犴と鮫・番外編集   作:鷲谷ヒメリ

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虚圏で一番自由な女の原点の話


紅電気石の発掘

 暗い。

 寒い。

 眠たい。

 寂しい。

 お腹が空いた。

 けど、喰べたくない。

 痛いのは嫌。

 死にたくない。

 けど、生きていたくもない。

 冷たい砂と、血の匂いしかしないこの世界で。

 私はどうして、生きているのだろう。

 

 

 常夜の白い砂漠を、三体の大虚(メノスグランデ)と一人の破面(アランカル)が揚々と進んでいた。

 破面(アランカル)の名はアメミト。月の光に照らされて輝くプラチナブロンドの髪と、燦光する翠玉(エメラルド)の眼を持つ彼女は、朗々と長話を繰り広げている。一歩足を進めるごとに、ピーコックグリーンのコートの裾がひらひらと揺れていた。

 三体の大虚(メノスグランデ)の内、唯一の最上級大虚(ヴァストローデ)であるのはハリベル。右手と融合した大剣を揺らして、白い砂を手持ち無沙汰に蹴り上げながら先頭を歩いていた。アメミトの長話には適当に相槌を打って、周囲を少しだけ警戒しているのはこの虚圏(ウェコムンド)の環境によるものである。

 その身体一つ分後ろに付き従うようにしているのは、鹿の姿の中級大虚(アジューカス)のアパッチ。こちらもアメミトのお喋りには飽きさせない程度に言葉を挟んで、先頭を行くハリベルの背中側に垂れ下がる細長い鰭を目で追っていた。それ以外には、アパッチの意識を惹く程のものが、砂と石英の木々の他に何も無い虚圏(ウェコムンド)には存在しないせいだ。

 最後尾には獅子の姿の中級大虚(アジューカス)。アメミトのマシンガントーク一つ一つに返事を返そうとして、目が回りそうになっているのはこの中で最も新参のミラ・ローズ。元は別の群れを作って細々と暮らしていたのだが、他の大虚(メノス)の襲撃を受け彼女一人を残して全滅したところをハリベル達に救われた。それを恩義に感じ、又、彼女達の目指す理想に感服して同志の徒となった。

 アパッチが顔だけを僅かに振り向かせる。そして、後方の二人の様子を確かめると苦笑いを浮かべた。

「ミラ・ローズも、アメミト様の話に一々丁寧にリアクション返さなくていいのに」

「仕方無いさ。アメミトビギナーなんだから」

「ビギナーて」

 そんな雑談に興じながら、一行は白い砂漠を行く。胸に———否、(ホロウ)の欠落を象徴する孔に共通の大願を抱き、それを成就する為の力と新たな賛同者を求めて。

 暫く歩いている内、警戒に飽いて俄かに注意力が散漫になり始めたハリベルが、何かに足を引っ掛けた。

「ぶべらっ!?」

「ハリベル様!?」

 薄らボケっとしていたハリベルは、そのまま顔から白砂に激突する様にすっ転ぶ。アパッチが駆け寄って、頭の角を差し出したので、ハリベルはそれを支えにして起き上がった。仮面と外殻に覆われているとはいえ、割と痛い。主に首とかが。

 一体何に引っ掛けたんだ、とハリベルは眉間に皺を寄せながら足元を慎重に見回す。するとそこに、砂とは明らかに違う質感の———(ホロウ)の仮面と同じに見える———白色を見つけた。

「アパッチ」

「ガッテン」

 指示は一言で十分だった。アパッチは角を砂に突き刺して深く沈め、砂の中から覗く白色の下に潜り込ませる。

「そぉい!!」

 四本脚に力を込めて蹄を踏ん張ったアパッチが、全身を連動させた動きで首を振り上げた。角が砂から飛び出す瞬間、アパッチはそこに確かに重量を感じる。

 果たして、砂から引き摺り出されたのは。

「…………何なんですの。折角二度と、目醒める気も無く眠っていたのに……」

 気怠げに、億劫そうに、眠気の残った紅電気石(ルベライト)を揺蕩わせる、白い蛇だった。

大虚(メノス)だったのか……」

「まあ、虚圏(ウェコムンド)に砂と木以外にあるものなんて、クソジジ……ゴホンッ、バラガンの虚夜宮(ラスノーチェス)くらいなもんですし」

「言い直さなくて良くないか?」

 少し驚いた顔のハリベルの背後から、アメミトがひょっこりと顔を見せたかと思うと、ごく自然な流れであるかの様にハリベルの右肩に自身の左肘をかける。これはいつもの事なので、アパッチは気にしなかった。

 白い蛇は一行を順番に見渡すと、深い溜め息を吐いて頭を砂の上に横たえる。

「喰べるなら一思いに、なるべく痛みを感じぬ様殺して頂けますか。苦しいのは流石に私も嫌なので」

「待って待って待って。会話の段階が飛び過ぎだ」

 ハリベルは左手を皿の様に真っ直ぐ立てて、待ったをかけた。流石にまだ何もしてないし言ってもいないのに、死を覚悟されても困る。

「待つも何も。貴女方だって大虚(メノス)でしょう。特に其方のお二人は中級大虚(アジューカス)……喰べなければ退化する定めならば、躊躇する理由が何処にありまして?」

