セレスティアは自身の打ち出した閃光が時計塔の屋根裏部屋の窓から中に侵入し、部屋の床と壁を突き破り外へ抜けていく様子を隅々まで想像した。
発光する線は想像通りの挙動を取り、一呼吸後には時計塔の下に広がる芝生へと消えていった。
長杖を片手で構えた魔法使いはもう片手でなにかを砕いた様子だったが、自身を逸れて床へ丸い穴を開けた閃光を呆然と眺めていた。まるで片手で砕いたなにかの効果が発揮出来なかったような仕草だ。
そこまでを浮遊中に確認したセレスティアは自由落下に身を任せ、地面を見据えながら風を起こすため杖を構えた。
面倒なことになった、とセレスティアは思考した。
今あの瞬間に勝負を決めようとすることも出来た。詠唱を間に合わせられるほど相手は身構えていた訳ではなかった。通常なら、この状況になった時点で勝敗が確定する。あのまま杖腕を打ち抜けばそれで済んでいたはずだった。
しかし、セレスティアはそうしなかった。ほんの少しの違和感、相手はそれなりの実力を備えているという判断と、飛翔するこちらに気を取られたように振る舞う仕草が一致しなかった。
だから、咄嗟に光線の通る軌道が変更されるよう想像したのだ。
あの長杖を持つ魔法使いは片手で小さな何かを
魔法具と呼ばれる道具が存在する。日常生活などでほとんど使われる事はないが、真剣な戦闘では時折目にする道具だ。
これは罠魔法を多少独創的に扱うことで何かしらの物に魔法の効果を与えるもので、通常一度使えばその効果は失われる。罠魔法はその魔法の効力が発現する瞬間を指定出来る。これが壊れたら、ここに触れたら、といった指定をする事で罠としての役割を果たすことが出来る。その対象を腰から下げた鍵などにしておけば、それは携行可能な魔法具となる。
先ほど長杖の魔法使いが使ったのは砂の塊か薄いガラスかその辺りだろうか。
何かが起きたような見た目上の変化はなかったことから、
セレスティアはため息をついた。こうなってしまうのならしょうがない。あの魔法使いを安全で簡潔に撃破し、時計塔の上から援護をするというプランは放棄せざるをえない。これほどの実力者が盗賊団の用心棒のような地位に甘んじていることは不可解だが、ここで止めておかなければいずれ大きな脅威になることは間違いない。
時計塔に併設された大きな講堂の屋根に降り立った彼女は、時計塔の壁を撫でて手触りを確かめた。そしてその壁に杖先を強く当てた。
「
そしてセレスティアの背後から光があふれた。
強烈な青緑の光によって赤茶色の瓦は真っ黒に染まり、灰色の壁はその光を浴びて濡れた陶器のように輝いた。屋根も、欄干も、革の靴も、セレスティアの金色の髪も全てが眩い光に照らされてそれ自体が発光しているかのように見える。
巨大な波が岸壁にぶつかったような音が落雷のように響いた。
光が収まった時、セレスティアは僅かな後悔を感じた。どんな方法であろうと、壊れたものは全く同じようには元に戻らない。今彼女が起こしたことは取り返しのつかない事だ。これが終わってからほとんど同じように元に戻せるとしても、それは言い訳には出来ない。
セレスティアは落ちてくる砂から逃れるために目を細めながら後ろに下がった。
見上げると、時計塔の天辺の部分が砂となって風に吹かれて解けていく様子が見える。空へと舞った砂粒は数舜でこの世界からも消え去る。
内心の物悲しさを抑えた彼女は杖を構えて、自身に一度魔法を行使してから時計塔の天辺へ向けて杖を構えた。
強い光と共にそこから飛び出した長杖を持った影に向けてセレスティアはもう一度光線を放った。
その光は影に当たり反射されセレスティアへと向きを変え、彼女の元まで辿り着いた光はまたしても反射され影へ向かった。
空にV字の光線を残した光は影へ完全に命中した。
♯は屋根の上で、金属盾を構えた騎士に囲まれた状態で唯一持っていた書籍である魔法呪文語集を読んでいた。女性騎士からの提案だった。
戦場で優雅に読書をするなど
読書は好きだが、
などと渋っていた過去のことなどすっかり忘れ、♯はかなり読書を楽しんでいた。この本は魔法を学び始めてばかりの時に一度読んではいたが、今読んでみるとその時の印象とは随分違うように感じる。特に、魔法の効果と詠唱に多少規則性がありそうだという事に新たに気づいた。新発見だった。
例えば、
例えば、防御魔法の集められたページを眺めていると時折現れるこの「
この文言の含まれる防御魔法の効果は、大体が攻撃や何かの衝突に反応して何かしらの影響を起こす魔法のようだ。つまり、この文言は
すると、この文言は罠にも使われているのではないか。そう推測しページをめくると
これは楽しい。解くことが出来ると分かっている
そして♯は気づいた。
魔法の効果と呪文にはある程度の相関があり、呪文には特定のテンプレートが存在し、それは効果と文言を比較することでパズルのように解くことが出来る。
そして完全詠唱の魔法は数年に一度、魔法使いが作り出している。
呪文は魔法を構成する要素の中で比重はそれほど大きくなく、♯の推測では単に魔法の方向性を決める程度の役割しか果たしていない。
つまり、魔法を起こすには魔法を起こすための特定の思考が必要で、
