結局、その女性騎士は母からの曖昧な許可によって実験に参加することを許された。これから行う実験には観察している人数による変化など全くないため、実際のところ♯としてはどちらでも良かった。♯がそんな態度だったため母も曖昧な返答を返し、それを彼女は非常に都合良く解釈したようで今もその辺りを駆け回り金属製の物体を集め続けている。
♯はその様子をしばらく眺めてから、虚空かどこかから取り出した椅子に座っている母親に声をかけた。
「お母様、そろそろ始めても良いですか?それとも、エリンさんに準備をしてもらって、終わったら追い出せば良いですか?」
その言葉によって女性騎士が♯と母の方を向いて明らかに懇願の表情だと分かるものをこちらに向けてきたが、♯には母親の罪悪感を膨らませる程度の手助けしか彼女にしてあげられる事はない。
というより、なぜ彼女はそこまでして♯の実験に関わりたいのだろうか。ただの親切なのか、それともなにか裏の理由があるのだろうか。
理屈は分からないがなぜか親切な人、というカテゴリの人間は♯にとって未知の存在だった。警戒とまでは言わないが、居心地の悪さというか、申し訳なさをなぜか感じてしまうのだ。
母は♯の質問とそれによる女性騎士の一連の動作を受けて腕を組んだ。「まあ、別にそこまで気を使う必要もないわね。じゃあ♯ちゃん、始めても良いですよ。」
♯は頷いて並べてもらった金属製品を眺めた。これから行う実験の詳細な説明をした訳ではないのだが、非常に都合のいいことになぜか購入時期の古い順に並べられている。この女性騎士はいったい何者なんだろうか。ただの仮説だが、♯の精神を読む魔法を使えたりするのだろうか。
「エリンさん、ここに並んでるものの中で一番新しいものはどのくらい前に作られた物なんですか?」
なぜかすでに台帳を手に持ち♯の脇に立っていた女性騎士は口を開いた。芝居がかった動作で表紙をパラリとめくる。
「こちらの細身の両刃剣…あ、購入日じゃなくて作られた時期だと……。数カ月前に一括で購入した火掻き棒が去年の秋ほどの物のようですね。前の冬は寒かったですから。暖炉の関係のものは大抵新調されてますよ。」
♯は納得するように頷き、火掻き棒を手に取って2節2連の詠唱を唱えた。
訓練所の壁にかかった松明の火はそれによって即座に消火された。
完全に混乱した声が♯の横に立つ女性から聞こえた気がしたが、♯はそれに取り合わなかった。彼女は♯の起こす奇跡にはまだ慣れていないらしい。もう数回ほど♯の奇跡を体験すればそのうち慣れてくるはずなので、一応♯は彼女のプロフィール欄に
魔法による消火を見届けた♯はひとつ頷き、集められた物の列の逆側に置かれた最も古い金属製品に向かい、そこに置かれていた巨大な金属の塊を持ち上げようとし、諦めた。それは少なくとも♯の身長の
それに、そもそも実験のためにこんな物を持とうと苦労する意味はほとんどない。その隣に置かれた短刀でもこの実験は成立する。
という事で♯は床から短刀を拾い上げ、それを__母親が奪い取り更に隣に置かれていたボロボロの窓金具と交換し__魔法行使のため胸の前に掲げた。
♯は手に持った今にも崩れていきそうな窓金具を見つめ、それから母親と目を合わせた。
ややあってから監督者兼母親は口を開いた。「子供が刃物を持つと、必ず悲鳴をあげて絶命するのよ。」
「お母様。」♯は非常に親切そうな声を出した。「実は、それは
母親もそれに対抗するように非常に柔和な笑みを浮かべた。「♯ちゃん、絶命するのが刃物を持った子
♯は予想外すぎる返答にゴクリと唾を呑んだ。
どう考えても冗談にしか聞こえなかったが、この母親の頑なさを見る限り、
♯は母親の持った短刀から慎重に距離を取り、母親はゆっくりと(毛布の敷かれた)床に短刀を置き、離れた。
これでどちらの命も危険に晒されることは無くなったため、♯は魔法を行使するためにボロボロの窓金具を構えた。
三秒後。
♯は頷いて、古い窓金具を元々あった位置へ戻した。♯の予想通り、唱えた発火魔法はその効果の一切を発揮せず、松明は発火せず、現実は何の変化も起こさなかった。
その後、昼食の前や後や
ピカピカに磨かれてはいるが
少し
そして、その金属製品が魔法行使能力を持つ境界となる時期の推定も大雑把には特定する事が出来た。複数の金属製品の製作時期と魔法行使能力の有無をまとめていくと、おおよそ時期は2年から3年前になるらしい。
領内議事録ではその頃から金属製品の質が向上したと好事家の間で話題になっていたらしいと記録もあった。
そしてその年代は、父親によれば王都の杖職人の大家の工房で大きな事故が起き、十数人の弟子が新たな職を求め市井へ流れた時期とおおむね一致するという。
つまり、これまでは一般的な金属は魔法を発現出来るものではなかったが、最近になって杖作りにだけ伝わっていた冶金技術が一般の金属製品にも使われるようになり、結果として魔法を行使できる火かき棒が誕生した、という事らしかった。
あえて分かりやすく表現するのであれば、金属の
結論としては、そんな単純な話なようだった。
♯はパタリとリビングのソファに倒れた。お洋服が皺になる、なんてことを気にする余裕は全くなかった。普段ならぷりぷりと怒り出す使用人さんや母親の姿は近くにはない。なぜか屋敷内の護衛と称して女性騎士であるエリン・ウリツカヤさんが背後に立っているが、彼女は♯の服につく皺についてあまり興味はないようだった。
♯の脳内は、これまでの一連の出来事とそれらの考察によって完全に支配されていた。というのも、これまでの発見を俯瞰していた部分の♯が大きな声で、「
もちろん、論理的に考えを進めるのであれば、正直なところおかしな事はないように思えた。魔法という謎の能力が広まってから
そして、♯の発見した単純で分かりやすい法則が今まで広まっていなかった原因は、単にこの現象が最近まで非常に
他にも、人間社会で発生しがちな勘違いから生まれる
という説明から『
それでも♯の直感は「
♯の経験上、こういう直感を無視すると
確かに一般的な状況であれば、
『
この感覚的で言語化しづらい思考を、どうにか拾い上げて明確な思考へと持ち上げなければならない。
『
脳内で再生された最後の言葉に、♯はハッとして息をのんだ。直感に糸が掛かり、引っ張り上げる事が出来た実感が確かに指に残っている。
『
確かに、今までの時間や環境という理由では、全てを説明しきれるほどの強度はないように感じる。現象が発見されにくい環境だった、という説明はそれ単体で現実をしっかりと表現出来ていそうに思えるが、なぜか直感の部分ではこれではまだ不足している気がする。
もっとクリティカルにこれを説明できる理由がある。♯はそう感じていた。
問題としては、存在するのかも怪しいこれを見つける方法が、♯にはさっぱり分からないという事だった。
遅れてすいません。次話はそのうち。