カヨコンクムという国は陸軍と海軍で国家内の権力が割れていて、特に海軍は世界最強であると同時に、国内最大の政治的派閥でもあります。
古くは海軍というものは海賊をそのまま雇ったり海賊そのものであったりと、極めてガラが悪い連中であったのですが。本作でもそれは同じで、カヨコンクムのロイヤルネイビーと言えば最低最悪の愚連隊であり、世界最悪の海賊でもあります。
ただこの軍では実力が重視されることもあり、無手無財から成り上がることが出来る機会がある場所でもあるのです。
腐りきって出世なんて土台無理な陸軍より、海軍を選ぶ兵が出て。その兵の質も上がるのには、そういう理由があるのです。
序、海の上での生活
旧パッナーロからスポリファールに出向くとき、砂漠を越えたことを思い出す。あの時から何年経過したっけ。
三年くらいだったか。
海を越えながら、わたしは思う。
甲板に出ていると、風が吹く。帆が張り詰めていて、船は海原をぐんぐん進んでいく。
周囲には複数の軍船。
第三艦隊は二十三隻の艦からなる。
わたしが今乗っているのは、それらの旗艦である砲艦グラナダ。
風と海流を利用しながら、船が行く。海流と風を知り尽くしていて、しかも羅針盤を使いこなせなければ、船などとても操作できない。
操舵手が重宝される理由だ。
広域を探知出来る魔法使いも重用される。
わたしは今の所、まだ試用段階だ。
戦闘向けの技能については信頼されている。それなりの期間、海賊女王の使いで例の。アンゼルとやりあった男性戦士が調査していたらしい。
帆が軋んでいる。
ちょっと風が強すぎるか。
わたしは風の魔法を操作して、帆に当たっている風を若干弱める。それでギシギシ言っていた帆が多少楽になったようだ。
このままだと折れかねない。
そう思ったが、余計だっただろうか。
甲板にアンゼルが出てくる。
「船酔いは大丈夫-?」
「問題ありません。 予想以上になんともないです」
「そ。 それは良かった」
「それよりも……」
毎日水魔法で真水を作っているのだが、どれだけ作っても次を次をと促される。
この砲艦グラナダは120名からなる乗員を乗せている大型船で、生活用水だけでも膨大なのだ。
船の殆どは倉庫になっていて、其処には樽に詰められた真水が入れられているが、鮮度はお世辞にも良くない。
保存食も劣悪だ。
長期航海になると、屈強な船員が戦闘よりたくさん死ぬ。
そういう世界だという話は既に聞いているが。
だからこそ、わたしみたいなのが必要になると。
また水が足りなくなったらしい。
わたしはちょっとうんざりした。
魔法使うのにたくさん食べる。
それは説明してある。
しかしながら、此処で積まれている保存食のまずい事。
クッキーは虫が湧いている。
肉は塩漬けで味が分からない。
そこで、毎日魚を水魔法と風魔法の組み合わせで捕まえているのだけれども。船員達が土下座して譲ってくれと頼んでくる有様だ。
仕方がないので分けていると、どんどんなくなる。
わたしは力が足りなくなってきている事がわかってきているので、げっそりしながら船内に降りた。
水を作り出す事は厳密には出来ない。
空気の中にある水を集めたり。
或いは海水を真水にしたりする。
ただし真水に出来るだけなので、そのままでは飲めない。
海水の中にはたくさん不純物があって、その辺りの川の水と同じだ。下手に飲めば赤痢とかになる。
そうなると致命的である。
わたしの回復魔法では助けようがない。
だから海水を真水にする。それを煮沸処理する。それから更に冷やすと、三段階を経る必要があり。
それだけ魔力の消耗も大きくなる。
大量の樽に水を詰めるときには、汚れの除去も必要になる。作業をこなしていると、モートン提督が来た。
「ご苦労さん。 毎日毎日大量に水を作ってくれて助かる」
「はい」
「もう三日ほどで港に着く。 それを計算して、水は作ってもらう予定だ。 くわしくは航海予定士が話をしに来る」
「わかりました」
そうなると、多少は楽を出来るか。
ただ、船内の治安はお世辞にも良くない。
わたしは感謝されているのかよく分からない。
