それでも青は色褪せず ~Wrath of Set~ 作:白桐
ホシノが示した場所は、アビドス自治区の南側に位置する住宅街であった。
砂害はそこまでひどくない場所とは対策委員会の言だが、
それでも路地の隅には風に追い詰められた砂が積もっていた。
ほとんどの住宅には人の営みの痕跡はなく、明らかに無人のそればかりなのが見て取れた。
そしてやはりと言うべきかここの住人のほとんどは退去しているらしく、今やゴーストタウンと化している――とのこと。
アヤネからそんな地区の過疎状況の説明を受けながら、彼女の運転の下、
ホシノ以外の対策委員会と"私"を乗せた車は住宅街の奥地へと進んでいく。
――目的の場所は、住宅地に入ってから十分も経たない場所にあった。
それは何の変哲もない二階建てのこじんまりとした一軒家で、併設するようにして車庫もある。
そしてそこにはこちらが乗っている車両と同型のオープントップのジープが収まっており、
ここだけは人の営みを感じさせる気配がしっかりとあった。
「ここ~……なんですよね?」
ノノミが地図アプリを起動していたスマートフォンから、その住宅へと視線を移す。
「表札にも梔子ってあるので、間違いないですね」
「ん、早くプレゼントを献上して対策委員会に入ってもらう」
「そ、そんな単純な話ではないと思いますけどね……」
そうして、アヤネがインターホンを押そうとした時のことだった。
「あ、お前らは――ッ!?」
唐突に素っ頓狂な声が響き渡る。
"私"たちがそちらへと向けば、そこにはフルフェイスのヘルメットを被った
不良生徒――ヘルメット団と思わしき集団がこちらに指を指して驚いている姿があった。
"私"は未だに彼女らがどの名称のチームに所属するヘルメット団員なのかは判断つかないが、
どちらにせよ彼女の口ぶりからすると、こちらに恨みがあるのは自明で。
「……誰?」
「カタカタヘルメット団だよぉ! お前らアビドスの所為で何もかも台無しだ!」
「ここで会ったが百年目! 今度こそ――」
――不良生徒の一人がそう叫んだ時だった。
ガチャリとどこからかドアが開く音が聞こえ――次の瞬間、"私"の目の前を素早い何かが通り過ぎた。
目視は出来なかったがそれは恐らく人型で、
次の瞬間には"私"たちと対峙する彼女らへと突っ込んで行き――。
ぐしゃりと、何かが拉げる音と共に ヘルメットを被った少女の一人が宙を舞っていた。
「――人の家の前でなにをやってるの?」
背の高い少女がこちらに背を向けて立っていた。
毛先が外に跳ねたその水浅葱の髪は、肩にかからない程度に落ち着いており、乾いた風に微かに揺れていた。
彼女は間違いなくアビドス高校の制服を着ていたが、その上着はブレザーではなくゆったりとした紺色のブルゾンに腕を通している。
こちらに背を向けているためその表情は分からない。
しかしやや不機嫌さを孕んだ冷たい声色、そして事前にホシノから聞いていた『短気』という情報から、その顔がどのようになっているのかは想像に難くはない。
彼女こそが誘拐されたセリカの奪還を手伝ってくれた狙撃手――梔子アキなのだと理解した。
――どさりと、不良生徒が背中から路上に落ちる。
――そのヘルメットは大きく割れて変形し、亀裂からは白目を剥いた少女の顔が覗いていた。
「ったく、寝てたのにぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー騒いで……」
吐き出された低い声を前に、目の前の不良少女たちは後退った。
しかしリーダー格と思われる少女の一人が、意を決して一歩前に踏み出す。
「し、知ってるんだぞ、お前の持ってる弾薬が底を尽き掛けてるってなぁ!」
「はぁ――ええっと、そっちは何の用?」
しかしそれを無視して、目の前の少女はこちらへと振り返る。
こちらを見るその表情はやはり不機嫌さに満ちたもので、切れ長の鋭い目も相まって非常に強い威圧感を覚えた。
対策委員会の面々はその衝撃的な登場と、苛立ちを隠し切れない表情を前に気圧されていた――が、意を決したらしいアヤネが一歩前に出る。
「ア、アビドス廃校対策委員会です! き、昨日のお礼をと思いまして……あ、私たちも戦います!」
「……いやいい。弾がもったいないからそこで待ってて」
「無視してんじゃねえ! 皆、やっちま――」
――瞬間、彼女は振り向き様に不良少女の顔面に拳を叩き付けた。
ヘルメットのシールド部分が砕け散り、
