繰り返される絶望のループ。
暁美ほむらは、ただ一人、鹿目まどかを救うという目的のためだけに戦い続けていた。
そんな彼女の前に、いつからか同じクラスメイトの貴方が現れるようになった。
貴方は、ほむらに拙い言葉で想いを告げようとする。
暁美さん、好きです
声をかける貴方の額には、緊張のせいかいつも薄っすらと汗が滲んでいるように見えた。時折、言葉を発する前に小さく咳き込むこともある。
しかし、ほむらにとってそれは取るに足らないノイズでしかなく、いつも冷たく無視を決め込んでいた。
貴方の顔も名前も、覚える気すら起きなかった。
だが、何度目かのループで、ほむらの心は限界を迎えていた。
何をしても事態は悪化し、仲間たちは次々と魔女に変わる。
まどかを救う道は完全に閉ざされたように感じられた。
その日も、貴方は現れた。
いつものように、何かを伝えようと口を開きかける。
その瞬間、張り詰めていた糸が切れ、ほむらの内から、澱のように溜め込んだ絶望が溢れ出した。
「あなたなんかに……!あなたなんかに私の何がわかるっていうのよ!」
ほむらは地面に膝から崩れ落ち、わめき散らした。
「何度!何度繰り返せばいいの!?まどかは……いつも、いつも目の前で……!巴マミは首を食いちぎられて!美樹さやかは絶望して魔女になって!佐倉杏子だって……!みんな、みんな死んじゃうのよ!私がどれだけ頑張っても、どれだけ時間をやり直しても、結局全部無駄なの!誰も救えない!もう、どうすればいいのか分からないのよ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げることすらできない。ただ、アスファルトに拳を何度も叩きつける。
「こんな思い、誰にも分かりっこない!分かるはずがない!あなただって、どうせ私のことなんて……今の私をみて、意味分からないって!ただの、変な女だって思ってるんでしょう!?」
支離滅裂な言葉の奔流。罵詈雑言に近い叫び。
しかし彼は、眉ひとつ動かさず、ただ静かに、ほむらの傍らに膝をつき、その小さな背中が震え収まるのを待っていた。
その真摯な、痛みを分かち合おうとするかのような眼差しに、ほむらはほんの少しだけ、心が軽くなるのを感じた。
初めて、誰かに本当の自分を曝け出せた気がした。
それがきっかけだった。
次のループから、ほむらは彼に話しかけるようになった。
最初は、ただの愚痴だった。
「今回はさやかを助けられなかった……私のせいよ……」
彼は何も言わず、ただ隣に座ってくれる。時折、彼がそっと差し出すハンカチは、いつも微かに薬品のような匂いがした。
彼の言葉少ない励ましと的確な助言は、孤独な戦いを続けるほむらにとって、いつしか唯一無二の支えとなっていた。
今まで、焦りや不信感から敵対し、あるいは絶望から魔女化していった魔法少女たちが、ループを重ねる事に貴方の助言のおかげで、まるでパズルのピースがはまるように、正しい道へと導かれていく。巴マミも、美樹さやかも、佐倉杏子も、真実を知りながらも絶望に屈することなく、ほむらの仲間となった。
そして、運命の日、ワルプルギスの夜が訪れる
「ありがとう。あなたのおかげで、ここまで来られた」
貴方は記憶を引き継いでるわけではない、その為大げさだという反応する。しかし何回も繰り返しているほむらは知っている。幾度も積み重ねた貴方との会話が、ここへ連れてきたのだと。
「帰ってきたら、伝えたいことがあるの」
そう言い残し、ほむらは仲間たちと共に、最大の敵との決戦に臨んだ。
四人の魔法少女の連携は完璧だった。マミのティロ・フィナーレがワルプルギスの夜の巨体を穿ち、さやかの無数の剣が動きを封じ、杏子の槍が急所を貫く。そして、ほむらの時間操作と重火器が、確実にダメージを積み重ねていく。激戦の末、ついにワルプルギスの夜は塵と化した。
鹿目まどかを魔法少女にすることなく、誰一人欠けることなく乗り越えるという奇跡を成し遂げたのだ。
戦いが終わり、ほむらは真っ先に彼の元へ向かおうとした。彼のおかげで掴み取れた未来。その感謝と、芽生えた確かな想いを伝えるために。
しかし、彼がいたはずの場所に、その姿はなかった。
