以前アイーシャに厳しく接しながらも、それでも公平に行動していたクラウス。
戦闘で負傷した後はいい医者に掛かる事ができ、失明するだろうと言われていた目もどうにかなりました。
ただこの状況、一人加わったくらいでどうにかなるものでもありません。
しかし知恵者が加わった事で、情報交換は出来ます。
拠点で話す。
クラウスは四角四面といった雰囲気だったが、少なくともこの人がいる間は、あの田舎街の教会もきちんと動いていた。
あそこが決定的におかしくなったのはクラウスが栄転して……正確には戦傷で負傷して彼処を離れてからだ。手酷い負傷をしていて片目は失明確実だという話だったが。或いは高度な医療魔法を使える魔法使いに治療を受けたのかも知れない。
いずれにしても職務に復帰したわけだ。それでその矢先にこの事態。同情に値するだろう。
順番に、日付も含めて軍師殿がハルメンで何が起きたのかを話し始める。そうすると、クラウスもそれに丁寧に返していった。
「此方でも異常事態が発生した日時は同じだ。 突然街中の人間が狂い始めた。 狂うというよりも、自我が異常に肥大化し、欲望が最大限まで解放されたように私には見えたな」
「僕も同意見です。 しかし此処にいる四人が正気である共通点とは、一体なんなのでしょう」
「自我が薄いというのは違いそうだが……」
わたしをみてクラウスが言う。
なんだか失礼な事を言われた気がするが、どうでもいい。
人間という生物は、やれることが極端に単独では少ない。服にしても作るには大規模な社会と仕組みが必要になる。
これを知ったのはスポリファールでだ。
実際伯爵領では、みんな襤褸を着ていたし。なんなら服すら着ていない人だってたくさんいた。
まともな服を着ていたのは伯爵一家くらいだ。後は使用人くらいか。それも個人の持ち物ではなく貸し出されたものだった筈。
スポリファールもこんな状態だということは。
近いうちに、まともな生活なんか出来なくなる可能性が高いのだ。
「最悪なのは、この後に独善の塊であるいにしえの時代の者達が現れる事ですね。 今度はこの世界をどう滅茶苦茶にすることか」
「それを分かっていても止められまい」
「あの、一つ良いですか」
「何かね」
昔の上司だが。
だからこそ、まるで変わっていないわたしには色々思うところがあるのか。時々わたしから視線を逸らすクラウス。
まあ嫌いならそれはそれで別にかまわない。
わたしは人に好かれたいと思わないし、逆に好かれても困る。
「アルテミスって騎士がいますよね。 あの人はどこで何をしているかわかりませんか」
「……騎士アルテミスは、旧パッナーロ領で治安維持にずっとかかり切りだったと聞いているが、それだけだ。 私の立場ではそれ以上は分からない」
「勇者やらが出て来たら勝ち目はないにしても、あの人がいるだけで全然状況が違うと思いますが」
「そうだな」
クラウスが苦虫を噛み潰すのも分かる。
当然、この状況で頭がおかしくなっている可能性だってあるのだ。
もしあいつが全力で殺しに掛かって来たら、多分殺された事すら分からずに死んでいるだろう。
それくらい、前に一度会ったときは力の差があった。
アンゼルが自分の十倍は強いと言っていたが、それは嘘でも何でも無かったのである。
「騎士アルテミスが助けになってくれるかはともかくとして、何にしても居場所を知る事ができれば役には立ちそうですね」
「あまり期待しない方が良い。 旧パッナーロ領にいた軍とも連絡がとれなくなっているようだ。 各地の街は崩壊状態。 国の上層部もまとめて潰れている可能性が高い」
「それでクラウスさんはどうしてこんな辺境に」
「ハルメンに様子を見に行き、なんなら援軍を頼めないかと思って移動していたのだが」
ああ、それで国境でかち合ったのか。
お互い運がない事である。
とりあえず、これではどうしようもない。
その内辺りは死人がうろつき始めるか、人間が支配権を失ったと知った大型の獣が堂々と入り込んで来るだろう。
軍が機能していない今は、もはやそれに対抗できる事はありえない。
魔法が使える人間も、正気である保証なんぞないのだ。
ともかく食糧などを確保しておく必要がある。
クラウスはかなり魔法の腕がいい。わたしはもう追い越したようで、わたしの魔法を見てクラウスは目を見張っていた。