わたしは頼めば何でもやってくれる相手だと一時期思われていたようで、そういう連中が一度アンゼルにしめられた。
アンゼルも状況が状況なので殺しはしなかったが、それでも流石にそれでそういう連中も懲りたらしい。
以降は好き放題は言わなくなったが。
それでも治安が悪い船だ。油断は出来ない。
つかれてきたので、作業を一旦切り上げる。アンゼルが頃合いだろうと思って様子を見に来て、雑談をしながら船室に戻る途中一緒にいてくれる。それを見て水兵が舌打ちするのを見た。
まあ、常に周りに気を付けなければいけないということだ。
魔力はずっと増えた。
今も増え続けている。
それでも無限ではないし。
いにしえの時代に暴れていた勇者だの賢者だのとは比べものにもならない。現在最高の魔法使いも、わたしよりずっと上だろう。
そんな現在最高の魔法使いでさえ、魔力を使い過ぎると力尽きると聞いている。
ましてやわたしみたいなのが、である。
軍専属の魔法使いについて知っているのだろう。この船の水兵は。
だから、そういう事情も知っているとみて良かった。
船室で美味しくない魚の干物を囓る。
これでは力が出ない。
海暮らしの人間はたくましくなりやすいと聞くが、それでも長期間の航海を経るとばたばた死んで行く。
海兵が気性が荒いのは仕方がないのかも知れない。
航海に出るだけで死ぬ思いをするのだ。
いつ死んでもおかしくない。
そんな状況で心が穏やかでいられる人間なんて多く無いだろう。普通だって心が穏やかなんかではないのだから。
船室で横になっていると、帆を下ろしているのが分かった。
嵐が来るらしい。
船を近づけて、はぐれないようにと叫んでいるのが分かる。
海の天気は非常に気まぐれで、嵐が来たと思ったらもう晴れているなんて事がザラに起きる。
だから晴れていたはずがいきなり転覆するなんて事もあるようだ。
わたしはそうなったら運がないなと思いながら、寝台でぐらんぐらん揺れるのを我慢する。
幸い船酔いは全く平気だ。
馬車とかでも酔ったことがない。
これは体質で、酔う人間はどれだけ屈強でも簡単に酔うらしいので。わたしはただ、それは運が良かった。
一晩中ぐらんぐらん揺られて。
翌日は船員も水兵もかなり参っていたので、それでまあ多少は周囲に満ちている敵意がやわらいでいたと思う。
わたしは黙々と指定された分の真水を作る。
航海予定士が感謝の言葉を述べるが。
本当に感謝しているかは分からない。
あの魔法使いの女がと、女性の水兵が悪口を言っている。それが風魔法で察知できてしまうのが鬱陶しい。
身を守るために周辺の察知をきるわけにもいかない。
だから色々ろくでもないものが聞こえて、色々五月蠅いし面倒くさい。
仕事を終わらせて、船室で休む。
一日はつかれているとあっと言う間に終わる。
翌日には、予定通り港に着いたようだ。
補給とは名ばかりの略奪が始まったようだが、アンゼルは放っておけとだけ言う。モートン提督も、殺しはするな。陸軍と喧嘩はするなとだけ指示を出していたが。
それでも第三艦隊の水兵で陸に上がる人間だけでも、千人以上いる。
それらが狼藉を働くのは当然で。
案の場、彼方此方で喧嘩や略奪、強姦なんかの騒ぎが起きているようだった。
これでは確かに海軍が嫌われる。
良くしたもので、カヨコンクムだけではなく、どこの国の海軍でも似たようなものらしい。
規模は小さいが、あのスポリファールの海軍ですらガラが悪いそうで。
こればかりはどうしようもないそうだ。
劣悪な環境が改善されれば兵士も行儀が良くなるのではないかという話があるらしいのだが。
まあ、しばらく船に乗ってみて、それは当面は無理だろうというのがよく分かった。
船の真水供給の命綱を握っていたわたしにさえ、舐めた真似をしようとした水兵がいたくらいである。
此処は軍隊の掃きだめだ。
幸いに、今目指している旧パッナーロの北部。北を担当していた辺境伯領だった港に到着したら、船を下りられる。
そうすれば、少しは。
いや、陸上に上がった時の狼藉ぶり。
船内での悪辣な振る舞い。
