんだ」

 

「無事で良かった。そこの路地からシェルターに行けるから急いで」

 

「ああ……やっぱりどれだけ寂れてても、アビドスの生徒さんは頼りになるな」

 

「……そこまで言われるほどのことはしてないと思うけど」

 

「前にショットガン持った小さい子に助けられてな。少なくとも俺は、あんたらのことを頼りにしてるよ」

 

 

 ショットガンを持った小さな生徒――間違いなくホシノだ。

アキはすぐに彼女だと気が付くが、今朝方からの騒動の原因だということもあってか、

それを素直に称賛することも受け入れることも出来なかった。

少なくとも、この時に浮かべた表情は強張ったものだっただろうとアキは思う。

 

 獣人の彼はアキに再度お礼を言うと、言われた路地へと身体を向けた。

しかし走り出そうとした直前で、再びこちらへと顔を向ける。

 

 

「あんたらに任せてばかりで申し訳ないけど、アビドスを頼むよ。

ずっと昔から住んでる場所なんだ」

 

「……ええ、分かってる」

 

 

 申し訳なさそうに眉を下げていた獣人の彼は、そう言い残して路地を駆けて行った。

アキはそんな彼の背中を見送るが――微かに見せた期待をしているかのような笑みに心がちくりと痛んだ。

 

 だがその時、ふと上着のポケットが震える。

誰かからの電話だと気が付き、アキは苛立たし気にそこから携帯端末を取り出した。

画面を見れば"先生"と表示されており、さらにその怒りの波紋を大きく広げていく。

アキは苛立ち混じりの溜息を吐き出すと、通話ボタンをタップした。

 

 

『アキ、今どこにいるの?』

 

「……旧デパートの正面路地を直進中です。そちらは?」

 

『敵勢力は何とか学校から押し返した。

現在は市街地のスクランブル交差点で、カイザーPMCの理事と対峙してる』

 

 

 手の中の端末がミシリと軋む――言わんこっちゃないと、怒りの波紋がさらに大きく乱れる。

それでもアキは歯を食いしばり、叫びたい衝動を堪えた。

 

 

「……大人しくしてろって言いましたよね」

 

『市民を守りながら進んでるんだよね。

それだといくらアキでも時間がかかり過ぎるし、手を伸ばせる範囲も狭いでしょ。

……まあ、先にこっちが敵指揮官に遭遇したのは運が悪いと言うしかないんだけど』

 

「……そちらに向かいます」

 

『アキ、みんなの士気が下がってる。

さっきアキの言ってた対策委員会の状況を理事から言われて』

 

 

 だが、そこが限界だった。

運が悪いとはいえ、正面からあの悪辣な大人を相手にするなど愚の骨頂である。

法律や契約を前面に出し、こちらの動きを雁字搦めにしてくる――それで過去に何度苦汁を呑まされたか。

そんな苦い思い出の想起も相まって、アキの怒りはとうとう限界を迎えた。

 

 

「ふっざけんなこの馬鹿ッ!

だから黙ってろって言ったでしょ!?

私が裏でこそこそやってたのは、こうならないように連中を警戒してたからなの!

それにあの猪突猛進桃色猪もそう!

一週間余裕があるんだから、何でそれを反撃の為の準備に費やさないの!?

馬鹿なの!? やれることならいくらだってあるのに!

しかも本来の予定だったら、カイザーの上層部を社会的に抹殺することだって……ッ!」

 

 

 目上の者には基本的に敬語を使う彼女であったが、この時ばかりはそのメッキは大きく剥がれていた。

苛立ちは増すばかりで、空いた手で殴りつけた建物の壁に大きな陥没痕を作ろうがそれは収まらない。

そもそもだ――などと、溜まりに溜まった鬱憤と不満が火山の噴火の如く吹き出していく。

連中を潰す瞬間をどれだけ心待ちにしたか、この為だけに一年以上かけて準備をしてきたと言うのに、一度しかチャンスはないと言うのに――。

 

 

『じゃあこの状況を打開する方法自体はあるってこと?』

 

 

 ぴたりと、彼女の動きが止まる。

苛立ちはまだ収まらず、その言葉すら癇に障る――だがそれは、同時に彼女に僅かな冷静さと気づきを与えた。

『起きたことはしょうがない』、『やれることはまだある』。

すでに状況が進んでいるのだから対抗策を考えなければならないと、彼女の理知的な部分が何とかブレーキを掛けた。

しかも打開する為の方法は――ある。

 

