魔法使い♯ちゃんの世界最適化計画   作:ざし

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父親について

 

***

 

 

暖かな光が二人(親子)一人(騎士)ひとつ(ガラスの器)に降り注ぎ、それぞれ固有の色を反射させ煌めいている。柔らかい風が崖へ向かって進み、草本植物たちがそれに揺られささやかな音を立てる。

 

父親は娘の突然の行動に驚いて両手をあげていたが、やがて肩を落とした。♯の行動の真意は今も分かってはいないが、何かが失敗してしまった事は確からしい。父親は腹に顔を押し付けてきている娘の背に腕を回し、そっと撫でた。

 

「♯ちゃん、大丈夫かい?」

 

♯はそれを受けてみじろぎし、そして少し体を離した。ため息をついた。

 

父親は安心させるように笑った。背中に回していた腕を緩め、優しく頭を撫でる。「安心して。君がよく頑張ってるのは知ってるよ。だからそんなに焦らなく__」

 

♯はそれを聞き終わることなく立ち上がった。そして駆け出しながら女性騎士に向かって指示を飛ばした。

 

「エリンさん!その浮いてる器に壊防魔法!真空空間はとりあえず維持してください!」

 

父親はそれを呆然と眺めていたが、やがて苦笑しながら立ち上がった。娘は全部を自分だけでやろうとして、それをしてしまえる人だ。一人で計画を立て、一人で実行準備をし、自分で出来なければ人に依頼をして、一人で結果を見る。強い子だ。正直、父親であるプレスコットの入る余地はあまりなかった。

 

プレスコットから見て♯は、何かが失敗したときの衝撃や苦しみを自分一人で抱えようとしてしまう癖があるようだった。反射的に大きな声をあげたり、悲しそうな仕草をとって、それで終わりのように振る舞う。それで切り替えは出来たから、気にせず次に進もうとしているように見える。というより、切り替えは出来たから心配しないで、となにかに言い聞かせているように見えた。

 

プレスコットはそれを見るといつも、黙って彼女を抱きしめたくなってしまう。♯は賢く、強い子だ。けれどまだ、たった5歳の女の子だ。そんなに強い人として振る舞わなくても良い、と言ってしまいたくなる。自分のことも大事にして欲しい、と声をかけたくなってしまう。でもそれはプレスコットの望みで、シャロンの望みではない。親の心配を押し付けるようなことは出来ない。プレスコットが唯一できることは、望みの通りにやりなさいと言ってあげることだけ。

 

プレスコットは目を細めて5歳の娘を眺めた。彼女は女性騎士に一旦水の片付け指示を出しながら、同時に腕を組んで何かを考えているらしい。

 

プレスコットは感傷を、息を薄く吐くことで流して歩き出した。とりあえず近づいておくことにしたのだ。あのお姫様からの突然の命令があった場合に備えて。

 

 

***

 

 

ということで、♯は宙に浮かんだ水面の観察から重要な事実を発見した。()()()()と呼ばれる特定地域でも、重力方向はほぼ鉛直らしい。現代地球では当たり前の現象だったが、この世界でも見た目上は同じ反応になる事を確認できたことは大きな成果と言えるだろう。

♯の持っていた曖昧な仮説を整合するような確認が取れた事も大きな成果ではあるのだが、それについてはあまり言及したくはない。というより、これによって見ないようにしていた巨大な問題から逃れられなくなったため、反射的な防御反応を起こしているとも言える。

 

♯は今までの情報をふまえ、大地の形状について最も常識的な仮説を立てていた。広く巨大で終点があり、完全な平面ではなく多少湾曲し、先にも下にも何も見えない大地。これを現代地球の常識に照らすと、立てられる仮説は明らかだった。

 

()()()()()()()()()。つまり惑星規模で()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということ。

 

ただしこれは、♯の持つ地球時代の科学的知識を元に立てた仮説でしかなく、最もシンプルな仮説とすら呼べない代物だった。そもそもこの世界はという概念が自明()()()()。天体観測という概念は存在せず、霧の外側について記述されている文献に観測的事実のみを書いているものはなかった。そんな世界で()()という仮説を持ち出し、この大地はその仮説のさらに例外的状況だと主張することはシンプルでもなければ妥当でもない。()()として処理されるだろう。

 

しかし、これが()()()()()一番まともそうな仮説であることは確かだった。

 

逆に、非常に飛躍した発想をすることも出来る。観測と過去の人々の直感を信じるのであれば、ここが()()しているとする仮説を立てることもできないこともない。常識的にはありそうにないが、浮遊ではなく落下を続けているという言い方であれば多少は現実を説明していそうな気分にはなれる。ただしこの説明では、そもそも重力が発生している事そのものが巨大な謎として残るわけだが……。

 

♯は目を閉じて数歩ほど無作為に進んだ。足元の草は背が低く、視界がなくとも危険はあまりない。

 

言ってしまえば、つまり。

♯の今まで目を背け続けてきた根源的な問題はつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という問題だった。

 

♯は広場の先、木々の先に見える朽ちた柵と、その先の広大な空間そのものを眺めた。あの場所から仮に何かが見えたとして__例えば、双眼鏡のようなものを発明して観測を行った時、隣の大陸のようなものが見えたとして__それをどう捉えるべきなのか♯は確信できない。それが例えば、事実としてそこにあるのではなく、単に母の見せてくれたような()()と同じ種類のものの可能性も考えられてしまう。物理法則そのものを信頼するべきか判断できない、という問題の意味は、こういう事を否定しきれないという部分にある。

