魔法使い♯ちゃんの世界最適化計画   作:ざし

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(大変遅れてごめんなさい!)


『我と汝』

 

 

***

 

 

女性騎士はその少し低い声のトーンを更に落とした。背筋はいつものように伸びているが、♯にはそれが防御反応のようにも見えた。

 

「月並みですが。端的に言って、私は絶望していました。」

 

髪がひと房、頬に落ちる。「父の痰の混ざった重い咳の音。妹の気だるげな挨拶。そういうものをいつも思い出して、いつも吐いていました。預けていただいた孤児院の頃の事です。」

 

「覚えている限りの私の最初の目的は、倒れた父を助ける事でした。その目的は叶うことなく失われ、次の目的は幼い妹を育てることでした。それもまた、失われました。妹をも失ったとき、私は奈落へと滑落しました。私はそのとき目的を見失いました。」

 

「教祖はそんな私に、なにか目的を与えた訳ではありません。彼はただ……私に解釈だけを与えました。彼のその思想は、私にとっては希望になりました。」

 

「我々抱擁(カリタス)は、『()()()()()()()()()()()()』と信じる人々です。」

 

「私が商家さんの計らいで預けていただいた孤児院は、抱擁(カリタス)の方々によって運営されている場所でした。彼らは私のような境遇の子や、貧しい方、病める方を慈しみ、惜しみのない愛を与えていました。死者を悼み、記憶と共に記録していました。私はそれを見て、純粋に憧れました。」

 

「彼らは優しさと同時に、を持っていました。父の咳を落ち着ける方法を持ち、妹を守る方法を知り、当然のように行使していました。あの時に私が持ち得ず、けれど必死に欲したものを。彼らの言葉と魔法はまるで、まるで……。」

 

言葉を探すように口を閉じた彼女の後を引き継ぐように、♯は口を開いた。

 

「だから、あなたは抱擁(カリタス)の一員に加わったんですね。」

 

「その通りです。」ゆらりと揺れる彼女の目の奥には、鋭い決意の光が灯っていた。

 

そして張りのある声で、彼女は静かに宣言した。「私、エリオット・ウリツカヤの娘であり、アレクサンドラ・ウリツカヤの姉であるエリン・ウリツカヤは、周囲を少しずつ善い方向へと進ませようと努力する、名もなき人々のうちの一人です。」

 

 

***

 

 

強く、熱く脈動する鼓動を感じながら♯は立ち上がった。疑問はまだある。不安もまだある。けれど、それをもう♯は検討するつもりはなかった。彼らの信じる根拠はまだ分からない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

もちろん、歴史的にみて宗教という存在そのものと、極端な破壊主義や排他的思想、政治介入や拝金主義という負の部分を切り離して考える事は難しい。けれど、それらを抑えるような制度を整えられるのであれば宗教それ自体に問題があるとは♯は考えてはいなかった。

 

彼女は抱擁(カリタス)からさまざまな善を受け取り、そしてそれを無視することなく受け止めた。自身の境遇から受けた過剰なほどの苦しさを知りながら、それでも彼女は受け取ったものを当然のものだとは考えなかった。特別な、()()()ものであると考えた。

 

だから彼女は自らを、彼女に善を与えた彼らと同じように、『抱擁(カリタス)』と名乗るのだろう。受け取った抱擁を彼らに返すために。

 

♯は唇を強く噛み締めた。脈動する心臓の音が耳の奥でずっと響いている。堪えなければ、♯は今にでも声をあげて泣きだしてしまいそうだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(そして同時に、♯は無視できぬほどの罪悪感が喉の奥に広がる事を認めた。♯はまた彼女から一方的に受け取ってしまった。それを同じ重みで返すことが、今はまだ♯には出来ない。)

 

 

***

 

 

♯は2、3歩彼女に歩み寄った。発した声は抑えようとする♯の意志を乗り越えてなお震えた。

 

「……エリンさん。その……」

 

