親友アンゼルと離れ、完全に無法地帯になった旧パッナーロに放り出されたアイーシャ。
得意の移動魔法を使って必死に逃げますが、ロイヤルネイビーに荷担していたアイーシャに居場所なんぞありません。
それだけ恨みを買っていますので。
今できるのは、出来るだけ急いでこの地を離れる。それだけです。
それも暴徒から反乱軍になった旧パッナーロの民が出来るだけいない方に。
序、再びの焦土
あのアルテミスという騎士から離れて、一週間南下を急いだ。アンゼルはもう多分駄目だろう。
そういう諦めもあるけれど。
それ以上にまずは、生きる事を優先したかった。
完全に秩序が終わった事が分かる。
毎日何処かで悲鳴が上がっていて。火がついていて。
戦いが起きていた。
追われているのはロイヤルネイビーや、クタノーンの黒軍の生き残りだろう。今まで占領軍として振る舞っていた彼等は、既に形勢逆転。完全に各所で追われ、各個撃破され殺されていた。
彼方此方の街では、殺された兵士の死骸が串刺しにされたり首を並べられたりしている。そうされても仕方がないだけの行為をして来たのだ。
状況は一目で分かる。
だから身を隠しながら、ひたすら南へと急いでいた。
まだ海を隔てて本土があるカヨコンクムはましだ。
もろに陸路で領土を接しているクタノーンは、下手をすると本土まで飛び火するのではないのか。
しかし、それに関してわたしはどうこういうことはない。
いう資格もない。
わたしは戦いに事実上関与していない。
それに、戦いの後のカヨコンクム側として、賊を下す仕事をしていたのだ。
降った賊が、その後どうなったかは分からない。
裏切り者としてつるし上げられるのか。
それとも反乱軍に加わって、存分に恨みを晴らすのか。
ただ、分かっている事はある。
恐らくこの件、旧パッナーロの生き残りと言えるロナウ国は蚊帳の外だろう。
三国が完全に無視していた程度の存在だ。
この機に乗じて領土を取り戻す、なんて事は出来ない。
結果として、スポリファールが獲得領土を守りきった場合。
旧パッナーロ国の三分の二が独立を回復し。以降は別の国としてやっていくのかも知れない。
ただ、それを見ている余裕は無い。
とにかく、今は逃げないといけない。
土の魔法と風の魔法を全力で駆使して、逃げる。
何度か軍(と呼んで良いのかさえ分からないが)に見つかったが、わたしが全く見当違いの方に向かっているのを見て。更には強力な魔法を使っているのもあるかも知れない。追おうとする者は多く無かったし。
追ってくるとしても振り切るのは難しく無かった。
優れた魔法使いもいたようだが、それでも数は多くない。
わざわざわたしを追う理由がないのだろう。
わたしも集落を出来るだけ避けながら、山や川などを行く。
川の上は水の魔法を使って高速で移動出来るようになった。土の魔法で地面を移動出来るのと同じ。
応用だ。
ただ、川には大きな捕食者がいる。
ワニとか、大きな魚とか。
しかもそれらは、人間の肉を食べ慣れている。
こんな状況だ。
半年ほど旧パッナーロの各地で仕事をしている間に聞いたが、ロイヤルネイビーのチンピラ同然の水兵なんか、逆らった人間を殺した後、死体で遊んでいたらしいし。
逆らう人間を川に放り込んで、魚の餌になるのを見て笑っていたらしい。
クタノーンでも似たような事はしていただろう。
殆ど兵の質は変わらなかったようだし。
そうなれば、獣が人肉の味を覚えるのは当然だ。
何度か大きいのに水面下から襲撃されたが、全て返り討ちにする。
戦闘向けの魔法は少しずつ慣れてきている。
水面から跳び上がってきたワニやら魚やらを風魔法で拘束し、そのまま空中で締め上げる。
特にワニは、口を開ける力は本当に非力だという事を既に知っていたのが大きい。
食事になるのは、自分らだと気付いた時にはもう襲い。
わたしはむしろ、自分をエサにして、大物を釣るようにさえなっていた。
川を専門で下ったりしながら、どんどん南へ向かう。
少しでも街に近付くと、会戦が行われていたりするが。会戦と言ってもほとんど敗残兵狩りだ。
毎日のように旧パッナーロの「反乱軍」は規模を増している。
それに対して、占領軍だった側は、逆に連日規模を減らしているようだった。
森に入り込むと、其処にただよう腐臭に眉をひそめる。