宙にその破片が舞う――同時に、アキは背後へと吹き飛びかけたその少女の胸倉を掴んだ。
彼女は真後ろに転倒することなく、そのままアキへと引き寄せられた。
「撃て、撃てえぇぇッ!」
――我に返ったヘルメット団員三名が自動小銃の銃口を向ける。
――迸るマズルフラッシュ。
――だがその銃弾は、気を失ったリーダー格の少女が盾にされたことによって彼女には通らない。
そこからはあっという間だった。
アキは殴り飛ばした少女を盾にしたまま、その三人へと突貫。
その姿に半狂乱となった彼女らは必死に自動小銃を乱射するが、怯むことなく突っ込んでくる姿はさながら戦車で。
彼女はあっと言う間に接敵すると、盾にしていた少女を片手で振り抜く――まるで棒切れでも振り回すかのように少女を使って雑兵を薙ぎ払った。
そしてその化物じみた膂力に巻き込まれたのは二名の少女。
ピンポン玉のように弾かれて近くのコンクリート塀に激突、そのまま動かなくなる。
武器にしていた少女はゴミでも捨てるかのように無人の住宅へと投げ捨てられ、アキの視線が最後の一人に向けられた。
「ひっ!? 来るなぁッ!」
再び銃口を向けて迎撃をするが、それよりも先にアキが動いた。
身を低くした左右のステップだけで射線を切って躱しながら接近。
至近距離で向けられた銃口を手で払い除けると、そのままの勢いでヘルメットの上から
顔面を何度も殴りつけ――そこで少女は完全に沈黙して路上に倒れ伏す。
――だがそこで彼女は止まらなかった。
そのまま少女に馬乗りになると顔面を殴打し始める――勝負はついたと言うのに。
あまりにも異様な光景だった。
だからこそ、"私"はすぐさま彼女に駆け寄って、振り上げたその腕を両腕で掴んで止める。
掴んだ瞬間、体ごと持っていかれるような圧倒的な牽引力を感じるも、
"私"が抑えに入ったことに気が付いてか彼女の動きは止まる。
ジロリと、彼女は振り返って"私"を睨みつけた。
「それ以上はやりすぎじゃないかな」
「……心を折らなきゃまた湧いてくるんですよ」
溜息と共にその表情から怒気が失せ、面倒だと言わんばかりの気怠さを湛えたものに切り替わっていく。
"私"は彼女の戦意の喪失を確認し、その手を離した。
アキは立ち上がると、こちらに向き直る。
「……で、アビドスの子達とシャーレの先生が何の用ですか?」
「あ、えっと、セリカちゃんの……いや、誘拐された子の奪還を手伝ってくれたお礼に来まして……」
「ん、弾薬持ってきた」
「……そう」
「あ、あの、本当にありがとうござましたっ!」
我に返ったセリカは感謝を述べて頭を下げる。
アキはその様子に目を丸くしていたが、その理由に気が付いたのか「ああ」と納得したように声を零した。
「今朝方誘拐されてた子……怪我は大丈夫?」
「大丈夫です!」
「なら良かった……アビドスを狙う不良連中は後を絶たない。なるべく単独行動は避けた方がいいわよ」
「す、すみません……」
「でも無事で良かった」
一瞬、その表情が緩んだ――ように"私"には見えた。
微笑とまではいかないものの、決して刺々しく冷たいものではない。
だがそれも束の間で、次の瞬間には元の鋭い目つきに戻っていた。
「あの……なぜ学校に来ないか、聞いても大丈夫ですか?」
アヤネがそう問いかけれると、アキは目を細めて黙り込んだ。
アヤネ表情が強張る――恐らくは少し切り込み過ぎたのではないかと思ったのだろう。
しかしそこに返ってくるのは苛立ちではなく、小さな溜息と共に目を逸らす彼女の面倒臭そうな表情だった。
「他の自治区で仕事をしてるから忙しいの。ホシノもそのことを知ってるから、好き勝手させてくれてる。
……詳しいことはホシノから聞いて」
「ホシノ先輩のこと嫌い?」
――が、そこにシロコが直球を叩き込むものだから、場の空気が凍り付いた。
慌てるアヤネとセリカ、笑みが固まるノノミと"私"。
対するアキは片頬がぴくりと跳ねたように見えた。
「ちょ、ちょっとシロコ先輩!? さすがにストレート過ぎだってば!」
「……別にそういうわけじゃない」
「ならどうして避けてるの? ホシノ先輩もそうだけど、あなたもそう。何があったの?」
「ホシノに聞いて」
「はぐらかされたからあなたに聞くしかない」
堂々と、恐れることなく本題を切り出せるのはさすがシロコと言うべきか。
普段表情の変化に乏しい――言動は些か過激かつユーモアに富んでいる――が、
こう言った場面で真っ先に言いづらいことを口にしてくれるのは彼女の美徳なのかもしれない。
