百鬼姫を闇落ちさせたかっただけの話(旧題:忘却の灯火) 作:you are not
桜町の夜を後にして、百鬼姫は誰にも何も言わぬまま、地獄の小国へと戻った。
かつて華やかな装束で過ごした大広間も、賑やかに笑った侍女たちの声も、今は彼女の耳には届かない。ただただ、静寂と冷たい布団の中に身を潜める日々が続いた。
「姫様、お食事を……」
「要らぬ」
「湯をお入れしました、少しだけでも……」
「放っておけ」
そう言って布団の奥に潜り込む姿は、誰の目にも痛ましかった。食事もほとんど摂らず、風呂にも入らず、髪は解かれず、着物は寝巻のまま。姫としての誇りも立場も、彼女自身がかなぐり捨てていた。
暗闇の中、百鬼姫はただ、天井を見つめる。涙ももう出なかった。泣きすぎて枯れたのだろう。代わりに心の奥底に黒い水がたまり、それがじわじわと冷たく広がっていくような感覚だけが残った。
その夜も、またうなされる夢を見る。夢の中で、ケータは笑っていた。あの女と。あの女とだけ、見つめ合い、言葉を交わし、微笑んでいた。自分はそこにいない。何度も何度も夢を見て、そのたびに喉が詰まり、叫び声だけが胸の中に反響する。
「うるさい、うるさい、うるさい……」
次第に彼女の呟きは、誰に向けたものでもなくなっていった。文花への嫉妬。ケータへの恨み。自分への怒り。積もりに積もった負の感情が、冷たい炎となって胸を焼く。
時が止まったように静かな夜。
百鬼姫は地獄の宮の寝所に、何日も引きこもっていた。
灯りも差し込まぬ部屋。障子は閉じ切られ、外の音も届かぬ。
ただ布団の中、動くことなく丸まる姫の姿があった。
髪はほどけ、肌は青白く、指先には力が入っていない。
食事も取らず、誰の声も届かず。部屋には冷たく淀んだ空気だけが満ちていた。
(ケータ‥‥)
その名を心で呼ぶたび、頭の奥で何かが軋んだ。
(わらわは、あんなにも信じておったのに‥‥)
布団の中で、爪が畳をかいた。
(あんな女と並び、微笑んで、指輪を‥‥なぜ、わらわではないのじゃ‥‥)
くぐもった声が、唇の奥で小さく震える。
「ケータぁ‥‥」
絞り出したその名は、甘く、切なく、そして。――
「ケータァァァ‥‥!」
――憎しみ、執着、絶望、欲望、渇望。全てが混じり合い、心の闇を喰らい尽くすようだった
部屋中に響き渡る叫びとともに、布団が吹き飛ばされた。同時に、重く鈍い空気が部屋を覆い、畳が軋み、天井の灯りがひとりでに割れる。百鬼姫の瞳は闇に染まり、その奥に、滲むような紅が灯る。部屋の空気が震え、妖気が城全体を包み込み、城の妖怪たちが異変に気付く。
彼女の長い髪は逆巻き、体からは禍々しい妖炎が噴き出した。
「‥‥」
彼女は沈黙のまま、口元にかすかな微笑を浮かべる。
百鬼姫は、大妖怪へと堕ちた。
愛情が憎悪に反転して、暴走するのいいよね。百鬼姫みたいに感情出さない子がそうなるとご飯三倍食べれる。