大量の腐肉と人骨。
この様子だと、逃げ込んだ敗残兵が殺されたのか。
或いは敗残兵が、財産にならないと判断した奴隷を処分したのか。
どっちにしても、ここでは何が起きたのだとしても不思議では無い。
不衛生という以前に、人間の死体に接触すると病気という観点でリスクが大きい。
アンゼルは血を浴びるのをたのしんでいたっけ。
アンゼルは平気で鳥を生で食べていたりしたし、多分そういう固有の魔法を持っていたのだと思う。
わたしには其処まで出来ない。
風の魔法で浮かせて持って来た大きな魚を引き連れて、森を出る。
荒野だが。
幸い人気はない。
枯れ木を高速で回転させ、火を熾すと。
魚を焼いて、がつがつと食べる。
魔法を使うには腹を満たす必要がある。仕方がない。とにかく食べて、力をつけていく他無いのだ。
ただ、煙が上がると、当然発見される確率も上がる。
食べ終えると、魚の始末はそのままに、さっさとその場を離れる。
体を洗うのも、排泄をするのも、本当に命がけだ。優先度は当然食事と睡眠が一番上である。
睡眠さえまともに取れない日だって多い。
つらいことだが。
それでも、どうにかやりくりしていかなければならなかった。
アンゼルと離れてから十日が過ぎた。
山岳地帯に入る。
確か旧パッナーロの南は深い山岳地帯で、昔は南にある幾つもの国から侵攻を受けていたとか。
そのため南にも辺境伯が配置されていたらしいが。
南の国からの侵攻がぱたりと止んだこともあり。
もっとも酷い腐敗をしていったそうである。
そういう話は、スポリファールで勉強しているときに知った。
今では。知ったところでどうにもならないが。
森の中を行く。
もう旧パッナーロからは抜けたと思う。流石にここから先に追撃が掛かるような事はないだろう。
途中で手頃な洞窟を見つけたので、土の魔法と風の魔法で内部を丁寧に処理して、隠れ家に改装する。
食べ物には困らない。
この辺りの主だったらしい熊が襲ってきたので、即座に返り討ちにした。熊だろうが、息を出来ないようにしてしまえばどうにでもなる。近寄らせないように、土魔法で距離を取りつつ、相手の息を止める。
最悪熊みたいな鈍足相手なら、空に逃げてしまってもいい。
熊を殺した後には、ゆっくり肉を捌いて、燻製にした。これでしばらくは、生きていく事が出来る。
服についてはずっと着たきり雀だったし、これでやっと風呂にも入れる。
パッナーロの周辺には、例の大きな鳥もいる。
空は飛べないが、逞しい二足を持っていて。蹴りを食らうと、人間なんてひとたまりもない強力な獣だが。
今のわたしには、肉はまずいけれどまあたくさん栄養が取れるからごちそうだと言えるだろう。
それにまずい肉なんて、今になって思えば贅沢な考えだ。
わたしが伯爵領にいた頃なんて。
もっとまずいご飯を食べていたし。
まずくても肉なんて贅沢品だったじゃないか。
毒を受けた場所なんかの手当ても、時間を掛けてやっていく。幸い肉が腐ったりはしていなかったが。
この辺りの頑丈さは。
伯爵領みたいな劣悪な環境で生き残って、鍛えられたからなのかも知れない。
そうして、数日過ごす。
恐らくは「反乱軍」の斥候らしいのがたまに森の近くまで来たが、森には入ってこなかった。
もうこの辺りは、旧パッナーロではないからだろう。
南にも幾つか国があり。
それらを刺激するのは得策では無い。
そういう理屈なのかも知れなかった。
数日間態勢を整える。
服なんかは元々わたしは興味が薄く、特務として支給されたのを着たきりで過ごしていた。
所属がロイヤルネイビーになってからもそれは同じ。
それに、この旧パッナーロに着てからは、略奪以外で服なんて手に入れられなかっただろうし。
風魔法の範囲を拡げて、情報を集める。
麓には反乱軍が砦を抑えたらしく、かなりの人数が行き交っている。魔法が使える人間もいるが。
幸いわたしに気付くほどの手練れはいないようだった。
情報を集める限り、やはり海賊女王は暗殺されたようである。
あの時何が起きたのかはよく分からない。
ただ、首は上がったと言う事だから、何かしらの方法で誰かに殺されたのだろう。幾つかの情報を風越しに聞いたが、密偵が刺したとか。ハルメンの特務が刺したとか、色々情報があるようだ。