「まどか、――を見なかった?」
「ううん、見てないけど……どこか行ったのかな?」
仲間たちに尋ねても、誰も彼の行方を知らない。焦燥感が募る中、ほむらは彼が病院に搬送されたという報せを受ける。
駆けつけた病院で、ほむらは残酷な現実を突きつけられた。
貴方の病状は深刻で、もう、余命いくばくもない、と。
「そんな……嘘よ……」
絶望がほむらを再び襲う。やっと掴んだ幸せな未来。彼と共に歩めるはずだった未来。
「っ、時間を……!」
今ならまだ、時間を巻き戻せる。
彼を救うために、何度でも。
ほむらは決意し、時間遡行の準備を始める。しかし、病室で弱々しく横たわる彼が、それを制した。
彼の痩せた手が、ほむらの腕を力なく掴む。その瞳は、全てを受け入れたように穏やかだったが、はっきりと首を横に振った。
もう、いいんだとでも言うように。
「でも……このままじゃ、貴方……!」
貴方はほむらを説得する。まどかを救った。皆生き延びた。一月前に戻っても自分の病気は既に治せない段階にある。自分の事は気にしなくていいと。
その強い意志のこもった訴えが、ほむらの胸を締め付けた。
貴方を救いたい。その一心で時間を巻き戻そうとした。しかし、彼自身の願いは、それとは正反対だった。
貴方の言う事は紛れもない事実。時間を巻き戻した所で何も解決はしない。今後二度とないかもしれないこの世界を捨てる事になるだけだ。
しかし貴方を失う恐怖で、ほむらの心は引き裂かれそうだった。
ほむらにとって貴方は既にかけがえのない人となっていた。
どうすれば彼を救える?
ほむらの脳裏に、一つの禁断の考えが浮かぶ。
魔法少女の契約。
願いで彼の病気を治す。しかし自分はもう願いを叶えている。
まどかを魔法少女にさせるわけにもいかない。
その時、ほむらの背後で、聞き慣れた声がした。
「やあ、暁美ほむら。ずいぶんと悩んでいるようだね」
キュゥべえだった。その赤い瞳が、ほむらの心の弱さを見透かすように細められる。
「彼を助けたいんだろう?僕なら、その手助けができるかもしれないよ」
「……五月蝿い、黙って」
今まで何度も騙してきた害獣だ、信用できるはずもない。
しかしキュゥべえは構わず、ほむらに囁いた。魔法少女としての高い素質を持つ少女の存在を。その子を「説得」すれば、彼の病気を治すという願いを叶えさせることができる、と。
それは、人の道に外れた行為。罪のない少女の運命を弄び、絶望させること。
ほむらは激しく葛藤した。貴方を救いたい。でも、そのために誰かを犠牲にしていいのか。
しかし、貴方の日に日に弱っていく姿を見るたび、ほむらの心は非情な決断へと傾いていった。
ついに、ほむらはキュゥべえと手を組み、その少女を見つけ出した。
「あなたに、お願いがあるの」
少女は怯えたように後ずさる。
「いや……やめて……!」
ほむらは抵抗する少女を力でねじ伏せ、頭に銃を突き付ける。
脅すようにして、契約を強いた。
「死にたくないなら、――の病気を治して」
少女の瞳から涙が溢れ、絶望の色に染まる。その願いは叶えられ、魔法少女となった少女のソウルジェムは、濁りきっていた。
当初、ほむらは口封じのために少女を殺害するつもりだった。
だが、どうしてもできなかった。恐怖に震える少女の姿に、かつての自分を重ねてしまったのかもしれない。
「っ……行きなさい。二度と私の前に現れないで」
恐怖に震え、泣きじゃくる少女を、ほむらは少女を逃がした。
病気は、奇跡のように完治した。
貴方はほむらが付きっきりで看病してくれたおかげだ、まるで奇跡だよと感謝を伝える。
貴方に本当のことを言えなかった。
ほむらは、改めて彼に想いを告げ、二人は晴れて恋人同士となった。
罪の意識に苛まれながらも、暁美ほむらは彼との穏やかな日々を手に入れた。
あの日、絶望の淵で無理やり願いを叶えさせられた少女の姿は、時折悪夢となって彼女を苛んだが、彼の笑顔が、その悪夢をかき消してくれた。
彼が生きている。
それだけで、ほむらはどんな罪でも背負える気がした。
ある日、二人は公園でデートを楽しんでいた。柔らかな日差しが新緑を照らし、鳥のさえずりが心地よく響く。
「見て、――。あの花、すごく綺麗に咲いてる」
