両開きの大扉を開ける。
最初に感じたのは、鼻を突く酒の臭い。まだ微かなそれは、恐らく木造の壁に染み付いたものだろう。扉を開けて中へと進めば、それは強くなっていく。
「酒くせぇ……」
「うん?あぁ酒の臭いか。
慣れた方がいいよ、基本はここだから」
「そうか……」
中は、どうやら酒場のようになっているようだ。
まだ朝だというに飲んだくれている連中もそれなりにいる。筋骨隆々な半裸の男とかもいてファンタジーを感じる。まぁそれは置いておくとして………酒の臭いがキツい。
前世から割と鼻は効く方だが……ここまでだったろうか。
くさい。
「おっ!?レイラちゃん!?
どうしたよ組合に顔出して!?」
「おぉ!?レイラちゃんきてんのか!?」
と、なにやらわらわらと飲んだくれを含めた連中、それも、主に野郎どもが声をかけてくる。レイラは微笑んだまま手を振り返しているが、細められた目にはやはり関心がない。
どうした、なんでここに、なんて質問も殆ど無視している。そのままづかづかと進んでいくのを着いていく、と。
「まぁ待て、レイラさんよ」
「うん?」
立ち塞がったのは、大柄な男だった。鎖帷子、その上からはマントを羽織った男。それを前に、レイラは足を止めた。
目的の場所だろうカウンターはすぐ近くだが………ふむ?
この男、顔には出てないが酒の臭いが強いな。
「一季前に騎士団に引き抜かれて、
どうやらもう第三騎士隊の隊長だって話じゃねぇか」
「あぁ、そうだね。それがどうかしたかい?」
「どうかしたかい?じゃねぇ。
どんな手ぇ使ったらそうなるんだよ?
身体でも売ったか?」
「……はぁ、またそういう話題か。
品がないから好きじゃないんだよね」
「お貴族様相手じゃさぞ楽しい相手だったろうなぁ?」
珍しくレイラの顔が曇る。
めちゃくちゃ煽られると彼女でもこうなるらしい。周りでは顔を青くするやつ、聞き耳を立てるやつ、それから……
「おいっ、やめとけ!
レイラちゃんに手ぇ出すのは不味いって!!」
「あぁ?お前だっておかしいって思ってんだろ?
こいつ、俺たちを踏み台にしたってことだぞ!!」
流れ変わったな?
周囲が一気にしんと静まり返り、視線が集まる。
男を止めようと割り込んできた男も、苦い顔をして一歩足を引く。事実、男の言葉には圧と本気さが込められている。
「冒険者組合の立場捨てて騎士になれて満足か!?
俺らを影で馬鹿にしてやがったんだろ、売女め!!」
この男もまた、自分たちの立場を守ろうとしている。
酒の勢いもあるのだろう。だがそのために、他者をこうして陥れるのは気に入らないし、間違っているとも思う。
平民は貴族の誇りを知らず、貴族もまた平民を知らない。
隣の芝はいつだって青く見えるものだ。平民と貴族の距離が近いこの国では、こういうこともあるのだろう。
だが彼女がただの貴族ならともかく、本物の貴族の騎士なら
それこそ剣が抜かれるようなことになっていただろう。
件のレイラを見上げれば、曇った表情は柔和でも、その眼の奥に、面倒くさそうな感情が浮かんでいる。殺気でないだけマシなのが分かる。もし相手が魔女なら冷気が漏れていた。相手は野郎だが。
とにかく。
一歩前に出て、レイラの前に、男の目前へと割り込む。
「あぁ!!?ガキが邪魔すんじゃねぇよ!!
怪我する前にどっか行け!!」
「貴方の言い分も分かります。
ただ、我が主は私のために組合に来て頂きました」
「あるじだぁ?