それらを見る限り、あれらに秩序なんてものはない。アンゼルは気を張ってくれているようだが。
わたしももっと自衛出来ないと駄目だなと、自嘲気味に呟いていた。
補給という名目の略奪と憂さ晴らしを水兵が終えると、第三艦隊は更に海流に沿って南下を続ける。
こういった連中を美化した読み物があるらしいが。
わたしにははっきり言って気が知れない。
とりあえず、翌日からも淡々と魔力を絞り上げて、淡水を作る。他にも風魔法での支援を続ける。
他の船で船底から水漏れしていると報告あり。
小舟で移動して、船底に。
土魔法と水魔法を利用して、応急処置をする。
というか、この程度出来る魔法使いがいる筈だが。
処置を終えて、水をついでに全部まとめて、船から放り出すと。言葉だけは感謝の念を伝える船長に、そう告げると。
かなり年配の船長は、申し訳なさそうに言う。
優秀な魔法使いは、スカウトしても陸に行ってしまうらしい。
理由は簡単。
若い魔法使いの場合舐められる。
年老いた魔法使いの場合、航海に体力がついていかない。
だから一回の航海で音を上げてしまうし。
そうでない場合も、水兵にとっては嫌がらせの対象となるという。
魔法が使えるような水兵は、抜擢されて上の方の役職になる。頭が良い奴は航海士とかになって、船での立場が良くなる。
腕っ節しかない水兵は、どうしても魔法も使えて腕っ節もいい水兵には勝てないし。何なら魔法だけしか使えない人間にすら勝てない。
だからひがむという。
そんなひがみにつきあわされているのか。
わたしはちょっとイラッときた。
これが怒りと言う奴か。
こっちは魔力のギリギリまで毎日仕事をしているというのに。
この様子では、陸に上がっても嫌がらせは止まりそうにないな。
「それだと、陸でも嫌がらせは続くんじゃないですか」
「その通りです。 だからこの国を出て行く奴も多いんんです。 問題なのは、女王陛下がそういうのを止めない事でしてな」
「はあ」
海賊女王は度が過ぎた実力主義者だ。
そういったくだらない行為に音を上げるようなのは、実力が足りていないと判断するという。
多分自分が、恵まれた体格と幸運、悪知恵でのし上がってきた自負があるからなのだろう。
狡猾な知性は持ってはいるが。
根底ではすがすがしいまでの脳筋というわけだ。
「わかりました。 いずれにしてもわたしも舐めた真似をした相手には、手加減しなくて良さそうですね」
「……コツを教えておきましょう。 水兵の一番偉そうにしているのを伸せば他は静かになります」
「そうですか」
「ただしあなた自身がです。 それといくら何でも殺しは御法度なので、それもよく分かっておいた方が良いでしょうね」
丁寧にアドバイスをくれた。
この船長、魔法が使えるのが分かる。
つまり、そういう状況でめげずに頑張り、武勲を積み重ねてきたのだろう。
まあそれで船長になったのなら大したものなのかも知れないが。
その過程の負荷は必要だったのだろうか。
旗艦に戻る。
水兵の何人かは甲板でゲラゲラ笑っていたが、アンゼルがその中の一人がリーダー格だと言っていた。
階級的には曹長という下士官らしいのだが。
兵士で武勲を立てるとだいたい尉官に取り立てられるらしい。船長になると佐官からだそうだが。
つまり、体格だけ良くても、武勲に恵まれていないということだ。
取り巻きとゲラゲラ笑って仕事もしていない其奴に歩み寄る。
取り巻きが気付く。
水兵のボスがこっちに気付くより早く。魔法で空中に放り投げる。取り巻きもろとも。
受け身も取れず甲板に叩き付けられる其奴ら。
わたしは詠唱もしていない。
更にそれを何度も繰り返す。
最初は何をしやがるとか、ブッ殺すぞとか喚いていたそれらも。
何度も放り上げられて叩き付けられる間に。やがて悲鳴にそれを変えていた。
水兵が集まってきて、手も動かさず棒立ちのままのわたしがそれをやっているのを見て、固唾を呑んでいる。
やがて、助けてくれ降参だとわめき出す水兵を甲板に乱暴に叩き付けると、周囲の空気を薄くした。
飛びかかろうとしたのだろう。
元気なことだ。