いずれにしてもあの海賊女王も、此処までの事態の急変と周囲の情勢の変化に、どうしても隙が出来た。
其処をやられたのだとすると。
流石の一代の英傑も、どうにもできなかったのかも知れなかった。
ただ、死を悼むほど恩を受けたわけではないし。
そのやり方については、色々気にくわなかった。
後、これはアンゼルにはちょっと言えない事ではあるのだが。
アンゼルはどうしても、わたしを振り回し続けていたと思う。
わたしとしてはとてもアンゼルを頼りにしていた。これはどうしようもない事実である。友達としても大事に思っていた。これもまた事実だ。
だがアンゼルはとにかく一方的だったし。
その関係性はいびつだったと思う。
アンゼルはわたしを同類として大事に思っていたのだと思うが。
わたしは会話が成立する数少ない相手として好ましく思っていた。
アンゼルがそれを知っていたかは分からない。
ただアンゼルは参謀としてとても優秀だったし。一方で、アンゼルがいると取る事が出来る選択肢だって減った。
そういうことは、離れて見て良く分かる。
離れるのは、それはそれで今は悲しくは無かった。わたしは冷たい人間なのだろうとも思うが。
それもまた、本音なのだった。
麓の砦の人間は入れ替わり続ける。
黒軍を救援すべくクタノーンから来た援軍と反乱軍が激突したらしく。どんどん反乱軍が西に向かっているらしい。
クタノーンの国家規模はカヨコンクムと大して変わらなかった筈で、だとするとこの大反乱で壊滅した軍を救出できるとも思えない。
押し返されて終わりだろう。
むしろ傷を拡げるだけだろうなと、わたしは冷静に分析する事ができていた。
怪我は癒えたし、力も蓄えた。
熊の皮は剥いでなめして、売り物に出来ると思う。荷車も廃棄されていたのを調達したので、以降はこれで行こうかなと思う。ちなみに廃棄されていたのをわたしが直した。こういうのを直すのは、スポリファール時代に散々やったから、今ではお手のものだ。手で直すのは無理だろうけれど。
これ以上山にいても、いずれ手練れの魔法使いに気付かれるかも知れないし。
残党狩りが始まるかも知れない。
山の中を。荷車に腰掛けて行く。
山の複雑な地形も、土魔法と風魔法の組み合わせで、荷車はぐんぐんと進んでいく事が可能だ。
足で歩くとむしろ魔法よりも疲弊が大きい。
亀裂なんかが走っている場所は、風魔法で荷車を浮かせて対応した。何、まったく問題なくいける。
森は深くなる一方。
そして、山ばかりの土地を進んでいくと。
やがて、集落が見えてきていた。
集落に入る。顔はフードで隠しておく。
閉鎖的な集落だ。明らかにわたしを歓迎していない。戦士の長らしいのが来る。わたしは魔法使いである事を示すと、熊の皮を売る代わりに、情報を欲しいと申し出る。戦士の長らしい、長身の筋骨たくましい女性戦士は。鼻を鳴らすと、熊の皮の質を確かめる。
「いい皮だ。 あんたが仕留めたのかい」
「はい。 傷をつけないように窒息させました」
「そうか。 それは随分と残酷に殺したね」
女戦士が、何か線を空中で切る。
見た事がない所作だが、魔法の他に信仰が辺境では存在しているとかいう話を聞いている。
それかも知れない。
村の奧に案内される。
こんな所で暮らしている連中だ。少なくとも、旧パッナーロの民よりは戦い慣れしているだろう。
旧パッナーロの民は今は蜂起で勢いに乗っているが、それもハルメンが裏から支援して、戦闘訓練していた者達が主軸になっているだろうし。
なんならその密偵が中核で指揮を執っている可能性すらある。
しかしこの山の中で暮らしている民は、それこそわたしが倒して来た巨鳥や熊を平時から相手にしているのだ。
鍛え方も修羅場のくぐり方も全然違うはずだ。
奧の家で、軽く茶を出される。
茶というか、なんかよく分からない飲み物だが。水魔法で調べる限り、毒も薬も盛られていない。
やがて村長らしい老婆が来る。
簡単な魔法なら詠唱も使っていないのを見て、老婆は目を光らせていた。
「面倒ごとはごめんなんでね。 もしも追っ手が来た場合は、あんたのことは言わせて貰うよ」
「どうぞ。 此方としても情報が得られればかまいません」
「ふん、随分と割切ったものだ」
「そうですね」
実際には少し違うのだけれども、まあいい。
軽く話を聞かせて貰う。
