バイト戦士ことね   作:夜琥

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ステージ衣装ことねちゃん

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18. ゼロからの喝采

割れるような拍手と歓声が、彼女たちの名前を呼んでいた。

 

一歩、また一歩と光の中心へ進むたびに、心臓の鼓動がフロアに響くキックドラムの音と重なっていく。

 

眩いスポットライトが容赦なく肌を焼き、目の前の暗闇に蠢く無数の影が、じっとこちらを見つめている。

 

ライブハウス特有の、酒と汗と熱気が混じり合った濃密な空気が肺を満たした。

 

(――来たんだ)

 

ステージの中央、マイクの前に立ったことねは、ぎゅっと目を閉じた。

 

一瞬、脳裏をよぎるのは、初星学園の広すぎたオーディション会場の景色。値踏みするような審査員たちの冷たい視線。あの場所で、あたしは心を殺した。

 

だが、ゆっくりと目を開けた時、目の前に広がっていたのは、絶望の記憶とは似ても似つかない、温かい光景だった。

 

客席の最前列で、スマホを握りしめ、心配そうに、でも誇らしげにこちらを見つめる居酒屋の店長。

 

少し離れた場所では、ライブハウスの先輩スタッフたちが、面白そうに腕を組んでにやにやしている。

 

そして、PAブースのガラスの向こう、ミコが厳しい表情で仁王立ちしているのが見えた。

その視線は、憐れみや呆れの色を帯びてはいない。

 

「やれるもんなら、やってみろ」そう言っているかのような、挑戦的で、最高に信頼のこもった眼差しだった。

 

背後からは、仲間たちの気配が伝わってくる。

静かに闘志を燃やす静の呼吸。スティックを握り直し、逸る気持ちを抑える美咲の小さな動き。

そして、隣でエレキギターを低く構えた拓也が、こっちを見て小さく頷いた。

 

そうだ。

 

(あたしは、一人じゃない)

 

マイクを握る手に力がこもる。

恐怖は、いつの間にか、最高の仲間たちと最高の音を叩きつけたいという、純粋な喜びに変わっていた。

 

ことねは、客席に向かって、ふわりと笑みを浮かべた。それは、配信で見せるいつもの笑顔でも、バイト先での愛想笑いでもない。

 

これから始まる最高の瞬間に、胸を躍らせる、一人の表現者の笑みだった。

美咲が、高く掲げたスティックを、力強く打ち鳴らす。

 

「ワン、ツー、スリー、フォー!」

 

そのカウントが、開戦の狼煙だった。

爆発、としか言いようのない音が、フロアに叩きつけられた。

美咲のドラムが繰り出す、タイトでいながら心臓を直接揺さぶるようなキックの連打。

静の指先から放たれる、地を這うようにうねり、踊り狂うベースライン。

 

その強力無比なリズム隊が生み出すグルーヴのど真ん中を、拓也のテレキャスターが、切り裂くように突き抜けていく。

 

ジャキッ、とエッジの効いたカッティングリフは、諦めと共にハードケースの奥に仕舞い込まれていたとは思えないほど、生々しい熱を帯びていた。

 

インストの数小節だけで、会場の空気が変わった。

 

ただのオープンマイクの出演者を見る目から、「こいつら、何者だ?」という好奇と驚愕のそれに。

 

そして、その音の波の、一番高い場所へサーフボードで駆け上がるように、ことねの歌声が放たれた。

 

 

「――踊ってるだけで退場、それをそっかそっかっていって」

 

 

Aメロの第一声。どこか投げやりで、シニカルな響きを帯びた歌声。

 

ことねの表情からは、さっきまでの笑顔が消え、どこか遠くを見つめるような、無機質なものに変わっていた。

 

夢を諦め、ただ働くだけの日々を送っていた頃の自分。その虚無感を、声に乗せる。

 

ダンスも、観客の予想を裏切るものだった。

ことねのビジュアルを活かしたアイドル的な可愛さを全面に出してくると考えていた。

 