 ――時間を掛けて組み上げた計画が潰れるのことも癪だが、連中にいいように使われることの方が何よりも不快だ。

 

 

「……カイザーのPMCが各学園に対して行った犯罪行為をまとめた不正データを持っています。

然るべきタイミングで連邦生徒会と各学園と取引先、あとSNSにリークする予定でした」

 

『今できるかな』

 

「可能です。

……恐らくですが、これだと上の連中は理事を尻尾切りして知らん顔決めるでしょうね。

想定していたダメージを与えられないのが本当に腹立たしいです」

 

『それは本当にごめん。

もう少し君と対策委員会のパイプ役になるべきだった』

 

「……後悔しても何も変わりません。

今はまず現状を打破する為に動かないと――」

 

『だからね、アキ』

 

 

 今度は何を言うつもりだとアキは身構える。

人畜無害なフリをした鬼畜――アキは"先生"をそう評価していた。

それは先日のゲヘナ風紀員会との戦いの中で見せた、容赦のない正論の暴力を目撃したからである。

あれは天雨アコの独断専行による自業自得だが、あれを見ては弁が立つ人物だとアキも思わざるを得ない。

 

 ――しかし。

 

 

『もう一度言うよ。君一人で抱える必要はないし、悪者になる必要もない。

それに皆にも、君のことを誤解してほしくないんだ』

 

 

 「それじゃあお願い」とだけ最後に言葉を残し、通話が切れた。

 

 しばらくの間、アキは身動きできずにいた。

彼が言うようにそれは以前にも聞いた言葉だったが、

この時ばかりは深く彼女の頭を強く殴りつけるような衝撃を与えた。

 

 ――むかつく。

 ――私の何を知っていると言うんだ。

 

 しかも最後に口にした文言は、あの人と同じもので――。

 

 

「どいつもこいつも――」

 

 

 だが駆け出そうとして、アキはその足を止めた。

 

 現状では一人だけでは無理だと言うことも理解していた。

そしてそのことに意地を張り、無謀にも突っ走るのは――今まさにこの状況を作り出したホシノと同じである。

それを思い出すとアキは冷静になれた。

私はあいつとは違う――と。

 

 アキは手に握っていた携帯端末を再び手早く操作した。

連絡先は――数少ない親友の彼女。

 

 

「――ウタハ、今すぐアレお願いできる?」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「――そうだ。所詮非公認の委員会、正式な書類の承諾も下りていない」

 

 

 満足げに、そして勝利宣言とばかりにその声を歓喜に震わせて、

その恰幅の良い男は前線に並ぶアビドス高校の生徒たちを――否、()()()()()を見て笑う。

 

 彼――カイザーPMC理事であるオートマタの大男は、

今まさに積年の努力が実ったことに心地良い酩酊感にも似た優越感を覚えていた。

 

 

「つまり、君たちの存在を示すものは何も無い――だが喜べ。

アビドス高等学校が無くなれば、君たちはもうあの借金地獄から解放されるのだからな」

 

 

 このアビドスの地を手に入れる為に、長い月日を掛けて様々な手を尽くしたのだ。

そして最後に残った自治権――つまりはアビドス生徒会の存在こそが、彼にとって最も目障りなものだった。

傭兵を使って在校生であるアビドス廃坑対策委員会を追い詰めるも、そのことごとくを彼女らは追い返してしまう。

挙句には連邦生徒会に見捨てられていたはずなのに、シャーレの"先生"と言う奇妙な大人が来てからは、なおのこと手出しが難しくなった。

 

 本社にそのことを突かれ、詰られたのは一度ではない。

苦汁を呑まされ、歯噛みをして上司の言葉に謝罪を述べる。

彼はそんな屈辱に満ちた時間を過ごしてきた。

だがようやく――ようやくアビドスにチェックメイトを掛けることが出来たのだ。

 

 

「そんな、そんなことになったら、今までの私たちの努力が……」

 

「……ほう、まさか本気だったのか?

本気で何百年もかけて、借金を返済するつもりだったと?

これは驚きだ。てっきり、最後に諦める時『でも頑張ったから』と

自分を慰める言い訳をするために、ほどほどに頑張っているのだと思っていたが……」

 

 

 ――いったい君たちは、どうしてあんなに努力していたんだ?

