ゼンゼロのキャラを曇らせたくなった時に書くやつ   作:豚足と豚骨の化身

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照〜この目に映る君・中編〜

 

この目に映る君を、理解できなかった。

 

この世には性善説を本気で信じている人間が五万といる。だがそんなものが本当に存在するのならば、きっと新エリー都は水面下で化かし合いが繰り広げられている、今の腐りきった虚像の楽園とは違った姿を見せていたはずである。

 

だからザオちゃんは他人を信用しない。打算なしの優しさの存在など認めてやらない。人は皆平等に、自らに害が及ぼされる事態に直面したとき、己を優先する生き物なのだ。その本質は、あの商殷先輩であっても変わらない……はずだ。

 

 

 

目が覚める。少し汗を吸った寝巻きが、身体にピッタリと張り付いて気持ちが悪い。まだ微かに残った気怠さを押し退けて、時計の方へと目を向ける。午前11時、風邪で体力を消耗していたとはいえ、こんな真昼間に起きるとは思っていなかった。ベッドの横のカーテンを開き、外を見る。バケツをひっくり返したような雨だった。窓に打ち付ける雨音が、高速でリズムを刻んでいた。

 

続けて、体温計を口に咥える。暫くの沈黙の後に電子音が短く鳴り響き、表示された「36.7」の文字にホッと胸を撫で下ろした。

 

「まぁ、これなら明日からは仕事行けるかなぁ……」

 

ベッドから立ち上がると、少し離れたところにある机の上に小さな紙が置かれていることに気がつく。重い足取りで傍まで近寄り、その紙切れに目を通してみると、どうやらそれは先輩からの置き手紙らしかった。曰く……

 

『今日の昼ご飯と晩ご飯も作りに行くからよろしくね。』

 

なるほど。いや、ちょっと待って。

 

「……んん?ザオちゃん今日来るのは許可してないよねぇ。」

 

昨日もしてなかったけど、今大事なのはそこじゃない。現在時刻11時……昼ご飯を作るということは、今この瞬間先輩がここに来てもおかしくないということだ。

 

噂をすれば……というもので、そんなことを考えた途端玄関のインターホンが鳴った。とりあえず着替え……いやボッサボサになっている髪を直すのが先だろうか。というかお風呂にも入ってないし、この身は現在とても人前に出られるような状態じゃない。

 

そして次の瞬間、慌てふためくザオちゃんの嘲笑うかのように、無慈悲にも扉は音を立てて開いてしまう。当たり前だった。あの扉はオートロックという訳でもなく、昨日彼を招き入れたそのままに鍵を解放していたのだ。

 

「大丈夫かい?随分バタバタしているようだけど。」

 

扉の奥から顔を覗かせるエメラルドグリーンの瞳の男と目が合った。肩まで伸ばした黒髪、年齢の特定できない童顔、そして首元にぶら下げた不格好な形のペンダント。商殷先輩だ。

 

「髪ボサボサ……。あぁ、寝起きだったかな。ごめんね。」

 

「そうだよぉ。その、とりあえずちょっと出てってもらえる?ザオちゃん今人に見せられる姿してないからさぁ。」

 

「もう見ちゃったし変わらないと思うけどね。」

 

「こういうのは心持ちなの!せめてお風呂だけは入らせて!」

 

「熱は引いたの?別にあるならまだお風呂入らなくても……」

 

「36.7℃だから!いいからちょっと待ってて!」

 

質問が止まらない来客を玄関から閉め出して、大きく溜息をついた。なんというか、商殷先輩は過保護だ。こんな扱いをされた経験が少なすぎるせいか、どうも対応に困る。

 

 

シャワーを済ませ、全身の毛をドライヤーでしっかり乾かしてから、満を持して玄関を開く。

 

「あ、終わった?」

 

軒下、扉の横の壁にもたれかかり、絶え間なく降り注ぐ雨を物憂げな顔で見つめる先輩。ザオちゃんを見るなり、その面持ちはパァっと明るくなった。

 

「まずなんでザオちゃんのお家に来たの?」

 

「なんでって……昨日の夜にキミを看病するって約束したよね。」

 

「アレは昨日だけって意味で……」

 

「第一、キミ独りだと病み上がりでも平気で無茶するだろ。冷蔵庫にロクな食材なかったし、今日この雨の中で買い物に行って、また風邪が悪化したらどうするのさ。」

 

「うぅ……それは、まぁそうだけど……」

 

