このお話をIFあるいはTRUE、どちらと受け取っていただいても構いません。お好きな方を選んで下さい。
「見つけたわ、――さん」
その表情は、先ほどの狂気的な興奮とは打って変わって、再び穏やかな笑みを浮かべている。
しかし、その手にした武器にべっとりと付着した赤い液体が、先程までの出来事が現実であったことを残酷に物語っていた。
あなたは、キリカの安否を問い詰めようと口を開きかけた。だが、織莉子はそれを遮るように、静かに告げる。
「キリカなら、大丈夫よ。まだ、生きているわ。でも……」
織莉子は一歩、君に近づく。その瞳は、底なしの執着と独占欲に濡れていた。
「あなたが私のものになるのなら、キリカは助かるかもしれない。でも、もしあなたが私を拒絶するのなら……あの子がどうなるか、分かるでしょう?」
それは、紛れもない脅迫だった。キリカの命を盾にした、卑劣な要求。
あなたは、言葉を失い、織莉子を見つめ返すことしかできなかった。
その手は怒りと無力感で震え、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。織莉子の笑顔が、悪魔の微笑に見えた。
どうすればキリカを助けられるか……君は考える。
あなたの脳裏で、様々な思いが交錯する。キリカの、あなたを庇って傷ついた姿。あなたを逃がすために見せた、あの儚い笑顔。「必ず戻るから」と言った、その声。
それらが次々と思い起こされ、胸を締め付ける。一方で、織莉子の底知れぬ執着と、そのために手段を選ばない狂気が、君に重くのしかかる。
「……だ……め……だ……」
地面に倒れ伏していたキリカが、かろうじて意識を取り戻し、弱々しいながらも芯のある声で囁いた。その声はあなたの耳に、確かに届いた。
「今の……織莉子は……おかしく、なってる……私は……気に……しなくて……いい、から……――は……逃げ……て……」
キリカは、薄く目を開け、血に濡れた顔で、それでも真っ直ぐに織莉子を睨みつけていた。その瞳には、激しい怒りと、そして君を案じる切実な光が宿っている。
「織莉子……!こんな、こと……しても……――は……!」
途切れ途切れの言葉で、キリカは織莉子に抗議しようとする。
キリカの言葉と、その絶望的な状況でもなお失われない強い眼差しが、あなたの心を激しく揺さぶった。守られるばかりだった自分が、今、何をすべきなのか。キリカの想いに、どう応えるべきなのか。
あなたの中で、何かが音を立てて変わろうとしていた。絶望の淵で、一つの小さな、しかし確かな決意の光が灯り始める。
あなたは、一度強く目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。その瞳には、先程までの迷いや怯えとは違う、強い意志の色が浮かんでいた。
織莉子
あなたは、静かに、しかしはっきりとした声で、彼女の名前を呼んだ。
その声に、織莉子は期待に満ちた微笑みを深める。
「ええ、――さん。あなたの答えを聞かせてちょうだい」
(私の計画通り……。これで、――さんは私を……。ええ、それが、二人にとって最良の選択……)
織莉子の心は、悲壮な覚悟で満たされようとしていた。
しかし、あなたは、織莉子の予想を裏切る行動に出た。
彼女が本当に望んでいるのは、誰かを傷つけることではないはずだと、その言葉の裏にある苦しみを見抜き、彼女自身の幸せを願っているのだと、真っ直ぐな視線で訴えかけたのだ。
あなたの声は、静かだったが、揺るぎない確信に満ちていた。
「な……何を、言って……」
織莉子の瞳に、初めて動揺の色が浮かぶ。
計画にない言葉。
予期せぬ反応。
(違う……あなたは私を憎み、私を断罪するはずじゃ……)
あなたは、織莉子が一人で苦しんでいること、キリカのことを本当は大切に思っていることを見抜いているかのように、静かに語りかける。
あなたは一歩、織莉子に近づいた。武器を構えず、ただ真っ直ぐに彼女の瞳を見つめて。
その真摯な態度に、キリカもまた最後の力を振り絞るように叫んだ。
「っ、織莉子……! 聞いて……! あなたが、そんなことしなくても……私たちは……! あなたがいない未来なんて、誰も望んでない!」
「うるさいっ! あなたたちに何が分かるというの! 私の未来は、私が視た未来は、私が消えなければ二人は……!」
織莉子の声が上擦る。完璧だったはずの仮面が、二人の真摯な言葉によって少しずつ剥がれていくのを感じていた。
(違う、違うのよ! 私は悪役を演じきらなければ……! どうして……どうして、――さんは、そんな目で私を見るの……? キリカは、どうしてそんなことを言うの……?)
あなたは、未来は一つではないはずだと、織莉子の力は誰かを不幸にするためにあるのではないと、力強く語りかけた。
三人が一緒に笑い合える未来だって、きっと見つけられるはずだと、その強い意志を目で訴えながら、さらに一歩踏み込んだ。
三人が、一緒に笑い合える未来?