ともかく完全に空になっている軍倉庫などから、物資をいただく。教会も内部は殺し合いの末に無人になっていて、半ば崩落している状態だった。物資も完全に置き去りにされている。
雨ざらしにされるだけの物資をいただくことは仕方がないだろう。
回収して、ありがたく使わせていただく。
そうしている間にも、どうみても死んでいる人間が彷徨き始めている。わたしが出るまでもなく、クラウスが雷撃魔法で焼き払う。
威力だけならストレルの魔法より上とみた。
スポリファールは人材が揃っているな。
ストレルは沈み込んでいて、軍師殿の命令には頷いて行動はしてくれるが。それ以上の事はやらない。
精神的に限界が近いのだろう。
これはいつ襲いかかってきてもおかしくなさそうだな。そうわたしは思って、最悪の場合には備えていた。
物資を集めてきて、まずは生活出来るように拠点を整える。
我が物顔に街に入り込もうとする大型の獣。前は見たことがなかった。四足だが、熊よりずっと体がしなやかそうである。
虎というらしい。
ともかく、虎だろうがなんだろうが、窒息させるだけ。
こっちには気付いているだろうが、窒息させて生きている生物なんていない。虫ですら死ぬのだ。
虎を殺した後は、死体を吊しておく。
それで他の虎は近付かなくなる。腐り始めると異臭が酷いだろうが、それも警告になる筈だ。
野犬も見かけるので、片っ端から始末しておく。
臭いは風魔法で入らないようにしておくが。死体を見て、ストレルが涙ぐんでいる。もう吐く気力もないようだ。
とにかく、食事を取りながら、今後の指針について考える。
淡々としているわたしを見て、クラウスが批難するように言う。
「相変わらずだな君は。 少しは人の哀しみを知ろうと思わなかったのか」
「そう言われても、分からないものは分かりません」
「そうか……」
「心を作り損ねたのだと今は分かりますが、それだけです」
別にそれが他人より優れているとか劣っているとか、そんな風には感じない。
ともかく食事をして、今後について考える。
境界についても話を共有。
それを聞くと、クラウスは考え込んでいた。
「いにしえの時代に現れた狼藉者達は、異世界から来たと言っていたそうだ。 その境界の先にある妙な世界の可能性はあるか」
「いえ、それは考えにくいですね。 異世界と彼等が言っていた世界は概ね共通した様子だったようで、今の世界から魔法を抜き、技術を高めた世界のようでした。 恐らくその異世界というのは、全員共通していたのだと思われます」
「なるほどな。 確かにだとすると、その境界とやらは関係が無い訳か」
「そんな暮らしやすそうな世界にいたのに、どうして此方に来たんでしょうね」
わたしが小首を傾げると、二人とも分からないと顔に書く。
そうか。
この二人は相当に整理された頭脳の持ち主だと思うが、それでも分からないか。じゃあ、わたしが考えても無駄だな。
とりあえずどうするか。
「しばらくは此処で様子を見ましょう。 もしもいにしえの時代と同じだとすると……混乱が収まるまでしばらく掛かります。 その後に、満を持して異世界からの者が現れるでしょう」
「現れるのをただ待つのか」
「いえ、対策を考えます。 グンリで一度、他でもう一度だけ。 飽きて塵になる前の勇者やら賢者やらを斃した例が知られていたようです」
それ、知っていたのか。
わたしはグンリで聞いたが、この様子だと他の大国でも実は知られていた事だったのかも知れない。
まず第一に、その者達はとにかくあらゆる攻撃が通じなかったそうである。
色々な能力を屁理屈で解釈した結果らしいのだが。
あらゆる攻撃が通じないと言う事は、防がなければ死んだと言う事だ。
「殺した例の一つは、酒を飲ませたものでした。 その者は殆ど飲酒の経験がなかったらしく、致死量には程遠い酒を飲ませた所、無防備に寝てしまったそうです。 其処を討ち取ったのだとか」
「それは誰が相手でも通じる方法では無さそうだな」
「はい、残念ながら」
そもそもだ。
混沌の時代に現れた者達は、自分の美学に沿った姿をしていて。つまり自分を自分で考える最強に整えていた状態でこの世界に現れたらしい。
それなら相争いそうだが、実際にはほぼ争った例は観測されていないそうである。
観測も出来ないような次元で争っていたのか、それとも違う理由があるのかは何ともいえないが。