♯は何を言うべきか分からなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。けれど、♯は目の前のこの、弱々しくて強いこの女性騎士に()()()()()()()()()()()()()

 

女性騎士はじっと♯の表情を見て、椅子から立ち上がり床に片膝をついた。

 

「姫君。私たちはそういう時、何かをしたくて堪らないけれど何をするべきか分からない時は、ただ相手を抱擁するんです。今はきっと、それだけで十分なんです。」

 

♯はそれに頷いて、彼女を強く抱きしめた。

 

確かに、今はそれだけで十分だった。

 

 

***

 

 

次の日。具体的に言えばロレンツさんが大型治療機関に運ばれ、母親から治癒魔法を危険性とともに教わり、それを当日中に三度連続で成功させ、父親の私室に隠し部屋があることを発見し、その地下に領地の核があることを知り、襲撃の確認のために父親が早車で出立し、あの教祖ジョン・レンとの相対を経験し、そしてエリンさんと抱擁を交わした日の翌日。

 

「……()()()?」

 

いつものように朝食後のお茶を母親と飲んでいた♯は、不穏なその響きの報告に目を細めた。報告を伝えるため入室した騎士も、扉の前に立つ女性騎士も、母親も一様に暗い顔をしている。

 

報告は続く。「……また、夜間のうちに街へ入った商隊の一部に、街道沿いで野営中に賊からの襲撃をうけたとの報告もあがっております。一時的な警備増員等の対応を含め、奥方様には午前の会合への出席をお願い致しますというご連絡でした。」

 

眉を寄せた♯は、不安な表情を隠すことなく母親を見てしまった。

 

その視線を受けた母親は報告に訪れた騎士が扉を閉めたことを確認してから口を開いた。「最近はなにかと物騒ですね。そういう事なので、申し訳ないけど♯ちゃんは一人でお勉強でもしていてちょうだい。」

 

♯はその言葉に返事をすることにためらいを覚え、反射的に女性騎士を見てしまった。

 

女性騎士は頷きをもって返した。「姫君。ここは奥方様にお任せした方がよろしいと思いますよ。」

 

それを受けて♯は彼女をじっと見つめ、それから母親に視線を移した。それから大げさに息を吐いた。

 

「まあ……確かにそうですね。しょうがないか。」そして席を立った。「エリンさんと魔法訓練を行うので、申し訳ないですが先に失礼します。お母様、会合頑張ってきてください。」

 

同時に女性騎士も頭を下げ、そしてそのまま二人は扉を閉めて部屋の外へ出た。

 

♯の母親であるセレスティアは一度大きくまばたきをした。

 

()()()()

 

「見当違いかもしれないけれど。」口をすぼめてなにかを悩んでいる様子のセレスティアが言う。「なんというか……今日の♯ちゃん、とても素直じゃなかった?」

 

後ろに控えた使用人のマチルダが微笑ましいものを見る表情で頷いた。「ええ。姫様も少し丸くなったのでしょうか。」

 

セレスティアは無言で頬を撫でた。「いや……()()()()()。」その目が細められ、背筋が伸びて背もたれから背中が浮いた。「エリンさんとの会話が理由、という……可能性も……。」その声は途中で途切れた。

 

マチルダはその様子の当主夫人をみて、笑みを隠すために口元を抑えなければならなかった。どちらも、大変可愛らしい。

 

 

***

 

 

その後、10日余りが経った。状況はゆっくりと悪く()()()()、解決の兆しは未だにない。結界への侵入反応は当事者の確保を繰り返してなお断続的に続き、街道に出没する野盗も同様に後手での対処に留まっていた。街では不審火と傷害事件が時折発生し、街中や周囲の街道の警備のため騎士の大半が出払う状況になった。

その対応として、重場訓練に出ていた騎士達も先日帰還の命が当主から下り、体を休める暇もなく帰路につくこととなった。

 

結界侵入反応の初報へと駆け付けた当主だったが、成果はあまりかんばしくなかったようで気を落としていた。彼も今は目の下にクマをつけて物資管理の日々に追われている。

 

