最も古き支配者、それは竜であった。しかし人の世がそうである様に、支配者たる竜の全てを統べる竜もまた存在した
その名はカラミット、紅き単眼を特徴とする黒い竜だ
無論、その様な時代は遥か昔のものであり、竜が生きる場所は曖昧な御伽噺の中だけであるはずだった
だが、黒竜は今尚生きている。御伽話などではなく、確かな現実にだ
永き時の中で、黒竜はただ生きていた訳ではない。
かつての戦いの結果として友情と恨みの行き場を無くした彼は、時を操り、世界を跨ぎ、友を探し続けていたのだ
何度死せども向かってくる小人に己が殺される世界、黒竜と白竜として対立する事を定められていた世界……彼は凡ゆる世界を観測した、希望とも言えぬ何かを抱きながら過去も未来も見通した
そして、全てにおいて失敗した。名前が同じであろうとも、あの光を、友だけが生み出せた光に見える事は叶わなかったのだ
それでも黒竜は諦めなかった。
友との戦い、その中で角は折れ、片翼を捥がれ、鱗は一枚を残して全て剥がれ…しかし生きる為に時を巻き込んで封じていた傷こそが彼を過去へと繋ぎ止め、苦しめていたからだ
だが、そんな苦しみは"月光"を見た瞬間に一転して歓喜へと変わった。
無論、唯の月光ではない。碧色と冷色が混ざり合い、青空の如き輝きを持つ月光…それは偶然にも、かつての友が作り出す古き月光に瓜二つであったのだ
魔法の高みで感じた孤独を癒し、美しき光で己を魅了した愛おしい友。
他の友を全て殺し尽くし、荒れ果てた孤独の中に己を置き去りにした難くて憎くて堪らない友
鱗も翼も角も無いエルフであろうと、友の名を騙る身の程知らずの劣等であろうと、あの光を放てるのであればどうでも良い
黒竜は懐かしき月光を生み出した魔法使い達に友の姿を幻視し、彼らとの戦いこそが失ってしまった終着点であると確信した
確信して、それからの行動は迅速だった。
エルフ達が出会い、月光を作り出す……そして己の世界へと迷い込み、支配者気取りの神人を味方につけ、唯一の不安要素である深淵の魔法使いを打ち倒す。
その様なシナリオの為に、ウーラシールの運命を捻じ曲げ、己の世界と女神の世界を繋げ、作り上げられた劣等を送り込んだ
やがて全てが終わった後には、衰え故に時を越えられぬ事を呪いながらも、只管に機を待ち続け……
遂に、機は熟した。
黒竜はこの戦いを終わりとし、そして最高のものにせんと画策した計画を実行する。
全力をもって臨み、尚且つ傷だらけの姿で戦う醜態を晒さない。唯それだけの為に延命処置を辞め、その分の力を仮初の姿に費やしたのだ
折れた角は誇りと共に再び生え揃い、翼は一対となって空を叩けるようになり、力を持たぬ偽りの鱗が体と共に全ての憂いを覆っていき…
僅かな間の傷なき体に感慨を抱く間も無く、空へと飛び立った
ウーラシール市街を抜けて森に入ると、そこには絶対的な美がある訳でもなかったが、また別の趣があった。
木漏れ日は私達を歓迎するかの様に行きの時よりも輝きを増しており、踏み締める土は足から滲み出る疲れを受け止めているかの様に柔らかい
かつての緊張も無い森は安らぎに満ちていて、いよいよここでの奇妙な冒険が終わったかの様に感じられる
思えば長く、しかし短い冒険であった。
悍ましい魔力に面食らって、マヌスに引き摺り込まれ、喋るキノコに驚かされ、ミミックに引っ掛かって、マヌスと命を賭けた戦いをして、戦いの楽しみを知って………本当に沢山の衝撃的な出来事があった。
だが、そうだというのに、太陽は未だに直上から私達を照らし続けている
ここに来てから、ずっとそうだった。泥沼に沈んだ時も、月光の大剣を作り上げた時も、ウーラシールが本来の輝きを取り戻した時も、太陽は常に直上から私達を見守っていた
……ずっと、直上に……
………動いていない?
霊廟に至る石橋を渡らんとした時、ふと気がついた。あんなにも長く濃い冒険だったと言うのに、太陽は全くもって動いていない。
どう考えても、おかしい
気づいた途端に薄気味悪い恐怖が、取り返しのつかない失敗を初めて自覚したかの様な緊張が心を強張らせた。
何故ならば…気づく事がない異常、これには覚えがあったからだ。
それはゼーリエが模擬戦にて散りばめる勝利の布石、そのものである。
断絶した実力の差を示すものであり、気づいた時には勝ちの目などとうに無くなっている…その様な魔法であり、戦術でもあるもの
(つまり、今この瞬間に違和感に気づいたと言う事は……!)
