深紅の光がガラス窓から差し込み、女性騎士の鼻筋と髪と手に持った封筒の全てを赤く染め上げている。強いコントラストの中で影はほぼ完全な闇と同化し、表情を確認することは出来ない。
「どなたからのものなんですか?」
背後からのその声に騎士エリン・ウリツカヤは僅かに体を震わせ、そして振り向いた。
「姫君。」エリンは幼い主人の視線を辿り、持っていた手紙に意識を向けた。「古い……昔の友人からですよ。」
少女は小さく頷いた。
そして口を開く。「結局、臨時で来て頂いていた騎士の方が送迎を申し出てくれたので、教祖様は帰りましたよ。」そう言いながら、幼い彼女は椅子を引いて座った。「驚きました。エリンさんはあの方と既知の関係だったんですね。」
「ええ。」エリンは胸元に手紙を仕舞い、襟元を整えた。「申し訳ありません。護衛に戻ります。」
少女は机に乗せた両手を崩し、首を傾げた。「手紙は読んでしまわないんですか?その程度なら時間は取れますよ。」
エリンは首を振って足を揃えた。「いえ、お構いなく。」なぜかその声は少しかすれた。
幼い主人はその丸い目を大人びたように細め、足を組んで肘を立てた。当主夫人であれば姿勢を指摘するであろう仕草だ。
「まあ……。」少女は口を開き、そしてなにかを飲み込むように口を閉じた。「……そうですか。これに限らず時間が必要な時はいつでも言ってください。」そう言って少女は姿勢を整えた。「さて、エリンさん。座ってください。」
「え?」
「少し、色々と聞きたいことがありまして。」幼い主人はにこやかな__ある種の__笑みを浮かべた。「ぜひ、座ってください。」
エリンは動揺を抑え、慎重に来客用の椅子に腰をおろした。「一体何を……。」
少女は裏紙を手元に寄せ、ペン立てから取った羽ペンをインク壺につけた。
「まずは、教祖ジョンレンが
教祖ジョンレン。記録に現れるのは今から8年前。国家規模の社会支援政策の主導者として抜擢され、以降その活動を広げ、管理運営している。
彼はその活動の名前を
♯はあのジョンレンとの対話の直後、書庫までひとっ走りし彼に関連するであろう書籍の概要部分をざっと読んできていた。そこには彼が、自身の思想をまとめたものだと公言している書籍も記載されていたが、なぜか(♯がざっと調べた限りでは)この家の蔵書にはないようだった。またしても父親が隠しているのか、もしくは本当に置かれていないのか。怪しい所だ。
とはいえ、彼との対話から得られたものもあった。例えば、彼は
この
♯の読んだことのある書籍に輪廻転生という概念が現れたことはなく、魂や霊といった表現も覚えている限りではなかった。そもそも、輪廻転生という概念は文化的醸造によって作られるものであり、自然法則から演繹的に一意に導かれるようなものではないはずだ。そしてこの世界の生死観に繰り返すという概念は(♯の知る限りでは)ない。
♯の知る限り、この世界の生死観は非常に素朴だ。
【人は地より生まれ、天へと還る。】
用語だけで見れば東洋思想の天・地・人と似ているが、思想的にはどちらかといえば
この世界の生死観は♯の知るどの既存思想とも厳密には一致していない。これほどまでに色々な面で地球文明との関わりが深そうに感じる世界で、なぜか思想だけは独立したものが運用されている。
地球時代の中世ヨーロッパ世界観__木組みとレンガの街並み、パンと葡萄酒、金属武器と甲冑、貴族階級と平民、そして杖と魔法__が自然に発生し、つまり完全にランダムな初期条件からこういう形になり、そして定着することは検討の価値がないほどに低い可能性であると言える。だから♯はこれほどまでに近似した文明が興った理由を、♯のような地球からの転生者が広めたものだと判断していたのだが……。
仮に自身が発達途上文明へ転生し、その地で生活をすることになったとする場合を想像してみる。地球文明の歴史的知見を輸入し、非合理的な部分を改善し、周囲の世界を改変していく生活を想像する。その時、世界に広まる生死観が『
