巨人だ。
ドラダン連邦の民は、境界から現れた巨人に対して神殿でひれ伏す。神殿は巨人が入れるように天井がない。被害が出ないように、境界の近くに分かりやすく作られてもいる。集落まで巨人が来ないようにするための措置。
生け贄をおいた祭壇に巨人は興味を示すが、基本的に巨人は気まぐれだ。
ひれ伏している誰が食い散らかされるか分からない。
そしてもし生け贄が食われなかった場合は、生け贄は憎悪を一身に受けて、多くは殺される。
巨人を信仰するのは、好きでやっているのではない。
巨人は圧倒的な存在。逆らってはいけない相手であるのと同時に。
この国の法。
王でさえ巨人には逆らえない。
時には王が巨人に食われる事もあるのだが。
その時でさえ、誰もこの国の民は巨人を恨む事はない。そういう法が、この国では作られているのだ。
巨人はしばし獲物を見定めていたようだったが。
不意に動きが止まった。
それはひれ伏している者誰もが悟った。
びくりと恐怖で身を竦ませるものすらいた。
やがて巨人が、いきなり喋り始める。
巨人が喋る事は周知であったのだが。
それでも、それを初めて聞く民は多かった。
「民草よ、聞くが良い」
「ははーっ! 偉大なる天の使者よ、如何なることでありましょう」
神官が声を張り上げる。
巨人からの言葉は、淡々と紡がれる。
「この地に異変が起きようとしている。 そろそろこの世界も、次の改変期にはいる」
「改変期……?」
「お前達は以前の改変期をいにしえの時代と呼んでいたであろう。 似たような事が、この世界に起きる」
巨人が誰かを掴んだ。
民はひれ伏しているから誰が掴まれたか分からない。
悲鳴が上がる。
どれだけ巨人を信仰していても、食われるとなるとどうしても恐怖の声を上げる者はいる。
食われたのは生け贄では無く、神官。それも神官長のようだった。
ばりばりと人を食い千切る音。
飲み込む喉の音。
人間をぺろりと平らげると、巨人は続けた。
「次の時代は抑圧の時代となる。 備えよ」
「ははーっ!」
「備えよ。 次の時代は恐らく、この度の世界の改変期の最後となるであろう」
巨人がまた誰かを掴んだ。
今度の誰かは覚悟を決めているからか、悲鳴を上げなかった。
だが関係無く食われる。
咀嚼の音。飲み込む音。
巨人はそれで満足したらしく、境界の向こうへと消えていった。
民は顔を上げる。
食われたのは神官長と、それと。
軍の司令官の一人のようだった。生け贄は無事だ。それを見て、民は一斉に怒りを爆発させ。
生け贄に一斉に襲いかかり、殴り殺した。その後は、刃物で全身をバラバラにして、軍用犬の中に放り込んだ。
軍用犬は戦闘で使うために大型化強靭化されており、人間なんか骨ごとかみ砕いて食べてしまう。
生け贄が食われるのを見て、民は喚声を挙げる。
悪は滅びた。
そんな声すら上がる。
それが、この国での、生け贄の儀式だった。
巨人の言葉が、この世の終わりを告げているようであったのに。それを気にするものさえ、血に酔い。忘れてしまっているようだった。
わたしは差し入れされた食事を口にしていたが、ふと気付く。
なんだ。
なんだか空気が変わったように思う。
大気中の魔力に変化があったというか。
境界にいた時のような感覚というか。
それに近い違和感だ。
ともかく食事を終えるが、それは別にいい。なんだか嫌な空気である。咳払いして、周囲を伺う。
風魔法はずっと展開されているが。
それはそれとして、なんだろう。肌にひりつくような違和感がある。
外でいきなり怒鳴り声が聞こえた。
狂気に落ちてしまう者は何度か見たことがある。
それに近いようで、意味のある言葉を何も話していない。
なんだ。
何が起きている。
ともかくわたしは、食事を終えると、耳を澄ませていた。
怒鳴り声の内容は、喧嘩のようだが。その内容が良く分からない。意味が理解出来ないというか。
片方は年配の女性のようだが。
若い女性に対して、何か言っている。
胸が大きすぎる。
そのようなおぞましい体をしているのは許されない。
大きく見えないように配慮しろ。
そう吠えているように聞こえた。
胸が大きいことが許されない。ちょっと意味が分からなくて、わたしは困惑していたが。まあどうでもいいか。
食事を片付けに来る兵士が来ない。
どうも彼方此方で問題が起きているようだった。
