それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~   作:白桐

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 カイザーPMCとの戦闘は、便利屋68とアキの介入もあってか一方的なものとなった。

そしてアルの発破によって戦意を喪失しかけていた対策委員会も目覚め、

彼女らが戦列に加わってからは、もはや消化試合となったのは言うまでもない。

カイザーPMCはその戦力の大半をガラクタにされ、PMC理事の負け惜しみのような捨て台詞と共に退却していった――。

 

 便利屋の面々と別れた"私"たちは、すぐにホシノ奪還の為の準備を始めた。

アキは何も言わずに去って行ってしまったが――しかし必ずどこかのタイミングでその道が交わると信じた"私"は、何も言わずに彼女を見送った。

対策委員会の面々は不安げだったが、"私"は大丈夫だからと彼女らに優しく笑いかけた。

 

 "私"は弾薬等の戦闘準備を対策委員会に任せ、戦力の増強に焦点を当てる。

いくら対策委員会の面々が強くとも、彼我との戦力の差は明らかなものがあった。

ならばと"私"は、これまでに得た伝手を頼ることにした。

時には生徒を頼り、時には交渉をし、時には足を舐め――。

 

 そうしていると"私"がアビドスに戻る頃には、すでに夕日が昇る時刻となっていた。

 

 

「――うん、引き受けてくれてありがとう"情報屋"。明日また連絡するね」

 

 

 最後の交渉を終え、"私"は深く息をつく。

これで残る問題点はホシノの居場所のみだが、それ以上に"私"にはしっかりと話さなければいけない相手がいた。

 

 アビドス高校の校門前でしばらく立っていると、一台のジープが"私"の前に停まる。

そして運転席から降りてきたのは――目的の相手である梔子アキだった。

相変わらず彼女は切れ長の瞳から成る端正な顔立ちに無愛想さを貼りつけ、こちらを見る。

しかしその表情には当初感じていた無関心さはなく、確かに血肉の通った真剣さが宿っていた。

 

 

「先生、連中は砂漠化したアビドスの市外に戦力を集中させてるみたいです。

そこから自ずとホシノの居場所も辿れると思うけど、広範囲に部隊が展開されてるから絞り切れない。

ただ動いていないから、防衛戦に徹するつもりかも」

 

「斥候して来てくれてありがとう」

 

「それと今度は相談を。

対策委員会をシャーレの権限で、アビドス生徒会の代替組織として公式に認められるよう動いてもらえませんか?

とにかく公的な組織として連邦生徒会に通して、すぐにでも正式な組織として認めてほしい」

 

「大丈夫、それは今ちゃんと動いているよ。

直接行政官に話を通した。カイザーの悪行も含めてね」

 

 

 先ほどまで行っていたそれを告げるとアキは僅かの間目を丸くして、しかしすぐに元の表情に戻った。

仕事が早いな――などと思われているといいなと思いながら、"私"もこちら側の状況を共有する。

 

 

「それに退去命令が出ているとは言え、アビドスの市民に手を出した。

その映像はこちらにあるし、アキの持って来てくれた不正をまとめたデータもある。

あとはブラックマーケットでの不正取引の件もだね。

他の学園も動いてるみたいだから、少なくともカイザーPMCの理事は致命傷を免れないよ。

もしかすると、アビドスの今の状況も改善されるかもしれない」

 

「それについては感謝します。

……まあ、あの連邦生徒会がまともな仕事をするとは思えませんがね」

 

「やっぱり連邦生徒会は嫌い?」

 

「アビドスだけじゃないでしょう。

連邦生徒会長が行方不明になってからも、いろいろとトラブルが起きてるみたいですし。

……私は七神リンにいくつか借りがありますけど、それでも不満は持っています」

 

 

 アキは溜息をつくと、ジープの車体に身体を預けるようにして寄りかかる。

夕日に照らされたその横顔は、一見すれば感情のない無表情にも見えた。

だが遠くを見つめるその視線は、どこか在りし日の思い出に浸っているような倦怠と憂いを感じさせるものにも見える。

 

 普段は剣呑な雰囲気を纏って敵対者を圧倒的な暴力で退ける彼女も、こうして懐古の情に身を委ねるのか――。

どこか大人びたその姿に、"私"は純粋な美しさと寂寥感を覚えずにはいられなかった。

 

 しばしの間、私たちの間に沈黙が続いた。

 

 

「……アキは、カイザーを潰すために動いていたんだよね?」

 

 

 "私"がそう問いかければ、アキは数秒の間を置いて静かに頷いた。

 

 

「そうですよ、カイザーを潰したい。

アビドスを汚されることだけは我慢できないんですよ」

 

「なら廃校の件は?