 ――何のために?

 

 不敵に笑ってアビドスの生徒たちを眺める。

彼女らのリーダーであり、精神的支柱である小鳥遊ホシノは既に堕ちた。

目の前の対策委員会の面々は憎々し気にこちらを睨んでいるが――その士気は決して高いものではない。

何より彼女らの為に大部隊を用意したのだ。

いくら"先生"がいようと、物量で圧し潰してしまえばそれで済む。

 

 

「あんた、それ以上言ったら……」

 

「……今ここで戦って、何かが変わるんでしょうか?」

 

 

 そう、何も変わらない。

眼鏡を掛けた生徒――奥空アヤネが諦観に沈んだ表情で零したそれに、心の内で彼は肯定する。

 

 

「今も、すごい数の兵力がこちらに向かって来ています。

たとえ、戦って勝てたとしても……その後はどうすれば……」

 

 

 学校がなければ、彼女らにとっても戦う意味はない。

仮に取り戻せたとしても、大きな借金が残ったまま――。

どちらにしても彼女らに未来はない。

 

 ましてや彼女らは周囲から見捨てられた零細の学園の生徒である。

連邦生徒会はとうに彼女らを見捨て、好んで彼女らを救おうとする他の自治区もない。

奇跡でも起きない限り、この状況は覆りはしない。

男は声高らかに笑う――。

 

 

「ほ、報告します!」

 

 

 だがその時、背後へと駆け寄ってきた傭兵の一人が慌ただしく声を上げた。

男は水が差されたと言わんばかりに、不機嫌さを露わにそちらへと振り返る。

 

 

「なんだ、今忙しいんだ」

 

「へ、弊社の情報がありとあらゆる場所にリークされています!

それも、主に表に出せない内容が……!」

 

「なん――」

 

 

 ――男の笑みが引っ込んだ。

 

 同時に、懐の携帯端末が震える。

嫌な予感を覚えつつも画面を見れば、そこには怒涛の勢いとばかりに通知がポップアップされ続けていた。

部下、取引先――そして本社の上層部。

どれから出るべきかなどと、男は半ばパニックとなった。

 

 そこで画面をタップする焦りで手が震え、誤ってSNSのアプリが起動されてしまう。

しかしそこにも自社のみならず、他の系列会社の不正情報が呟かれ、利用者たちの議論や批難の的になっていた。

 

 

「各学園もそうですが、取引先からも説明を求められています!

あと、連邦生徒会からも……!」

 

 

 なぜだ、なぜだ――。

 

 男は急転していく状況に困惑していた。

しかもこれは「水を差された」と言う一言で済ますことのできる状況ではない。

カイザーグループの土台にひびが入り、それは加速度的に崩壊へと進めているのである。

世論は次第に悪役を糾弾し、その責任問題を問う。

ましてやこう言った場合、真っ先に矛先が向けられるのは強者の側だ。

そして現在零細の学園を――アビドスに攻撃しているという情報も大々的に取り上げられたとすれば。

 

 

「――随分と顔色が悪いわね」

 

 

 次の瞬間、対策委員会と自身らの間に降り立つ影があった。

水浅黄の短髪と、そこから覗かせる鋭い眼光――そして彼女の象徴である大型の対物ライフル。

立ち上がるとこちらを見て、嘲笑と共に歩みを進めてくるのはアビドス高校の在校生の一人である梔子アキだった。

彼女は携帯端末の画面に視線を落としており、その表情は意地の悪さの滲み出た悪魔的なものへとさらに歪んでいく。

 

 男は気が付き、その表情を引き攣らせた。

この謀ったかのようなタイミングの悪さ、そしてこれらの情報の不自然なまでの拡散力。

そして彼を悩ませていた問題の答えが、点と点が繋がるかの如く明快に形を成していく――。

 

 

「梔子アキ、貴様……まさか……ッ!」

 

「SNSで騒ぎになってるみたいね。

なになに……ああ、ミレニアムにハッキングを仕掛けたの?

馬鹿ねぇ。いくらお金を掛けて機材を揃えても、連中に技術で勝てるわけないのに。

株価もそうだけど、あなたの立場はどうなるんでしょうね」

 

「貴様の仕業だな!?

