魔法使い♯ちゃんの世界最適化計画   作:ざし

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戦略的武力闘争

♯は杖を高く掲げた。そして完璧に覚えきった3節2連の詠唱を途切らせる事なく唱えきった。そこにある松明が自然と燃え上がる様子を端から端までイメージすることも出来た。過去一番の出来だった。

 

それでも、中庭の真ん中に立っている松明は()()の変化を起こさない。直前の7回と全く同じようにその松明は完全に沈黙している。

 

♯は衝動的に、隣に立っていた男のすねを蹴っ飛ばした。なぜそうしたかと言われると、そうしたかったからだ。

 

ウィッケンハイザー家現当主の悲鳴が隣から上がったような気がしたが、♯にはそんな些事に構っている暇などなかった。それもこれも、あの()()()()()()()()()()()松明が原因だった。燃えるためだけに存在しているあの木屑の塊に♯は発火魔法を唱えた。()()燃え上がるはずの松明は♯の魔法を無視し、いまだにその不細工な姿を晒している。

あの松明は個人を認識し、魔法の使用者を恣意的に選んでいるのだ、そうに違いない。そう♯は思い込もうとしたが、脳に刻み込まれたバイアスを検知する機構が働き瞬時にその発想に嘘というスタンプを押した。簡単に騙されてくれない脳に♯は歯噛みした。

 

要するに♯は、魔法が使えなかった。

 

当面の敵である男の声が中庭に響き、松明が燃え上がった時に出る特有の発火音がそれに続いた。つまり、男が魔法を完璧に成功させたという事だ。

 

♯はその男のすねをもう一度蹴り飛ばそうとしたが、相手は予測していたかのように俊敏に避けた。

 

服を燃やしてやる!」と♯は敵に向かって叫んだ。もうなりふり構っていられるかと杖を構えたところで♯の脳天に軽い衝撃が走り、驚いて振り返ると魔女が手刀で♯の頭を叩いたところだった。

 

「全く、シャロン、少し落ち着きなさい。初めての魔法の成功までは時間がかかることもあると説明していたでしょう?お父さんは♯より魔法に慣れているから簡単に成功するかもしれないとも言ってありました。これは競争ではないですからね。さあ、もう一度やってみましょう?」

 

♯は座った目で男を指差した。「お母様、あの男の服を燃やしてください。」

 

母はため息をつき、後ろから♯の両肩に手を乗せた。「♯ちゃん、ほらこっちを向いて杖を構えてちょうだい。」

 

♯は()()()忌々しい松明の方向に体を向けさせられた。先ほどあの男がつけた炎がいまだに燃え盛っている。と思ったところで頭上から母の消火魔法の詠唱が聞こえ一瞬で鎮火した。

 

正直なところ、♯はこの現象を説明出来る仮説を考えまいとしながらも考えてしまっていた。杖と特定の言葉で燃えている火が消える、というのは♯の前世ではあり得ないことだった。2000年代日本に住んでいた♯の燃焼の理解は、一定以上の速度の酸化連鎖による熱と光の発生現象であり、その一連の仕組みの()()()()()()()()()魔法という要素が入ってくることはあり得なかった。この手に持った木の棒という部品が、ある物質が発火するほど高温になるための必須条件のひとつであることは()()()()あり得ない。特定の発音の並びが、現実を構成する基本法則式の項の一つとして書き込まれている事は()()()()()あり得ない。♯はそういう常識の中で11年間暮らしてきていた。

 

しかし世界は一変し、常識は破壊された。♯は人生で魔法を初めて唱えようとした直前の思考をもう一度思い出す必要があった。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

前世で親や沢山の学生達と一緒に学習してきた科学知識が完全に使い物にならなくなる瞬間が訪れるとは思っていなかった。宇宙は等方一様に広がり、人間は太陽光を食べて暮らし、太陽はその重力収縮によって水素の原子核融合を引き起こすことで自身の形状を保ち、水素原子を含むすべての物質は究極的には数学的に単純な挙動を取る素粒子同士の相互作用によってのみ支配され、そして()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

魔法は魔法を使っている姿をイメージ出来ないと発現しないという。♯は木の棒と言葉だけで宇宙を書き換えられるイメージをまるで持てる気がしなかった。

 

その後の2時間♯はしっかりと魔法訓練を受けたが、結局松明が発火する事もコップに水が溜まることも布の汚れが落ちる事もなかった。

 

 

***

 

 

夕食後、貴族家次期当主シャロン・P・ウィッケンハイザーは世界の敵、プレスコット・ウィッケンハイザーとの面会を取り付けた。互いの命を賭けた決闘を申し込む為だ。男は承諾し、再び中庭で相まみえることとなった。

 

♯は中庭で待ち構え、明るい部屋から出て来たばかりの無警戒な男に向かって拳を繰り出した。拳は相手の脇腹に()()()一撃を加え上半身をのけぞらせ、♯はそこにさらに左手の拳で追撃を加えた。男は抗うことすらできずそのまま後ろに倒れた。♯はそこに馬乗りになって杖を向けた。「杖を捨ててその場で両手を挙げなさい」