薄々手遅れであると分かっていながら、しかし僅かな希望を信じてこの情報を共有せんと口を開こうとした時、
私達の目の前に、巨大な影が降り立った
口を開けない、顔を逸らせない。
目の前にいる存在を前にして、身じろぎ一つとして出来ない
橋の上に四つ足の黒竜。
ソイツが、憎悪のこもった紅き単眼で見つめてくる
(あ……あぁっ…!!)
威圧感に怯み、しかしそれでは終わらない。
次に、伝わってくる黒竜の魔力が私の精神を更に揺さぶる
その魔力とは今まで感じてきたものと同一であり、しかし遥かに濃いものだ。この地に潜む化け物…この黒竜にとって、ウーラシールを覆っていた魔力は些細な残滓でしか無かったのだ
魔族としての本能が、心臓と共にけたたましい音を立てている。目の前の、比べようも無いくらいに多くの魔力を持つ存在への恐怖が心を塗りつぶし始める
そして恐怖が頭の芯まで染み渡らんとした時、やっと理解が追いついた。コイツは圧倒的上位者なのだと、私達では到底敵わぬ存在なのだと
言葉で表す事が馬鹿らしい程の魔力を宿し、私達が異常を察知出来ない程に魔法使いとしても格上の存在。
勝つイメージなど…いや、それ以前に戦うイメージすら湧かない
どうして、どうして、こんな存在と戦えようか?戦わなくば嬲り殺されるとしても……立ち向かう恐怖に比べれば遥かにマシだろう
私を睨む紅き眼が、永遠にも思えるこの寸刻が、何もかもが恐ろしく、私の心を折らんとしてくる
谷にて待つ、日が落ちきるまでに来い
すぐに折れる筈の心が、しかし何かを芯として耐えていると、頭の中に命令が下された
それは、あまりにも一方的で返答を許さない圧倒的上位者からの言葉、言語の差など無いものとして理解を強制してくるものだ。
そして直接的な言葉では無いが、それが戦いの宣告である事など嫌でも分かってしまった
(……どう、しろと……もう終わりだ……)
やがて黒竜が飛び去って行ったが、動けない。
いや、動けるわけが無い。あの黒竜が太陽にそうした様に、私達の時間を止めてしまったに違いない
だから、誰も動けない……
動けない、筈なのに
「…ハハッ…」
「ハハハハハッ!!!素晴らしい…正しく、僥倖だっ!」
耳元から聞こえる、生じる筈が無い狂笑が私の頭を満たした
「やはり旅は…いや、魔法はこうでなくては面白く無い!シース、お前もそう思うだろうっ!!」
「……は?」
その声の主は過去最高に上機嫌なゼーリエ、彼女は私に信じられない同意を迫ってくる
あの竜を前にして何でそんな事が言えるのか、訳が分からない。
だが困惑している私を気にする事もなく、彼女は言葉を続けた
「何を惚けている、お前も見ただろう?あの黒竜を、世界を体現するが如き魔力と!圧倒的な魔法使いとしての格をっ!!」
「あれは私たちが未だに辿り着けぬ魔法の高み、その一つと言っても良い…」
「それに、この目にしただけじゃあ無い。ヤツは私たちに勝負を申し込んで来たんだ!魔法の高み、それを闘争の中で更に知れるんだっ。これ以上の事があろうか!?なぁっ!!」
全くもって理解できなかった。ゼーリエの言葉の意味も、あの存在を全く恐れないどころか歓迎する彼女の様子も、同意を求めるかの様に伸ばしてくる手も、何もかもだ
だが、一つだけ分かった事がある。それは私がどう答えようとも、ゼーリエはあの黒竜へと立ち向かうであろう事だ。
無論、その先に待つのは死である。そうであれば、せめて私は彼女と戦いを共にしなければならない
しないといけない、のに……
「っ!!…」
「お前は、ここで闘争の喜悦を知ったのだろう?今更何をためらう事がある」
「アレの登場は随分と唐突で衝撃的だったが……いや待て、まさか負けが怖いのか?ふむ、確かに私達の力ではアレに遠く及ぶこともあるまい」
「だが、それが何だと言うんだ?魔法の高みを感じられるのであれば、そこで得られる喜悦に比べれば、敗北や死など些細なものじゃあないか」
私の頭と心は、取るべき選択肢を取ろうとしない。友人が大切だと思っておきながら、逃げたとて無駄だと分かっていながら、私はあの竜と戦う事を考えただけで何も決められないのだ
「?……おい、どう言う事だ……!」
やがて伸ばされた手が震え始める。
ゼーリエは、今にも痺れを切らして私を怒鳴りつけそうだ
それでも私の頭は働かない。
頭が働かず、やがて自分の惨めさを自覚した時、漸く理解した。
私はゼーリエの同類に、真の理解者になどなっていなかった事を
死の恐怖すら乗り越えたマヌスとの戦いを経て、己が全てを戦いへの欲求に染められるほど闘争に魅了された…つい先程まではそう思っていた
だが、そんな都合の良い解釈と傲慢は、黒竜によって呆気なく打ち崩された。むろん闘争に伴う死を恐れぬ事は事実であるが、それでは足りなかった。
私は、ゼーリエの様に、己の全てを闘争へ捧ぐ精神を持ってなどいなかった
簡単な話、あの黒竜は死よりも遥かに恐ろしい存在であったのだ。
彼女は闘争と魔法への飽くなき探究心でその恐怖さえ払い、挑まんとしているが…私には出来無かった。闘志を抱く間も無く、死を超える恐怖に塗りつぶされた
この事実こそが私の間違いを示す証であり、彼女との絶対的な差である
どうしてこれで彼女の理解者になれたと、同類になれたと言えようか
闘争を好む魔法使い、ゼーリエの理解者、そう思っていた自分の傲慢を覆う欺瞞が無くなっていき…やがて、残ったものは魔力の差に恐怖を抱かずにはいられない臆病者の魔族だけになった
(……いや、違う…?)