だとしても、この人を頼る必要はザオちゃんにはない。出前でも何でも頼めばいいのだ。そうすれば、外に出ないで食事ができる。

 

「出前とかダメだよ。身体に悪いよ。」

 

「先輩ってテレパシーか何か持ってるのかなぁ?ザオちゃんの考えてることピンポイントで当ててくるのやめて欲しいんだけど。」

 

「ほら言わんこっちゃない。と言うか、そんなに気にする必要無いでしょ。昨日も言ったけど、これは等価交換だからね。」

 

等価交換であっても、相手が何を提示してくるか分からない交渉なんて受けてたまるものか。昨日のザオちゃんは風邪で判断能力が鈍っていたせいで、不透明な契約を結ぶ羽目になったが、それをこれ以上悪化させる訳にはいかない。

 

あまりにも大きな借りを作ると、後々どんなことを等価交換で求められるかが分からない。過去の恩義にかこつけて、とんでもない依頼を出されたことなんて昔に何度もあった。

 

「等価交換ならなおさら、ザオちゃんは先輩に助けは求めないよ。必要ないからねぇ。」

 

「はいはい、強がらないの。それに安心して欲しいんだけど、等価交換で俺が求めるのは仕事の手伝いだよ。少し前に、ボスから重大な任務を任されてね。ひとりじゃ無理そうだから、手伝ってって言おうと思ってたの。」

 

「………………え、ん?ちょっと待って、それだけなの?」

 

「うん、それだけ。」

 

どういうつもりだろうか。二日の看病とひとつの仕事の手伝い……明らかに天秤が釣り合っていない。商殷先輩は物事の価値を見誤り、ヘマをするような商売下手な人間ではないはずだ。

 

ならば、まさかこの状況で未だ己の偽善を振りまいているのだろうか。自分に絶対的な主導権があるこの場で、「等価交換」という言葉を持ち出してなお、そのような平和ボケした言葉を発するというのだろうか。

 

「それにいいの〜?お昼は野菜たっぷりのうどんだよ?」

 

「野菜たっぷり……いや、ザオちゃんはお肉が好きで……」

 

「いいんだ〜?黒枝一の慧眼を持つ、この商殷先輩が選び抜いた選りすぐりの食材で作る野菜うどん……食べなくていいんだぁ?」

 

「うぅ〜……分かったよ!入れればいいんでしょ!」

 

「よし来た!お邪魔します!」

 

結局、折れてしまった。靴を脱ぎ、玄関より両手に袋を抱えた先輩がザオちゃんの家へと上がって行く。と言うか、この文言で家に招くとザオちゃんが野菜うどんを食べたいように見えないだろうか。

 

「ザオちゃんは先輩の料理が食べたいだけだからね!」

 

「知ってるよ。ザオは肉食系うさちゃんだもんね。」

 

弄ばれている。間違いなく。こうも長く同業者をしていると、流石に「肉食系」の仮面を被っているのもバレているだろうとは薄々勘づいていたが…………やっぱり解せない。

 

 

先輩を家に招き入れて数十分後、机でただ静かに待っているザオちゃんの前にうどんが運ばれる。

 

「へいお待ち〜。さ、食べて食べて。」

 

机の向かいに腰を掛け、「いただきます」と軽く手を合わせる商殷先輩。右にならえて、ザオちゃんも同じように呟く。

 

「……いただきます。」

 

食べ始めてすぐ、思わず口から「おいしい」という言葉が漏れる。その言葉に、先輩は「そうだろう」と言わんばかりの表情で頷いた。

 

「キミ、昨日も同じ反応してたよ?そんなにいいんだねぇ、俺の料理。」

 

「いちいち揶揄わないでよぉ!」

 

くだらない会話だ。考えてみると、こういう風に誰かと食卓を囲むというのは初めてかもしれない。産まれてこの方、ずっと独りで生きてきていたから。

 

半分ほど食べ進めたところで、ザオちゃんは前々から気になっていたことを、ここに来てようやく尋ねる。

 

「ねぇ、商殷先輩。先輩はなんでザオちゃんにかまうの?」

 

「ん?どういうこと?」

 

「いつも、何かとザオちゃんを助けようとするでしょ。まぁ先輩の場合、他の人にもそんな感じだけど……何が目的なのかなって。」

 

「目的……目的ねぇ。そもそも自分にリターンがあるものとは思ってないからなぁ。」

 