しかし実際にはアイドルとは無縁の、カクカクとした、まるでマリオネットのような無機質な動き。

 

だが、その一つ一つの動作は、恐ろしいほどにキレがあり、リズムと完璧にシンクロしている。

 

 

「生意気そうにガム噛んで、それもいいないいなって思う」

 

 

歌詞に合わせて、本当にガムを噛むような仕草を見せ、挑発的に客席を見渡す。

 

 

「テレスコープ越しの感情、ロッカーに全部詰め込んだ」

 

 

そのフレーズで、ことねは自分の胸をぎゅっと掴み、何かを無理やり押し込めて、鍵をかけるような振り付けを見せた。

 

それは、夢や希望、悔しさ、ありとあらゆる感情を心のロッカーに詰め込んで生きてきた、彼女自身の物語。

 

客席が、戸惑いの声でざわめき始める。

「え、何この動き? 独特すぎない?」

「アイドル系かと思ったけど、全然違う……アート系?」

「でも、なんか目が離せない……」

 

その戸惑いを切り裂くように、美咲がシンバルを叩き割り、拓也のギターが咆哮を上げた。サビだ。

 

 

「――踊ってない夜を知らない! 踊ってない夜が気に入らない!」

 

 

無表情の仮面が、砕け散る。

 

ことねの顔に、音楽への純粋な渇望と、抑えきれない喜びに満ちた、剥き出しの表情が浮かび上がった。

 

閉じ込めていたロッカーを、自らの手でこじ開けたかのように。

 

ダンスが、爆発した。

 

手足をしなやかに、そしてダイナミックに使い、フロア全体を自分のステージに変えていく。

 

動画で見た、あの癖になるようなステップを踏みながらも、そこにはことね自身の解釈と感情が加わり、全く新しい生命が宿っていた。

 

それは、「踊ることが生きることだ」と、全身全霊で叫んでいるかのような、魂のダンスだった。

観客の戸惑いは、この圧倒的な熱量の前に、興奮へと変わる。

 

「うおっ!」「なんだこれ、めっちゃ楽しい!」

 

自然と身体が揺れ始め、手拍子が起こる。

 

 

二番。ことねは、さらに客席を煽っていく。

 

 

「思ってるだけで行動、きっとNIGHT音楽も踊る!」

 

 

かつて、狭いアパートの一室で、衝動のままに配信を始めた自分。その小さな一歩を、今、この大音響の中で肯定する。

 

 

「カスタネットがほらたんたん、たたたたんたたんたんたたんたん!」

 

 

ことねは、歌詞に合わせて指を鳴らし、観客に手拍子を促す。

 

その笑顔は、最高に楽しそうで、伝染力があった。フロアの手拍子は、いつしか一つの大きなリズムの塊になっていた。

ことねは、ステージの端から端まで駆け抜け、客席の一人ひとりを指差しながら歌う。

 

 

「踊ってない夜を知らない人とか、この世に一人もございません!」

 

 

ステージとフロアの境界線が、溶けていく。誰もが、この抗いがたいグルーヴの虜になっていた。

 

 

そして、曲はCメロへと静かに着地する。拓也のギターが、歪みを消し、切なくも美しいアルペジオを奏で始めた。

 

 

「いつも待ってる、ダンスホールは待ってる。変わってく、変わってく、傷だらけでも待ってる」

 

 

ことねの歌声から、熱狂が少しだけ影を潜め、祈るような響きが生まれる。

彼女の脳裏に浮かぶのは、この「The Roar」という場所。

自分を受け入れ、変わるきっかけをくれた、大切なダンスホール。

 

ダンスの動きも、スローになる。傷だらけになった自分を、そっと抱きしめるような、内省的な振り付け。

 

そして、ことねは客席の、その向こう側――配信を見てくれる名もなきファンたち――を見つめるように、まっすぐに手を伸ばした。

 

 

「ほら踊ってる、ダンスホールの未来に、色を塗って生きるのは、あなた、あなた」

 