だが、それと同時に疑問が湧いてくる。もっと優先すべきものがある筈なのに、しかしその疑問は場違いにも私の心を陣取った
私は、確かに臆病者の魔族である筈なのに…不思議にも、己の中にある何かが激しくその事実を否定しているのだ。
その何かは私の心が折れない様に芯となっていたものであるが、しかしわからない
この現実から逃避するためか、それともその何かが必死に呼びかけているのか、ゼーリエの声が小さくなって来た時
「おい、シース!!お前は、私を「そこまでだ、ゼーリエ殿」
アルトリウスが口を開いた。いつの間にか、彼は私の目の前にいてゼーリエを目だけで制している。
そしてゼーリエが口を閉ざしたところ、今度は私と目を合わせ…優しくゆっくりとした口調で問い掛けてきた
「シース殿、あの黒竜が怖いのか?」
勿論だ、怖いに決まっている。アイツはマヌスよりも遥かに多くの魔力を持っていて、感知を許す間も無く襲来してきたのだから……日が落ち切るまでに戦う覚悟など持てる訳がない
「そうか…だがな貴公、恥じる事はない。あの竜、カラミットは偉大なるグウィン王達が唯一見逃した、恐ろしく強大な古竜なのだからな」
「その恐れは真っ当なものだ。…さてシース殿、それならば今から私が言う事をよく聞いてくれ」
「私はゼーリエ殿とあの黒竜に挑む、私達が気を引いているうちに貴公は隙を見て逃げるんだ」
アルトリウスの優しさに包まれた言葉、それは私の頭に逃げの選択肢を示した。
友人達を見捨てて逃げる、普段ならば絶対に取らない選択であるはずなのに……あの黒竜の恐ろしさ故に、それはとても甘く魅力的なものとして頭に染み渡る
「だ、だが…」
「気にする事はない、貴公にはシフ達を任……いや、正直に言おう。これは、私の個人的な願いでもあるのだ」
「貴公から新しい剣を授けられた時、私は貴公に命を捧げると誓った。だが実際はどうだ。私が貴公の命を守るどころか、貴公が危険を顧みる事も無く私の命を助けたじゃあないか」
「だから、これが最後だと言うのであれば…私に騎士としての役割を果たさせて欲しい、それが本望なのだ」
「貴公が気負う必要など、どこにも無いではないか」
咄嗟に出た言葉は、アルトリウスを引き留める為のものと言うより…何をせずとも友人を大切にしたいという、私の無駄な矜持を保つ為に出た逃避の為のものであった。
だが、それでも彼は自分勝手な私と違って、優しい言葉で許してくれる
(このままでは……だが…!!)