とはいえ、結界侵入反応を放置する訳にもいかないようで、現地へ向かう役割は母親へ移った。彼女は単独であれば身一つが一番移動が速いと豪語し、突風に乗り背中方向へ(吹き)飛んでいった。あの妙に楽し気でシュールな笑いを誘うあの様子は、この一連の状況において唯一の清涼剤と言えた。

 

夜。

 

♯はいつかのように、自室までの廊下を女性騎士の後ろをついて歩いていた。入浴も終え、本日の残るイベントは入眠前の読書と睡眠のみだった。本当に煩わしいことこの上ないのだが、♯のこの体でさえ睡眠からの脱却は未だに叶っていない。

 

♯は目の前の女性騎士の背中に声をかけた。「……訓練から騎士が戻るのは、明日の午後でしたっけ。」

 

「ええ。」彼女は控えめに頷いた。

 

「騎士が戻れば、状況も良くなるでしょうか。」♯はらしくない事を言っていると自覚しながらも、その言葉を口に出してしまった。

 

女性騎士は足を止め、そっと振り向いた。視線を下げると、顔を俯かせている姫君が見えた。

 

「大丈夫ですよ。」エリン・ウリツカヤは意図して笑みを声ににじませた。「現状の問題の大半は、人数によって解決するものですから。野盗の根絶も、街中の安全確保も十分な人がいれば実現します。そう分析したのは姫君ではないですか。」

 

「それは……。」♯は顔をあげ女性騎士と目を合わせたが、すぐに顔を伏せた。

 

エリン・ウリツカヤは片膝を立て、目の前の幼い少女の顔をじっとみつめた。「……これでは、安心できませんか?」

 

幼い少女は視線を彷徨わせ、ほんのわずかに口を開いた。エリンはそれを見つめ、その口が何も発することなく閉じてしまった事を確認し、それから声を出した。

 

「……出来れば、聞かせてもらえませんか?」それは、エリンの想定より小さく発話された。

 

「どこかに。」直前の言葉よりも遥かに小さな声が幼い少女から漏れた。「……どこかに、もっと()()()()()()があるのに。()()()()()()で、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があるんです。きっと、ある()()なんです。」

 

少女は顔を上げ、エリンと正面から向き合った。エリンにはその表情が、巨大な重りを支えている鋼鉄の糸のように見えた。鋭く、危うく、見えないほど細く、触れる事を躊躇うほどに繊細で、そして真っすぐに見えた。

 

「でも私は、()()()()()()()()()。どこかにある完璧な解決策を見つける()()()私には()()。私は、私は……。」少女は胸元を片手で掴んだ。「……()()()()()()。」

 

忘れていた呼吸を再開したエリンは、ゆっくりと少女の手に触れた。意識しなければ、安心させるように浮かべている微笑みが歪んでしまいそうだった。エリンの視界に映る少女はすでに揺らいで見えた。

 

()()()。いいえ、姫君。あなたは、十分頑張っていらっしゃいますよ。」エリンは震えそうになった声を整えるために、一度口を閉じた。「今日はもうおやすみください。もしよければ、明日。帰還した騎士たちに今の言葉を言ってあげてください。」

 

エリンは言葉を切り、少女の髪をそっと整えた。「おやすみなさい、姫君。」

 

少女は顔を伏せたまま、ほんの僅かに頷いた。そして彼女の自室へと入っていった。

 

閉じた扉を見届けたエリン・ウリツカヤは踵を返して廊下を戻り、階段の踊り場で立ち止まった。

 

そして、声を押し殺して泣いた。

 

 

***

 

 

同日。深夜。午前二時頃。

 

閃光が輝き、ウィッケンハイザー邸の尖塔が爆発と共に崩れ落ちた。

 

 

***

 




土日まで仕事に襲われているため、次話は再来週になるかもしれません。

(注:この作品が明示的にGLの方向へ進むことはありません。)
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