逆に、その転生者が非常にこの世界の生死観を重んじ、その思想を保護するため非常に慎重に立ち回るような人物の場合を考える事も出来る。もし、転生者が他者の思想を十分に尊重し、発言や執筆による影響を公開前に吟味し、文明独自の生死観の保護を目的するような人物だとしたら。完全に偏見だが、恐らくそういう人物はこの世界の生死観以外の部分の文化にも同じように慎重に立ち回りそうに感じる。
まあ、この現実を説明出来るような複雑で合理性の薄いモデルを作る事自体は
♯はひとつ頷き、その裏紙をくしゃくしゃに丸め暖炉に放り込んだ。暖炉に火はついていないが、部屋を離れる前に燃やしてしまえば証拠は残らない。
♯はため息をついて、新しい紙を取り出した。煮詰まっておかしな方向へ思考が進んでしまっていた事を自覚出来たのであれば、切り替えるに限る。
つまり、ここで問題になっているのはこういう矛盾になる。
①この世界は、偶然では考えられないほど文化的に地球とよく似ている。生活のさまざまな部分で文化的な相似点を挙げられるほどに似ている。
②この世界には現代地球で”転生”という名前のついた概念と同様の意味を持つ単語は恐らく存在せず、なぜか生死観だけはずっと素朴なものを採用している。
そして(♯という実例から)③前提としてこの世界には現代地球からの転生者という存在がある。
そこで♯が考えたのが、転生者が
けれど、この仮説は②と反発する。確かに全面的な矛盾とはいえず、僅かに逃げ道がないこともない。しかしその可能性を追うのであれば、その状況そのものが非常に特異な人物が意図的に後世を混乱させるために行った工作の可能性である、という反論筋も追わなくてはならなくなるほどに低い。
つまり、②を満たせない以上、転生者が過去に居たのではないか、という仮説の確度は大きく落ちる。この矛盾を解けるような単純な代替仮説を♯は未だに立てられてはいなかった。
♯はもう一度ため息をついた。行き詰まった以上、別の角度から手がかりを探すしかない。
そこで、教祖ジョンレンへと戻る。
彼は、自身は転生を知っているが、しかし転生者ではないという表明をした。始めの一手として、シャロン・P・ウィッケンハイザーにそれを伝える意味を把握し、
あの瞬間の、口を開けなくなるほどの衝撃はここから来ていた。
彼の、他者へ向いた観察眼や発言動作への理論的な鋭さはまだ
だが、
そして、かろうじて♯が彼から引き出せたものこそ、『どこかに情報源がある』というほんの僅かな手がかりだった。
♯はここまで進めたところで目を瞬いた。彼は♯からの質問の返事に、意図的に固有の土地であるという文脈を含ませて伝えていた。彼の事だから、返事を発話した時点で♯がこれに気づくことまで織り込み済みだろう。
♯:「あなたは転生という単語__概念__をどこで知りましたか?」
J:「古い記録からです。口止めをされたので、場所は控えますが。」
振り返ってみれば非常に良く分かる。記録を読んだだけだ、と言うべき所を、質問を抑制するような発言に整形しながらわざと特定の地点へとこちらの意識を向けさせている。
この意図は明らかだ。
「えっと……。」椅子に腰掛けた女性騎士は頬を撫でた。
「地図を広げた方が良いですか?」と声を掛けるのは部屋の主であるシャロン・P・ウィッケンハイザー。
「いや、その……。」女性騎士はまたしても右の頬を撫でた。
「言いにくいのであれば、ペンを貸しましょうか?」
「そうではなく……。」女性騎士は口を結び、天を仰いだ。
♯も流石にこれには首を傾げた。「どうしたんですか。」
「いえ、その。」女性騎士は肩を落とした。「ジョンレン様は常に旅をされ続けている方なので……。」
「なんなんだあの男は……。」♯は机に突っ伏した。
次話は来週中です。