カイザーを潰すだけなら、廃校になんてしなくてもいいと思うんだけど……」

 

「それとこれとは別問題です。

アビドスはもう何も生み出すことはありません。

カイザーを潰したとしても何も。

……後輩の子たちにも、こんなところで学生生活を無駄にしてほしくない」

 

「でもそれは――」

 

「ホシノには前を向いてほしいんです」

 

 

 その言葉を告げると、彼女の眉が小さく下がった。

気だるげに夕日に染まるアビドスの風景を見ていた彼女の表情は、今やどこか悲し気なものに変わって見えていた。

 

 

「あいつ、今みたいにへらへらした気の抜けた笑い方するような奴じゃなかったんです。

もっとしっかりしていて、ギャーギャー騒いでうるさいし、正論言うと面白い顔して黙り込んだりして……。

不良たちに喧嘩を売られたって、ホシノがいれば背中を気にせず真正面から叩き潰せる。

……ホシノと一緒だったら、何でも出来るってあの頃は思ってました」

 

 

 それは決して、かつての級友に対しての嫌悪でもなければ怒りでもなかった。

彼女の心にはそんな青く澄んだ思い出が確かに在って、今もなおそれを夢想しているのだ。

しかし彼女らの間に生じた"何か"が原因となり、かつての友情が絶対に手の届かないものだと諦観している――だからこそ想うことしか出来ない。

 

 不器用で、真面目で、あまりにも自罰的すぎる――。

 

 

「……忘れてください。喋り過ぎました」

 

「じゃあ、最後に一つだけ。ホシノのこと、どう思ってる?」

 

 

 再び沈黙が訪れる。

だが彼女は俯いて、口を開いた。

 

 

「……親友でした。たった一人の」

 

 

 奇しくも彼女もホシノと同じ言葉を吐き出した。

もどかしいと"私"は思う――だが、それを解決するのは彼女たちでなければならないのも重々承知だった。

 

 

「本当にそれでいいの?」

 

「……それ以上の意味はありません」

 

「それについては、いつでも相談に乗るからね。

それで、そのホシノの件なんだけど……」

 

「ぶん殴ってでも連れ戻します。

もし拒否したとしても、退学を取り消すまでサンドバッグにしますので」

 

 

 やはり相変わらずだなと思いながらも、再び怒りの感情が湧き上がって来たらしいアキを"私"は宥めた。

 

 

「まあまあ、そもそもホシノはまだ退学していないよ。

対策委員会の顧問である私がサインをしていないからね」

 

「そんなトンチみたいな言い訳……」

 

「だけど事実でもある。違うかな? それに、これは列記とした誘拐事件だよ」

 

「……いやらしいこじつけですね」

 

「生徒を守るためならいくらでも知恵を絞るよ。大人らしくね」

 

 

 おどけたようにそう言うと、アキは納得いかないと言うような、何とも言えない表情を浮かべて黙り込んだ。

その表情がどこかおかしくて、"私"は思わず小さく笑みを零してしまう。

 

 しかしそうしていると、アキが改めてこちらを向いた。

 

 

「もし、ホシノがあの手紙の通りどうしようもなくなっていたとしたら――」

 

 

 それはいつになく真剣な表情だった。

"私"もそれにつられて、浮かべていた笑みが引いてく。

 

 

「どんな手段を使ってでもカイザーを潰す。一片たりとも、この世にその存在を許さない」

 

 

 それは決して比喩ではないのだろう。

 

 彼女は本気だった。

親友が取り返しのつかない状態になったのならば、踏み込んではならない方法すら平然と行うであろう本心の吐露。覚悟。

強張り、怒りにやや震えた声色は、彼女の覚悟とホシノへの想いを感じ取るには十分なものだった。

 

 アキとホシノ――彼女らはまさに互いの心の拠り所であり、安全弁なのだ。

どちらが欠けても大団円には辿り着かない。

一度壊れたのならば我を失い、砂嵐のように全てを飲み込んで無差別に破壊し尽くす。

彼女らの今回の立場が逆転したとしても、それは変わらないだろう。

 

 ――ならば、"私"がやることは一つだった。

 

 

「分かった。なら絶対にホシノを助けよう」

 

「……普通、止めると思うんですけど」

 

「だからこそだよ。

アキがそうならないように、私が全力でこの作戦を成功させると約束する。

今回の件を解決すれば、アキはそういうことをしなくて済むからね」

 