 

♯は閉じていた目を開けた。結局のところ、やるべきことはあまり変わらないし、変えられることでもない。

 

♯はいつの間にか隣に立っていた父親を見上げた。「お父様、大したことない実験があるんですが、試しても良いですか?」

 

父親はなぜか苦笑し頷いた。「よしきた。やろうか。」

 

♯はその言葉を聞いて、すぐさま先ほど脱ぎ捨てた茶色い紐付きの服の元へ向かった。そしてさっさと着始める。

 

その様子を見ていたらしい父親が、警戒した声を♯の背中に投げてきた。

 

「いやごめん。」と父親。「何をやるのか先に説明してくれないか?」

 

♯はそちらに振り向かずに答えた。「ちょっと()()()()()()()()()()()()と思っただけですよ。見てみたくて。少し経ったら引っ張り上げてください。」

 

そして♯は振り返った。「良いですよね?」

 

「「()()()()()()だろ(ですよ)!!」」という声が同時に二方向から聞こえた。

 

♯は面倒な表情を隠そうとすることなく、両耳に当てていた手を離した。過去の経験から、♯の鼓膜は辛うじて今回の衝撃に耐えきっていた。

 

 

***

 

 

♯の目の前には成人男性が仁王立ちをしている。♯の背中には女性が貼り付いている。どちらも同じような、岩石と比較しても遜色のないほど()()な表情をしている。

 

「領内最高権力者として、その要求は認められない。」と男性。

 

「姫君がやると言い張るのなら、私が代理で降りますから。」と女性。

 

「紐は十分強いんですから、ちょっと引っ張りあげるだけで良いんですけど。」と少女。

 

つまり構図としては2v1になるようだった。

 

♯は後ろに張り付いた女性から逃げ出し、二人に鋭い視線を向けた。「邪魔しないでください。そもそも協力するという話はどこいったんですか!()()()()()()()()()()!」

 

父親はひどく硬質な、磨かれた金属塊の表面のような声を出した。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。忘れてしまったか?シャロン・P・ウィッケンハイザー。」

 

♯もそれに同等の声質で応えた。凍り付いた拳大の岩の塊のような声。「問題は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という部分ですよ。信頼を揺るがせるような態度を取っておきながら安全を言い訳に使えば、こちらがどういう反応をするのかくらい理解できそうなものですが。それともあなたはこちらを()()()()()()()()()()だけと認識すれば良いんですか?プレスコット・ウィッケンハイザー。」

 

「その言葉はそっくり君に返るものだということに気づいているか?」父親の声はあまりにも頑なだった。「君は自身の身を危険にする行動を起こそうとしている事を自覚しながら、それを手伝うことを要求している。それが拒否されると約束を盾にし、そして信頼をも盾にし始めた。良いか、シャロン。♯ちゃん。明言しておく。君の安全は、僕の持てる限りの全ての力を動員して確保する。君の安全の優先順位は僕の持つ全権より重い。君自身の目的よりも重い。()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

♯は目を閉じた。この相手を叩き潰すことに躊躇はない。そして薄目で周囲を見渡し、口を開きかけた。「現当主()()()()()__」

 

「姫君。」そこに女性騎士の声が割り込んだ。「姫君、辞めてください。辞めてください。」

 

♯は女性騎士の方へ向いた。女性騎士の表情は頑なで、なにかをこらえているように見えた。

 

「割り込んでしまってすいません。」と彼女は頭を下げた。「でも、ごめんなさい、姫様。それ以上言わないでください。」

 

♯はそちらをじっと見つめた。父親への怒りは少しずつ落ち着き始めていた。今は、多少困惑の混ざった声が出たが、まだ硬質な響きを持っていた。

 

()()()()()()()()()()()。」

 

彼女は息を吸って、吐いた。「姫君。あなたのしたいことはそれではないはずです。お父様と喧嘩をしたかった訳ではないでしょう。もっと大切な目的があるはずです。それを説明してくれませんか?そして、お父様と姫君の妥協点を探しませんか?」彼女はなぜか目の奥を揺らしていた。「あなたのお父様はあなたの敵ではないでしょう?あなたと少しだけ意見が違うだけの、隣の人ではないですか?あなたの父は、決してあなたの目の前からは居なくならない。きっとこれからも敵にはならない。()()()()()()()()()?そういう部分も、もう認められなくなってしまいましたか?」

 

♯は、喋りながら腰を落としてしまった女性騎士の肩を掴んだ。咄嗟の事だった。父親への怒りはほとんど流れ落ちていた。困惑と、膨らんだ疑問と興味が口をついた。

 

「なんで……。」♯は自分の声がなぜか掠れていることを無自覚に認めた。「なんで、そこでエリンさんが泣くんですか。」

 

彼女は、肩に置いていた♯の手を取って、両手で包んだ。

 

「いいえ、私のことは良いんです。ただ……、ただ、ちょっと胸が苦しくなって。それだけです。それだけですから。」彼女は額に♯の手の甲をそっと触れさせた。「姫君、お父様とお話してあげてくれませんか。どうか、お願いできませんか。あなたはまだ、父さんと話ができるんですよ。だから、どうか。」

 

♯は、その手に支えられている自身の右手の甲を見た。そして目の前の女性騎士の、光の具合でわずかに桃色にも見える白髪の頭頂部をじっと見た。♯はなにを言えばいいのか、全く分からなかった。

 

 

***

 

 

 




次話は来週中です。
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