しばらく待ってみるが、兵士の一人もこない。
それだけじゃない。
他の牢に……此処はどうも訳ありの人間が入れられているようで、チンピラだの賊だのが入れられるものではないが。
ともかく兵士が来て、他の牢に入れられている人間を、引っ張り出していく。
「出てこい恥知らず!」
「処刑だ処刑!」
「なんで今更! 私はそもそも……」
「良いから来い!」
なんだ。
そのまま中庭に連れて行かれる「罪人」。罪人といっても、確か政争に敗れて幽閉されていた役人の筈だ。
それも特に国の機密を売るとか、そういう真似はしていなかった筈。
それが中庭で、何やら兵士達に読み上げられている。
要するに下半身のスキャンダルについてらしいのだが。そんなもの、わたしが知る限りどこの要人だってやっている。
あの海賊女王なんて、半裸の男を常に侍らせて、仕事の報告で出向く度に情事の後であることを隠そうともしていなかった。
性欲が強いと豪傑であるとか言う謎の風潮まであるらしいという事も、アンゼルから聞いていた。
まるで性に興味を見せないアンゼルがあの強さだったことを考えると、それはあり得ないとも思うのだが。
リンチが中庭で行われている。風魔法で、それを観察する。
局部を露出させられた役人が、それを切りおとされていた。
悲鳴を上げて悶絶する役人が、水を浴びせられ。意識が戻ると、そのまま袋だたきにされる。
兵士達がなにやらわめき散らしている。
その内容は聞き苦しくて分からなかったが、訓練を受けている兵士のものとはとても思えない。
なんだこれ。
ハルメンの兵士は、蛮族呼ばわりされていたとは思えない程理性的だと感じていたのに。
わたしはこれはまずいなと思ったが。しばし息を潜めて待つ。
しばらくして、聴取に訪れた。
訪れた奴は、ストレル一佐どのではなかった。
「罪人、聴取を始める」
「高圧的ですね。 ストレル一佐はどうしたのですか」
「解任された」
「はあ」
なんでだろう。
有能な上に軍での貢献も大きそうだったのに。
新しく登場した審問官は、これはどうみても無能だ。中年の男だが、どういう趣味なのか紅を口に引き、禿頭を何故か紫に染めている。
まあ人の美的感覚をどうこういうつもりはない。
だが、いきなり無茶苦茶を言われる。
「その顔気にくわないな。 若い上に自分が美人だと思い込んでいて、全てを見下している顔だ」
「何の話ですか。 そもそも昨日までの聴取はどうなりました」
「そんなことはどうでもいい!」
「どうでもいいんですか」
まずいなこれは。
今までも他人と会話が出来るとは思わなかった。だがこれはちょっと違っている。世界から理性が消えて無くなったようにさえ思う。
それから滅茶苦茶な理屈を色々と述べられた。
私が着ている服が男に媚びているとか、髪色と瞳の色が気にくわないとか、そういうどうしようもない事を言われた上で。
男を百人も知っている容姿だとか、訳の分からないことまで言う。
反論も馬鹿馬鹿しいので黙っていると、男は唾を吐き散らしながら叫ぶ。
「翌日去勢手術をする! 貴様の乳房を切りおとし、顔も焼いて潰す! そうしないとその腐った性根は消えないだろうからな!」
「それ、一体どんな法ですか」
「黙れっ! 我等は気持ちで世界を動かす! 法などは気持ちの下に配置されるものでしかない! 不愉快かどうかだけが世界の基準なのだ!」
これは駄目だな。即時脱出だ。
いずれにしてもわたしは、無言で立ち上がると、男を風魔法で吹っ飛ばしていた。男は鞠のように外に飛ばされると、壁に叩き付けられて白目を剥く。
そのまま牢を出ると、わたしは兵士が駆けつけてくる前に、練習していた飛行魔法を展開。
空を飛んで、そのままこの地を逃れる。
どうしたんだこれは。
まずは世界を観察して、状況を確認しないといけない。
飛行魔法を練習したとは言え、そんなに長距離は飛べない。生活の拠点も手に入れなければならない。
色々と、やるべき事は多かった。
(続)
破滅が始まりました。
数百年前に世界に起きた致命的な破滅が、この世界に降りかかろうとしています。
人間は……例え最強の騎士アルテミスであろうと、この破滅の前には無力です。
ましてや最強でもないアイーシャは……
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