この辺りはやはりパッナーロではない。いにしえの時代に勇者だの賢者だのが好き放題をする前。
そういった時代から存在している国の一つだそうだ。
此処はグンリ国。
現時点では見る影もないが、古くには魔法を産み出したとも言われているとか。
「魔法はいにしえの時代に突然使える人が世界中に現れたと聞いていますが」
「確かにあの狂った時代に一斉にそういう人間が出たのは事実さね。 この国でも、それは起きた。 だが、その前から、今使われているものほど強力ではないが、この国には僅かながら本物の魔法使いがいたのさ」
この村には、今魔法使いはいないそうだが。
いずれにしても、そんな稀少な力は神々に等しいと考えていたらしく。
このグンリ王国では、それを外に漏れないように気を付けていたのだそうだ。
また、魔法の力が遺伝しないことも、この時には分かっていたらしい。
結局の所、ほぼ鎖国することで。数百年間嵐から身を守っているようなものだと、村長は呟く。
なるほどね。
村の民は貧しいが、そこまで不幸そうには見えない。
それに文明的にもそれほど劣っているようには見えないのが不思議だ。
山の中にも関わらず、上水も下水もしっかりしている。
水車も回っている。
どうやって水を確保しているかは分からないが、
いずれにしても、旧パッナーロの街の中なんかより、よっぽど人間らしい生活が此処では出来るだろう。
ただし、田舎の嫌なところもわたしは知っている。
此処に長居するつもりはさらさらないが。
「熊の皮の分はこれだけだよ」
「そうですか。 麓の情勢を代わりに教えましょうか」
「いや、結構だ。 パッナーロが潰れて、更に侵略をした国が滅茶苦茶に反乱でやられているのは知っている」
「へえ」
それは凄いな。
確かにその通りで、それだけ知っていれば充分だろう。
どうやって知ったのかはちょっと興味があるが、いずれにしてもどうでもいい話ではある。
「では村の事はどうでもいいので、少しは栄えている街の方角を教えて貰えますか」
「何をするつもりだい」
「魔法が使えるので、其処で仕事を探します。 衣食住が足りる程度の生活が出来ればそれでかまいませんので」
「……更に南下して幾つか山を越えると、嫌でも街が見えてくる。 勝手に其処に行くといいさ」
一礼すると、わたしは村長宅を後にする。
荷車は例の屈強な女戦士が見張っていた。
周囲の村人は、興味と言うより敵意に近い感情をわたしに向けている。よそ者への強烈な疎外感。
これは多分だが。
同じ国の人間にさえ向けているのだろう。
まあ、わたしも長居はするつもりは無いし、誰も荷車に手を出さなかったのでそれでよしとする。
荷車に手を出していたら、相応の報復をするつもりだった。
「それでは失礼します」
「勝手に行きな」
あの老婆は気付いていただろうか。
わたしは嘘をある程度見抜けるようになっている。嘘をついていたら、審問の魔法を使う事も考えていたのだ。
嘘をつかなかったし、わたしと対立するそぶりも見せなかったから、わたしも手を出さなかった。
その気になればこの村くらいは、瞬く間に風の魔法で全滅させる事が出来る。
まあ、わたしもこの辺りの物騒な思想は、アンゼルと一緒にいたことで染みついてしまった。
ちょっとずつ矯正しなければならないと思う。
山越えに戻る。
後方からの追撃への警戒は、少し下げていいと思う。
既に別の国に入っているし。
そもそもわたしを殺す理由がないだろう。
一時期ロイヤルネイビーに荷担していた人間は全部殺すというのなら、身内で壮絶な殺し合いが始まるだろうが。
少なくともわたしを殺すために、大規模な追撃部隊が送り込まれている気配はなかった。
ともかく、旧パッナーロには二度といきたくはないな。
そうわたしは思った。
望郷なんて概念はない。
あんな故郷に、そんな考えは持ちようがなかった。
※アルテミスについて
本作における人間最強の騎士です。精鋭揃いのスポリファール国の騎士でもずば抜けていて、能力主義が厳しいスポリファールでは次期国家元首ではと言われています。
戦力はアンゼルが言っていた通りにあのアンゼルと比べても段違い。更に固有魔法まで持っています。
アンゼルを瞬殺したのも実はそれだったりします。
あらゆる全てが高い次元で纏まっていますが、しかし……