「大団円になる確率なんて分からないのに、なんでそこまで自信満々なんだか……」

 

「こういう性分だからね。最後まで諦めるつもりはないよ」

 

 

 笑みを浮かべてそう言えば、やはり彼女は呆れを含んだ表情で"私"を見た。

気味の悪いものを見るようなそんな表情――だがそれがゆっくりと斜め下に逸れた時、少しだけ柔らかなものになったように見えた。

 

 

「先生、少しいいですか?」

 

 

 その時、ふと"私"を呼ぶアロナの声が聞こえた。

シッテムの箱の画面を見れば、そこにはやや困ったように眉を下げる彼女の姿が映っていた。

 

 

「アロナ、どうしたの?」

 

「先ほど先生宛のメッセージが届いたんですけど……」

 

「何か問題が?」

 

「……ホシノさんの居場所を知っている、と」

 

「……見せて」

 

 

 するとアロナの映っていた画面が素早く切り替わり、メッセージアプリが開かれる。

履歴の一番上には『親愛なる先生へ』と言う件名が記された最新のメッセージがあった。

発信者は不明であり、不審に思ったアロナは念の為ウィルスの類が仕込まれていないかを調べた――が、それも特になし。

 

 "私"は意を決してメッセージを開いた。

メッセージ自体は非常に短いもので、一行目に「小鳥遊ホシノの居場所を知っています」と書かれており、

さらにそこから数行空けて、とある場所の住所が記載されていた。

 

 "私"は差出人に心当たりがあった。

ホシノとの会話の中で、一度だけ出てきた謎の大人――黒服。

 

 

「……アキ、黒服って知ってる?」

 

「知ってますよ。ホシノに付きまとっていた気持ちの悪い大人。

私も何度か会ったことがありますが、喋ってる内容が意味不明過ぎて理解できませんでした」

 

 

 そしてそのことをアキにも問えば、意外にも彼女もその人物のことを知っていた。

初めに飛び出したのが悪印象なことから、癖の強い人物なのは容易に想像できた。

 

 

「多分その黒服って言うのからメッセージが届いた。

ホシノの居場所を知ってるって」

 

「……それ、本当に信じるんですか」

 

「今のことろ、手がかりがこれしかない」

 

「無謀過ぎます。そもそもあちらが私たちに教えるメリットはなんですか?

それと、あの大人は口癖のように契約という言葉を使います。

口車に乗せられて、とんでもない誓約を課せられたらどうするんですか」

 

「だとしてもあちらは対話を望んでる。

行く価値はあると思うんだ」

 

 

 意見が対立し、再び私たちの間に沈黙が訪れる。

 

 アキの意見ももっともだった。

このタイミングで現れた、蜘蛛の糸のような救いの手――しかしこれは悪魔の取引であるとも言えた。

実はこの黒服もカイザーグループの一味ではないか。

その可能性は捨てきれず、今の"私"は自ら罠に掛かろうとする、憐れな小動物なのではないかという自問があったのは事実だった。

 

 そしてアキも似たような経験があるからこそ、こうして"私"を引き留めるのだろう。

やはり一人でアビドスを守ってきただけのことはあり、その頼もしさには思わず強張っていた頬も緩んだ。

 

 

「……どうしても行くんですか?」

 

「うん」

 

 

 間髪入れずに即答すれば、アキは再び黙り込んだ。

そしてしばしの沈黙が訪れ――彼女は溜息をついた。

 

 

「なら私も付いていきます。これが私の妥協点です。

もし反対するのなら、この場であなたを気絶させて明日の朝まで校舎に監禁します。

対策委員会の為にも、先生をこれ以上危険な目には遭わせられない」

 

「それで大丈夫。むしろアキが付いてきてくれるのなら安心だよ」

 

 

 "私"がそう言えば、アキは黙ってジープへと乗り込んだ。

続いて"私"も助手席に乗り込んで件の目的地を彼女に伝えれば、そのまま勢い良く車を走らせた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 それはとあるオフィスビルだった。

 

 D.U.区の外郭地区――シャーレとは対極の位置にあり、近くにあるブラックマーケットの展開が一望できる高層ビル。

梔子アキが"先生"を乗せてその入り口に辿り着く頃には、既に日は落ちて、周囲にはすっかりと夜の帳が降りていた。

 

 アキは近くの駐車場に車を停めると、拳銃を手に取って周囲の警戒を始める。

そして危険性がないことを確認すると車を降り、"先生"を見て「来い」と言うような小さく首を振るジェスチャーを見せた。

彼は頷くと、静かに車から降りた。

 

