「……
先に声を出したのは扉の前で控えていた女性騎士だった。彼女は全身を強張らせ、♯を凝視した。震える体で数歩近づき、しかしどちらからも手の届かない距離で立ち止まった。
「姫君、その、転生というのは__」
「エリンさん、はっきりとした証拠もない話を間に受けるのはやめて、一旦落ち着いてください。」♯は女性騎士に向かって片手を向け、指を二本たて振った。元の位置に戻れという合図だ。
「ですが、姫君__」
僅かに震えの混ざる声を遮るように、♯はテーブルに置かれたグラスをコツコツと鳴らした。「扉の前に戻ってください。その話はいずれ時間を作るので。」
女性騎士は♯の動作にかすかに気押されたよう目を伏せ、小さく謝罪し元の位置へ戻った。
♯はそこから、ほんのわずかな間だけ完全に目を閉じた。エリンさんの示した動揺が想定外なほど大きかったため♯の反応があまり目立たなかったことは図らずとも幸運だったが、♯自身も内心では大きな衝撃を受けていた。
♯は対面に座る男の方面から、ほんの小さな咳払いの音が聞こえたことを認め、ゆっくりと目を開いた。男は先ほどの体勢のまま、じっと♯の表情を眺めている。
♯は薄くため息を吐いて、高圧的に振る舞おうとしていた体勢を起こし、遥かに真剣な表情に切り替えた。
「あなたと私は同じ背景知識を共有している、と
男は片腕で揺らしていたグラスを両手で握り込んだ。薄く、しかしはっきりとした笑みが浮かぶ。
「申し上げた通りですよ、ミス・ウィッケンハイザー。転生による思考の変化については、あらゆる人々が気にするべきことですから。」男は薄い笑みを崩さずにそう言い切った。
♯は苦々しい表情を隠そうとしなかった。誤魔化されていることは明らかではあるが、その言葉になんらかの真意を紛れさせているとも限らない。
♯は僅かに目を細め、そして目を閉じた。「あなたがこちらへわざわざ来た目的は、その質問の回答を私から得るため、ということですか?」
男はゆったりとした動作でグラスに口をつけ、そして両手で握った。
「ええ。それも数ある目的の一つではあります。」
♯は目を細めて彼を見つめ、男はそれと視線を合わせた。
「端的に行きましょう。」♯はもう一度言った。「私はあなたの質問に答えるかどうかを決める権利があります。そしてあなたはその質問の答えを知りたい……。」♯はそこで口を閉じた。「……と、仮定するとき、あなたには私を
「なるほど。」彼は笑みを深めた。「しかし、その取引設計はあなたにとって必ずしも有利には働くとは限らない。あなたはまだ、私が
「
パキン、とグラスの割れる音が部屋に響いた。
男は♯と女性騎士に向かって丁寧に謝罪し、ゆっくりとヒビの入ったグラスを机に戻した。
「なんとも、興味深い。」男は左腕に回されている細い金属輪に右手で触れた。「姫にはなにか、それを信じるに足る根拠がおありかな。」
♯は口元を抑えてクスクスと笑った。「気は引けたみたいですね。」
男はたたえていた笑みを深めた。「ええ。もちろん。」そして金属輪を左腕から外し、ゆっくりと机に置く。「どうぞ、ご質問ください。将来の計画でない限り答えましょう。」
♯もにこやかな笑みを浮かべて彼と目を合わせた。「ありがとうございます。では一つ目。」♯は人差し指で机を二度叩いた。「ここに来た目的を過不足なく教えてください。」
「あなたとの対面、および対話。噂に聞くウィッケンハイザー邸の建築技法の観察、旅の休息地として。」彼は身を起こし、楽しげな笑みを浮かべた。そして部屋の出入り扉前に立つ女性騎士を見た。「それと、ウリツカヤ氏との再会。」
♯は目を見張って扉に振り向いた。「知り合いだったんですか!?」
女性騎士は僅かに動揺した様子だったが、深々と頭を下げた。
「またお目にかかれるとは、思ってもおりませんでした。教祖ジョンレン様。」
「失礼。」と♯に向けて言った男はゆっくりと立ち上がり、女性騎士の前まで歩いた。彼の手が懐に入り、封筒を取り出す。「彼らからだ。開けてみれば分かるが、返信用の便箋も入れてある。手紙を書いてやりなさい。」