「嘘だ。」、心の中でそんな反発が真っ先に声をあげる。商殷先輩は、きっと考え無しに善行を行えるような人間じゃない。彼はそれがどうしようもなく脆いものだと分かっているはずだ……それを見抜くだけの経験を積んできているはずなのだ。

 

「偽善だよねぇ、それ。あるいは根っからの善を成せるだけのお花畑な頭を持ってるか。商殷先輩は後者では無いでしょ?」

 

「偽善と言われれば……そうだね。実際俺のアレは、打算というか……目的があっての行動だから。」

 

「やぁっぱり……あるんだぁ。ま、考え無しでは無いよねぇ。」

 

ふっと肩の力が抜ける。目の前にいる彼も人間なのだと、ほんの少しの安心感を覚えたからだ。常に利己を考え、その為になら善にも悪にも染まれる……それこそが、ザオちゃんの知る「人間」だ。この人も、同じなんだ。そんな思いで、次の言葉を待った。

 

「俺はね、君たちに……正しく人として生きて欲しいんだよ。」

 

「…………へ?」

 

それは、全く予期していなかった答え。自身の目的が、他人に正しい生き方をしてもらうこと……そんなの、ザオちゃんには理解できなかった。こちらが呆然としているのにも構わず、先輩は後に言葉を続ける。

 

「ザオや、ダイアリン……黒枝の皆には、唯一無二の才能がある。そういう者たちは、往々にしてまるで人では無いかのように扱われることがあるんだ。」

 

ザオちゃんと商殷先輩、どちらも箸は進んでいなかった。ただ呆然と話に耳を傾けるウサギのシリオンと、表情にどこか影を落としながらも、諦めたような微笑を浮かべる男の姿が、そこにはあった。

 

「時には便利な道具として、また時には天才だ何だと崇拝の対象として……君達はモノでも神でもないのにね。俺はそれが嫌なんだ。だから、誰にでも優しくする。そうすればきっと才ある者も、そうでない者も、等しく人として扱えるから。」

 

「捻くれてるでしょ?」と、先輩は笑ってみせた。ザオちゃんはそれに何も返事をせず、頭の中をグルグルと駆け回る先輩の言葉を、ゆっくりと整理する。

 

「要するに先輩の偽善は……自分を肯定する為のものなんだ。」

 

「あはは、そういうことになっちゃうかな。」

 

動悸は分かった。でも、やっぱり理解できない。なぜひとつの信念で、あそこまで善を貫くことが出来るのか。結局のところ、先輩のそれは自分が生きるための優しさじゃない。

 

「わっかんないなぁ……何が先輩をそこまで突き動かすの?」

 

「そうだねぇ、まぁ分かる必要は無いと思うよ。これはそんなにいい感情でもないさ。」

 

「そっか、それじゃあもう1つ聞かせてくれる?」

 

とっくに手元にあるうどんは冷めきっていた。でもそんなことに気を使うよりも、今は目の前の先輩の話に興味があった。

 

「なんでザオちゃんの事だけ特別扱いするの?」

 

少し、先輩の目が見開かれる。この反応を見て確信できた。商殷先輩は、意図的にザオちゃんのことを他の人より特別気にかけているということが。

 

「聞かない方がいいよ。耳障りのいい話じゃない。」

 

苦虫を噛み潰したような顔で、先輩は静止をかける。だがこの期に及んで引けるものか。

 

「それでも、聞かせて欲しいんだぁ。ザオちゃんも納得できないから。」

 

「キミ……急に遠慮がなくなったね。」

 

「それ勝手に家に上がってきた先輩が言っちゃうの?」

 

「そうか、お互い様か……分かった、言うよ。」

 

そう言ってから、先輩は次の言葉まで長い沈黙を挟んだ。まるで何かを迷っているかのように、ただ言葉を詰まらせていた。段々と緊張が空気を重くする中、ようやく先輩が口を開く。それは商殷先輩の過去の話。最初の語り口はこうだ。

 

「孤独に生きる君を、昔の俺と重ねたんだ。」

 

 

旧都陥落以前の話、郊外に酷く劣悪な環境の居住区があった。俗に言う、スラム街である。「街」といっても、規模は最小限であったが、そこにはとある風習があった。

 

『16年に一度、街の中で産まれた子供の内の一人を神として崇め奉る。』

 