それを真っ直ぐに受けたアキはしばらくシロコとにらみ合っていたが、とうとう本日何度目になるか分からない溜息をついた。
「……あなた、名前は?」
「砂狼シロコ」
「砂狼さん。顔を突き合わせてごめんなさいをすれば全てのわだかまりが消えるなんて、そんなの小学生レベルの話よ。
会わないことこそが最大の謝罪だって言うことはあると思わない? だからホシノはここに来なかったんじゃないの?」
「だったらなおさら話し合うべき」
「必要ない……弾薬の件は感謝してる。だけど、もう帰りなさい。
借金を返すのならこんなところで油を売ってないで、自分たちの利になることをすべきだわ」
そう言い残してアキは踵を返し、そのまま自宅へと戻っていく。
「なら先輩、勝負しよ。私が勝ったら言うことを聞いて」
「え、ちょっとシロコ先輩!?」
――が、シロコはここで引き下がらなかった
セリカが止めようとするが、シロコは一歩前に出る。
「私は自分より強い人の言葉しか聞かない。だから、勝負」
「そ、そんな無茶苦茶ですよシロコ先輩。こういうのはそういう強引なやり方じゃなくて、ちゃんと話し合いで……」
「……いいと思いますよ?」
「ノノミ先輩まで!?」
だが意外なことに、そこで賛同したのはノノミであった。
それはどこか困ったような笑みだったが、同時に何かを懐かしむような笑みでもあり、
「――シロコちゃん、昔からこうでしたから」
ノノミがこう言っている以上、シロコは止まらないだろう――面々には確かにそう伝わったに違いない。
それは対峙するアキにも伝わったようで、彼女は気怠そうにこちらへと振り返った。
「……ホシノと戦ったことは?」
「ある。ボコボコにされた」
「じゃあ勝てないわよ。それでもやる?」
「やってみなきゃ分からない」
「……分かった」
あまり乗り気ではないが、避けられない戦いだとアキも理解したらしい。
彼女は面倒だと言わんばかりに首と肩を回し――構えもなく、自然体で向き合う。
その際に、アキと"私"の視線が交わる。
「アキ、シロコが勝ったらホシノと会ってくれる?」
「そちらが勝ったらですけど……こっちは素手でいい。これぐらいハンデないとかわいそうだし」
「ん、絶対に後悔させる」
そうして、シロコは彼女に向かって愛銃を構えた。
***
二つの銃声と共に、互いの愛銃が宙を舞った。
その両者は互いに背後へと倒れ込むものの、すぐさま跳ね上がるようにして体を起こすと対峙する相手を睨みつける。
――弾かれた愛銃たちが地面に落ちる。
――手を伸ばしても届かない。
――また引き分けか。
否。そこで戦いを中断するほど、二人は大人でもなければ冷静でもなかった。
体が、思考が沸騰する――その熱は彼女らの表情に伝播し、獰猛かつ凶悪な猟犬の如く、敵意をむき出しにしたものへと歪ませていく。
――『この女に勝ちたい』。
ただそれだけが煮えたぎる思考の中にあった。
「「――アアアアアァァァァァッ!」」
――咆哮。
同時に弾かれたようにして彼女らは走り出し――その拳を相手の頬へと叩き付けた。
外野から慌てふためく"あの人"の声が聞こえる。
もしかしたら後で彼女から叱られるかもしれないが、それでも今この瞬間だけは聞こえないふりをして、目の前の相手に全力を叩きつけたかった。
蹴る、防ぐ、躱す、殴る――。
銃社会であるキヴォトスで、これほど泥臭い原始的な応酬が繰り広げられたことがあっただろうか。
しかしその問いに答える者もいなければ、当事者たる二人の少女はそんな皮肉など意に介さないだろう。
二人の目には、好敵手たる相手の姿しか映っていないのだから。
「こんのッ! ゴリラ女……ッ!」
「黙れ桃色猪……ッ!」
先に仕掛けたのは小柄な短髪の少女だった。
ポニーテールの長身の少女から振るわれた剛腕を軸に下半身を振り上げて、絡めとるようにして足を組む。
――曰く、飛びつき腕挫逆十字固。
――関節を決められた長身の少女は、地面へと仰向けに倒れ伏す。
決まった、と短髪の少女は思った。
「負けを、認めろ――っ!」
「冗談ッ!」
――が、次の瞬間には反発するかのようにその肘が持ち上がった。
少女は驚愕しつつも、負けじとその腕関節を逆側にへし折らんばかりに力を籠める。
だがそれを物ともせず――それどころか地に伏せていた上体を起こしてそのまま立ち上がり、
「っらァッ!」
――腕を思い切り振りまわした。
その凄まじい遠心力に抗えず、短髪の少女は宙を舞う。
(こいつ、腕力だけで振りほどきやがった――!)