 

男は困惑を隠せない様子で口を開いた。「倒れた状態で両手を()()挙げればいいのか?」

 

「杖を捨てて身動きを止めなさい」♯は言い直した。

 

♯の両足に挟まれた腕を引き抜こうともぞもぞと動いていた男は動きを止めた。「杖は持って来てないけど。それで、これから何をするつもりかなマイエンジェル?」男は可愛がる口調で言った。()()()()本気にしていない。

 

なので♯は手に持った杖で胸元をブスブスと刺した。

 

「痛い!」

 

「え…ごめんなさい!ホントに痛かった?」

 

「いや全然大丈夫。それで?」

 

♯はまた男の胸元を刺した。男は悲鳴をあげた。

 

「自分の立場が分かりましたか?」♯は杖を突きつけて言った。

 

「もちろん、それはもう。」

 

「では、この状況からお父様が逃れる方法はひとつしか無いという事も、同時に分かりますよね?」

 

「まあ、そうだね。でもシャロンちゃん、真剣なお願いなら僕はいつでも力になるから、毎回こんな決闘ごっこをしてこちらが断れないようにする必要は…」そこで♯はまた刺した。悲鳴が上がるが気にも留めない。

 

「この私との魔法による決闘で敗北したプレスコット・ウィッケンハイザーは、勝者であるシャロン・P・ウィッケンハイザーの要求を受け入れなければならない。命を賭けた決闘である以上、これを拒否する事は死を意味する。」♯は仰々しく言った。

 

「して、その要求の内容とは?」多少疲れた顔で男は質問を返すが、♯はそれを無視した。

 

「決闘のルールに従い、要求を受け入れますか?」

 

「いや、」と男の声。「決闘中に魔法が使われた事実がないことから、()()()()()決闘とは言えない。よってこの決闘は正式なものとして受理されることはない事から、こちらに要求を受け入れなければならない義務も…うぐっ!」男は胸元を抑えた。

 

「決闘のルールに従い、要求を受け入れますか?」

 

「先に要求を言いなさい。」

 

「ヤダ」

 

男はおおげさに溜息をついた。「いいでしょう。要求を_全面的でないにしろ一部を_受け入れると誓います。」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

「ならそっちも先になにを要求するかちゃんと説明して欲しいけどね!先に言っておくけど天井に届くほどの大きさの曲がった鏡なんて買えないよ!」

 

「そんなもの欲しいなんて思ってません!」その瞬間男の顔には(あんなにずっと欲しいと駄々をこねつづけてたのに!?)という驚愕の表情が浮かんでいたが♯は無視した。「魔法の解明を手伝ってもらうだけですって!」

 

「え、それだけ?」男は極めて不審なものを見る目で♯を見た。「黄金で出来た長杖を買うつもりはないぞ?」

 

「そんなものいりません。」と♯。

 

「魔法が籠った宝石を買うつもりもないぞ?」

 

「え?そんなの是非とも欲しいですよ!」

 

「ある()()()()()の人間だけは魔法が込もっていると()()()るキラキラ光る石をか?」

 

「そんなものいりません。」

 

「禁忌の呪文が大量に記入されている古い魔導書を買うつもりもないぞ?」

 

「それこそお金を払って買うべきものじゃないですか!」

 

「魔法は目で見て経験しないと習得できないけど?」

 

「そんなものいりません。」

 

男は黙った。「本当に、ただ魔法について調べるだけか?高額な買い物とかはないのか?」

 

「調べるだけではないですよ!私はこの世界の魔法とやらを、()()()()()によって解明しようとしているんです!これは科学技術の再現なんていう陳腐な代物じゃない!()()()()()()()()()の取り組みなんです!観察と推理と実験によって、世界の仕組みを()()()()()()()()()()という…」♯は息を吸った。

 

そこに男が割り込んだ。「分かった、♯が真剣だというのはよく理解できた。だから一旦落ち着こう。」男は馬乗りになったままだった♯の肩をやさしく押し、♯は促されるまま父親の隣に腰を下ろした。

 

父が口を開いた。「最初は無茶な要求かと思ったけど、真剣な話じゃないか。なんで今日に限ってこんなことを?またお父さんのことが信じられなくなっちゃったか?」

 

♯はううん、と首を振った。

 

「ならいつものように部屋に来て言ってくれれば良かったのに。」

 

「いや、でも…」と♯は渋った。

 

父親はそんな態度の♯を急かすわけでもなく、優しい目をして頷いた。

 

「その…、魔法がまったく上手くいかなくて、それなのにこんな頼みをするなんて…」

 

「え?そんなこと?僕は全然そんなの…」

 

「それに、隣で一緒に勉強してるお父様が凄くうまくいってて…」

 

男は固まった。

 