「睡眠時にも討ち取るには非常に困難を極めていました。 しかし……一つだけ例外が存在していたのです」
「どのような例外か」
「現在、ハルメンの王族だけが知っていた事実なのですが。 彼等の身勝手な理屈を貫通して、体に直接痛打を入れられるものがあったようです。 もう一つの例は、それで大きな犠牲を出しつつも、討ち取ったようなのです」
「なんだと」
クラウスが反応する。
そうか、それで王族を探していたのか。
復興だの何だのは関係無かったと言うわけだ。
この軍師殿、色々と悪辣である。ストレルが、じっと恨みがましく見る。そんな理由で。そういう視線だ。
だが、今はその方が大事だろう。
その手の輩は、人間の理屈なんて通じない。
そもそもわたし達だって、エゴを最大限まで肥大化させ、感情のままに振る舞う人間がどうなるかを、散々見てきたのだ。
あれら以上に勝手な輩が現れるとみて良い。
そうなれば、身を守る手段を持っていないと、馬車に轢かれる事故みたいに死にかねない。
「今は嵐を凌ぐように身を守るしかありません。 もしもいにしえの時代と同じような事が起きるとすれば、世界に厄介者達がじきに現れます。 既存の秩序は既に崩壊していますが、更に崩壊は拡がるでしょう。 もし厄介者達が以前と同じ仕組みで動いているとすれば、大半はすぐに塵になってしまうでしょうが……生き残る少数が厄介です」
「うむ」
「此処にいる四人の中では、恐らくストレル一佐がもっとも武芸に優れているとは思いますが……それでも力不足に感じます。 誰か腕利きの騎士なり特務なりがいれば話は早いのですが」
「騎士アルテミスは兎も角、騎士アプサラスはどうだろうか」
あの人か。
もしもあの人が味方になってくれれば、それは助かる。武力以上に、頭もきれるだろうからだ。
だがあの人だって、無事でいるとは考えにくい。
覚悟はしておかないといけないだろう。
「やることは二つだな。 一つはその不可解な武器を手に入れる事」
「はい。 これについては概ね見当がついています。 ハルメンとしても、出来るだけ他の国に触れさせたくなく、いざという時は使える場所に保管する必要があるからです」
「そうか。 それでもう一つについてだが、アイーシャくんの移動用の魔法を駆使しても、パッナーロまでは数日かかるだろう。 少なくとも、その間に誰かしら腕利きの騎士なり特務なりが逃げ延びているのを見つけられるとは考えにくい。 そうなると、武具を手に入れた方が良いだろうな」
話が進んでいく。
わたしはさてどうしたものか。
まあ移動の足を提供する事は出来る。
それ以外には、まあ雑魚をまとめて始末するくらいしか出来ないが。
「重要なのは、目的を狼藉者達に与えないことです。 目的をすぐに達成してしまうから塵になるのも早い。 しかしもしも同類の誰かがやられたとなると、恐らくは目的を得た者達が嬉々として集まるでしょう。 残念ながら、しばらくは耐えるしかないでしょうね」
「その間に踏み砕かれる民草は見捨てるしか無いと言うことか」
「それが結果的に犠牲が一番少ないかと」
「そうか……」
がっくりとクラウスが肩を落とす。
わたしは会話に加わらない。
あまり興味がなかったからだ。まあ、わたしが助力できる部分があるなら加わるけれども。
ストレルを促して、拠点から出る。
ハルメンの首都に戻るそうだ。
彼処にその何だか分からない武器とやらがあるらしい。
色々不確定要素だらけだが。
それでも、やれることはやらなければならないのが悲しい事実だった。
高速で四人ごと移動する。拠点も持っていこうかと思ったが。あそこは中間拠点として便利なので残しておく。
封じておいたので、獣に荒らされる事もないだろう。
すっかり沈んでいるストレルは、完全に様子がおかしい。
ひょっとすると、精神が壊れてしまったのかもしれなかった。
妖艶な女そのものの容姿をしていても、心まで成熟しているわけではない。
図体ばかり大きい男が、オツムの中身は幼児並みなんてのはよくある話だが。女だってそれは同じだ。
わたしだって倫理観念だのは全然育たなかったからそれらと同類である。
ストレルには気の毒だと思ったが、わたしに出来る事はない。医者が無事なら出来るかもしれないが。
少なくともわたしは怪我を治すことは出来ても、心は治せない。
移動を続ける。わたしの魔法は更に成長している。更に速度が出ている。