 周囲には人影一つなく、遠くからは車の走行音が微かに響いていた。

アキは"先生"の前を進みながら慎重にオフィスビルの入口へと進み――無事に到着する。

自動ドアを抜ければ豪奢なエントランスが彼女らを出迎えるが、そこにもやはり人はいなかった。

照明もほとんど点いておらず、唯一照らしていたのは受付。

恐る恐る近づけば、そこには一枚のメッセージカードが置かれていた。

 

 ――一最上階の社長室にてお待ちしております。

 

 そこに書かれた直筆の丁寧な筆跡を見て、アキは黒服の存在を確信した。

ホシノに付きまとい、時には自身にすら干渉してきた不気味な大人――。

 

 当時は率直に気持ち悪いと思ったが、そこにさらに嫌悪感が加わったのは()()()()()()()()()アビドスを守っていた時のことだ。

借金返済に苦心していた自身へと契約を以て手を差し伸べ――頷いてしまった彼女は、様々な実験に付き合わされた。

幸いにもそれは身体検査と戦闘能力の測定のみで終わったが――思春期の女子生徒にとって、自身の内面を晒されるのは気分が良いものではなかった。

 

 

「……行きますよ、先生」

 

「アキ、大丈夫?」

 

 

 当時の苦い思い出が表情に出ていたのか、"先生"はアキを心配でもするように声を掛けた。

しかし彼女は首を振った。

 

 

「一年の頃、お金に困って短期の契約をした時のことを思い出しただけです。

体を調べられただけですから、別に大したことじゃないですよ」

 

「……大丈夫だった?」

 

「勘違いしないでください。身体測定とか採血とか、その程度のことですよ」

 

 

 そのような会話をしながら、二人はエレベーターに乗った。

動き出してから響き渡る低いその駆動音は、どこか得体のしれない怪物の唸り声のように思えた――と言うのは、あの不気味な大人を思い出してだろうか。

心が不安定になりかけていると気が付き、アキは小さく頭を振って平常心を保とうと意識する。

 

 決してアキは彼を恐れているわけではない。

だがホシノの件が、その心に僅かばかりの杭を打ち込むに至っていたのも事実であった。

居場所を教えるということだが――それも何かしらの契約を結ぶための狡猾な罠であるのも否めない。

 

 その時、この"先生"はどうするのだろうか。

尻尾を巻いて逃げるのか、それとも立ち向かうのか――。

 

 

「アキ?」

 

 

 ふと自身の名前を呼ばれ、アキは我に返った。

気が付けば最上階までやって来ていたらしく、目の前でエレベーターのドアを抑えた"先生"が待機していた。

 

 アキはすぐにエレベータを出る。

そして素早く廊下に出た彼女は周囲を見回す――伏兵がいないことを確認し、安堵の息をついた。

 

 

「大丈夫?」

 

「……本当にアレと交渉するつもりですか?」

 

「うん、今でもそれは変わらないよ」

 

 

 再度の確認も、"先生"の意思は変わらなかった。

そのまま廊下を歩いて行き、とうとう目的の『社長室』とネームプレートが掲げられた両開きのドアの前に二人は立つ。

 

 

「アキはここで待ってて」

 

「……正気ですか?」

 

 

 ――あの大人に一人で向き合うと言うのか。

 

 無鉄砲だ、命知らずだとアキは思う。

確かに"先生"も大人だが、それでもこのキヴォトスの裏側で暗躍するあの大人との一対一は危険だ。

弁は立つ――だが恐らくは何らかの犯罪組織の首魁であろう相手は、今まで相手にしてきた生徒とは話が違う。

 

 狡猾なのは前提として、あの大人は話術の端々に遅延性の毒を仕込む。

話題の肯定はその静かな毒針を受け入れると言うことに他ならず、痛みもないことからその場で気が付くのは至難の業である。

そして毒が回った頃には、最後は絶対に否定できない状況に追い込まれている――。

 

 善良な大人だとしても、アキはこの大人がそれに対抗できるとは思えなかった。

 

 

「大丈夫だよ。ここからは大人同士の話し合いだから、あんまり生徒には見せたくないと言うか……ね?」

 

「……そのくらいなら私も経験してます」

 

「じゃあホシノの件も含めて、ちゃんと冷静な判断出来る?」

 

 

 飛び出してきたその予想外の言葉に、アキは堪らず声を詰まらせた。

自身が万全な状況かと言えばそうではない――それは彼女が最も理解していた。

 