てめぇ奴隷か……はッ、散々だな」
鼻で笑われ、睨みつけられる。
言動的に普段はまともな人なのだろう。最初は蹴られそうな勢いだったが、丁寧に言葉を返せば男もかなり落ち着いた。強烈な殺気と威圧が向けられてはいるが………
「幾つだ」
「10です」
「………」
「………」
「…………………はぁあぁあ………」
「………」
「…………チッ。怒る気も失せるってもんだな。
子供に怒鳴り散らかすたぁ……どうかしてんな」
沈黙、そして大きな溜め息。
男は苦しげに舌打ちして頭をおさえ、そう言い引き下がる。やはり、まともな人間だ。殺し合いにならなくて良かった。こんな人を殺すことはないだろう。
「悪いね、アル」
なんだその愛称は。
初耳なんだが。
「それに、君も」
「………もう良い。こっちこそ悪かった。
それと、お前……アル、っつーのか」
「アルガリアです。
今の呼び方は俺も初めて聞きました」
「はっ……そうか、アルガリア。
てめぇ、強く生きろよ」
彼は、近くの椅子を引き寄せて座り込む。
酔っていながらも冷静で、その眼は確かに俺を見ていて。
焦点のズレもなく、そして細められる。
それから、男は困ったように笑った。
「って、言うまでもねぇか……」
「いえ。ありがたく。
お言葉、受け取らせて頂きます」
「…………そうか。ありがとよ」
男は俯き、沈黙する。
止めに入ってきた小柄の男は、慌てたように頭を下げる。
俺もそれに軽い会釈を返し、彼は男を宥め始めた。
レイラが俺を見る。
にこり、と笑っていた。なんでもないかのように。
「行こうか」
「はい」
困った主に見初められたものだ。
しかし……本当に殺し合いにならなくて良かった。
酔ったままでも、戦えば殺されそうだった。
あの男、かなり強い感じがする。雰囲気というか、持ち前の威圧感というか、よくは分からないが、とにかく強い。
それこそレイラほどではないが………底知れない感じだ。
あの腰の剣を抜かれたとして、俺は反応が出来たろうか。
一瞬でも気を抜けば首を刎ねられるような殺気だった。まだ今の俺では対応しきれなかったような気がする。
……………まぁ、いい。
彼さえ良ければ、仲良くしたい相手だが。
今は。
静まり返り、だが少しずつ賑やかさを取り戻した酒場。
その頃に、俺たちはカウンターに辿り着いていた。
「こんにちは、レイラさん。お久し振りですね」
「うん。久し振りだね。
この子を紹介したくてね、マスターはいるかい?」
「はい。あ、丁度こちらに……」
受付であろう、緑の服を着たお姉さんが手で示した方から、杖をついた長い髭の爺さんがやって来る。あ、この人も強い雰囲気を感じる。さっきの男と同じくらいの強さだろうか、凄い穏やかそうに見えるのに………
「……ほっほほ。
これはこれは、珍しい客だの」
「久し振りだね、マスター」
珍しい、というには俺も同感だ。
レイラが珍しく自分から声をかけたのと、珍しい客、としてレイラと同時に俺にも視線が向けられたのだ。なんとなくの強さ測定紛いをしていたのがバレた。
「そっちの子……わしの顔に何か、ついとるかの?」
「いえ、つい。
気分を害されたようで、申し訳ありません」
「ほっほっほ……世渡りが上手いの。
そなた、エルトリアのようには見えんが……」
「10歳です」
「そうかそうか。
先の話も聞いておったぞ。まだ10歳とは思えんのう」
爺さんはうんうんと頷いて、髭を撫でた。
しかしレイラも言っていたが、エルトリアとはなんだ。
話の流れからして、見目より歳を重ねているエルフのような長命種がいるのだろうか?まぁ実際に精神年齢は二十五だ、間違ってはいないか。
……とにかく名乗ろう。
「申し遅れました。
我が主、レイラ・アルカードの奴隷。
名をアルガリアと申します」
「おっと、丁寧にすまんのう。
わしはシルバー・エヴァンス。
見ての通り、このガリア冒険者組合の組合長よ。
老い先短い身じゃがのう」
「お戯れを。まだまだ御健在のようですが?」
「ほっほほ、やはり分かるか?
これはまた、えらい客がえらい子を連れてきたのう」
そう言って、シルバーがレイラに視線を向ける。
えらい客、というように、どこか他の冒険者たちとは彼女の対応が違う。彼女は貴族とはいえ距離が近い感じだったが、彼はレイラを完全に自分より上の立場に見ているようだ。
組合長となれば、それなりの立場がありそうだが………
レイラが敬語にならないのは彼女なりの素の口調のようで、あまりアテにはならなそうだ。
「まぁね。どう?
冒険者にしてあげたいんだけど」
「わざわざそなたが来られたのもある。
構わん……と、言いたいところなのじゃが、
最近は死人が多くて選考が厳しくなってのう。
見る必要もなさそうじゃが、実力を見なければの」
「そっか。じゃ、アル。頑張って」
「頑張ります」
ふんす。
とは言ってみたものの、実力を見るとか言われても一体何をするのか分からない。テストとかするのだろうか。嫌だな。やるのは良いけど結果を見るのが嫌だな。
……というか、死人が増えている、といったか。
冒険者の広告、いや広報みたいなアレに憧れて入ってきて、みたいな展開もあるのだろうか。
「それで実力を見る、というのは?」
「言葉通りの意味じゃよ。
わしと……いや、そうだのう」
シルバーは自分と、と言いかけて、やめた。
良かった。爺さんと戦いになればボロ雑巾にされそうだし。シルバーは、そうしてカウンターの外、俺たちの後ろに目を向けて、そして名前を呼んだ。
「おーい、ザイル。ちと手伝ってくれんか」
そして顔を上げたのは。
「は?俺か?」
さっきのあの男だった。
は?