移動中に、新しいゴブリンや新しいオークを見かける。中には絶賛人間を強姦中だったり。或いは人間を補食中の場合もあった。
即座に皆殺しにしながら先に行く。
助けた相手が、なんで助けに来なかったとか、身勝手に罵り始めるたびにストレルがびくりと身を震わせる。
挙げ句には襲いかかってくる奴までいるので、放置してさっさと去る。
助ける意味なんかあったのだろうかと、疑問を感じるが。
まあそれについては、わたしが考えるよりも効率よく軍師殿が考えてくれるだろうし、どうでも良かった。
こんな状況でもわたしは流されるままだな。
それは分かっている。
だけれども、他に方法がない。
今はともかく、軍師殿の指示に従って移動する。目的地は、ハルメンの首都。その東にある出城だった。
出城はごくありふれた作りで、わたしが見た感じスポリファールのものと殆ど変わらなかった。
技術の面でも遅れているようには見えない。
なんで蛮族と罵っていたのか、よく分からないし。
この砦を見て、クラウスは何度も眼鏡を直していた。
「何となく技術が遅れている相手では無いとは思っていたが、砦の造りを見る限り我が国と同格ではないか。 技術によっては我々以上だ」
「魔法の技術では其方に遅れていますが、オークの育成などの裏技は此方が優れていました。 基礎インフラなどはパッナーロから流出した技術と、貴方方の国に潜り込んだ間諜が持ち帰った技術によるものですね」
「そうか。 少し侮りすぎていたようだな」
「ただ人口は其方が三倍以上もいた事もあり、その観点では勝ち目がありませんでした。 もしも勝ち目があるとしたら、其方の国が腐敗して、内部から瓦解した場合くらいだったのです」
出城の周囲を確認。
此処もほぼ無人だ。
内部には熊が平然と入り込んでいて、死体を喰い漁っていた。それに全く興味を示さない、明らかに死んでいる人間達。うめき声を上げながら、歩き回っている。
死んだ人間は全部ああなるのだろうか。
それはまた、酷い話だ。
とりあえず入り込んでいる熊などを駆除。
この城はかなり堅固なようにみえたが、城の兵士がまとめて狂ってしまえばどうにもならない。
城の入口は開けっ放しで。其処から猛獣が人肉を喰い漁りに入り込んでいるのだ。
中の人間も互いに凄まじい形相で殺し合ったのだろう。
死体になっても、その形相が崩れていない。将軍らしい人物も、今は死人として歩いていた。
ストレルが目を背けた。
首を振る。これから先に歩けないというのだ。
やはり精神が限界なのだろう。わたしは頷くと、周囲の安全を確認する。襲いかかってくる死人は、クラウスが片付ける。風魔法で周囲の状態を丁寧に伝える。これが訓練された兵士だったら話は別だろうが、雑に襲いかかってくる歩く死体だったら充分である。
砦の中を行く。
軍師殿が解説してくれる。
「此処は首都から非常に近いという利点もあるんですが、災害に強い上に、微妙に人がいないんです。 それもあって、敵が攻めるのに利点がない。 勿論これが侵攻路になった場合は別ですが、その侵攻路が坂を上がってのものになります。 敵としては、此処から攻める利点がなく、此方は戦略的要所を押さえるという理由でも城を作るのが不自然ではなく、しかも戦場になりにくいんです」
「なるほど、それで宝物庫代わりに」
「一部の人間しか知らされていませんが、そういう事です。 もう少し奧になります」
「哀れなものだな。 殆どは近衛の鎧を着ている。 本来は民のために剣を振るえる勇敢な者達だっただろうに」
クラウスが感傷的に言うが。
わたしはあまり同意できない。
ハルメンは手段を選ばない所がある国だった。人食いのオークやゴブリンを養殖して、それで戦線にぶつけていた。
目の前で人だって食われていた。
それも戦争だという考え方もあるかも知れないが。
一線を越えた場合、相手も一線を越える。
当たり前の話だ。
それをやっていた以上、これはいつか来る事だったのかもしれない。
わたしは周囲を常に警戒して、軍師殿を守る。
風魔法のおかげで奇襲は許さない。幸い頭がおかしくなっている魔法使いは、自分の気配を隠そうともしない。
ただ攻撃に対して抵抗はする。
わたしより格上の魔法使いが出てこない事を祈るしかない。
出城の奧に、地下への通路がある。
複雑な鍵があったが、ストレルに吹き飛ばすように軍師殿がいう。黙り込んでいたストレルに、お願いですと軍師殿が頭を下げる。
