(……)
▶教えてよ
(顔は)
▶うん?
(きらいじゃない)
▶ありがとう
(ふん)
▶夜に妄想で使ってね
(きも)
▶やれやれ……ジョーは大親友で自慰をした。
(くたばれ)
ニルヴァーナを待っている
場所:シアトル(コーヒートーク)
人物:バリスタ(集合精神)
フレイヤ(コラムニスト)
ジル(観光客)
備考:哀れみに 松葉の牙で 吠えたてる
室の灯りを 月と思えば
シアトルは今日も雨が降る。
この世界、最後の雨。
しかし世界の最後の雨が降ったとしても。
世界が終わるわけではない。
フレイヤ:インターネットで文章を呼んでもらうのは……読書の初心者にガルシア・マルケスの百年の孤独を読ませるようなものね。
フレイヤが溜息を吐く。溜息がエスプレッソの煙を揺らす。
バリスタが苦笑する。
バリスタ:苦戦しているようだね。
フレイヤ:文章を“書くこと”についての記事を書いたんだけど。
フレイヤがエスプレッソを口にする。
フレイヤ:ほとんどの読者は物語に興味があっても、物語の“できかた”には興味がないのかも。
バリスタ:車が好きでも……車の構造が好きとはかぎらないような。
フレイヤ:そんな感じかな。まあ……別にそれで良いような気がする。構造的に作者の苦労話になりがちだし。自分の仕事が大変だ! なんて。大声で言うものではないよね。
バリスタ:それはそう。ぼくが大変そうにコーヒーを淹れていたら? いつもレシピと格闘していたら? 皆は思うだろう……この店のコーヒーは本当にまともに飲めるのか?
フレイヤ:あなたがいつも余裕そうなのはそのため?
バリスタ:そうとも……皆のために本心を隠している。本当は仮面の下でテンテコマイなんだ。
フレイヤ:笑える。今度は複雑な飲みものを頼もうかな。
それから客が入店して、フレイヤのとなりに座る。
ツインテールの女性。顔がわずかに赤い。それに酒の匂いもする。
眠そうな半目。夢見を醒ますように頭を振る。
ジル:バーテンダー! ビールをひとつ。
バリスタ:申しわけない。この店にビールは置いていないんです。
ジル:駄目じゃない……バーテンダーがビールの在庫を切らすなんて。
バリスタ:そう言うことではなくて……。
フレイヤ:この店にアルコールは置いていないのよ。
ジル:夜だけど。
フレイヤ:夜でもよ。
フレイヤがジルにエスプレッソを見せる。
ジル:ふ~~ん……。
フレイヤ:申しわけない……店を変えますか?
バリスタ:ぼくのセリフ……。
フレイヤが爆笑する。
ジル:いや……それなら……酔いざましになるやつを。
フレイヤ:かしこまりました。
バリスタ:これは“ぶっとび”だな。
フレイヤ:わたしのセリフ!
バリスタ:おかえしだ。
抹茶に抹茶に抹茶を淹れる。
淹れると煎れるは何がちがう。
国語の辞書をひらいても、酔っぱらいには分からない。
それが理解できるのは、苦味で醒めたあとだろう。
バリスタ:抹茶です。
ジル:ありがとう。
ジルが抹茶を飲む。それを薬のような味に感じる。
宣伝用のカクテルにも、こんな味があったっけ。
そうだ。あれはゼンスター。
しかし、あれよりは何倍も繊細だ。
ジル:にが~~。
バリスタ:それが抹茶ですから。酔いは醒めましたか?
ジル:すこし……この店でよかった。三軒目で潰れていたかも。
フレイヤ:ヤケになるのはよくないよ。
ジル:ヤケで飲んでいるわけじゃない。アルコールが好きなのよ。
フレイヤ:それでもよ。
ジル:まあ……さすがに三軒目はやりすぎかも。
ジルが苦笑する。
フレイヤ:仕事の帰り?
ジル:観光客なの。何年も前に友達がシアトルに行って……急にそれを思いだしたら……わたしも行きたくなっちゃって。なんだっけ……ふたりが夜に行ったところ。忘れちゃったけど。
フレイヤ:旅行が好きなの?
ジル:前はそうでもなかったけど……今は好き。前の上司とパナマに行ってからは、ひとりでも旅行に行くようになった。
フレイヤ:シアトルをたのしんで!
フレイヤがバリスタを見る。
バリスタ:いつもの席?
フレイヤ:うん。
バリスタ:がんばってくれ。
フレイヤ:了解! ボス!