 抵抗は一切しないと宣言して、白い蛇は尻尾の先端を脱力させ、全てを投げ捨てる様に目を閉じた。

「つい昨日喰ったばっかだっての」

「まだ猶予はあるよなあ」

 アパッチとミラ・ローズは顔を見合わせ、その必要は無いと確認し合う。白い蛇は左目だけを開けて二人を一瞥するが、すぐに細長い舌を一瞬出し入れしてから閉じた。

 ハリベルの右肩に肘をかけたまま、白い蛇の様子を静かに観察していたアメミトは、少し考える様に右手を顎に添えると、燦光する翠玉(エメラルド)を緩やかに細めて口角を上げた。そして思い立った様に、バネが跳ねる様にハリベルから身体を離すと、白い蛇の顔の正面へとリズミカルに歩く。

中級大虚(アジューカス)、アンタの名は何という?」

 芝居掛かった手振りで、アメミトが尋ねた。

「……何故、そんなものを知りたがるのです?貴女方には無関係でしょう」

 白い蛇はアメミトから顔を背ける。話をする気はない、という拒絶の意思を表している様にも思えた。

「無関係?それは違うぞ。憂鬱に流され、微睡に逃げる蛇よ。アンタを引き入れるにしろ喰うにしろ、その虚生(じんせい)を背負うにはアンタの名を記憶に刻みつけなければならない。そうしなければ、私達にはアンタを喰う資格も無ければ、導く権利も与えられないのだ」

 アメミトはその場で、右足を軸にして半回転する。

「これが私達と始めから敵対する者であるならば、私達自身の身の安全の為に有無を言わさず斬り捨てることもあるだろうが……アンタは違うだろう?アンタはただ、そこで眠っていただけ。起こしてしまったのは私達の不手際だ。そこはアンタから謝罪を求められればそうしよう。その上で、お互いに敵意も害意も無いのであれば、殺意を向ける理由こそ無い。どちらかといえばむしろ、私はアンタに前向きな関心を持っているよ」

 怒涛の勢いで捲し立てられ、白い蛇は面倒そうに右目を半分開ける。よくもまあ、そんなに喋り続けられるものだと感嘆すらした。

 アメミトは続ける。

「さて、先程エミルーとフランチェスカが言った通り、私達はつい先日に私達を女と侮り喰らい犯そうとした愚鈍な中級大虚(アジューカス)を、返り討ちにして喰ったばかりで猶予がある。なので、アンタを喰う程切羽詰まってはいないのだよ。それを踏まえてもう一つ尋ねたいが……アンタ、()()()()()()()()()?」

 腰から身体を捻り、アメミトは白い蛇の方へ振り返った。

「……さあ。いつだったかしら」

 白い蛇は伏目で答える。アメミトは肩を竦めると、まあいい、と一旦自らの疑問を傍に置いた。

「何はともあれ、私達がアンタに牙を突き立てる気が無いことは理解して貰えたかな?」

「……まあ、釈然とはしませんが。一応」

「では話を戻して……アンタの名を教えておくれ」

 改めて尋ねられた白い蛇は、アメミトの白磁の肌を飾る燦光する翠玉(エメラルド)を見据える。

「…………シィアン・スンスン」

 それだけ答えて瞼を閉じた白い蛇に、アメミトは少しだけ満足そうに頷いた。

「そうか。ではシィアン、少し私の話に付き合ってはくれないか?」

「は?」

 何故そうなる、という気持ちが隠し切れていない顔で、白い蛇———スンスンは思わず首を持ち上げる。

「どうやら、アンタは随分と喰べずに微睡んでいた様なのでな。その理由は私の方で勝手に推察するのは失礼だから、ここでは触れずにいよう。だが……それ故に、私達はアンタに手を差し伸べるべきだとも考えている。私達が目指す理想的な虚圏(ウェコムンド)とは、アンタの様な者の為にこそ成立すべきものだからだ」

 ザッと、アメミトは両手を大きく広げて、意図的に砂を踏み鳴らした。それが何の前触れであるかを、短く無い付き合いで理解していたハリベルとアパッチはそっとその場に座り込む。それに倣って、ミラ・ローズもおずおずと白砂の上に腰を落ち着けた。

「時にシィアン。今の虚圏(ウェコムンド)には、必要以上に死が満ちていると思わないか?」

 政治家の演説でも始まるかの様な語り出し。スンスンは頭を砂の上に横たえたまま怪訝そうに目を細めた。

「生存に必要な捕食を超え、力を求め、覇権を求め、隔絶した強者が弱者も強者も無差別に喰らう世界。戦いを厭う者、戦いに敗れた弱き者に向かい風を吹き続ける理。私は考えた。これらを変えなければならないと」

 アメミトが説いたのは、虚圏(ウェコムンド)の現在の在り方の改革の必要性である。だが、それは同時に、(ホロウ)の在り方そのものに問いかけるものだろうとも。

「私達は変えなければならない。本能のままに他者を貪り喰らうだけの生き方を。秩序に則り、理性で以てして本能に手綱を掛け、不必要な殺戮を律令の下に戒める社会を築かなければならない。そうは思わないか?」