女性騎士は震える手でそれを受け取り、じっと見つめた。「あの子達は、なんと……?」
「愛に。」男は低い、響く声で言った。
細く、息を吸った音が聞こえた。女性騎士からだった。彼女は唇を引き結び、もう一度頭を下げた。
「愛に。ええ、しかと。」
男は戻って座り、♯と視線を合わせた。「腰を折ってしまい申し訳ない。」
♯は首を二度振った。「いえ、構いません。少し驚きはしましたが……。」
男は杖を取り出し、グラスと机に向けて数語唱えてから丁寧な所作で袖に戻した。「次のご質問を。それとも、こちらからの質問が許されるかな。」割れたグラスと、そこから滴った水滴はすでに虚空へと消えている。
目をまたたかせた♯は口を開きかけたところで逡巡し、ほんの僅かに検討してから口を開いた。「すいません、続けます。先ほどあなたは転生について、『あらゆる人が気にすべきこと』と一般論にしましたが、現実としてその思想は一般的ではない。そうですよね?」♯は首を傾げ、黙ったままの男を見つめる。「そこで、二つ目の質問はこうです。あなた個人として、転生の
「申し訳ないが、それは将来の計画に関わるものです。別の質問をどうぞ。」
♯は笑みを漏らした。「では、私の話がどんな形で活用されるか判断出来ない以上、あなたの質問に答えることは出来なくなりますね。」
男は頷いた。「構いません。」
♯がそれに心底驚いていると、男は指を組んで口を開いた。「ご質問をどうぞ。」
「
「ええ。構いませんよ。」
♯は首を振って動揺を抑えた。「それは……つまり、あなたはそもそも取引を望んでいない。というより、取引をするつもりがない……。」♯は顔を顰めた。そして口を開く。「……ただの勘ですが、あなたは
男は目尻に皺を寄せた。「ええ。そして私は、義理堅さを自身に課しているという自負があります。」
♯は背後に立つ女性騎士へほんのわずかに意識を向け、それを腕を組むことで散らした。「わかりました。では、次の質問です。あなたは転生者ですか?」
「いえ、違います。」
♯は仮説が実証されたというように頷いた。「あなたは転生という単語__概念__をどこで知りましたか?」
「古い記録からです。口止めをされたので、場所は控えますが。」
♯はその回答をしばらく検討した。「……なぜ口止めをされたのか、であれば言えますか?」
「極めて危険な場所だから、というのが一番大きな理由でしょう。」
「誤魔化そうとしましたね。」♯は目を細めた。「他に思い当たる理由を過不足なく教えて下さい。」
彼は口元の微笑を揺らがせなかった。「危険という説明に嘘はありません。他には、独自の文化であること、人口が極めて少ないこと、それらを統合して歓迎できる来訪者に限りがあること。あとは、特殊な環境のため体調を崩す人間が多いという部分への配慮。おおむねこのくらいかと。」
♯はこれらを脳内に記録しようとして、諦めた。裏紙と羽ペンを手に取りメモを取っていく。今度、魔法かなにかで外部記録装置を作るべきだろうか。
まとめた記録を眺めた♯は、ため息をついて男を睨んだ。「結局のところ、あなたの目的を直接聞けない以上、この問答はほとんど無意味ですね。」
男はそれを聞いて、組んでいた指を広げた。「いえ。一連の応答によって、あなたは重要な示唆を私から得ている。極めて重要な示唆を。もし近い未来、私についてなにかを検討する場面があれば、ぜひ紙の記録ではなく自身の記憶をもとにしていただきたい。」
男はそう言って、ゆっくりと立ち上がりコートを羽織った。「またの機会を。シャロン・ウィッケンハイザー様。」彼は数歩歩き、扉を開こうとする女性騎士に声を掛けた。「ご壮健で。」
「……あの。」♯はなぜか引き留めるように口を開いた。「お爺様にはお会いしないんですか?」
男はコートの内側の肩を竦めた。「かの御仁とは、少々そりが合わんのだよ。」
そして静かな足取りで部屋を出ていった。
3秒後。
騎士エリンは慌てたように扉を開き、♯は頭を抱えてため息をついた。
次話は日曜日には。