フレイヤが敬礼をしたあとに奥の席へ移動する。
エスプレッソを飲みながら、端末とメモとにらめっこ。
その戦争は隣人がいると成立しない。文筆家の戦争はいつも孤独なものなのだ。
ジル:あの子は“モノカキ”なのね。
バリスタ:本気になるといつもあの席に座るんです。
ジル:ふ~~ん。
バリスタ:どうしました?
ジル:いや……急に自分のブログを思いだした。
バリスタ:あなたも書いていらっしゃる。
ジル:昔の話よ。ワカゲのナントカで……わたしの暗黒の歴史が書いてあった。
バリスタ:それはそれは……。
ジル:思いだした! 何年も前の話なんだけど……友達にパソコンのオタクがいて……そいつがひどいの。わたしの暗黒のブログをインターネットの海で掘りかえしたのよ! ひどいと思わない?
バリスタが苦笑する。
ジル:あのときはサイアクの気分だった……。
バリスタ:おもしろいことをするものですね。
ジル:やられたほうはおもしろくない。
バリスタ:気分をよくするために別の一杯をどうですか。
ジル:セールスが上手なのね……甘いのを貰おうかしら。
バリスタ:かしこまりました。
ミルクにハチミツ。それにレモン。
それは日の光が雲を通過するように混じりあう。
バリスタ:レモニースニペットです。
ジル:ありがとう。
ジルがレモニースニペットを口にする。
ジル:おいしい。甘くて……レモンがさわやか。
バリスタ:ありがとうございます。
ジル:あなたの仕事にシンパシーを感じるわ。
バリスタ:仕事は何を?
ジル:バーテンダー。
バリスタ:なるほど……カクテルも飲みものを混ぜますからね。
ジル:それに客の話を聞くし。この店は息が長そうね……動きに迷いがなかったから。
バリスタ:光栄です。
ジル:尤もバーの客はあの子のように上品ではないけどね。
ジルが遠くのフレイヤを横目で見る。
バリスタ:アルコールもありますから。
ジル:それだけじゃない。客はバーでは下品になることを許されると信じている……もちろんバーテンダーのほうでもね。誰しも不満を持っている。それをバーではさらけだしたいの。
バリスタ:それを聞くのもわたしたちの仕事です。
ジル:おかしなことよね。あなたは知らないけど……わたしは誰かの悩みを解決できるほど、自分をまともだとは思っていないのに。
バリスタ:そんなことはないかと……。
ジル:どうかしら。この店にアルコールが置いていたら、わたしは幼稚なことをしていたかも。三軒目になるわけだし。
バリスタ:そうはならなかった。それが現実です。
ジル:そうね。
ジルが苦笑する。
ジル:ヘンな感じ……話を聞かれるほうになるなんて。
シアトルは今日も雨が降る。
この世界、最後の雨。
しかし世界の最後の雨が降ったとしても。
世界が終わるわけではない。
どこかの夜にバリスタは働いているし。
どこかの夜にバーテンダーは働いている。
それが客にはありがたいことだ。
客は安心を求めている。
セックス・ワーカーに甘いものを。
文筆家には黒いものを
ハッカーにはそれなりの会話を。
吸血鬼には百年の対話を。
シアトルは今日も雨が降る。
世界で最も治安がわるいところでも、同じように雨が降っているはずだ。
この世界――最後の雨が。
フレイヤ:帰還しました!
数十分後にフレイヤが戻ってくる。
バリスタ:早いね。
フレイヤ:今日はテナオシの日だったし。それに観光客さんの話も気になる。
ジル:聞いていたの?
フレイヤ:いつもネタに飢えていますから……ブログを書いていたんでしょう? 闇の歴史のブログを。
ジル:げっ。
フレイヤ:気になるな~~。仲間が何を書いていたのか。
フレイヤがにやにやと笑う。
ジル:仲間と言えるほどのものじゃないよ。ほとんどは愚痴も同然だし。
フレイヤ:かまわないから!
ジル:シアトルの下水道に死体が浮かぶことになるよ。
フレイヤ:……気が変わったかも。
ジル:そうでしょう?
バリスタ:誰にでも言いたくないことがひとつやふたつはあるものですから……。
ジル:実際はひとつやふたつで済まないけど。
ジルが溜息を吐く。
ジル:でも……文章を書くのはきらいじゃなかったな。物語ではないけど……それを出力することで自分を構築できると言うか……。
フレイヤ:分かる。
ジル:ごめんね。プロに大層なことを言って。
フレイヤ:大層なことじゃないよ。考えるに……文章の良いところは義務教育を受けていれば、誰でもできると言うところだと思わない。
バリスタ:ふむ……。
フレイヤがバリスタを見る。
フレイヤ:あなたはバーテンダーにはなれない。
バリスタ:もちろん。
フレイヤ:でも……文章は書ける。
バリスタ:素人だけど。
フレイヤ:素人でもよ。それにこれも重要なんだけど……あなたがバーテンダーになれないのは技術的な問題だけじゃない。バーテンダーになるためには初期の投資があると言うことよ。
バリスタ:技術を知るには時間と金が必要だ。
フレイヤ:そう言うこと……それに比べると文章は簡単よ。必要なのは紙とペンだけ。参考にするために本は買うかもしれないけど……その投資はほかの分野に対して、遥かにわずかなものになる。
バリスタ:図書館もあるしね。
フレイヤ:さらにそう言うこと!