そしてそんな街に、正しく「神の子供」と言えるような……才ある赤ん坊が誕生する。彼らは双子だった。兄は目が良く、どんなものでも善し悪しを見分けられる慧眼を持っていた。また弟は盲目だったが、どんな音でも聞き分けられる天性の聴覚を持っていた。

 

二人の天才。その中でも何の欠点も持たない兄は、齢0にして周りの大人から神として崇め称えられることとなる。それから、彼は彼は孤独な十一年を過ごした。

 

誰も自分と対等な者はおらず、同じ歳の子供も皆自分には頭を下げる。彼は次第に、周りに目を向けることをしなくなった。

 

「兄さんは凄いです。目もいいし、とてもお料理がお上手ですから。今度作り方を教えてください。」

 

「目の見えないお前に出来るとは思えないね。もう少し自分の立場を弁えるべきだ。」

 

「舐めないでください。これでも人より器用なつもりです。」

 

「はぁぁ………聞かない奴。」

 

彼は弟を疎んでいた。自分と同じ産まれでありながら、誰とでも仲良く、普通の人として生きられる少年のことが、どうしても好きになれなかった。

 

「兄さん、トランプしませんか?」

 

「嫌だ。お前の大好きなお友達とやってきなよ。」

 

 

「兄さん、一緒に映画を見ましょう。」

 

「お前、目見えないでしょ。どういうつもり?」

 

 

「兄さん、友達とペンダントを作ったんです!受け取ってください!」

 

「要らないよ。そんなもの……」

 

やたらと自分に構ってくる弟の誘いを、兄はことごとく断る。だがいくら拒絶されようと、弟は兄の傍にいた。

 

「兄さん、僕兄さんのことが好きです。」

 

「気狂いだね。もっとマトモな人間を好きになるべきだよ。」

 

「兄さんは真っ当な人間ですよ?」

 

「神様なんて呼ばれてる人間がマトモか?」

 

「そんなこと僕にはどうでもいいですから!兄さんは兄さんです!」

 

「お前のバカもここまで来たか……」

 

決して彼らの関係が良くなることは無かった。弟は兄に付き纏い、兄は鬱陶しい顔で嫌々話を聞いてやる。そんな関係が続いていた。

 

そうして彼らが十六歳を迎える前日、弟が青ざめた様子で兄の前に立つ。震える手で兄の手を握りしめ、口をゆっくりと開いた。

 

「に、兄さん。逃げてください。この街から、はやく!」

 

「どうしたお前……変な夢でも見たの?」

 

「大人の人達が話しててっ……明日、神様を火に焚べて天に還すって……このままじゃっ……兄さんが死んじゃう……」

 

「は?」

 

何言ってこいつ。死ぬ?俺が?こんな人生のまま?16年に一度神様を決めるなら、新しい神様が決まって、俺はもう普通の人間になれるんじゃないのか。死ぬなんて……嫌だ。

 

頭の中で複数の言葉が反芻して、恐怖と後悔が大きな渦をまく。この街の本質は、神を皆で送り出すことにあった。十六歳になった神を皆で殺して天に還し、新たな神を作って信仰する。ここの根付くのは、そんなイカれた思想だったのだ。

 

 

その日の深夜、皆が眠りについた時……兄は弟に手を引かれ、街の外れまで来ていた。

 

「ここからずっと道に沿っていけば運び屋の拠点に着くはずです。そこで身を隠してください。」

 

「お前は、来ないのか……?」

 

「はい、僕はまだしなければならないことがあるので。兄さんだけで行ってください。」

 

「そうか……分かったよ。」

 

そう答えて、兄は先の見えない道路の奥をじっと見つめる。ここからどれだけ歩くことになるのだろうかと、そんなことを朧気に考えていた。

 

「その……兄さん……最後にいいですか……?」

 

「何?」

 

「これを…………」

 

そう言って弟が兄に手渡したのは、かつていつかの日に彼が友達と作ったというペンダントだった。

 

「実はこれ……2つ作ってたんです。ペアルックにしようと思ってたから。でも、受け取ってくれなかったもので……」

 

そう言って顔を赤らめる弟の首には、彼が手に持っているものと同じペンダントが吊るされていた。兄はこの時になって初めて、弟が普段からそれを着用していたことを思い出す。そして……

 

「分かったよ。貰っておく。」

 

「……ありがとうございます。」

 

嬉しさを噛み締めるように頷いた弟は、兄の首にペンダントを付けてやった。そうして「おそろいですね」と、和かな笑顔を見せる。兄がそれに返したのは、ほんの気持ち程度の微笑み。

