セレスティアは微かに聞こえた金属音のような高音に敏感に反応し、そちらを振り返って見た。この特有の金属音のように聞こえる音は索敵魔法が魔法を検知した時にそれを知らせるための音だ。その音は大体円形に広がるこの町の、突入するための道を作った方角から聞こえてきた。セレスティアは時計塔から町の中央に向けて進んでいる中で、索敵魔法を可能な限り連続して行使し続けていた。その直前の一回に反応があったのだ。
長杖の魔法使いが敗北を悟り逃走を選ぶのであればしょうがない。それは取り逃がしたセレスティアのミスであり、その代償はセレスティア自身に帰ってくる。そしてセレスティアには逃げた魔法使いを追う方法に複数の手段があり、その中には町中ではとらない方が良い選択肢もある。つまり、相手の逃走という選択肢はこの場において、セレスティアにとって最悪な選択肢ではないという事だった。
セレスティアは大通りが交差する広場から少し離れたところまで近づいていた。そこで立ち止まり、索敵魔法からの反応に気づいて一旦歩みを緩めたのだった。
今の反応が味方の行使した魔法であれば問題はない。だが索敵音から判断する限りでは、魔法行使の場所は屋根の上に立つセレスティアとあまり変わらない高度の地点で行使された魔法だった。つまり、高い建物の内部や屋根上で魔法が行使されたという事に他ならない。
もちろん、味方がこの魔法を起こした可能性
セレスティアは屋根を蹴った。
20秒後。
セレスティアの目には、明らかに杖を構えて足元の何かに向けて呪文を唱えている一人娘と、その様子を困惑しながら見守っている四名の護衛騎士の姿が映った。
その光景は
目元を押さえてため息を吐いたセレスティアは、そこへ近づくためにもう一度跳躍した。
♯の乗っている屋根に何かが当たったような軽い音が響いたが、そんな事には♯は全く頓着しなかった。
頓着出来るような精神状態では全くない。それはそうだろう。今♯の目の前で起きている現象を目撃してしまった人間は例外なくこうなるのではないか?
つまり、魔法にはこの程度のことなら何の問題もなく起こせるということらしい。ただ、思考の
この魔法の、
屋根の上を歩いてくるような音が聞こえてくるが♯はそれも無視した。この魔法は
「
♯はビクリと肩を震わせた。聞き覚えのあり過ぎる声が突然聞こえてきたのだ。
♯はその声によって、この町に着いて
これまで♯は、
母親との事前の確認では、基礎防御魔法の多重化を戦場で維持することが今回の♯の戦場での目的だった。そんなことは今まで
♯はいつの間にか隣に立っていた母親を見上げた。
「こんばんは、お母様。ご機嫌いかがですか?」
母親は♯の頭を少し撫でて、それから何かを唱えた。基礎防御魔法が発現した時の特有の視界の歪みが♯の周囲に一瞬現れた。
「あら、シャロンちゃんご丁寧にどうもありがとう。それで、今のこの状況に対する
母親は周囲を見渡した。
♯もつられて周囲を見渡して
♯は口を開いた。そして口を閉じた。
母親は目を細めて♯を無言で見つめている。
♯は額の汗を拭って、もう一度口を開いた。「広場での戦闘は終わったようですね。」
「
母親は大袈裟にため息をついて、首を振った。
♯は一時的に危機が去った事を敏感に感じ取り、表情に出さないように努力しながら一息をついた。後で怒られることは確定してしまったが、幸運なことにそれは今ではない。怒られるまでに多少の時間の猶予があるのであれば、納得感のある言い訳を考えることも出来る。エリンという名前の女性騎士を買収する事も可能だろう。♯の優秀な頭脳は母親からの叱責を回避する案を出すために存在する。
「それで、お母様。」♯は背後で思考を続けながら、質問をするために口を開いた。
「お母様の方はどうなったのですか?その、強い魔法使いの撃破は終わりましたか?」
母親はその質問を受けて、端的に首を横に振った。「いいえ。逃してしまったわ。逆に質問なのだけど、♯ちゃんはこの周囲で魔力光_青緑の光_は見ていない?」