ジル:なるほど……。
ジルが驚いたように言う。
ジル:考えたこともなかった……誰でもできると言うところがすばらしいなんて。
フレイヤ:そうでしょう? 誰でもできることがこの世にどれほどあると思う? わたしたちが共通にできることが? きっと……文章はそのうちのひとつなのよ。
それは祈るような言葉だった。
ジル:……じつは嘘を言った。
フレイヤ:嘘?
ジル:物語を書いてないって。
フレイヤ:言ってたわ。
ジル:一度だけ……物語をブログに書いたことがある。
フレイヤ:その話を聞くまえに、飲みものを頼んでも?
ジル:もちろん。
フレイヤ:エスプレッソを。
バリスタ:好きだね……。
フレイヤ:ほら! ハリー、ハリー、ハリー!
バリスタ:はいはい。
コーヒーとコーヒーとコーヒーを。
夜にノック・ダウンされそうな文筆家に必要なのは審判ではない。溺れるようなカフェインなのである。元気な今の友人にベッドチェンバーは早すぎる。
カップを黒で満たしてゆく。文筆家たちが愛用している、インクのようなその色を。
バリスタ:エスプレッソだ。
フレイヤ:ぶっとび~~!
フレイヤが御満悦の表情でエスプレッソを飲む。
バリスタがうれしそうに微笑する。
フレイヤ:コホン! ……それでどんな物語を?
ジル:……フフ。
フレイヤ:どうしたの。
ジル:いや……ふたりがあまりに……しあわせそうだから。
バリスタとフレイヤ:そう?
ふたりが目を合わせる。それから苦笑した。
バリスタ:失礼……。
ジル:わたしが言ったことよ……なんの話をしていたっけ?
フレイヤ:物語。
ジル:そうだった……わたしが書いたやつ。物語と言ってもオリジナルではなくて……要は二次創作でね。
バリスタ:二次創作?
フレイヤ:ファンアートの文章版と考えて。
バリスタ:なるほど。
ジル:当時に好きなゲームがあって……無事にクリアはしたんだけど……。
ジルがレモニースニペットを口にする。自分のキモチを整理するようにそれを飲む。
ジル:思っちゃったの。わたしはまだやりたいのに! って。
フレイヤ:本でもそんなことがあるわ。でも……良いものほど、終わるのは早い。読むことに没頭してしまうから。
ジル:それで……気がつくと書いていたってわけ。
フレイヤ:他人の作品はなかったの?
ジル:あるにはあった。でもニッチなゲームだから、あまりに数が少なかったのよ。あのときは必死でインターネットにかじりついたな……落胆したけど。
ジルが肩を落とす。
フレイヤ:どんな気分で書いたの?
ジル:そんなに記憶にない……なんと言うか……必死だった。それでも“わたしが書くんだ”とは思った……なんとしても自分を満足させてやるんだって。たのしかったな……すこしだけど……そのニッチなゲームのファンが読んでくれたりもして。
フレイヤ:求められているのよ。それがどんな物語でも。
ジル:ありがたいことに。
ジルがフレイヤを見る。
ジル:それで。
フレイヤ:うん?
ジル:反対に崇高な文筆家はなんのために文章を書いているの?
フレイヤ:それ……聞いちゃう~~?
ジル:わたしは恥ずかしかったんだから、あなたも恥ずかしくなってよね。
フレイヤ:わたしは文章の話をしても恥ずかしくならないよ。
ジル:大丈夫……恥ずかしくさせてあげるから。わたしは女を恥ずかしくさせるのが得意なの。
フレイヤ:いやらしくない?
ジル:いやらしいことを言っている。今日の夜はヒマ?
フレイヤ:うん。
ジル:わたしのホテルはどう?