「それがムカついたから、仕返ししようと思って。」

 

「シャロンごめん!それは本当に申し訳ない!どう謝ればいいかも分かんないけどごめん!」男は慌てたように言った。「一緒に練習してて辛かったか?」

 

「そんな事はないです。でも無意識にするドヤ顔はイラっとします。」

 

「無意識の顔はどうしようも出来ないじゃん。」

 

「なのでお父様には、」♯は立ち上がった。「魔法の、ひいては世界の解明を手伝ってもらいます。拒否権はありません。いいですか?」

 

「妙だな。それは拒否権がある時の質問の仕方では?」

 

♯は男に杖を突きさした。「いいですね?」

 

父親は肩をすくめた。「分かった、協力しよう。それじゃあいい子は寝る時間だ。」

 

♯は顔をしかめた。大人はこうやって子供に過剰に睡眠を取らせなければいけない義務でもあるのか?出会った事のある大人全員がこういう事をして無駄に時間を浪費していた。♯は大人に備わった奇妙な習慣を完全に無視することに決め、父親を使った魔法研究計画を立てるために部屋に戻った。

父親もあとに続いた。

 

 

***

 

 

セレスティア・ウィッケンハイザーは使用人のマチルダと共に、二階の執務室から中庭の出来事の一部始終を見ていた。今しがた愛娘と夫が室内に入っていった所だ。

 

「魔法についての話なら、私に振ることの方が適切だと思わない?」セレスティアは多少憤慨した様子で隣に話しかけた。

 

「ええまあ、」マチルダはクスクスと笑った。「でもお嬢様、とてもお可愛らしかったではないですか。」

 

それにつられて、セレスティアもつい笑ってしまった。今は怒っている様子を見せるべきなのだが。「ああいう言動を見ると、年相応にも見えるんだけどね。」

 

「いいえ、当主夫人。」いつもはあまり見せない使用人の畏まった言動にセレスティアは驚いた。これは真面目な話だ。「お嬢様は尋常な御子ではございません。」

 

「今のあの様子でも?」

 

「ええ。お可愛らしいあの様子も、5歳のお子様がすることはございません。どれだけ早くともあと数年。…先程のいつもより幼く見える言動ではなく、普段のお話のされかたはそれ以上に不思議なものです。大人の中でもああいったお話をされる方はおりません。」

 

セレスティアは頷いた。「ええ。分かっております。天子(てんし)だもの。」

 

脈々と伝わる神話の一節に、天子と呼ばれる赤子が登場する。天子は文字通りそのまま、天に住む一族の子だとされる。その赤子は大地のずっと上、世界を守る薄雲の遥か遠く、彼方にそびえる天界から降りてくるという。天子は天界で数年を過ごしてから地上に降り、降りる途中で赤子の姿に戻る。そのため天子は、生まれて間もない頃から知性の芽生えを感じるほどに賢く見えるという。

天子は地上の赤子と同じように父と母を持ち、地上で生を受ける時も母体から産まれる。天子には地上の両親と天界の両親の4人の親を持つ。天界の親は地上に落ちた子にあらんかぎりの祝福を与え、健康と幸福を願うという。天子は神話の中で幸福と安らぎの象徴として扱われ、王国では古いしきたりを守り天子の保護を行っている。

 

6年ほど前に歴史上初めて天子が産まれたという報告がされ、それから年に1度ほどの間隔で本物の天子が産まれている。古いしきたりによって天子の産まれた家庭への支援を与えなければならないとされていた王国は一時的に混乱状態に陥ったようだが、それも今では一旦の落ち着きを取り戻している。ウィッケンハイザー家もシャロンが成人するまでの残り10年間、ささやかな支援を受けられる事になっている。(基本的に家の規模が大きいほど支援はささやかになる。支援の目的が天子の成長する日々を健やかに過ごせるためのものであり、家の規模が大きければ基本的にそれだけ赤子は過ごしやすい環境になると王国は判断しているからだ。)

 

セレスティアは隣の使用人を見た。「マチルダ、あの子が恐ろしい?」

 

「滅相もありません。我々使用人に常に敬称をつけられているお方など今までおりませんでしたよ。」使用人はニコニコと笑っている。セレスティアが見たかぎり、裏のない笑みだ。

 

「じゃあ、心配?」

 

「それはもう、心配ですよ。お嬢様はいつもなさる事の規模が大きくなりがちですからね。」

 

それを聞いてセレスティアは満面の笑みを浮かべた。心配はもちろんそうだろう。よく分かる。あれほど見ていて危なっかしい5歳の子もいない。マチルダも同じ気持ちになることはとても想像がつく。セレスティアはそれが嬉しかった。親として、子が心配されていると知ることは嬉しい。心配だということは、それだけ♯が愛されているという事にほかならない。

 

「ありがとう。マチルダ。これからもよろしくお願いするわね、」

 

「ええ、お任せください。」




次話は明日の18時です。
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