 

「……ッ!兄さんの笑った顔、初めて見たかもしれません!」

 

「そうかな。」

 

「はい!良いものが見れました!」

 

その後2人は手を振って、別れた。1人は家へと帰り、1人は何も無い荒野に唯一記された道路を辿ってゆく。

 

兄がしばらく歩いていると、やがて道路の奥から日が昇る。朝が来てもなお、話に聞いていた拠点とやらは見えてこない。たった一人で、ボーッと道を歩いていた。

 

ふと、こんなことを考える。「俺がいなくなったあの街はどうなるのか。」……そして、ひとつの答えに行き着いた。行き着いてしまった。その瞬間、今まで来た道を引き返すように全力で走り出す。

 

背中に太陽を受け、酷く上がった息を無視して、痛む脚を無理やり動かして、彼は街へと戻った。彼を突き動かすのは、頭を過ぎった1つの仮説。

 

『神が居なくなった街の大人が、代理の神を求めるのではないか』

 

という、なんの確信もない予想。だが、その嫌な予感は確かな実態を持って、彼の心に不安を与える。結果として、誰にも見つからない街の物陰から、彼が目にした光景は「炎」だった。

 

一面の炎。街の中央に焚べられた大量の薪。その業火の中、十字架に括り付けられた燃え上がる青年の肉体。焼け爛れ、誰かを判別することすら出来なくなったそれの手に、見覚えのあるペンダントが固く握りしめられていた。

 

弟がこの街に残った理由は、自分が逃げることで他の子供が贄にされるのを防ぐためだった。自分を犠牲にするためだったのだ。

 

少し考えれば気がつくことだった。もっと弟の一挙手一投足に関心を持っていれば、その所作で、その声色で、その覚悟を決めた目で、彼の考えを察して止められたはずだった。だが兄は孤独に身を任せ、人を知ることを辞めてしまっていた。

 

あらゆるものが手のひらから零れ落ち、その中に唯一残った大切なものを、兄は業火の中へと投げ捨てたのだ。

 

その日、青年が弟を亡くした日。かつて神と称された彼は人生で初めて涙を流し、その場から逃げ出した。

 

 

 

 

「俺の弟は、きっと俺より生きる価値があった。孤独は人を盲目にする。失ってからじゃ、もう遅いんだ。」

 

消え入りそうな声で、商殷先輩は話を終えた。数年の仕事付き合いで、ここまで悲しそうな彼は初めて見た。

 

「ごめん、やっぱり話すべきじゃなかったよ。重い空気にしてしまったね。」

 

「いいよぉ、別に。ザオちゃんが話してって言ったんだからね。というか嫌なことを思い出させちゃった分、こっちが謝らないと。」

 

「いや、いいよ。このことは一度も忘れちゃいけない、俺の罪だから。それを嫌だと思っちゃいけないんだ。」

 

所詮、これは他人事だ。先輩の過去がどうであれ、それがザオちゃんの生き方を変えるなんて影響力は持たない。ザオちゃんは、最初から何も持ってなんていなかった。

 

孤独だから何だ…利己主義だから何だ……黒枝での「常勝不敗」のこの地位は、自分以外を信じた瞬間に崩れ去る。だから、この話で私がどうにかなるなんてことはない。

 

でも、理解はできた。商殷先輩の行動原理が。人に優しくするのも、ザオちゃんを特別気にかけるのも、全て彼の自己満足なのだ。無償の善意じゃない……人間らしい偽善。

 

「ザオちゃん、先輩のことがほんのちょっと理解できた気がするよぉ。先輩も必死に生きてるんだなぁ……って。」

 

「そっか……それならまぁ、良かったかな。」

 

完全に冷えきった二人分のうどんを取り上げて、先輩は口を開く。

 

「今日は晩御飯だけ作り置きして帰るね。明日から、仕事の手伝いよろしく。」

 

「うん、まかせてよぉ。『等価交換』だからねぇ。」

 

それから晩御飯を作り終えた先輩を見送り、ザオちゃん達は別れた。一人静かになった部屋で、おもむろに呟く。

 

「孤独かぁ……」

 

胸に残った小さなささくれが、まるで獣の爪痕とように強く強く主張していた。





キャラの内面作るために過去は掘り下げたいけど、そうするとメインキャラが喰われかけるジレンマ。悲しいね。
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