♯はその質問を聞き不安に駆られた。「この辺りにその魔法使いが潜んでいると言う事ですか?」
母親は唇を引き結んだ。「その可能性も否定は出来ないのよ。」
♯は恐る恐る周囲を見渡した。「特有の光は…確かあの時計塔の方から見えたはずですが、それ以降はないと思います。」
母親はその答えを予期していたようでひとつ頷いた。「確かに、あの光ならここから見えてもおかしくはないわね。」
その返事の意味(つまり、あの光には母親が関与しているという事実)に気づき♯が驚きの声をあげようとした瞬間、女性騎士の鋭い詠唱が数度響き、屋根上に居た六名全員が二重の防御を纏った。
「
その声には
母親のよく通る声が周囲の護衛に命令を下す。
「保護対象を軸に防御陣形!全員に多重防御!視界不良は自身に多重防御!一切の攻撃は禁止!相手は反射所持!」
動揺の走っていた護衛達はその的確な指示によって落ち着きを取り戻し、金属盾が♯の周囲に並べられた。♯以外の全員が短縮詠唱で基礎防御魔法を唱え、これにより6名全員に最低でも11重の防御が構築された。♯の周囲と頭上に防御を纏っている人間がいるため、♯個人に注目するのであれば実質的にその
純白の光は1秒ほど続いた。これは魔法行使の際に現れる青緑の光とは全く違うものであることから、この光は副次効果などではなく単に魔法の結果なんだろうと推測することが出来る。つまりこの魔法は
「
母親の端的な詠唱が響き、一帯をほんのわずかに石鹸の香りが支配した。次いで母親が小声でなにかを呟き始めたのを♯は遅れて認識し、それから長杖を持った魔法使いが杖を構えた状態で広場の上空へ浮かんでいる事をようやく見つけた。
恐らくあれが騎士団を苦しめていた魔法使いだろうと判断した♯は、手に持った杖に意識を集中させた。なにか♯に出来る事はあるだろうか。
長杖の魔法使いは何かを唱えきった直後のような様子だったが、こちらへの攻撃は一切なかった。内心の困惑から、♯は今になって先程の母親の魔法行使が、相手の行動を阻害するための物だったことに気が付いた。
上級者は視界を塞がれて動揺するなか、直後に相手の詠唱に完璧に合わせて魔法を唱え、相手の魔法行使を阻害するらしい。
その、阻害された側の長杖の魔法使いは空に浮いていたのではなく自由落下の頂点にいたようで、左側の建物へ落ちる軌道を通り重力に引かれ従順に落下していくようだった。
相手が着地する寸前に母親が詠唱を完成させ、長杖の魔法使いの上前後左右の5方向が一瞬
その光は長杖の魔法使いによって反射されたかのように同軸上の空を反対方向に抜けていった。
その隙に相手は建物の隙間へと降りていった。
全てが一瞬の出来事で♯の関与する隙は一部も無かった。♯は未だにあの一瞬の白色光への反応で起こったアドレナリンの放出で手が震えているというのに、母はこれまでの間に何度魔法を行使しただろうか。反応速度は訓練程度で果たしてこれほど上がるのか?と思わずにはいられない。
「陣形維持を最優先に。目視できる位置の場合は詠唱を始めても構わない。支援は不要。」
母親はそれだけを言うと恐ろしい速度で屋根上を駆け抜けていった。
♯の体内時計ではそれからおおよそ40秒ほど経った。まだ視界範囲にはなにも変化はないが、警戒は一切切らさない。
♯は今になって、母親の
長杖の魔法使いがその事実に気づいているかどうかは分からないが、それは警戒しない理由には全くならない。背後の毛布の上に置きっぱなしになっている本くらいは回収したいが、そのために隙を晒すのはどうかしている。今何か行動を取るべきだとして、本を回収する事ではないという事は♯でも分かる。
左側の建物内部からの
束の間の静寂。
突如として、
長杖を持つ男は詠唱の最後の一言を振り絞るように叫び、それを母親の最後の詠唱の声が打ち消しながら上空から光線が走った。それは反射され同軸上の空を切り裂いた。
そして♯の基礎防御魔法が完成した。♯の狙い通り、長杖を持つ男の、その杖が真ん中から半分に分かれた。
護衛の男性の、唾を飲む音がいやに大きく聞こえた。
次話は数日以内です。