そんなもの、考えたことはなかった。予知で視たこともなかった。何度見てもあれ以降、私が貴方とキリカの障害となる未来しか。
けれど、貴方の真剣な眼差しを見ていると、本当にそんな未来があるのかもしれないと、心のどこかで信じたくなる自分がいた。
「そんな……未来なんて……」
織莉子の手から、血に濡れた宝石が空中から落ち、カラン、と乾いた音を立てた。
彼女の強張っていた肩が震え始め、瞳からは、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
「う……うわああああああああんっ!」
悪役の仮面は完全に砕け散り、そこにいたのは、ただ愛する人たちの幸せを不器用なまでに願い、その方法を見つけられずに追い詰められていた、一人の傷ついた少女だった。
「私は……私はただ……二人に幸せになってほしくて……! 私がいたら……私が邪魔だから……私が、消えればいいんだって……! そうすれば、きっと二人は……!」
泣きじゃくりながら、織莉子は自分の本心を吐露した。今まで誰にも言えなかった、苦しくてたまらなかった想いを。
あなたは、泣き崩れる織莉子を、そっと、しかし力強く抱きしめた。
温かい。これが、――さんの温もり……。
その温もりに、織莉子の心は少しずつ溶けていくようだった。あなたは、織莉子が邪魔なんかではなく、かけがえのない大切な人だと、その温もりを通して伝えようとしているかのようだった。
キリカも、ふらつきながら立ち上がり、織莉子の傍に駆け寄ると、その手をぎゅっと握った。
「馬鹿……! 本当に馬鹿だよ、織莉子は……! 織莉子がいない未来で、私が、私たちが心から笑えるわけないに決まってるのに……!」
キリカの瞳からも、涙が溢れていた。それは怒りではなく、心配と、そして安堵の涙だった。
「でも……予知が……私が視た未来は……」
その未来を、一緒に変えよう、織莉子
あなたは、織莉子の顔を覗き込み、力強く言った。
一人で抱え込まず、三人で乗り越えていこうと、その温かい眼差しで語りかけてくる。新しい、誰も犠牲にならない未来を、一緒に創っていこうと。
織莉子は、あなたとキリカの顔を交互に見つめた。二人の瞳には、偽りのない優しさと信頼の色が浮かんでいた。
(そんな未来も……許されるの……? 私が、二人と一緒に笑っても……いいの……?)
それは、織莉子がずっと心の奥底で求め続けていた、温かくて優しい光だった。
「……うん……うん……っ」
織莉子は、子供のように何度も頷きながら、二人の胸で声を上げて泣き続けた。それは、絶望の涙ではなく、ようやく見つけた希望への、そして再生への涙だった。
空には、いつの間にか夕焼けの最後の光が消え、優しい星々が瞬き始めていた。
三人の心には、まだ多くの傷跡と解決すべき問題が残っているかもしれない。けれど、固く繋がれたその手は、どんな困難も乗り越えていけるという確かな温もりを伝えていた。
織莉子が演じようとした悲劇の幕は下り、代わりに、三人の手で紡がれる、新しい物語の優しい序章が、静かに始まろうとしていた。
胸ポケットで忘れられていた黒薔薇は、いつの間にか、その不吉な色を失い、まるで夜空に咲く小さな星のように、控えめな輝きを放っているように見えた。
あれから、季節は何度か巡った。
穏やかな午後の陽射しが差し込む、織莉子の家の庭テラス。テーブルの上には、ほかほかと湯気を立てるパンケーキと、それぞれの好みに合わせた紅茶が並んでいる。
「んー、やっぱりパンケーキは最高だね!」
キリカは満面の笑みで、自分のパンケーキにこれでもかというほどメープルシロップをかけている。
その隣の紅茶のカップには、すでに角砂糖が三つ溶けているはずなのに、さらに小さなハチミツの容器を傾けていた。その徹底した甘党ぶりには、君も織莉子も思わず苦笑いを浮かべる。
「キリカ、少しは控えめになさいな。見てるだけで胸焼けがしそうだわ」
織莉子は、優雅な手つきで自分の紅茶にミルクを注ぎながら、呆れたように、けれどどこか楽しげに言った。彼女の表情には、かつてのような張り詰めた空気はなく、柔らかな穏やかさが宿っている。
「いいじゃん別にー。甘いものは正義なんだって。キミもそう思うよね?」
口いっぱいにパンケーキを頬張りながら、キリカは少し舌足らずに反論する。その子供っぽい仕草に、また小さな笑いが起こる。
あなたは、そんな二人を眺めながら、静かに紅茶を口に運んだ。
話題は、学校の噂話だったり、新しくできたお店のことだったり、本当に他愛のないことばかり。けれど、その何気ない会話の中に、確かな温かさがあった。
もちろん、あの日の出来事が完全に消え去ったわけではない。
織莉子の心の中には、今も消えない罪悪感と、二人に対する複雑な負の感情、二人への深い感謝があるだろう。
キリカだって、織莉子への変わらぬ特別な想いと、君へ寄せる淡い気持ちの間で、まだ揺れているのかもしれない。
そしてあなた自身も、二人とこれからどう向き合っていくべきか、答えを探し続けている。
互いに複雑な感情を抱えていることは、言葉にしなくても分かっている。視線が交差する瞬間に、ふと表情が翳ることもある。
それでも、三人はこうして同じテーブルを囲み、同じ時間を共有している。
それは、あの絶望の淵でお互いの手を取り合い、共に未来を歩むことを選んだから。
織莉子が、ふと窓の外に目を向けた。
……今日も、いい天気ね