ほむらが指さすと、貴方は優しい眼差しで頷いた。
貴方の病気はすっかり癒え、以前のような儚さは消えていた。
その力強い横顔を見上げるだけで、ほむらの心は愛しさでいっぱいになる。
貴方はふと立ち止まり、ほむらの名前を呼んだ。
その声は、病を克服した今、穏やかで、どこか甘やかさを含んでいる。
「……なに?」
ほむらが期待に胸を膨らませて見つめると、彼は結局何も言わず、ただ愛おしそうにほむらの柔らかい髪にそっと触れ、悪戯っぽく微笑んだだけだった。
「……からかっているの?」
ほむらは頬を膨らませながらも、その優しい仕草に心が躍るのを感じていた。
「でも……嬉しいわ」
手作りのサンドイッチを芝生の上に広げる。
「ねえ、これ、――の好きな卵サラダ、たくさん入れたのよ。あと、からしマヨネーズも、ちゃんと隠し味に入ってる」
彼は目を丸くして、それから本当に嬉しそうに破顔した。
そして、大きな口でサンドイッチを頬張る。
その無邪気な姿が、ほむらにはたまらなく愛おしい。
美味しい、貴方がぽつりと呟いたその一言に、ほむらは笑みを浮かべた。
「……よかった。貴方さえ良ければ……また作ってきてあげてもいいわ」
貴方のために何かをできる喜び。貴方がそれを「美味しい」と喜んでくれる幸せ。
ループを繰り返していた頃には想像もできなかった、温かく満たされた時間だった。
食後、二人は池のほとりをゆっくりと散歩した。貴方は、不意にほむらの手を優しく握る。
「っ……!」
ほむらは驚いてを貴方を見る。
貴方は少し照れたように視線を逸らしながらも、その手を離そうとはしなかった。
繋がれた手から伝わる温もりに、ほむらはそっと自分の指を絡めた。
「ねえ、――。私たち……ずっとこうしていられるのかしら……」
不安がよぎり、ほむらは思わず呟いた。すると彼は力強く頷き、ほむらの手をさらに強く握りしめた。
その確かな感触が、大丈夫と語りかけてくれているようで、ほむらは胸が熱くなる。
「そうね……ずっと一緒よ」
木陰のベンチに腰を下ろし、ほむらは貴方の肩にそっと頭を預けた。
「あなたの匂い、落ち着くわ……好きよ」
貴方の温もり、貴方の存在そのものが、ほむらを心の底から落ち着かせる。
夢みたいだと貴方は、空を見上げながら静かに言った。
その横顔は、以前の儚げな雰囲気はなく、穏やかな幸福感に満ちている。
「夢じゃないわ。これは現実」
ほむらは彼の腕に自分の腕を絡ませた。
「私たちが掴み取った、大切な現実なの。だから、絶対に離さない」
貴方は小さく頷く。
「私は……ずっと、こんな日が続けばいいって、心から思うわ。あなたと一緒なら、どんなことだって乗り越えられる、そんな気がするの」
ほむらがそう言って、彼の顔を見上げようとした、その瞬間だった。
背後から忍び寄った影が、鋭い刃物を貴方の胸に突き立てた。
「……ぁ……――……?」
赤い血が、白いシャツを急速に染めていく。その瞳から、急速に光が失われていくのが分かった。
倒れる貴方を抱きとめたほむらの目に映ったのは、復讐の炎を宿した、あの少女の姿だった。
「これで……おあいこだ……ひひっ!」
少女はそう吐き捨て、狂ったように笑いながら走り去った。
「あ……あぁ……いやああああああああああああああああああ!」
ほむらの絶叫が、青空に木霊した。
腕の中で、彼の体温が急速に失われていく。
「だめ……いや……死なないで……!貴方が……――がいないと……私は……!!」
彼の傷はあまりにも深かった。
彼の瞳は、もはや何も映していないかのように虚ろだったが、最後の力を振り絞るように、ほむらの頬にそっと手を伸ばした。
その震える指先が、ほむらの涙を拭うように微かに動く。
「私が……私が悪かったの……?私があの子を……でも、私は……ただ、あなたを助けたかっただけなの……!」
貴方の体は完全に力を失い、冷たくなっていく。
やっと手に入れた幸せ。貴方との未来。その全てが、目の前で粉々に砕け散った。
罪を犯してまで手に入れたものは、一瞬の夢だったのか。
暁美ほむらの世界から、再び光が消えた。
残されたのは、腕に抱いた彼の温もりの残滓と、血染めの絶望、そして決して癒えることのない心の傷だけだった。