運命の日。
朝から、落ち着かなかった。部屋の中を意味もなく歩き回り、窓の外を何度も確認する。
――はいつも通り仕事へ行った。出かける前、大丈夫とだけ言って、私の頭をそっと撫でてくれた。その手の温もりが、なぜかとても切なかった。
午後になり、約束の時間が近づくにつれて、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
そして、ついにその時が来た。
部屋の空気が再び揺らぎ、淡い光と共に、まどかが現れた。
「ほむらちゃん……」
彼女は、少し心配そうな顔で私を見つめている。
「……決まったかな?」
静かに、けれど有無を言わせぬ響きで、彼女は問いかけてくる。
私は…まだ、答えを出せずにいた。
どちらを選んでも、失うものがある。その重みに、心が押し潰されそうだった。
私が口を開こうとした、その時だった。
勢いよくリビングのドアが開き、――が息を切らして入ってき
た。
(仕事中のはずなのに、どうして……!?)
彼は私の前に立つと、まどかに向かって深く頭を下げた。そして、私の手を強く掴んだ。
「――……?」
驚いて彼を見ると、その目は決意に満ちていた。
身勝手なことを言うのはわかっている。でも……
彼は一度言葉を切り、そして、私に向き直った。
ほむら……俺と、一緒にいてほしい。
必ず、君を幸せにするから
あなたの真剣な眼差し。力強く握られた手。
その瞬間、私の心の中で、何かが吹っ切れた。
ああ、そうだ。私は、この人の隣にいたい。この温かい手を、離したくない。
涙が、とめどなく溢れてきた。
「……ぁ……うん……うん……!――……!」
私は、彼の言葉に、ただ頷くことしかできなかった。
まどかは、私と――の姿を、静かに見つめていた。
その表情は、少し寂しそうだったけれど、すぐにいつもの優しい笑顔に戻った。
「そっか……。ほむらちゃんが決めたことなら、私は応援するよ」
そう言って、私に近づき、そっと抱きしめてくれた。
「……ごめんなさい、まどか……私……」
「ううん、謝らないで。ほむらちゃんが幸せなら、それが一番だから」
温かくて、懐かしい感触。この温もりを、私は忘れない。
抱擁を解くと、まどかは――に向き直った。
「――さん。ほむらちゃんを……絶対に、絶対に幸せにしてあげてね。約束だよ」
その声には、有無を言わせぬ強さがあった。
彼は、力強く頷いた。
「会うことはできなくなっちゃうけど……いつでも、どこからでも、ほむらちゃんのこと……見守っているからね」
それが、まどかとの最後の言葉だった。
彼女の姿は、再び光に包まれ、そして静かに消えていった。
部屋には、静寂が戻った。
私は、まだ――に手を握られたまま、呆然と立ち尽くしていた。
「……よかったの? 私、ここに残って……」
当たり前だとあなたはぶっきらぼうにそう言って、私の涙を指で優しく拭ってくれた。
こっちこそ、ありがとう。ほむら。
その言葉に、私は再び涙が溢れそうになるのを、必死で堪えた。
***
それから、数年の月日が流れた。
私は、――と共に、この世界で生きている。
あの日、まどかと別れた後、二人でたくさん話をした。彼がどうしてあのタイミングで帰ってきたのか。私がどれだけ悩んでいたか。
彼は、私が悩んでいることに気づいていながら、私の決断を尊重しようと黙っていたけれど、どうしても諦めきれず、仕事を早退して駆けつけてくれたのだと言った。
そう言って、私を強く抱きしめてくれた彼の腕の力を、私は今でも覚えている。
私たちの生活は、穏やかで、そして幸せに満ちていた。
朝、あなたを「いってらっしゃい」と送り出し、夕方、「おかえりなさい」と迎える。
一緒に食卓を囲み、他愛ない話をして笑い合う。
時には喧嘩もするけれど、すぐに仲直りする。
特別なことは何もない、ありふれた日常。
でも、その全てが愛おしかった。
ソウルジェムは、今も私の胸元で静かに輝いている。
それはもう、戦うための証でも、魔法少女だったことの証でもない。彼と出会い、この世界で生きることを選んだ、私の決意の証。そして、まどかが見守ってくれていることの証のように思えた。
窓から差し込む柔らかな朝日の中で、隣で眠る――の寝顔を、私はそっと見つめる。
彼の寝顔は、昔と変わらず、見ているだけで心が安らぐ。
(私は今……確かに幸せよ、まどか)
心の中で、遠い空にいる親友に語りかける。
きっと、彼女はどこかで見守ってくれているはずだから。
私は、彼の頬にそっとキスを落とした。
これからも、この温かい日常を、彼と共に紡いでいく。
それが、私が選んだ未来なのだから。