この逃げようとする意思を魔族の本能のせいだとしてしまい、後悔をアルトリウスの言葉で甘く飲み込んでしまう事は簡単だ。
しかし、そんな言葉を放とうとする口は、自分の中にある何かによって塞がれる
故も知らぬ何か、自分ですら分からないソレと恐怖が激しく争い始め…
「中々強情だな、シース殿は。ならば、もう一つ言おう」
「竜に挑む事は騎士として最大の誉でも……」
竜に挑むは、騎士の誉よな
アルトリウスの言葉を聞いた瞬間、自分の中にあった何かの正体がわかった。
自分の中にあった何か、それは高揚、名誉、恨み、憎しみ……あらゆるものが合わさった全てである。
いつ、何処で持ったものなのかは分からない。けれどもそれらは生来のものであるかの様に、抵抗なく心と頭へと広がっていき……
「……シース殿?どうし…
「カラミット……見逃された狡兎、目を潰され煮られぬ猟犬……」
「だが!!今は違う……私の塞がれた目は再び見える様になり、奴は今一度私の宿敵となった!!!」
「何を怯えていたのだ、私は!!??思い出せ!!竜への思いを!!!私の、全てを!!」
竜への思いが……全てが、私の恐れを塗りつぶしていく
「竜は、我が恐れであり!!しかしっ、竜狩りは最上の誉では無いか!!」
「……よく聞けっ、騎士達よ!!これより我々は!カラミットをっ!!我らが王の律に従わぬ唯一の黒竜を狩りに行くのだ!! 」
「至上の竜狩りはすぐそこにあるっ!!騎士達よ!!弓を構えよ、矢を番えよ!!恐怖と勇気をかの竜の翼に打ち込みっ!アノールロンド最上の誉を手にするのだ!!」
「貴公らこそが、古の時代を真に終わらせる英雄となれぇっ!!!」
「「……は?」」
「返事はどうした!怖気付いたか!!…なれば、我が一矢に続くが良いっ!!!」
「貴公らの恐怖を放ちっ!かの黒竜に打ち込みっ!!恐怖を払ってやろうっ!!!!」
「恐怖を預ける者はしかと聞けっ!!私は、私こそがっ!!四騎士が一人……!!」
そうだ、私は………!!
…………
私は?
「……たか…いや、私はシース、田中太郎……?」
私は、何者だ?
おかしい。この思いは確かに私のものであるはずなのに…しかし私の記憶には何も無く、何かがおかしい
「あ……?………」
「シ、シース殿……?……待て、ゼーリエ殿、何をっ!?」
分からない、自分が何か分からない。
私は、何者だ?
(竜と全てを共にした騎士、それは本当に…私か?)
(私は……「フンッ!!」
こんがらがる頭に強い衝撃、思考が止まる。
目の前にいるのは握り拳を構えている、ゼーリエ
「一体、何を言っているんだお前は!!」
「訳のわからない事をのたまるな!!お前は、私の相棒たるシースだろうが!!」
彼女の姿が視界を埋め、その言葉を聞いた途端、茹っていた頭と心が落ち着きを取り戻していく
そうだ、私はシースだ
「………そう、だな。……何を言っていたんだ私は…」
魔族という本性を忘れぬ為の戒めの名、そして彼女の友人、それこそがシース、私なのだ
正気に戻り、改めて頭を働かせる。
先まで私を支配していたのは竜に対する思い。確かに私のものでは無く、故すら分からないが、しかし強烈なものである
その強烈さは私の自我を奪いかける程のものであり、決して良いものだとは言えないが……悪い物だとも言えなかった
何故ならこの思いは、私にあの黒竜へと立ち向かう勇気と闘志を与えてくれたのだから。
そして今ならば、臆病な魔族としての本性を押さえ込み、選びたかった選択肢を取れるのだから
「色々と気にはなるが…どうやら戦う気にはなった様だな?」
「どうであれ、お前が私と共に戦ってくれるのなら何も言わない」
ゼーリエが再び、目の前でその手を差し伸べてくる
「さぁ、共にあの黒竜へと挑もうじゃあないか!」
「……ああ!」
今度は、その手をしっかりと取る事ができた
止まっていた日は遅れを気にして急ぐ事もなく沈んでいった。二人の魔法使いと騎士の話し合いが進むにつれ、世界はセピア色に染まっていく
やごて陰影のコントラストが最高潮と達した時に、森から二つの影が姿を現した。
影の中で隠しきれぬ程に爛々と目を輝かせる小さい影に、何にも染められぬ碧色の大剣と騎士の誇りを背負う大きな影だ
並んで歩く彼らの間に、会話は無い。
けれども、それはこの先に待ち受ける恐怖に口を閉ざしているわけでは無い
小さい影は、頭の中から溢れ出した闘争への期待で目を輝かせているだけであり、大きな影は騎士として振る舞っているだけだ
音も無く、しかし恐れもない時間が続き…
やがて、彼らは歩みを止めた
彼らの目の前にいるのは、黒竜カラミット。
翼を動かす事も無く、悠然と空に留まりながら彼らを見つめている。そして、その先に期待していた存在の片割れが居ない事を不快に思ったのか、見つめる目は睨みへと変わった
だが睨まれようと怯む者は誰一人としておらず、結果として戦意を煽るだけに留まり…
竜狩りの槍を放つ魔法
ファイアストーム
炎の熱さを奪う魔法、熱線を放つ魔法
言葉無く、放たれた魔法を皮切りとして戦いが始まった
亡国ウーラシール最後の、そして最高となる戦いが
ここまで読んで頂き、ありがとうございました