 かつての黒服との契約の件もあるが、それ以上にホシノの件が自身を焦らせていた。

あの大人ならばその隙を突いてくるのは自明で、さらにアキ自身の短気な性質も相まってか、

さらにそれも利用されるのだろうと思う。

 

 まさか天雨アコのように自身も正論で殴られるとは思っておらず、アキは"先生"の言葉に何も返せなかった。

 

 

「……分かりました。危ないと思った時は私を呼んで、全力でその場に伏せてください。

確実に仕留めますから」

 

「そうならないように祈ってて」

 

 

 そう笑いかけて、彼は一人でそのドアを開けて室内へと入っていった。

残されたアキは静寂に満ちた廊下で小さな溜息をつく。

しかし呆けてはいられないと周囲を警戒する――せめて退路だけは確保しようと取り回しの良い拳銃を握った。

 

 

『――初めまして先生』

 

 

 そうしていると、微かな人の声が彼女の耳に届いた。

確信はないが、それは恐らくはあの黒服という大人。

 

 断片的に聞こえる彼の言葉はやや曖昧だったが、どうやら当たり障りのない自己紹介をしているらしかった。

 

 対する"先生"は――無言。

恐らくはあの大人が垂れ流す意味不明な衒学的かつ胡乱な言葉の洪水に呑まれたか、無視を決め込んでいるかのどちらかなのだろう。

 

 気が付けばアキはその会話へと耳を欹てていた。

ドアに寄り掛かって耳を当てる――周囲への警戒は疎かになるが、しかし自身の耐久力が常人とはかけ離れたものであると彼女は自負していた。

奇襲を掛けられようと、それは決して致命傷には成り得ない。

だから話を聞くくらい問題ないはずだ――などなど。

そのような言い訳を心の内でして、アキは大人たちの会話へと耳を傾ける。

 

 ――あなたにもあなたの生活があるはずです。

 ――食事をし、電車に乗り、家賃を払う。

 ――そういった無意味で下らないことを、きちんと解決しなくてはいけないでしょう?

 

 授業を行う講師のように黒服が言う――それに関してはその通りだとアキも思った。

 

 誰だって我が身可愛さで苦難を避ける。それが人間だ。

特に平穏を望むの凡人であればそれはなおさら。

好き好んで苦難に首を突っ込む優しい人間など、すぐに社会の憎悪に呑み込まれて食い物にされてしまう。

 

 ――放っておいても良いではありませんか。

 ――元々、あなたの与り知るところではないのですから。

 

 "先生"自身にアビドスの抱えた借金の責任はない――目を背ければ逃げられるのだ。

 

 黒服に感化されたわけではないが、それでもアキはそんな根本的な疑問を抱かずにはいられなくなっていた。

なぜこうまでして"先生"はアビドスに尽くしてくれるのか。

 

 シャーレとか言う詳細不明の組織の方針だから?

あるいは連邦生徒会からの指示だからとか?

 

 いずれにせよ割りに合わない仕事だと思わざるを得ない。

 

 アキはカイザーPMCに襲撃され、シャーレのビルで寝泊まりした時のことを思い出す。

自身が警戒する傍ら、彼は慣れない手つきで様々な資料と睨めっこして、ひたすらにキーボードを叩いていた。

そしてそれが終わったのは時計の針が頂点を指そうとしていた頃であり、自身の視線に気が付いた彼は疲れたような笑みを浮かべて言った。

 

 ――よし、終わり。明日も頑張らなきゃね、と。

 

 だからこそ、彼はこの苦難を本来避けたいはずだ。

 

 現状、確かに対策委員会とアキは"先生"に頼っている。

だがそこにも限度があった。一企業と敵対するなど彼の領分をすでに超えている。

 

 何も言わずに撤退し、適当に連邦生徒会に報告書を書いて給料をもらう――。

そうすれば九億円の借金問題や、土地の利権などの厄介事から解放される。

これは彼にとって最後の逃げ道だった――だと言うのに。

 

 ――断る。

 

 だけど"先生"はそう口にした。

 

 なぜ、なぜ、なぜ――。

アキも――そして"先生"と対面してるであろう黒服も、"先生"に困惑していた。

 

 ――先生、それは一体何のためなのですか?