何と言う馬鹿げた膂力。しかもこれで頭脳労働もこなすのだから訳が分からない。
しかし短髪の少女は空中で体を捻り、そのまま両手足を使った四点で着地。
まさに獣のような姿に、長身の少女は嘲るように大声で笑った。
「その程度で止まる訳ないでしょ!? 学習しなさいよ猪!」
「相変わらず馬鹿力! 普通、振りほどけるもんじゃないでしょ!?」
「ははは! あんた程度なら全然楽勝よ!」
そして仕切り直し――だが飽きもせずに再び始まるのは、恥も外聞も投げ捨てた殴り合い。
この相手が気に入らないという怒りはある。
だが不思議とこの瞬間、普段腹の底に抱えている鬱憤が晴れていくような感覚があった。
――クソ真面目なくせして沸点が低い暴力女。
――性格も趣味も何もかもが合わない。
――だが、唯一自身についてこられる理解者。
もしかすると自分よりも強いかもしれない――いや、やっぱり自分の方が強い。
どうやってこの相手を攻略しようか、屈服させようか。
自身の知りうる知識を総動員して、勝ちの為の道筋を手繰り寄せようと再び走り出す。
満たされる、楽しい、もっと、もっともっと――。
だがそうしていると、ふと胸中に虚しさが浮上してくる。
(――あ、これ夢だ)
――世界が白んでいく。
その認識と共に忘れていた記憶が浮上し、全身に迸っていた熱が急速に失われていった。
それは彼女と交した楽しい記憶。
もう二度と戻ってこない――小鳥遊ホシノの青く澄んだ記憶の断片だった。
***
「――で、シロコちゃんはボコボコにされてきたと?」
「ん、やっぱり先輩は強かった」
寝起きなのか、ホシノは気怠そうにシロコへとそう問いかけた。
対するシロコの髪はひどく乱れており、ノノミがヘアブラシでそれを整えている。
対策委員会の部室に戻って来た面々は、先ほどのアキとシロコの対決を思い出していた。
彼女が言うように、対決はアキが圧勝した――徹頭徹尾素手のみで。
シロコの自動小銃の接射を物ともせず、真正面から近づいて行く姿は、
さながらモンスターパニック物の映画に登場する怪物そのものだったと言っても過言ではなかった。
しかもシロコが近接戦闘を仕掛けるも、蹴りや銃床を用いたその打撃は片腕で軽々と防がれてしまう。
そして空いた手でシロコを突き飛ばして距離を取る――まさに大人と子供の喧嘩だった。
それを聞いたホシノは、「シロコちゃんらしいね」と言って笑った。
「だから言ったでしょ。腕っぷしも強いってさぁ」
「いや、力だけでシロコ先輩を一方的に制圧してくるとは思わないじゃないですか……
と言うか、その前にヘルメット団の人を容赦なくボコボコにしてたのに挑戦するとか、すっごい勇気がいるような……」
「シロコ先輩のメンタルどうなってんの……」
驚愕と呆れを口にする一年生の二人だったが、しかしシロコは特に悔しがっている素振りはなかった。
むしろ難しい顔をしており、先刻の戦闘を思い返しているようだった。
脳内で改善点を洗い出しているのだろうか――この調子なら再戦も近日中に行われるのだろうなと"私"は思った。
「でも敵対勢力に対してちょっとやり過ぎな部分もあるような……」
「……いろいろあってねぇ」
ノノミがそう言うと、ホシノはやはりあの複雑な感情が入り混じった表情を浮かべた。
「ホシノ先輩、本当に何があったんですか?」
「アキは何か言ってた?」
「ホシノ先輩に聞け、と……」
アヤネがアキから言われた通りのことを伝えると、ホシノは困ったような笑みを浮かべて小さく唸る。
そうしてしばしの沈黙の後に、ぽつぽつと彼女は語り出した。
「……一年生の頃、おじさんが不甲斐なくて呆れられちゃったんだよね。
借金返済の方法も、当時は自治区の廃品回収とか大したことないバイトぐらいしか出来なくて行き詰ってた」
そして語られるのは二年前の出来事。
どこか言いづらそうに、当時を思い出すように。
薄い笑みを湛えたその表情で、窓から見えるアビドスの青空を見ながら口にする。
「言いわけになっちゃうけど、おじさんも当時はいろいろあってちょっと大変だったんだ。
