百鬼姫を闇落ちさせたかっただけの話(旧題:忘却の灯火) 作:you are not
桜町に忘れられた者が、ひとり帰ってきた。
「人間界は変わっておらんな」
そう呟く声には、懐かしさと切なさ、そして言い知れぬ不安が混じっていた。かつて何度も通った路地、並んで歩いた歩道、手を繋いだ交差点──目に映る全てが思い出に結びついてしまい、胸が痛んだ。
(これだから、帰ってきたくなかったんじゃ)
百鬼姫は口元を歪ませながらそう考える。楽しい思い出も確かに多い。そう、多すぎるのだ。楽しいと思えただけ別れが、もう会えないという事実が自身に重くのしかかって来る。
だが、それでも人間界に再び来たのだ。それは、ケータに会って自分の目でケータの婚姻の話の真偽を確かめるためであり、いくら話を聞いても拒む自分がいた。
だから、縋りたい。淡い期待でもいい。泡沫よりはかない可能性でも『間違い』であって欲しいと願っている。
百鬼姫は静かにケータの住む町の公園に辿り着いた。そこで彼、天野ケータはいた。春の夜気に包まれたベンチの上、
もう一人の女性と一緒に座っていた。
「あぁ、あぁぁ‥‥」
私は思わず、座り込んでしまった。何度も目をこすり、見間違いではないと確認するが現実であると自らの両目は否定する。ケータの隣には、確かに花嫁のような笑顔の女性がいた‥‥確か、木霊文香と言ったか。昔からケータの知り合いだった女だ。そうか、あの女が‥‥。
「‥‥よく笑う女じゃ、何がおかしいかもわからぬくせに」
精一杯強がるが声は弱々しかった。それはケータとあの女の指にはおそろいの銀の指輪が光っていたから。
「綺麗じゃなぁ‥‥」
私にはその光がどうしようもなく、眩しかった。無意識に唇をかみしめた時、不意に背後から誰かの声をかかった。
「やっぱり、来てたニャンね」
その声には聞き覚えがあった。それはケータの友達だった猫妖怪、ジバニャンのものだった。
「赤いの、ひさし‥‥ずいぶん、鍛え直したの」
振り返れば、そこには小柄で丸みを帯びた可愛らしい赤猫の姿はなく、筋肉質で一回りも二回りも大きくなった目つきも爪も鋭い猫妖怪がいた。面影が残っているのでなんとかわかったが全然、可愛くない。
「あぁ、ケータの為に何もできなかった自分自身は恥じて強くなろうと俺っちは頑張ったからにゃあ。」
「前の方が可愛かったのう‥‥」
ジバニャンの逞しくなった姿にそう呟いた百鬼姫だったが、視線はすぐに元の光景――ベンチに並んで座る二人へと戻った。
「あれが、ケータの‥‥」
「奥さんになった、フミちゃんだニャン」
ジバニャンの声は、どこか優しく、どこか痛ましかった。彼もまた、かつての主人の変化を遠くから見てきたひとりなのだろう。ベンチでは、文香がケータの肩にそっと頭を預けていた。彼は驚いたように笑って、それから――彼女の頭を撫でた。
その仕草を見た瞬間、百鬼姫の胸に何かが音を立てて崩れた。
「ケータ‥‥」
弱々しくも声をかける。だが、こちらを振り返るどころか反応する素振りすら見せなかった。つい数年前までは心配してこちらに駆け寄ってきてくれたというのに‥‥。
「本当にお主は私を忘れたのじゃな」
薄情者だとは思わない。元より無理難題を押し付け、期待させたのはこちらなのだからこうなるのは必然だろう。だが、だが、それでも‥‥
「どうしてじゃケータ‥‥なぜ約束なぞしてくれた」
そう思わずにはいられなかった。この先に待つどんな出会いより、どんな救いより。私は、お主との幸福が、欲しかった。
そう理解した瞬間、喉の奥が詰まり、視界がぶれていった。手元の指輪が滲み、風の音さえ遠くなる。耐えてきた感情が、堰を切ったように溢れ出す。
「うぅ……あああ……」
しゃがみこんだ百鬼姫の肩が小刻みに震え始める。妖怪としての誇りも、姫としての品位も、この瞬間ばかりは意味をなさなかった。
「うぁあ……ケータぁ……っ……!」
普段、感情を表に出さない彼女が、嗚咽と共に涙を流していた。声を上げて泣くことなど、彼女には似合わない――それでも、止めようがなかった。
ジバニャンはそっと彼女の隣に腰を下ろし、何も言わず彼女の背中をさすった。
(どうして‥‥どうして私はケータの隣にいられない?どうしてあの女がケータの隣にいる。どうして
――――ワタシハアアジャナイ)
百鬼姫は、ただただ泣いた。その胸の奥には、もう癒えることのない傷が刻まれ、嫉妬と怒りの種が、確かに芽吹いていた。
百鬼姫の持ってた「氷のゆびわ」は作者がゲームで実際に装備させてました。