「……(ホロウ)に、その様な賢しい生き方ができると、本気でお思いで?」

「出来るとも。いいや、()()()()()()()()()()のだ」

 アメミトは胸に両手を重ねて謳う。

「本能に身を任せるだけの生き方では、行き詰まる時が必ず来る。停滞は退化に等しい。であるならば、(ホロウ)という種が前に進む為には、理性に従い理知を規範とする生き方に適応する必要がある。それは同時に、死神や滅却師(クインシー)から刃を向けられるリスクを避けることにも繋がるのだ」

 スンスンは唖然とした。つまりアメミトはこう説いている。(ホロウ)は、原始的野生から脱却し、社会性を持った種に進歩すべきだと。

(ホロウ)による、(ホロウ)の為の秩序。則ち我欲に任せて悪戯に力を追い求めるでなく、虚圏(ウェコムンド)に脅威迫らばそれを打ち払うに必要なだけの力を保持するに留めること。他者の命を踏み台ではなく、或いは己の欲望の玩具にするでもなく、誠実に向き合い、己の生の糧として背負うこと。そういう虚圏(ウェコムンド)をこそ、私は目指したいのだよ」

「……非現実的ですわ」

 スンスンは圧倒されつつも、無理だ、とアメミトの語る理想の虚圏(ウェコムンド)社会に首を横に振った。(ホロウ)は、互いを喰い合わなければ生きていけない。そして、大虚(メノスグランデ)になる様な(ホロウ)は我が強く、他者を顧みる様な社交性など持ち得ない。スンスンは(ホロウ)という種に、どうしようも無くうんざりしていた。

「まあ、そう言うな。非現実的なのは承知の上だとも。だからこそ、私達は同志を集めているのだからな」

 なあ、とアメミトはハリベル達を振り返る。話を振られたハリベルは、そうだな、と同意を示して立ち上がった。

「……シィアン・スンスン、といったか。お前の過去に何があって、独りで静かに消えていこうとしていたのかを詮索はしない。だが……」

 ハリベルはチラ、とアメミトの方へ一瞬目を向けて、すぐにスンスンに向き直る。

「うっかり彼女の口車に乗せられた私が断言する。アメミトは、本気だ」

「……!」

 紅電気石(ルベライト)が揺れた。

(ホロウ)の生き方に虚しさが有るのは否定しない。それでも、そもそも私達の本能の中心である食欲は、(ホロウ)ではない全ての種にも共通して備わっているものだ。肝心なのは、それを厭うのではなく、理性で律し、向き合う事だ」

 ハリベルはそう説いて、スンスンに左手を差し出した。

「私達は、例えどれだけ長い年月をかけたとしても、虚圏(ウェコムンド)に社会秩序を築き上げる。成し遂げてみせる。だから……お前がまだ、自分の命に完全に見切りをつけていないなら……私達と共に来てくれないか」

 スンスンは差し伸べられたハリベルの左手をじっと見つめる。少ししてから、スンスンは徐に身体を起こしてアメミト達を順番に、見定める様に観察した。

———本気だ。この人たちは、本気で非現実的な理想を実現しようとしている。

 それを理解したスンスンは、大きな溜め息を吐くとハリベルに対して首を垂れた。

「……ならば、私の虚生(じんせい)も背負ってくださる?」

「……どちらの意味で」

 ハリベルに問われて、スンスンは細長い舌をちろりと伸ばす。少し後ろでそれを見ていたアパッチの目には、笑っている様にも見えた。

「勿論……貴女方の目指している理想的な社会の実現、その片棒を担がせて貰いたい。と言う意味ですわ」

「……そうか」

 ハリベルは差し伸べたままの左手で、スンスンの額を撫でる。

 こうして、メスの(ホロウ)の群れにまた1人。蛇の中級大虚(アジューカス)が加わった。

 

 

 時は幾許か流れて、虚夜宮(ラスノーチェス)

 窓の淵に腰掛けて、指先まで覆い隠す長袖のチャイナドレス風の白い死覇装を着た女破面(アランカル)が、星の無い常夜の空にポツンと浮かぶ三日月を眺めていた。

 紅電気石(ルベライト)を瞬かせ、女破面(アランカル)———スンスンは柔らかく微笑む。

「あの時、ハリベル様達の手を取って正解でしたわ」

 理想の虚圏(ウェコムンド)へは、未だ道半ば。それでも、今この瞬間スンスンは紛れも無く、幸福だと思っている。だって、楽しいのだから。

 ピョン、と窓の淵から跳ねる様に離れると、スンスンは機嫌良さげな足取りでその場を立ち去った。さて、今日は何をして遊ぼうか。それとも何処かに出掛けようか。

 

 虚圏(ウェコムンド)に、かつて旅禍と呼ばれた者達がやってくる、少し前の話である。




まだ大人しかった頃のハリベルとスンスン書くの久しぶり過ぎた
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