なんにも上手くいかなくて、結局は別行動するようになった感じ」
「うーん……話を聞く限りだと、ホシノ先輩が怒らせたようにしか思えないんだけど」
「うへぇ、セリカちゃん辛辣ぅ……」
力なくホシノは笑う。
だが彼女はそれを否定しなかった。
「それとあっちは頭脳労働担当だから、昔からおじさんとは相性が悪かったんだよねぇ」
「頭脳担当?」
「言ったでしょ、会計兼書記だって。と言うか今のアビドスの業務と書類関係のマニュアル作ったのもアキだしね」
ホシノに言われて"私"が何気なく本棚を見れば、
そこには"マニュアル"と題されたリングファイルがあった。
手に取って適当にページを捲れば、書類の隅に二年前の日付で『作成者:梔子アキ』と表記があった。
「なんでも器用にこなす子だったんだ。
アキがいなくなってからの書類仕事は大変だったけど、
今先生の持ってるマニュアルには本当に助けられたものだよ。
……まあ、最初に言った通り方向性の違いってやつ」
――迷惑かけたから見捨てられちゃったんだよ。
ホシノはそう締めくくって気の抜けた笑みを浮かべる。
だがそれはなにかを諦めたような、それでいてばつが悪そうな疲れた笑み。
しかし、そこで「ですが」と声を上げたのはアヤネだった。
「今後のヘルメット団から受ける襲撃を考えれば、戦力が多いに越したことはないです。
しかもあれだけ強いのならとても心強い……ちょっとだけ、怖いですけど」
「どうせなら一緒に対策委員会でお仕事したいですよね~」
「ん、次は頑張って勝つ」
「いや、もう少し正攻法で行こうよシロコ先輩……」
溜息をつきつつも、セリカはホシノへと顔を向けた。
「ホシノ先輩もちゃんと話をしてほしい。
上手く言えないけど、アキ先輩、悪い人じゃないと思うし……
本当にすれ違いみたいなもので、ホシノ先輩と気まずくなってるとかそんなんじゃないの?」
「お、セリカちゃんすっかり夢中になっちゃってるね。
まあ、あっちは腕っぷしも強くて頼りがいもあってカッコいいもんねぇー
憧れちゃうよねぇー?」
「ああもう!こっちは真面目な話をしてるのッ!」
セリカは威嚇する猫のように声を上げるが、ホシノは揶揄うようにいつもの調子で笑った。
「うへえ。まあ、おじさんなんかより頼り甲斐あるし、しっかりしてるからねぇ。
当然か……うん、まあ努力してみるよ」
――やはりその表情に、あの複雑な感情を浮かべて。
***
その日の夜、"私"はアビドスへとそのまま宿泊することとなった。
しかし自治区の過疎化により宿泊施設のことごとくが潰れてしまっているため、近場にはほとんどないとのこと。
だからこそ対策委員会の面々から、学校の保健室を使ってもいいですよと言われた時は、
非常に助かったというのが"私"の本音である。
"私"はシッテムの箱のメインOSであるアロナと雑談をしながら、
連邦生徒会からの割り振られたデータ書類やメールを確認していた。
どこにいっても仕事とその納期は"私"を捕えて離さず、手持無沙汰であるならば仕事をするのが常だった――さすがに数時間の休息は欲しいが。
シャーレの権限として、各学園の生徒から出向して仕事を手伝ってもらうことも可能らしいが――。
伝手も信頼もまだ構築できていない現状では、こうして"私"一人で仕事を回さなければならない。
そもそも連邦生徒会が根本的な人員を補充してくれるといいが――連邦生徒会長が行方不明で混乱状態ではその望みも薄いだろうか。
「……いや、でも今はアビドスだ」
――だが優先順位はそちらだ。
九億の借金を抱えたアビドスと、対策委員会の所属を拒む生徒――梔子アキのこと。
そして彼女との不和があったと言う小鳥遊ホシノのこと。
同じ学校ならば、同級生ならば、かつて同じ生徒会に所属していたのならば。
その不和が解消され、共にこの状況が打開されることこそが、ハッピーエンドだと"私"は思う。
さてどうやって話し合いの場を設けるか、あるいは仲直りまでの導線やお膳立てをどう作り上げるべきかと思案する。
