魔法使い♯ちゃんの世界最適化計画   作:ざし

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諸刃(ファルマコン)(その4)

***

 

 

神話からの複数の記述と照らして判断する限り、『仮想:刻印霧(スティグマ)』は()である。つまり、地球科学の文脈ではただの凝結した微小水滴の集合でしかない。空気中−水面間での水分子の収支勾配が、水面側へ傾いたとき__つまり、空気中の水分子が、水面から飛び出す量より飛び込む量の方が多くなるほど過剰に存在するとき__に起きる、非常に()()()()()物理的事象である。

 

仮に♯の思い浮かべる霧と『仮想:刻印霧(スティグマ)』の基本構成要素が同じものであるのなら、対処は非常に簡単に思われた。霧は歴史的な地球科学によって十分よく解明されていて、♯はそれを魔法によって()()()()()()()()()()()なのだから。

 

けれど、実際の効果はというと……。

 

土砂降りの雨の中、前を走る女性騎士の詠唱が水を跳ねる足音に混ざり響く。♯を抱えた父親がそこへ辿り着くと同時に巨大な爪が迫り、それは土壁によって阻まれる。ようやく詠唱を終えた♯の魔法が完成し、その爪に洪水のような水が与えられ、避け損ねた爪全体が一瞬で消滅する。

 

……そして爪は瞬時に再生し、竜は何事もなかったかのようにこちらを睥睨する……

 

水分を与え、竜を構成する霧を地面へと叩き落とすことによる効果は確かに()()()()()()あった。雨のような面による削剥と、放水魔法による狭く深い削剥によって竜のその体表は削られ、わずかに痩せてきているようには見える。精細に形作られた表面へ雨滴が当たり、鱗が溶け消える様子を垣間見ることすらできた。けれど、しかし決定打となるには影響が小さすぎるようだった。

 

姫君……!

 

荒い呼吸を繰り返す女性騎士が、猛烈な雨音にも負けないほどの声と共に♯を見る。その言葉は明らかに、もっと効果的な対処方法が必要であることを訴えていた。

 

()()()()()()()()()()」♯も声を張り上げた。「どうにか、あの再生を……。……()()()」♯はわずかな違和感から腕を組んだ。

 

女性騎士は♯のその仕草をみて一瞬止まり、そして振り返って杖を突き出した。

 

「それは__aksepalth,(水離)

 

瞬時に現れた水のカーテンは打ち付けられた飛翼を根こそぎ削りおとし、身を屈めた父親の頭上を滝のような水の塊が通りすぎていく。地面に叩きつけられる水音が一瞬、すべての音をかき消す。そして女性騎士の声が再び戦場に響き渡る。

 

()()()……!!

 

同時に父親と♯へ竜の巨大なあぎとが迫り、父親はそれを倒れ込むことでわずかに逸らした。

 

息をつけぬほどの攻防が一瞬収まり、♯は父親の腕の中でその暗霧を見上げた。竜はこちらを見てはおらず、薄く目を閉じて天を仰いでいた。

 

♯はその姿に、凍りつくような劇的な恐れを抱いた。

 

長い首の内側に、ほとばしる光がせりあがってくる。それは暗色に光る竜の体表の隙間から鮮やかな極光を放ち、口元まで運ばれる。

 

na-dora closak, dora ebonelth.(門を閉じよ、黒檀の門を。)na-residua stratelth burarn, ta-warp closak.(薄層に埋める残滓、その歪みと共に閉じよ)

 

倒れた父親と♯の元へ、長い詠唱と共に女性騎士が走り来る。彼女は片膝を立て竜と相対し、短杖をつるぎのように構えた。

 

na-wall struak, wall whitearn.(壁を建てよ、白亜の壁を。)na-castra lanternelth approacharn, ta-fara struak.(幻燈に望む城郭、その遥を共に建てよ)

 

