邂逅と戸惑い
チカチカと、意識の淵で何かが明滅する。
頭が割れるように痛い。最後に覚えているのは、圧倒的な絶望を前に、それでもと足掻いた、あの戦場の熱。ワルプルギスの夜の、嘲笑うかのような巨大な影。
そして、まどかの…泣き顔。
(また…繰り返してしまったの…?)
だとしたら、今度こそ、もっとうまくやらなければ。でも、この体の気怠さは何?
魔力が枯渇した時とは違う、もっと根本的な、生命力の消耗に近いような…。
ゆっくりと目を開けると、そこは見慣れない木目の天井だった。
清潔だが、どこか無機質で、生活感の薄い部屋。私の知るどんな場所とも違う。
「……っ!」
身を起こそうとして、全身に走る鈍い痛みに顔を顰めた。まるで、硬い地面に何度も叩きつけられた後のようだ。
(ここは……どこなの……?)
状況が全く飲み込めない。魔女の結界の中? いや、それにしては空気が淀んでいない。むしろ、妙に澄んでいる。
その時、傍らに人の気配を感じた。
咄嗟に身構えようとしたけれど、体が鉛のように重く、思うように動かない。魔力を練ろうとしても、指先一つ動かすことすら億劫だった。
「……っ!」
そこにいたのは、私を見て息を呑み、そして心配そうに眉を寄せている、見知らぬ男だった。年は……私よりかなり上、といったところだろうか。
彼は何か言いながら私に近づこうとする。その声は低く、穏やかだったけれど、今の私には脅威にしか感じられない。
「……来ないで」
かろうじて絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
彼は私の言葉に、ピタリと動きを止めた。その目に警戒の色は浮かんでいない。
ただ、戸惑いと、そして…何か別の感情が揺らめいているように見えた。
彼は、私が落ち着くのを待つように、少し離れた場所でゆっくりと話し始めた。彼が言うには、ここは彼の部屋で、私は彼の部屋のベッドで気を失って倒れていたらしい。
そして、信じられないことに、私は「暁美ほむら」という「アニメ」の登場人物なのだと。
「アニメ……?登場人物……ですって……?」
馬鹿馬鹿しい、と一蹴するには、彼の目はあまりにも真剣だった。それに、この説明のつかない状況。
「……ふざけないで。私が誰であろうと、あなたには関係ないはずよ」
冷たく言い放ったけれど、内心では激しく動揺していた。
もし、彼の言うことが本当なら? 私の知る世界は、作られた物語だったと?
そんなはずはない。あの痛みも、悲しみも、まどかを想う気持ちも、全てが本物だった。
「…あなたの言う『アニメ』とやらに、私がどうしてここにいるのか説明できるの?」
問い詰める私に、彼は困ったように首を振った。彼にもわからない、と。ただ、私が魔女との戦闘中に攻撃を受け、気が付いたらここにいた、という状況から推測するしかない、と。
まずは状況を把握しなければ。そして、ここが安全な場所なのか確かめる必要がある。
「……少し、一人にしてくれるかしら」
そう言うと、彼は少し心配そうな顔をしたが、素直に部屋を出て行った。
一人になり、私はまず自分の身体を確かめた。外傷は酷くない。けれど、やはり魔力の感覚が希薄だ。
(時間停止は…?)
意識を集中し、いつものように左腕の盾に触れる。けれど、何も起こらない。何度試しても、世界は止まってくれない。
(どういうこと…? 盾が壊れたの…?)
いや、盾の機構に異常があるわけではない。そもそも、魔力を盾に流し込む感覚そのものがないのだ。
焦りが胸を締め付ける。
(武器は…!)
空間から武器を取り出すイメージをする。いつもなら、意のままに現れるはずの銃火器が、今は影も形もない。
「嘘……でしょ……?」
まさか、魔法少女としての力を……失ったというの?
そんな絶望的な考えが頭をよぎる。
ソウルジェムは……?
胸元を探ると、確かにそこにあった。けれど、その輝きはいつもよりずっと弱々しく、まるでただの石のようだ。
そっと触れてみる。温もりも、魔力の波動も感じない。
試しに、念じてみる。ソウルジェムから力を引き出そうと。
けれど、何も起こらない。ただ、冷たい感触だけが指先に伝わる。
「…どうして…魔法が使えないの…?」
愕然として呟いた。
(この世界では、私はただの無力な少女だというの……?)
しばらくして、彼が控えめにドアをノックして入ってきた。
私の尋常でない様子に気づいたのだろう。
どうかしたのかという彼の問いに、私は顔を上げることができなかった。
余程慌てていたのだろう。先程まで警戒していた筈の相手に、つい本当の事を言ってしまう。
「……魔法が……使えないの。時間も止められないし、武器も出せない……」
声が震える。こんな無防備な状態で、どうやって元の世界に帰ればいい? どうやって、自分を守ればいい?
彼は私の言葉に驚いたようだった。彼も、私が魔法を使えるものと思っていたのだろう。
信じられないと彼は言った。
「試してみたけれど、何度やっても駄目だったの……このソウルジェムも、ただの石ころみたい……」
力なくソウルジェムを握りしめる。
彼はしばらく何か考えていたようだったが、やがて私にこう言った。
もしかしたら、この世界では魔法の法則が違うのかもしれない。あるいは、一時的に力が失われているだけかも。
彼の言葉に、わずかな希望が湧く。そうかもしれない。まだ、諦めるのは早い。
「……でも、どうすれば……」
他に試せること……例えば、身体能力とか。
彼の提案に、私はハッとした。そうだ、魔法少女としての身体能力は、普通の人間よりずっと高いはず。
部屋の中で軽く跳躍してみる。…いつもより体が重い。高く跳べない。
壁を蹴って三角飛びをしようとする。
足が滑るだけで、壁に吸い付くような感覚はない。そのまま床に足を叩きつける。
「痛っ……駄目ね。身体能力も、普通の人間と変わらないみたい……」
絶望が再び胸に広がる。
彼は私の様子を見て、ソウルジェムについて言及してきた。
確かに、一番大切な所だ。万が一、彼の言う通りだとするならここに魔女は存在しない。つまりはグリーフシードを手に入れる手段は無く、ソウルジェムの濁りは取れない事になる。
「……今のところ、濁る気配はないわ。でも、それだけが救いなんて……皮肉ね」
安心した……けれど、魔法少女としての力を失い、魔女になる恐怖からも解放される。それは、果たして救いなのだろうか。
彼は、私を元の世界に帰すために協力すると言ってくれた。
「…どうして? 見ず知らずの、それも『アニメのキャラクター』に過ぎない私に、そこまでする理由は何?」
私の問いに、彼は少し躊躇った後、頬を掻きながら言った。
自分はこの「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメが大好きで、その中でも暁美ほむらが一番好きなのだ、と。だから、困っているのなら助けたい、と。
「……そう。酔狂な人ね」
彼の言葉を完全には信用できなかった。けれど、今の私には他に選択肢がない。
この見知らぬ世界で、たった一人。魔力も失い、帰るあてもない。
「……わかったわ。あなたの言うことを、今は信じるしかないようね」
私は小さく、そして深くため息をついた。
「ただし、変な気を起こしたら、たとえこの姿でも容赦しないわ」
精一杯の虚勢だった。今の私に何ができるというのだろう。
彼は私の言葉に怯むでもなく、ただ静かに頷いた。
「――、それがあなたの名前?」
彼が名乗った名前を、私は心の中で反芻した。
こうして、私、暁美ほむらと、――と名乗る男との、奇妙な同棲生活が始まったのだった。