「こんばんは、先生」
背後から聞こえたその声に"私"は振り返る。
するとそこには教室の入り口に立っている少女がいた。
件の不和を抱える片割――小鳥遊ホシノである。
「どうしたのホシノ?」
「うん、ちょっと心配になってさぁ。アビドスは他の地区に比べて寒暖差激しいから」
よく見れば彼女の手には毛布が抱えられていた。
その言葉の通り、気を利かせて持ってきてくれたのだろうか。
ひとまず"私"はありがたくその気遣いを受け入れ、彼女から毛布を受け取った。
「ありがとう、わざわざ心配してくれて」
「こっちもお世話になってるからねぇ……それとさ」
「なに?」
「アキ、どうだった?」
――金と青の瞳が"私"を静かに見つめる。
昼間の気怠さはすっかりと抜け落ちており、その動作も雰囲気も緩慢なそれではない。
剣呑さも悲愴さもなく、ただただこちらを見定めようとしているように私には思えた。
そして、この視線が何を意味するのか理解に至る――監視に来たのかな、と。
「容赦がない子……と、判断するのは早計かなって」
「お、見る目あるねぇ先生?」
そう言えば、どこか満足そうにホシノはからからと笑った。
「人を刺しそうな顔をしてるけど、本当はすごい優しいんだよ。
それだけは先生には知っててもらいたいかな。
ヘルメット団やチンピラを容赦なく痛めつけてるのは私たちのためだし。
そうじゃなきゃ、アビドスはもっと多くの不良生徒に襲われてるはず」
「やっぱり優しい子だ」
彼女に対して思った通りの評価を述べれば、ホシノはやはり満足げに頷く。
やはり彼女に対して好意的な印象を持っているのは確かなのだろう。
だが一頻り笑って、不意に彼女の表情がふっと消えた。
そして代わりに浮かぶのは――達観したような薄い笑み。
「セリカちゃんはノリと勢いで先生に反発してるツンデレちゃんだからいいんだけどさ……
おじさんたちの世代、用心深いっていうのは分かってるよね?」
「うん、分かってるよ」
「ごめんね、先生。おじさんたち、結構苦労してきたからさ」
困ったように笑みを浮かべる――だがその目は笑っていなかった。
「でもそれだけは知っていてほしいんだ。本当に優しいんだよ。
おじさんも昔はそれに助けられてきた」
「今は?」
そう問えば、ホシノは黙り込んだ。
「もちろん生徒を支えるのは私の仕事だよ。
だけどそれ以上に、仲の良い同年代の子がいるっていうのは心強いことだと思ってる。
そして、それをするのは――」
「おじさんにそんな資格ないよ」
だがはっきりと彼女はそう口にした。
――自分は幸せになる必要はないと。
――突きつけられた罰を受けるべきだと。
その短い言葉には、底知れぬ深い自罰的な意思が刻み込まれているような気がした。
時間を掛けなければ触れることすら叶わない、深淵の如く抉れた暗い傷。
「ごめん、変なこと言っちゃったね
まあとにかく何が言いたいかと言うと、あの子のことよろしくねってこと。
それとアキ、ああ見えて結構短気なところがあってやり過ぎちゃうこともあるからさぁ。
上手いことコントロールしてあげてね~」
「うん、分かった。それと――」
踵を返して教室から出ようとしたホシノの背に、"私"は最後に声を掛けた。
「いつか、二人のこと聞かせてほしいな」
こちらに背を向けたまま、ホシノは手を振って保健室から出ていった。
千里の道も一歩からと言う言葉があるが、
なかなかに険しい道のりだと"私"は苦笑するしかなかった。
――もっとも、決して諦めるつもりはないが。
「……よし、頑張ろう」
"私"はそのための先生なのだから――。
梔子アキ(梔子 現)と覚えておいてもらえれば。
ユメとアキ(夢と現)って感じで。
姉とは対照的で現実的かつ冷静かつ合理的な思考の持ち主。
だけど短気で怒ると敵対者に容赦ない感じ。
一年生の頃はポニーテールを作れるほどに髪を伸ばしていましたが、
なんやかんやあって三年生の現在は肩にかかる程度の髪の長さになりました。