「え?じゃあおじい様。あの解体してしまった杖は元々プロメテウスさんが使っていた杖を貰ったものなんですか?」
本館一階の奥の部屋、上に部屋のない日当たりの良い場所に置かれた横長のソファで、♯の大叔父であるロイド・ウィッケンハイザーは寛いでいた。片手には文庫ほどの大きさの本を持っているが、今はそれを開いてはいない。♯が話しかけた時にはすでに閉じていたようだった。もしかすると気を使わせてしまっていたのかもしれないが、少なくとも♯はそうだという事実を支持する証拠は掴んでいなかった。
というより、今この瞬間に限れば、そんな事は
老人は♯の言葉に笑みを浮かべた。というより、髭の塊の中の口元と思わしき部分が変形した。
「その通りじゃよ。ワシが数え15か6くらいの歳の頃に、広場で魔法を見せて下さった時に使っていた杖を貰ったのじゃ。」
♯は震え、青ざめた顔で頭を抱えた。「いやいやいやいや…」
その♯の様子に老人は愉快そうにしていた。髭の内側からくぐもった笑い声が聞こえてくる。
「正真正銘、わしがこの手で魔術師さまから受け取ったものじゃよ。
♯の体が震え始めた。「貴重なものですか?」
その老人は大きく頷いた。「もちろん。」
「分解しちゃいましたよ!!!!」その返事で♯はついに叫び、ソファに身を埋めた。
その瞬間、老人が大声で笑い出した。♯がその様子に困惑していると、隣に座る老人はさらに笑いながら♯の頭を撫でてくる。
その攻撃を避けるためソファから逃げ出した♯はようやく状況を理解した。
「おじい様、まさか
老人はようやく笑い止んだ。目元を拭いながら♯に返事を返す。
「明確な嘘とまでは言えないかの。魔術師さまが使っていた杖であることはもちろん、街の代表として受け取ったものであることも事実じゃ。だがの、魔術師さまは荷車いっぱいに杖を持っておったし、使う杖もその時々で荷車から適当に選んでいた。それを適当な理由をつけて貰ったのじゃ。わしの他にも選ばれし一族の末裔として杖を受け取った者がこの街だけであと30人おる。兄者は確か伝説の英雄として杖を受け継いでいた。街中の全員が、なんらかの理由をつけて魔術師さまから杖を受け取っているのじゃ。」
♯はその返事を受けて全身にまわっていた緊迫感が多少落ち着き始めた事を自覚した。今の話を信用するのであれば、極めて貴重な歴史的史料をそうとは知らずに損壊させてしまった、という訳では恐らくないらしい。魔術師プロメテウスが実際に使っていた杖であることは事実のようだが、同じような杖が荷車に山積みになっていたのであれば歴史上に一本しか存在しない稀少な杖を誤って分解してしまったという訳ではないだろう。仮に、その当時の杖がどうしても必要になった場合はこの街の民から譲ってもらうことも可能なようだ。そういう意味では多少安心は出来る。
だからといって、許せるかどうかは別問題だ。
「そういう話は初めから言ってください!取り返しがつかなかったらどうするつもりなんですか!」
♯はソファから立ち上がったまま、目の前の老人を睨みつけた。白髪と白髭と真っ白な眉で覆われた毛むくじゃらの顔だ。指輪物語のガンダルフやハリーポッターのダンブルドアのような風貌だが、♯をからかう様子からは彼らのような威厳は全く感じない。
老人は♯の怒りの声を一切気にする素振りを見せず笑っている。
「可愛い孫娘からの頼みを無碍にする訳にもいかんじゃろう。それと、♯よ。実は取り返しはつくのじゃよ。」
♯はその言葉で一度止まり、眉を寄せた。「どういう意味ですか?領民から譲ってもらうというお話ですか?」
「そんな面倒な話ではもちろんない。」老人はそう言って、自身の上着の内側に手を入れた。
その状態で老人は、♯の元々座っていた長椅子の座面を叩いた。座りなさいという意味だろうと解釈した♯は不承不承腰を下ろした。
その様子を見て楽しそうに頷いた老人は上着の内側から手を引き抜いた。その手には全く同じ形状の杖が3本握られている。
♯がよく知っている形状の、分解してしまった
無造作に目の前のローテーブルに杖を置いた老人は♯と目を合わせると得意そうに笑った。
「は…?おじい様…なんで、どう…これ、何ですか?」
♯の混乱した声に満足した様子の老人は髭を撫でながら口を開いた。「これは魔術師プロメテウスが持っていた杖じゃ。」
「なんで
「3本程度ではないぞ。全部で14本あった。♯に渡したので今は一本減ったが、まあ些事じゃろう。」
「
「ああ、それは簡単なことじゃ。ひどく単純で、易しい問いじゃな。その当時のわしの両手がその本数を一度に抱えられる大きさだっただけの事。」
「14本である理由を聞いている訳ではありません!なぜそんなに多くの杖を、持っているか…という…話を…。」
その瞬間、♯は今まさに思いついた発想に確信を持った。と同時に目を細めて隣に座る老人を見据えた。
「
「♯や、表現には気をつけなければならん。わしは盗んだのではなく杖を贈与されたのじゃ。その時には数の指定はなかったからの、荷車から追加で持ってきただけの事。やましい事では全くない。」
「それを盗んだって言うんですよ!」
「♯や。そう無理に悪い方向へ考える事はあまり良くない。何事も寛容さが肝心じゃ。ほれ、お小遣いをあげよう。」
「
10分後、♯は魔術師プロメテウスから譲られたと主張する棒切れ一本と銀貨2枚分資産が増え、声帯の寿命が多少減っていた。
老人は結局♯を説得することを辞め、♯が分解してしまった杖の破損についての責任を追求してきた。一時は真っ向から対立した♯と老人だったが、その後老人が提案してきた妥協案に♯が合意したことで論争は終結した。結果として♯はプロメテウスの持ち物であった14本の杖の現在の所有者を老人と認め、老人は杖の破損はやはり科学的発展の礎であり有効な活用法だと認め、更に老人はこの件を今後掘り下げないという要求を♯に認めさせるために追加で杖一本と銀貨2枚を支払った。
♯は一度自室へと戻ってきていた。屋敷の2階にある日当たりの良い角部屋で、中庭が一望出来る事が気に入っている、風通しの良い部屋だ。
机の上に戦利品である銀貨2枚とプロメテウスの杖を置いた♯は、深々と息を吐いた。
銀貨と杖を受け取った当時の♯は内心、非常に
だが、思い返せばおじい様は元々杖の分解に賛成の立場だったはずだ。♯は研究のために杖を受け取る際、分解するつもりだとはっきり明言し、老人はその言葉に頷いて杖をくれたのだ。
しかし今回の♯の糾弾では急に立場を変え、反論としてこちらを詰めてきた。
つまり、あの老人は♯の
そう整理できると、この目の間の銀貨2枚と杖一本が安く見えてくるのだから不思議な話だ。今頃あの老人は格安で買収出来たとほくそ笑んでいるのだろうか。
♯はもう一度ため息をついた。まあ、良いだろう。実際のところ銀貨2枚と杖一本は♯にとってそれなりに有用なものだし、どうせ買収額を引き上げる機会は過ぎてしまった。未来の事を考える方がいくらか有益だろう。
♯は部屋の外に控えていた使用人さんを呼んで、外行きの服装に着替えて部屋を出た。そろそろ午前の執務に挟まる小休憩の時間になる。出発の時間だ。
次話はそのうち。