 ――私も、それが聞きたい。

 

 質問する黒服と同様に、アキも心の内で彼にそう問いかける。

自身に一切の利益などなく、ただ心労と勤務外の時間が浪費されていくだけ。

何が彼の目的なのか、何を求めているのか、何をしたいのか――。

そうして留処なく疑問は膨れ上がっていき、いくつもの仮説が脳裏を過った時、"先生"は口を開いた。

 

 ――あの子たちの苦しみに対して、責任を取る大人が誰もいなかった。

 

 だから、自分が責任を取ると言うのか。

偶然アビドスに呼ばれ、偶然出会っただけの他人が。

取る必要のない責任を取ろうとするのか――私たちの為だけに。

 

 ――それが、大人のやるべきことだから。

 

 ……嗚呼、馬鹿だ。

本気なのだ、この"先生は"。

アキはこんな大人は見たことがなければ、こうして存在することに驚きを隠せなかった。

阿漕な商売で私腹を肥やす大人たちとはまるで正反対で、この人は誰かの為ならば自身の全てを賭けて立ち上がれる人間だ。

 

 確かにそれは、大人が担うべき道徳に準じた普遍的な精神なのだろう。

高潔な精神だと思う――しかしそんな優しさだけでは世界は回らない。

そして何より、どれだけの人がこの輝きに感化されて彼の手を取るのだろうか――。

 

 

「本当に……馬鹿みたい……」

 

 

 だからこそ梔子アキは思う。

 

 馬鹿だからこそ、これからもきっと"先生"は輝き続ける。

いずれは誰もがその輝きに惹かれ、灯台の如く生徒たちの進路の道標になるのだろう。

 

 無論、それを確信した訳ではない。

今もなお、その精神と責任の証明を初志貫徹出来るのか彼女は疑っていた。

口にすることならいくらでも出来る――夢や理想を語るだけならば自由なのだから。

 

 ――だがその純粋な眩しさに、彼女はどこか懐かしさを感じていた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「――では最後に一つ」

 

 

 "私"の発言を受け、しばし無言だった黒服が口を開く。

彼は不気味な真っ黒な人型が、黒のスーツを着た細身の大人という出で立ちで、その右目には暗く燃える炎が揺らいでいた。

 

 そして【ゲマトリア】というグループの一人であると言うこの大人は、とにかく衒学的な物言いをする人物だった。

少なくともホシノやアビドスの件をなしにしても、"私"の印象は悪寄りだと言うことに変わりはない。

 

 そんな彼の紡ぐ言葉に、"私"は身構えた。

 

 

「それなら梔子アキはどうでしょう? 小鳥遊ホシノの代わりに」

 

 

 初めてそこでアキの名前が出た。

なぜとは言わずに、不快感を露わにした侮蔑の視線を以て"私"はその言葉に耳を傾けた。

 

 

「彼女は小鳥遊ホシノと同等の神秘の持ち主。

そして太古の神の一柱が持つ怒りの感情そのものです。

それ故に、私は彼女を【セトの憤怒】と定義しました」

 

 

 ――また訳の分からない話題を口にする。

 

 "私"は最初、この大人をビジネスマンに類する存在だと思っていた。

しかし口を開けば、専門用語からなる知性の閃きの数々が会話に存分に盛り込まれていることから、

どちらかと言えば研究者なのだろうと認識を改めるに至った。

 

 そして彼はホシノを始めとした生徒を研究材料としか見ていない――対立するのは必然だった。

 

 

「外界を拒絶する嵐と雷の武神。しかし内に対しては軍神であり守護神。

アビドスに敵対するのであれば、彼女はどんな外敵だろうと葬り去る。

最強の盾であり最強の矛――それが彼女に貼られたテクスチャです」

 

「どちらにしても変わらないよ。誰であろうとね。

いかなる理由があろうと、彼女たちが大人の浅ましい利己的な欲望に呑み込まれていいはずがない」

 

 

 「左様ですか」と、彼は静かに言葉を返した。

 

 

「まあ確かに彼女は未だに"神々の星座"に名を連ねる、或る太古の神との(パス)が繋がっていない。

顕現した際は非常に強力ですが、故にあれを観測するには一手間も二手間もかかる。

であれば、まだ狼の神をサブプランとした方がいい」

 

 

 静寂が室内に満ちる。

 

 しばしの間、無言で"私"は彼と視線を交していた。

するととうとう、彼は深く息を吐き出して小さく項垂れるような素振りを見せる。

 

 

「先生、ホシノさんはアビドス砂漠のPMC基地の中央――51地区と称される地区のバンカー、その実験室にいます」

 

「……どういうつもり?」

 

「言ったでしょう。私はあなたを気に入っていると」

 

 

 不信感を露わにする"私"を見て、顔を上げた彼はくつくつと笑った。

敵に塩を送る――いや、そんな単純な感情の帰結が彼の中で起きたわけではないのだろう。

 

