望んだわけではない。
もしも地獄があるとするのなら、それはこの世だ。
多くの生物が生き、死に、そして苦しみ抜くこの世界こそ、地獄なのだろう。そしてその精算すべき罪は、きっと。
……生まれてきたという、逃れられない罪なのだろう。
「………ありがとう、ございました」
よろよろと立ち上がり、笑い声に言葉を返す。
吐き気がした。人の悪意に、その捌け口に。抑えようとした口元から、白濁が垂れ落ちる。しまった、と思うより先に、風を切る音が耳に届く。
「おっ、勿体ねぇなあ!!」
「っ……!!」
足元を、鞭が鋭く打った。
覚束ない足元は痛みに耐えきれず、また倒れ込んでしまう。更に二つ、風を引き裂いて、倒れた頭と背中を打ち据える。特に背中の一撃は、内臓がひっくり返るような重さ。
「っ、ご、ぼぇ、っ………!」
「あーあー、ゲロっちまったよ……
なぁ……ちゃんと掃除しろ、よッ!!」
「!!」
頭を鞭で叩きつけられる、先と同じ重い一撃。
吐物の上に顔から突っ込み、更に食道を熱が上がってくる。咄嗟についた腕も身体を支えきれず、そのまま四肢を投げ、倒れ伏してしまう。
「ぉ、ぇ……っ」
「ははは………あぁしかしなぁ、
やっぱ男のガキばっかり犯してもつまんねぇや。
締まりはいいけど」
「仕方ねぇだろ。女のガキは二人とも死んじまったし、
ちゃんとした女ならこんな塵臭ぇとこにゃ来ねぇよ」
「そりゃそうだがよ……あー、さっさと
こんな仕事終わらせてエガルの娼館に行きてぇな」
「それまではこいつの口とケツで我慢しろ、ははは」
クソみたいな会話を聞きつつ、吐物を啜り直す。
数は三、鞭さえなければすぐに殺せる数だ。今なら魔法でも焼き尽くせるが、騒ぎが大きくなってしまえばすぐに相手も数が揃ってしまう。
今は、耐えろ。
あと今日まで、今日まで耐えるだけでいい。
「そういえば……明日だっけか?
確か新任の第三騎士隊長サマが来るってのは」
………なに?
「あぁ、面倒だよなぁ。
けどアレだぜ、とんでもねぇ美人って話だ」
「いいよなぁ、ちっ、騎士だとかいう身分でも
どうせ隊の中じゃやることやってる癖によ」
「来るのは一人らしいぞ?
全員で襲えばなんとかなるんじゃねぇか」
「ならお前一人で行けよ、
腐っても騎士隊の隊長格だぞ、おれぁ嫌だね」
「…………」
これは、厄介な話を聞いてしまったか。
計画が狂う可能性が出てくる。今は情報を聞き出さねば……
「おっと、まだこいつがいたな。
さっさと掃除しちまえよ、奴隷の数も足りなくなって
こっちも苦労してんだ、さっさとやれ!!」
「っ……!!」
「足りなくなったのはお前の
「だったらおれのせいじゃねぇよ、はははっ!」
クソッタレが………
────
───────
「(日本語)計画は、このまま進める」
アニキに相談したところ、返ってきたのはその答えだった。俺は腕を組み寝床に腰を下ろしたまま聞く。明らかに危険、だが考えがないわけではないだろう。アニキは少しは悩み、だがすぐに決断していた。
「なぜ?」
「明日のことは全員に伝えちまった。
これ以上引き延ばしちまえば士気が落ちる。それに
クローリク嬢の逃げ道が見つかるのも時間の問題だ。
それにお前、勘違いしてねぇか」
アニキの言葉に、首を傾げる。
「作戦は
お前、連中と正面からぶつかる気じゃねぇだろうな」
「必要なことでしょう。
誰かが時間を稼ぐ必要がある」
「お前がやる気か」
「……魔法も剣術も槍術も、全て頭に叩き込みました」
言葉を吐き出す。
準備はとうに済んでいる。削り出した魔石の刃を振るって、奴らを一人残らず、生きてきたのを後悔するまで苦しませ、そして皆殺しにするために。
アニキは俺を睨み付け、だが、大きく息を吐いた。
「お前さん、別の世界から