ストレルは、完全に限界を超えている。
もう駄目だろう、これは。
「代わって貰えますか。 わたしがやりますので」
「しかし、この扉は生半可な魔法では開きませんよ」
「魔法でなければいいのであれば、どうにでもなります」
皆に離れて貰う。
わたしは土魔法を駆使して、地下への扉の周りにあった構造体をどけていく。元々土木工事には無類の汎用性を発揮する土魔法だ。こう言う作業は、ご飯さえ足りていればどうにでもなる。
しばらくそれで辺りを更地にして、邪魔なものは押しのける。
人間の死体も。
そうしていると、ストレルがじっと恨みがましく睨んでくる。
まるで幼児になってしまったかのようだが。
だが。そういう状態は見慣れている。
後は訳が分からないことを叫びだして、暴れないことを祈るだけである。何に祈るのかはわたしにも分からない。
転生神なんてのは多分ろくでもないし。
巨人はもっと祈るに値しない。
この世界に訳が分からない連中をばらまいたのを止めもしなかったのだとすれば、神なんてろくでもないのは明白である。
それなのに祈るという言葉が出てくるのは、おかしな話ではある。
わたしは辺りを更地にすると、土魔法を駆使して、巨大な塔を作っていく。その塔の先端に、充分な大きさの岩を持ち上げていく。
制御が難しい。
腹が減ってくる。
大丈夫、荷車に食べ物ならある。それなりに美味しい干し肉が。
充分な高さと斜度を確保できたと判断した。
そのままわたしは、大岩を扉に向けて、全力で落とした。転がり落ちた岩の重さは、人間の三十倍から四十倍はあるだろう。
それが、地面に向かう力に全力で支援され。
加速しながら。
扉に叩き付けられていた。
凄まじい破砕音と共に、扉が砕ける。
岩を土魔法で分解して、扉の状態を確認。
内側に向けて、大きく拉げている。これならば、後は土魔法でどうにか出来る。
魔法に対して強い抵抗があったり、技術の粋を尽くした鍵をつけていたとしても、暴力が全てだ。
これはアンゼルの圧倒的な強さを見ていて。どうしてもそう思ったし。
そのアンゼルさえも。
更にそれを越える暴力の前には何もできなかった事からも、明らかすぎる事だった。
蝶番が砕けているので、わたしはそれを軸に土魔法で扉を砕いて、引っ張り出してしまう。
荷車にある干し肉をかじる。
燻製にしてあるので、そのままでも食べられる。
しばらく黙々と魔力を補給。
その間に、先に軍師どのが扉の奥へ。
大きな音を立てても、歩いている死体達は興味も見せない。ストレルは耳を塞いで、ずっと泣きじゃくっていた。
置いていくべきでは無いのか、これ。
一瞬だけそう思ったが、やめておく。正気で襲いかかってこないのなら、それだけで充分である。
役立たずにやる食事はないなんていう奴はいるが。
そういう奴だって年を取るし病気にもなる。
そうなれば役立たずに転落するのはそういう奴だが。
その手の輩が、役立たずになって自ら命を絶った例なんて聞いたこともない。
わたしは悪い例を幾らでも見ているから。そういうのとは一緒にはならないようにしようと思う。
何よりわたし自身が、流されるばかりでそれほど役に立てている訳でもないのだから。
「罠は解除しました」
「随分と手先が器用だな」
「はい。 奧に来て貰えますか。 ストレル一佐、貴方もです」
「アタシなんか、何の役にも立たないわよ」
ずっと顔をくしゃくしゃにしているストレルだが、わたしが無言で手を引っ張った。
なんだか随分弱々しいな。
わたしも身体能力は雑魚蛞蝓なのだが。
離して。そう喚くストレルだが、抵抗が弱々しくて、わたしでも引っ張っていける。荷車ごと奧へ。
奥にあったのは、広い広い空間だ。
しんとした空気の中に台座があって。
そこには。無造作に何かの塊が置かれていた。
これがその、狼藉者を殺すためのものなのか。
いや、とてもそうとは思えない。
だって剣でも槍でもない。もっと違う武器でもない。ただの、白い塊だ。ちょっと尖っているが、これで一体何をすればいいというのか。
「直に触らないようにしてください。 周りを見て。 こんな何も無い空間なのに、埃も積もっていないでしょう」
「確かに」
「それにこの台座は、魔法で鋳造した形跡がありません。 恐らく純金製です。 特定の酸以外では一切劣化しないという特性が純金にはあるのですが……それがこの塊の周りは酷くボロボロになっています」