だが、即座に甲板に這いつくばって、喉を押さえて転がり回る水兵のリーダー格。わたしは、丁寧に説明する。
「わたしはその気になれば、この船の人間全員を即座に窒息死させることが出来ます。 船の何処にいようとね」
「ひ、ひっ……!」
「魔法の展開もやっているのを見えましたか? この程度は片手間に出来ます。 風はわたしの味方。 誰がどのくらいの距離にいるのかもすぐにわかります」
「ひぎ……」
窒息寸前と、僅かに息ができる状態を繰り返す。
アンゼルは手出しせず、遠くでにこにこ満面の笑みを浮かべていた。
「周りの皆も、承知しておいてください。 わたしに舐めた真似をしたら、いつ不審死してもおかしくはありませんよ」
水兵達が、視線を逸らす。
わたしは、水兵達のリーダー格を解放してやる。
必死に息を吸うそいつに、わたしは指示。
土下座しろと。
そいつは、顔を真っ赤にして怒り狂おうとしたようだが、わたしは即座にまた空気を薄くする。
這いつくばって転がるが、明らかに動きが鈍くなってきている。
やがてそいつは観念して、土下座していた。
「周りの兵士達に、わたしに手出ししたら殺すと宣言しなさい」
「こ、この女に」
「この女?」
「ま、魔法使いどのに何かしようとしたらブッ殺す! わ、分かったな!」
半泣きになっている姿に、もはや威厳はない。
取り巻き共々、此奴らが偉そうに出来ていたのは今日で終わりだ。
多分水兵のリーダー格も別の奴に交代だろう。
わたしは後方でひそひそ話をしている奴の声を、大きく風の魔法で再現してみせる。ひそひそ話をしている連中は、ぎょっとしていた。
「基本的に船内の会話は全部聞こえています。 悪巧みをしても無駄ですよ。 其処の貴方、昨日二人部屋に連れ込んでベッドでよろしくやっていましたね。 そっちの貴方は、船の金庫をどうやって荒そうかたくらんでいましたね」
水兵達がぞっとした様子で立ち尽くす。
これでいい。
船長は見ていて止めなかった。
多分、こういうやり方が此処では正義なのだ。
反吐が出るが。
少なくとも、これで迷惑は掛からなくなる。
わたしの代わりに、他の誰かに此奴らが嫌がらせを始めるかも知れないが。そこまでわたしは管理できない。
そもそもこれは海賊女王とやらがやらせていることだ。
これを人間らしい行動だとか。
当然のことだとか思ってやらせているのかも知れない。
器が知れるな。
今から期待するものが既になくなっていた。
自室に戻る。
黙々と食事をする。アンゼルが、満面の笑みで遅れて部屋に入ってきた。
「いやはや痛快。 あれでいいんだよアイーシャ」
「馬鹿馬鹿しい話です。 フラムがやっていたようにして見ましたが、フラムよりは人を傷つけずに出来たようですね」
「ああ、アイーシャのもう死んだだろう義理の兄貴だっけ?」
「はい。 伯爵領で犯罪組織の長をしていました」
今になって見ればあれは見本のような賊だ。
アプサラスが取引するのも嫌だと言う顔をしていたが、それも今なら分かる。
それと、今やってみて分かったが。
フラムは基本的に、もっとも分かりやすいやり方でクズを従えていたわけだ。
わたしは、その真似をしたことになる。
真似か。
手は随分と大きくなった気がする。
背も栄養をしっかりとったからか伸びた。
幼い頃の成長期で背が伸びなかったが、その分食べたからだろうか。相応に体はしっかりしてきた。
わたしくらいの背丈だと、結婚していてもおかしくはないらしい。
そんなつもりはさらさらないが。
「今の旧パッナーロは地獄と言うのが天国に見えるような場所らしいけれど、ああいうやり方をしていけば大丈夫だろうね」
「そうですか。 なんともろくでもないですね」
「その通り。 だけど、だからこそあたしみたいなのが生き生きとやっていける」
アンゼルは嬉しそうである。
それからは水兵はわたしを避けるようになり、他の人間もわたしを舐めた行動はとらなくなった。
何より会話が全部拾われているというのを示したのが大きいだろう。
悪巧みの類もしなくなった。
それで快適になった。ばかばかしい話ではあったが。