生まれ変わった、って話をしてたな」
「はい」
「お前の知識で、俺たちも何人か救われた。
お前が苦しんだ前世とやらの知識でな」
「はい」
「………二度目の人生を、
もっと良いもんにしたいとは思わねぇのか」
「そんなもの、とうの昔に諦めた」
吐き捨てる。
殺してやりたいくらい、どいつもこいつも憎くて堪らない。特にあの鞭を振るって豚のように肥え、俺たちを嗤う連中は生かしておくことは出来ない。死んでいい人間だっている。殺すべきものも、ある。
「お前さん一人に、何が出来るよ」
「今にでも魔力を暴走させれば、
この坑道の一画にいる人間を残らず焼き殺せる」
「………あぁ、お前さんなら出来ちまうかもな」
「これでもか」
「それでもだ」
アニキはそれでも引かない。
大人しく話を聞け、ということなのだろう。
「お前さん、前世は………幾つで死んだ」
「15」
「若いな」
「生きるのが辛かっただけだ。
アニキにとっては若くても、十分長く感じたよ」
「じゃあ、今は25か。若造じゃねぇか」
アニキはまたも、溜め息をつく。
その見目から察するに、恐らく彼は40か50くらいだろう
そして、そうだ。俺はただの若造だ。
でも、それに納得がいかない。あの頃とは違う。今の俺には力がある。前世でも今世でも、俺を馬鹿にして嘲り、そして失望していく奴らを、一人残らず殺せる力がある。
「お前さんは、自分にゃ力があるとでも思ってんだろ」
「あぁ」
「なら、クローリク嬢はどうだ。
アンダルは? ゲルクは?」
「クローリクに魔法と剣は仕込んである。
が、その二人は助けが要る」
「そうだ。誰が助ける」
「あんただ」
「人任せだな」
「俺が出来るのは殺すことだけだ。
助けることは出来やしない」
「いや、出来る。さっき言ったろ。
お前がいなけりゃ、助けられないやつがいた」
「だから?俺が逃げるとなれば、その二人を
置いていかないって証拠でもあるのか?
あんたが俺の何を知ってる?」
問答を繰り返し、目の前の男を睨む。
そんな知った風に言われるのが一番嫌いだ。そうやって皆、俺に勝手な期待をかけて失望していく。他人に期待することなんて、それそのものが間違っているというのに。
だが、彼は首を横に振った。
「お前のことは知らん。
だが……生き急ぎすぎだって言ってんだ」
「なら間違ってるな。
俺は、別に生きてるつもりはない」
「あ……?」
アニキは眉を寄せて声を漏らす。
下らないことに話が切り替わっている。話は終わりだ。
「勝手にすればいい。
あんたも、やることがあるんでしょう?」
「………」
「俺は、もういいんです」
とうに、諦めている。
夢を見るような異世界転生?笑えるものだ。現実はこうで、やはり俺はどうしようもない人間で、どの世界も変わらずに他者を害して、そうやってちっぽけな俺を置いていく。
なにも変わらないなら、足掻くしかないではないか。
手に入れた力を振りかざして、俺もそうしよう。
そして、もしそうにもなれないのなら。
ただ、死ねばいい。
「…………そうかよ」
「えぇ。ありがとうございます。
あなたには何度も助けられたから、感謝してます」
俺の命は、ここまででいい。
クローリク……ヨミは、強い娘だから大丈夫だろう。
アニキも、他のみんなも、一緒なら心配はないだろう。
アニキが、ゆっくりと立ち上がった。
「明日は、頑張りましょうね」
「………おう」
去っていく背中を見送って、俺は息をつく。
特別な人間になりたかった。
才能も力もない、ちっぽけな存在だったから。
周りに淘汰されて、いつか死にたくなって。
死ねたと思ったら、また、こんな人生だ。
ちゃんと、ちゃんと死のう。
綺麗さっぱりな最期なんて迎えられないとしても。
今度こそ、ちゃんと、死ねるように。