クラウスが何だこれはと呟く。
わたしも同意見だ。
軍師殿は咳払いする。
どうやらこれについては、「この世の理の外」にあるらしいということ。
此処にこうして見えているだけでも、不思議なくらいのものだということ。
最初、これを発見した兵士は、触っただけで崩れてしまったらしい。
それくらい危険なものであるらしかった。
「アイーシャさん、純金でこれを包んでくれますか。 土魔法の応用で、恐らくは出来る筈です」
「わかりました」
「それでも恐らく長い時間は保たないでしょう。 普通の土などでは、恐らく包んでも時間の無駄。 風魔法などで持ち上げるのも困難極まると思います」
「それでは、この台座ごと持ち出しましょうか」
別に難しい事では無い。
クラウスもそれがよさそうだと同意してくれた。
純金の一抱えある台座は、本来だったら一財産どころではない代物だと言えるけれども。それでも運び出すと、ただ重いだけの塊だ。
確かに運んでいると、違和感しかない。金で包むときも、非常に何というか、抵抗みたいなものがあった。
これは、なんだ。
荷車に乗せて、後は布を被せる。
正気を保っている人間が見たら、文字通り金に目が眩んで襲ってくる可能性がある。今は戦いは避けたい。
彷徨いている生きた死体や猛獣を避けながら、出城を出る。
生き残っている兵士もいるようだが、生き残り同士で殺し合いをしていた。もう放っておく。
とにかく、出城を出る。
その時だった。
空気が変わる。
またか。
いや、これは。
その瞬間、暴れていた兵士達が、すんとなる。
わたしも、意識を持って行かれそうになる。足を止めて、顔を上げる。世界に、光が多数降りて来ている。
「あの光、見ない方が良さそうですね」
「……」
軍師殿が必死に顔を覆う。わたしも土魔法を即座に展開して壁を作るが、これでは高速で逃げられない。
光はかなり低い所から満ちているが、世界の彼方此方にあるようだ。それはつまり。
多数の転生神だか実は悪魔だかが知らないが、何かを送り込んできた可能性が高い。とにかく距離を取った方が良い。
相手は多分あのアルテミスでも勝てない相手だ。
わたし達なんて、蟻を潰すように殺されるだけだろう。
だが、この光。
物理的な圧力さえ持っているかのようだ。
わたしは壁で周り全てを覆うが、壁が押されているのが分かる。冷や汗がだらだら流れている。
土を掘れ。
クラウスがそう叫んで、荷車に積んでいたスコップで。必死に地面を掘り始めた。ぼんやりと立ち尽くしているストレルの手を軍師殿が引いて、穴の中に退避。わたしも必死に壁を支えて、時間を稼ぐ。
クラウスは多分肉体強化の魔法を使っているのか、それで短時間でかなり大きな穴を作っていた。
荷車ごと逃げ込む。
そして、わたしも穴に飛び込んで、その瞬間壁が崩落した。天井を土魔法で作り、更に深くへと潜る。
これは、地上から追放されたようなものだな。
わたしは苦笑していた。
そして、こんな状態では、誰も助からないだろう。アルテミスがまだ無事だったとしても。それでもどうにもならない。
あの妙な光が、世界を満たせば。
世界は本格的に滅茶苦茶になるのだろうが、それを止める術が考えつかない。
わたしは、更に深く深く穴を掘り進めながら、軍師殿が必死に考えているのを、横目で見ているしかなかった。
これ以上深く掘ると、空気を取り込むことも難しいし、何より崩落した場合脱出も出来なくなる。
そう告げて、一旦土魔法を止める。
腹が減った。
荷車にある燻製や乾燥させた保存食を貪り喰う。わたしにとっては魔力の補給は食事である。
クラウスもへたり込む。
穴を掘るので、かなり消耗したらしい。
ぼんやりしているストレル。
軍師どのも、頭が痛いとぼやいていた。
世界が書き換わったんだ。
そう思って、わたしは上を見上げる。
土で分厚く蓋をしている先には、今滅茶苦茶にされ。今まで生きてきた人間の全てを否定する世界が生まれようとしているのだろうか。
数百年前に起きたのと同じように。
だとすると、神とやらは何を考えているのか。
いずれにしても、其奴とは仲良くなどやっていけそうにはなかった。
はい。
一度世界終わりました。
それを生き延びてしまいました。
それは恐らく、幸福なことではなかったのだと思います。誰にとっても。