 恐らくこれすらも彼の実験に成り得るのだ。

そう考えると不快でしかないが、だからこそ"私"は沈黙を選択した。

黒服は言葉を続けていく。

 

 

「『ミメシス』で観測した神秘の裏側、つまり()()

それを()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな実験を始めるつもりです。

そういうことですので、精々頑張って生徒を助けると良いでしょう。

微力ながら、幸運を祈ります」

 

 

 別れの挨拶をするつもりはなかった。

"私"はすぐさま踵を返し、室外へと出るべく出入口のドアへと向かう。

 

 

「先生」

 

 

 そしてドアノブに手を掛けた瞬間、再び彼が口を開いた。

 

 

「……ゲマトリアは、あなたのことをずっと見ていますよ」

 

 

 "私"はそれに対して何も言わず、静かに部屋を出た。

 

 部屋を出れば、廊下ではアキが周囲を警戒しながら待ってくれていた。

退路の確保をしてくれていたのだろう。

部屋から出てきた"私"を見て、彼女は安堵したかのように小さく息を吐いた。

 

 対する"私"は笑顔を見せて、力強く頷く。

 

 

「ホシノの場所は分かったよ。戻ろう」

 

「……分かりました」

 

 

 そうして再び暗い廊下を歩いて行く――が、その時、袖口を背後から小さく掴まれた。

 

 

「先生」

 

 

 振り向けば、そこにはそっぽを向いたアキがいた。

窓から差し込んだ月明かりが、彼女の横顔を静かに照らしている。

いつもの無表情――しかしそこに、微かに朱が混じっているのは気のせいではないと思いたい。

 

 

「……本当に、ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 

 そうして"私"は彼女と一緒に、このオフィスビルを後にした。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 決戦当日の早朝の目覚めは、不思議と穏やかではっきりとしたものだった。

それはここまで抱えてきた悩み事が吹き飛び、明確な目標が掲げられたからなのかもしれないと"私"は思う。

身支度を整え、合流した対策委員会の面々と共に準備を急いだ。

 

 

「おはようございます、先生」

 

「うん、おはよう」

 

 

 校門に集結した"私"たちは、装備の最終点検に臨んだ。

緊張感がありつつも、彼女らの表情は決意と持ち前の明るさに満ちていたのが印象的だった。

 

 ――希望があった。

 

 連邦生徒会から最速で認可された、キヴォトスにおけるアビドス廃校対策委員会の公認化。

そしてカイザーコーポレーション――その子会社に対する強制捜査の決定と、各学園による政治的な包囲網。

結果、アビドスに対する敵の見えざる法律の行軍が止まり、この地を蝕む闇が晴れていく兆しが見えた――。

 

 何もかもが奇跡の連鎖だった。

 

 "私"は――私たちは確信していた。

この戦いこそが、アビドスの長年抱える問題に終止符を打つのだろうと。

だからこそ、上級生の彼女たちとそれを分かち合いたい――もう一人で頑張らなくてもいいのだと。

 

 

「アビドスの古い地図を全て最新化しておきました。

先生に教えていただいた情報ですと、ホシノ先輩はカイザーPMCの第51地区の中央あたりにいるはずです」

 

 

 アヤネからシッテムの箱に転送されて来た地図データを見る。

かつては往来の多かった市街の中心地だという広大な土地は、今やすっかりと砂に埋もれているようだった。

しかしビル群の上部が伸びていることから、朧げにだがかつてのその道のりは把握できる。

 

 そしてその中心地、カイザーPMCの大部隊が鎮座する場所へと赤いマーカーが表示されていた。

 

 

「カイザーPMCはこの地区を中心に、第45地区まで部隊を展開しています。

私たちはこれを正面から突破し、最終目標地点であるバンカーへと進行。

その後、敵指揮官を撃破し、ホシノ先輩を救出します」

 

「シンプルな作戦ですが、こうなると裏を取られて包囲される可能性もありますよね。

こちらの人数を考えると少し厳しいような……」

 

「それについては大丈夫だよ」

 

 

 ノノミの懸念事項に"私"は臆することなく堂々と答える。

 

 すると奇しくもそれが合図となったかのように、遠くから車の走行音が近づいてきた。

面々がそちらへと顔を向ければ、そこにはこの数日で見慣れたオープントップのジープが走っていた。

そしてその運転手席に乗るのは――アビドスの上級生である梔子アキだった。

 

 アキは校門の前で車を停め、対策委員会と"私"の前に降り立つ。

彼女はどこか形容し難い強張った表情を浮かべていた。

 