以前から起きていた子会社への襲撃事件も何もかもッ!」

 

「私はなにもしてないわ。第一、()()()()()()()()()()()

というかこんなところで道草を食ってていいのかしら。

クロノスも直にここに来るでしょうし、なにより上への言い訳を考えておいたほうがいいんじゃない?」

 

 

 悪魔のようにその生徒は哂う。

 

 彼女はまさに砂塵だと形容せざるを得ない暴力の嵐であり、

このキヴォトス中を探しても、この生徒ほど力任せで野蛮な存在はいない。

しかし襲撃現場がそのように荒れ果てていたとしても、それを断定できる証拠はなかった。

だが間違いなく、武力を伴わないこの大規模な攻撃は彼女によるものだと彼は確信していた。

 

 ――だからこそ、男は思う。

この生徒は、他のアビドスの生徒と明らかに違う。

暴力性の中に暗く輝く狡猾さと先見の妙、そして忍耐力。

自分だけではなく、彼女こそがこの瞬間を待っていたのではないだろうか。

自分たちが本性を表わす時、そのカウンターとしてこのような強力な一撃を用意していたのだろうか――。

 

 しかしその思案も中断されることになる。

直後、遠くから低い爆発音が響き渡った。

 

 

『なっ!? き、北の方で大きな爆発を確認!』

 

『合流予定のブラボー小隊が巻き込まれて――!』

 

『東の方でも確認! 合流予定だったマイク小隊も、大量のC4の爆発で……!』

 

 

 混線する無線の内容は、いずれもが自部隊の被害を訴えるものだった。

男はすぐさま怒声の如き支持を飛ばす。

態勢を整えろ、敵は誰だ、と――。

 

 そう、敵だ。

 

 そんな疑問が彼の脳裏を過った。

アビドスの面々はここにいる全員のはず。

ならばこの爆発は誰が起こしたものか、と――。

 

 

「全く……大人しくして聞いていれば、何を泣き言ばっかり言ってるのかしら……」

 

 

 聞き覚えのある少女の声が響いた。

路地からゆっくりと現れた影は――四つ。

 

 

「目には目を、歯には歯を。無慈悲、孤高に、我が道の如く魔境を行く――それが、あなたたち覆面水着団のモットーじゃなかったの?」

 

 

 ワインレッドのコートをたなびかせ、優雅に、そして淑やかに。

口元を不敵に歪ませ、戦場へと介入してきたのは狙撃銃を担いだ角の付いた生徒が一人――そして彼女を先頭に三つの影も付いてくる。

かつて自身がアビドスを潰すためにと用意した傭兵たち――便利屋68の面々がそこにいた。

 

 

「仲間が危機に瀕してるんでしょう!?

それなのに下らないことばっかり考えて、このまま全部奪われてそれで納得できるわけ!?

あなたたちは、そんな情けない集団だったの!?」

 

 

 こちらには目もくれず、対策委員会の面々を見て彼女は咆える。

彼もその光景には唖然としたが、同時にそれを向けられた対策委員会の面々も、自身と同様に呆気に取られているようだった。

 

 そうしていると、後方からゆっくりと"先生"が歩いてくる。

彼は便利屋の面々に満足そうに挨拶を交すと、梔子アキの隣へと立った。

 

 

「呆れた。まさかこいつらと手を組むだなんて……」

 

「これも奉仕活動の一環ってことで。ね、皆?」

 

「……まあ、私らは社長の言葉に従うだけだから」

 

 

 ――盤面が覆ろうとしていた。

 

 だがまだだと、男は我に返ると強く拳を握り締めた。

この程度ならいくらでもやりようはある。

部隊を再編成し、包囲網を作り上げて彼女らを倒すことが出来れば当初の予定と何ら変わりはない。

 

 しかしその意気込みを挫くかの如く、雷鳴のような銃声が響き渡る。

同時に、背後では集結しつつあった戦車の内の一台が、爆炎を噴き上げて停まった。

そしてその銃声の先にいるのは――対物ライフルを構えた梔子アキ。

 

 

「行くわよ便利屋。これが上手く行ったら見逃してあげる」

 

「ええ、もちろん! 今こそ協業の時よ、先生!

そこの腑抜けたちに、今こそハードボイルドの力を見せつけてやるわ!」

 

「……よし、やろう!」

 

 

 そして次の瞬間、彼女らの愛銃から閃光が瞬いた。

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