詠唱の完成と同時に、竜の口蓋から熱線が放たれた。それはジェットエンジンが空転するような高音を発しながら杖先へと衝突し、バチバチと火花を散らした。青く染まっていた杖先の防御魔法が中心からゆっくりと黄色に変わり、そして赤へと変化していく。半球状の盾の隙間から熱波が押し寄せ、雨で濡れた髪や服、足元の芝などが急速に乾いていくことが分かる。極端に強い光による生理的な反応で、♯の両目からは涙がせりだしてきていた。

 

熱線は数分続いたようにすら感じられた。竜はやがてその首を下げ、口の両端から黒煙__に見えるほど暗い霧__を吐き出した。

 

女性騎士は荒い息をしてその場にうずくまっていた。魔法による防御そのものに体への負担はないことから、♯はあの熱線そのものに物理的な圧力があったのだと判断した。♯はほとんど無意識から、倒れた父親の腕から抜けて、彼女の片肩に手を置いた。

 

 

一瞬、戦場が静まりかえる。

 

 

暗闇に佇む霧の竜と、それを見上げる♯。強い雨音が背景音として響き、世界を無音へと塗り替えていく。

 

♯は、眼前の竜と視線が交錯したことを自覚した。意識して息を吸い、そして細く吐く。同時に片腕をその頭蓋に向け、杖先の照準をあわせた。

 

eterdeepak.(悠に深める)

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

竜の首の先が、パスンという音と共に消えた。

 

 

***

 

 

都合九度目の、硬質な金属音が草原全体に高らかに響く。セレスティアは真上に蹴り上げた足をゆっくりと下げ、同時に上空へ打ち上げられたそれを見上げた。

 

地上からは、それは赤く発光する()のように見えた。完全な球体状に展開されたその防御魔法は落下軌道の間に再び青へと染め直され、地響きが起こるほどの衝撃で草原へと落下した。まばたきの間すらおかずその球体にセレスティアのかかとが突き刺さり、それは落下の衝撃をすでに染め直していた防御によってまたしても弾かれた。

 

そして、彼方から金属針が飛来し、防御をドス黒い赤にまで染めて消えた。

 

セレスティアに備わる戦闘規律が、()()()()()()()()()()()()舌打ちを差し止めた。ここまで蓄積した針魔法でも防御を抜けないとは思っていなかった。もうほんの少しでも蓄積を続けていればということは考えるだけ無駄なのだが、心の端で考えずにはいられなかった。

 

()()』__ごく一部の魔法だけが持つ固有の特性であり、詠唱を最後の一節の手前で切り、完成させずに止めた時に起こるもの。未完成のまま止められた魔法はその間、ゆっくりと積み上がり()()()()()()()。止められていた時間の分まで貯められたそれは、発現の瞬間の威力を跳ね上げるという現象を魔法へもたらす。セレスティアの浮かべていた針はこの一連の攻防の間ずっと、彼の背後の空で赤熱し続けていた。

 

赤黒く光っていた防御は瞬時に鮮やかな青へと変わり、防御の中にたたずむ彼は髪をかき上げた。これまでの数度の攻防によってようやく魔法戦の基本を思い出したらしく無駄口を叩くことはしないが、彼の口元にはまたしても__()()()()__笑みが浮かんでいた。

 

実際、あの針の一撃を別にして、彼とセレスティアの間には膠着状態が広がっていた。セレスティアは彼に有効打を与えることは叶わず、彼もまたセレスティアの攻撃を凌ぐことに全力を投じなければならず、反撃を試みる隙はない。

 

……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

 

セレスティアは杖先をわずかに揺らすことでまたしても浮かんだ後悔を逃した。こうなってしまったのなら、しょうがない。本当にやりたくないが、次善策を取らなければならないだろう。セレスティアの目的は彼の完全な撃破()()()()、この丘上に陣を構える火力部隊の殲滅に他ならない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

セレスティアは杖を構え、彼の防御魔法と地面との間に楔魔法を五重に唱えた。これによって、彼は防御魔法を維持する限り半永久的にその場に留まることになる。

 

その後、セレスティアは彼の頭上に落石魔法を必要以上に(十数回)唱え、草原に潜む他の魔法使いを探すためその場を立ち去った。

 

 

***

 




短いですが。

次話は来週中です。
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