 

「アキ、おはよう」

 

「おはよう、ございます……」

 

 

 "私"が挨拶をすれば、彼女はどこかぎこちなくそれを返してくれた。

面々も挨拶をするのだが――そうしていると、唐突に彼女は頭を下げた。

 

 

「ホシノを助けるために手伝ってほしい」

 

 

 驚く面々を他所に、ただはっきりとした口調でアキはそう口にした。

 

 面々はさらに驚くことになるのだが、それも無理もないことだった。

今まで孤独の戦いを選んできた彼女が、こうして頭を下げてまで共闘を望んだ。

 

 しかしそれが事の重要性を面々に理解させた。

彼女にとっても、ホシノはいなくてはならない大切な存在なのだと。

いくら仲違いをしたとしても、彼女にとっては今もなお親友なのだと。

 

 そして長きに渡ってアビドスを苦しめていた悪徳企業を挫く――。

それはアビドスの解放に他ならず、本来あるべき青春を在校生に与えることを、

彼女が強く望んでいることを示していた。

 

 

「都合の良い話かもしれないけど……」

 

 

 ゆっくりと顔を上げて、彼女は言葉を続ける。

どこか気まずそうに――しかし強張ったその表情には、確かな覚悟と歩み寄ろうとする勇気が見て取れた。

 

 

「ホシノのことを……本気で嫌ってるわけじゃない。だから、その――」

 

「アキ先輩」

 

 

 そこでアキの前に出たのはシロコだった。

真剣な表情でアキを真っ直ぐ見据え――しかし次の瞬間、その表情が柔らかな笑みを作った。

 

 

「かしこまらないで、自分の言葉で話してほしい」

 

 

 そして笑みを作ったのはシロコだけではない。

ノノミも、アヤネも、セリカも――彼女は少しばかり動揺が見て取れたが――穏やかな笑みを浮かべていた。

 

 アキはそれを見て目を丸くしていた――が、次の瞬間には気恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

 

「――手伝わせて。あの馬鹿をぶん殴らないと気が済まないから」

 

 

 そして小さくそう吐き出した。

その表情には苛立ちと不機嫌さこそあったものの、いくらかの気まずさと照れが確かに見え隠れしていた。

 

 それは彼女――梔子アキの年相応の姿であり、本心であり、そこで"私"は安堵する。

本音の一つを引き出せたようで、彼女が一歩だけ歩み寄ってくれたようで。

まだ問題こそ残っているが、その僅かな前進が何よりも嬉しかった。

 

 

「ん、それじゃあよろしく」

 

「アキ先輩がいるなら百人力ですね!」

 

「よろしくお願いします、アキ先輩」

 

 

 それは対策委員会の面々も同じであった。

嬉しそうに笑みを浮かべ、彼女を改めて迎えてくれた。

 

 そうしてしばらくすると――最後は沈黙を貫いていたセリカへと面々の視線が向けられる。

その視線に驚いたのか、彼女の獣人特有の猫耳が跳ね上がるようにしてぴんと立ち上がった。

彼女はあたふたと周囲に視線を彷徨わせ――アキと同じように前を見られなくなったのか、

その視線を落として、不機嫌さと照れ臭さの入り混じった表情を見せた。

 

 

「た、対策委員会、入ってくれるのなら……よろしく、です……」

 

「……検討しておくわ」

 

 

 まるで鏡合わせのようなその姿を見て"私"たちは笑みを零す。

 

 ――そう、今はそれでいいんだ。

 

 少しずつゆっくりと、そうやって信頼と友情を紡いでいけばいい。

それが青春であり、何よりも愛おしい瞬間であり、彼女たちが経験していくべき日常なのだ。

 

 そしてそんなありふれた日常を守るために、"私"たちは今から大切なものを取り戻しに行く。

心を一つにして、誰一人として欠けることのない明日を見るために。

 

 

「……よし、これでこっちの問題は解決だね。皆、準備はいいかな?」

 

「ん、準備完了」

 

「補給も十分、おやつもたっぷり入れておきました!」

 

「こ、こっちも準備できたわ! どっからでもかかってきなさい!」

 

「一番安全なルートで案内します、行きましょう!」

 

「先に私が先行する。作戦開始の目標地点手前まで車で、その後は徒歩で進むわよ」

 

 

 そして全員の視線が"私"へと向けられる。

"私"は力強く頷き、彼女たちを真っ直ぐ見つめ返した。

 

 

「――それじゃ、出発!」

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