フレイヤ:いやで~~す。
ジル:ちっ。
フレイヤ:そんな冗談には乗りません。
ジル:意外とウブなほうに賭けたのに。
フレイヤ:そんなことでは官能小説を参考にすることはできない。
ジル:……なるほど。
フレイヤがエスプレッソを口にする。自分のキモチを整理するようにそれを飲む。
フレイヤ:わたしも似たようなものだと思うわ。いろいろな本を読んで……いろいろなことを知って……それで書きたくなった。突如として……書かずにはいられなくなってしまったの。
書きたいと言うこと。
それは時限式の爆弾にも似て、容易に止められはしないだろう。
そして爆炎がひとりの真人間を文筆家に変身させてしまうのだ。
今のフレイヤがそうであるように。
ベッドの上の貧乏人が急に虫になってしまうように――その変身は唐突なものなのだ。
フレイヤ:あなたは?
フレイヤがバリスタを見る。
バリスタ:うん?
フレイヤ:あなたも本が好きじゃない。書きたくはならないの?
バリスタ:う~~ん……ならないと言うか……考えたこともなかった。
ジル:店長さんは充分に物語を提供していると思うけど。
バリスタ:ぼくが? どう言うことかな。
ジル:正確には物語を引きだすと言うか。これはバーテンダーもそうなんだけど……この仕事はどうしても客の話を引きだすときがある。酒は口を軽くするしね。
バリスタ:分かるとも。ぼくもみんなが話をしやすいように努力はしているつもりだ。話に合うような飲みものを選んだり……店の雰囲気と音楽なんかもリラックスしやすいようにして。
ジル:わたしが言いたいのはそれなのよ。客は話をしたいと思う。でも……すべての客がそうとはかぎらない。今日は黙っていたいかもしれない……勇気がないかもしれない……となりの客が気になっているのかもしれない……その判断にバーテンダーのおもしろさがあるわけなのよ。そして判断の先に客の物語が待っている。
フレイヤ:……素敵。
ジル:わたしも客も自分の歴史の証人なの……人生は物語なのよ……なんて。
ジルが恥ずかしそうに言う。そのあいだにもフレイヤはメモを取っている。
ふたりの言葉を忘れないように。
バリスタとフレイヤとジル:……。
三人は黙る。
恥ずかしい。しかし、それをわるいとは思わない。
シアトルは今日も雨が降る。
この世界、最後の雨。
しかし世界の最後の雨が降ったとしても。
世界が終わるわけではない。
ジル:帰ろうかな。
ジルが立ちあがる。
ジル:たのしかった。酒がないのもわるくない。
バリスタ:こちらこそ。
ジル:それに話も上手だった。参考にする。
バリスタ:それもこちらこそ。
ジルが店を出る。
それからフレイヤが口をひらく。
フレイヤ:あっ。
バリスタ:どうした?
フレイヤ:名前を聞いていなかった。
バリスタ:そう言えば……。
フレイヤ:追いかける?
バリスタ:そこまでする?
フレイヤ:正直……ホテルに誘われたとき……考えちゃったよね。
バリスタ:美人だった。
フレイヤ:うん。行っちゃうな……あんなバーテンダーが店にいるなら。
バリスタ:贔屓の店を変える?
フレイヤ:遠慮する。アルコールと文章は仲がわるいし。わたしの親友はエスプレッソで充分なの。
フレイヤがエスプレッソを口にする。
フレイヤ:人生は物語。
バリスタ:素敵だね。
フレイヤ:ふたりも。
バリスタ:うん?
フレイヤ:そうじゃない? 物語は読まれることで成立するの。
フレイヤが微笑する。
フレイヤ:だから必要なの……わたしたちの口を軽くしてくれる……。
フレイヤがバリスタと目を合わせる。
フレイヤ:物語の目撃者がね。
今日もどこかで雨が降る。
この世界、最後の雨。
しかし世界の最後の雨が降ったとしても。
世界が終わるわけではない。
バーテンダーの借金はなくならないし。
バリスタのミスはやりなおせない。
それでもわたしとぼくは生きている。
誰しも悩みを引きずりながら。
サンスクリットのリズムに乗って。
菩提樹でニルヴァーナを待っている。
▶真実と言うものはおかしなもの
▶それを知るほどに 真実は姿を変えてしまう
▶あなたは真実を信頼する?
▶真実があなたを信頼していなくても?
▶あなたが真実を知りたいなら
▶わたしを信頼して
▶わたしのことを見て
▶わたしのことを知って
▶わたしのことを愛して
▶わたしはいる
▶あなたの目の前で
▶わたしは生きていた
アナ:シェイクスピアを引用する……これはマクベス?
(ハムレット……いや……オセロだっけ?)
アナ:とにかく!
▶わたしたちは影法師
▶あなたがたの魂が
▶この物語を気にいらなければ
▶夢と思って 忘れてね
うつわの中のガルシア・マルケス 終わり