♯はこの発想を検証するための方法を考え始め、直後により大事な事に気づいた。つまり、この発想が
これは、要するに神への道の一歩目を踏み出すという事に他ならない。
という事で、♯は杖を手にした。こういう検証は早ければ早いほど良い。
♯は隣に佇む女性騎士を見上げた。彼女は杖と金属盾を構え、変わらず周囲の警戒を続けているようだ。
「あの。」♯はそこで止まった。
「えー…。」一度挨拶をした相手にもう一度名前を尋ねるのは
女性騎士はパッと表情を明るくした。望外の幸運が降ってきたような顔をしている。
それに♯はかなりの困惑を覚えて首を捻った。普通こういう場合は多少不愉快そうに聞き返されるのだが。
首だけをこちらに向けた中年の騎士が声を発した。
「お嬢様の方から名前を聞かれることは少し嬉しいことなんですよ。特に、こいつにとっては。」
「どういうことですか?」♯は話についていけていないような感覚になっていた。
「いえ、なんでもございませんよ姫君。」女性騎士が慌てたように言う。「私の事は、エリンとお呼びください。」
「分かりましたエリンさん。それで、名前を聞かれると嬉しいというのは?」
その質問には中年の騎士が答えた。「お嬢様から名前を聞かれる事は、お嬢様に顔を覚えてもらったという意味になるんですよ。」
その言葉に♯が内心で甚大な衝撃を受けていると、彼は小さく笑い声を漏らした。「お屋敷の使用人がコッソリ教えてくれたんですよ。ちなみにコッソリというのはこの4人に共有されているという意味です。あ、僕らに社交辞令で名前を尋ねる必要はないですよ。その名誉は今度にとっておきたいので。」
♯は頭を抱えてうずくまった。まさかそんな噂が広まっているとは!もっと根本的な問題として
「ちょっとブライスさん!姫君が頭抱えちゃったじゃないですか!なんでそう余計な事を!」
「隠すにしては表情がちょっと露骨すぎじゃなかったか?」と別の騎士も言い、後ろで我関せずといった風に盾を構えていた騎士も思わずそれに噴き出した。
♯はその全てを無視して立ち上がった。この
♯はそんな非道な計画が進行している素振りをおくびにも出さずに口を開いた。
「エリンさん、今から実験しても良いですか?」
女性騎士は先程までと違い気を取り直したように見える#に安心したように頷いた。話の内容が切り替わった事に全力で乗りに来たようにも感じるが。
「もちろんです!」そして僅かに目線を上にあげて小さく、
条件反射で返事をした後にその内容を検討したような仕草だったが、♯は返事だけを聞いて承諾を得られたと判断した。視界の端で中年の騎士が溜息をついた様子が見られたような気もするが、幻覚ということで片づけておくことにした。
都合の悪い事は記憶から消すに限る。
♯は持っていた杖を構えた。♯の推測の通りであれば
♯は息を吸った。
そして一度手元のメモと書籍に目を落とし、再度杖を構える。
もう一度息を吸った。
「
セレスティアは影に直撃した光景を見た瞬間に自身にできる限りの防御魔法をかけた。意識は全力で周囲への警戒へ充てる。反射神経に任せた保護では間に合わない可能性があると判断しての事だった。
光線が相手の魔法使いに
明らかに想定外の事態が起きた時にするべき行動は、もちろん警戒と状況の把握だ。相手の狙いが分からない、それが問題だった。
二度目の着弾の後、セレスティアは相手の姿を見失ってしまっていた。あの魔法は着弾の際に強い着弾光を放つ、それに心理的な衝撃も大きく目で追いきれていなかった。悔やんでも悔やみきれない失敗だ。
相手はどう来るか。現状では相手の魔法使いが有利な状況と言えるだろう。反射神経で負けるつもりはないが、初撃が罠ではないという可能性は否定しきれない。どこまで行っても後手に回らざるを得ない場合に出来る事はあまり多くない。
セレスティアの額に僅かに汗が滲む。
数秒後。
セレスティアは行儀の悪い言葉を言いながら町の中心部へと走り始めた。相手の狙いは警戒を強めた格上の魔法使いへの奇襲ではなく、
セレスティアは屋根の上を(体を軽くする魔法を使用する事によって)跳躍しながら、苦々し気に表情を歪めた。これは完全に
確かに今振り返ってみてもあれはそれなりに分の良い賭けではあったように思う。高所に居座った相手がその高所を崩された時に取りうる標準的なパターンは
こちらが目視できる状況であれば確実に短縮詠唱の差し込みが間に合い、事前に唱えたこちらの反射防御は最大で17回反射する。そのうえで逃走を選びにくくするためにわざとらしく照準を合わせるように杖を構えることまでしていたのだが。
なにより問題なのが、この逃走を許したことで町の中心部、盗賊団の確保が行われている現場に長杖の魔法使いを逃がしてしまったということだ。
ほとんどの騎士団の人間であればあまり問題はない。魔法行使強度によって戦況に影響が出るのはどちらも集団で行動している場合がほとんどだ。夜間にこの規模の騎士団が動き鎮圧したことによって盗賊団側には集団と呼べるほど戦闘員が居ないだろう。
しかし、あの場には
やはりこの場に連れて来たのは間違いだったかもしれない。唇を噛んだ彼女はもう一度屋根上を跳躍した。
次話は明日の18時だと思います。それと章分けを行いました。