 

それは、あなた自身の物語なんだよ。そう語りかけるように。

客席の何人かが、はっと息をのむのがわかった。

ただの楽しいダンスナンバーだと思っていた曲が、自分自身の人生賛歌として、胸に突き刺さってくる。

 

 

「――『ダンスは笑顔で待ってる』」

 

 

最後のフレーズを、ことねは囁くように、しかし、フロアの隅々まで届くように歌い上げた。

再び、すべての音が爆発する。ラスサビだ。

 

 

「踊ってない夜を知らない!」

 

 

だが、何かが違った。歌詞は同じなのに、響きが違う。

 

 

「――踊ってたい夜を知りたい! 踊ってたい夜を気に入りたい!」

 

 

過去を肯定する叫びが、未来を希求する願いへと、鮮やかに昇華していく。

ことねの歌声も、ダンスも、それに合わせて、切なさと希望が入り混じった、これまでで最もエモーショナルなものへと変わっていた。

 

拓也のギターソロが炸裂する。それはもう、ただの伴奏ではない。

 

ことねの魂の叫びに呼応する、もう一つの歌声だった。美咲のドラム、静のベースも、リミッターを外し、渾身のプレイを叩きつける。

 

 

「踊ってたい夜に泣いてるなんて、とってもとっても退屈です!」

 

 

涙が、ことねの頬を伝っていた。でも、最高の笑顔だった。悲しみも悔しさも、すべてを燃やし尽くした後に残る、純粋な喜びの涙。

 

最後の音が、ジャーン!と長く響き渡り、やがて静寂に吸い込まれていく。

四人は、それぞれの音の余韻の中で、汗だくのまま、肩で息をしていた。

フロアを支配したのは、一瞬の、完全な静寂。まるで、世界から音が消えてしまったかのような。

 

次の瞬間。

 

「うおおおおおおおおっ!!」

 

誰かの雄叫びを皮切りに、地鳴りのような拍手と、割れんばかりの歓声が、ライブハウス全体を揺るがした。

 

「すげえええええ!」

「アンコール!アンコール!」

「名前なんて言うんだあの子!」

 

それは、初星学園のオーディションで、決して得ることのできなかった音。

憐れみや儀礼ではない、心の底からの、純粋な賞賛と熱狂の嵐だった。

ことねは、その音のシャワーを全身で浴びながら、ただ呆然と立ち尽くす。

 

視界が、じわりと滲んでいく。仲間と共に最高のステージを作り上げた喜びと、それを受け入れてくれた人々への感謝が、熱い雫となって溢れ出した。

 

隣で、拓也が「やったな」と呟く。後ろでは、美咲がスティックを天に突き上げ、静が小さくガッツポーズをしているのが見えた。

 

ことねは、仲間たちと顔を見合わせ、そして、マイクを通して、震える声で言った。

 

「……ありがとうございました!」

 

四人で深々と、長く、頭を下げる。鳴りやまぬ拍手と、指笛の音が、いつまでも、いつまでも続いていた。

 

---

 

ステージを降り、楽屋へと続く薄暗い廊下を歩きながら、ことねはまだ自分の身体がふわふわと浮いているような感覚の中にいた。

 

耳の奥では、まだオーディエンスの歓声が鳴り響いている。

 

「――最高だったよ、ことねちゃん!」

 

楽屋に戻るなり、美咲が飛びついてきた。その目も、興奮で潤んでいる。

 

「うん……最高だった」

 

静も、いつになくはっきりとした口調で、ことねの手をぎゅっと握った。その手は、驚くほど熱かった。

 

「ことね、お前が主役だよ。すごかった、本当に」

 

拓也も、汗で濡れた前髪をかきあげながら、心からの笑顔を向けてくれた。

 

仲間たちと、言葉にならない想いを、ハイタッチや、肩を叩き合うことで分かち合う。こんな気持ち、生まれて初めてだった。

 

そこへ、腕を組んだミコが、ゆっくりと歩み寄ってきた。四人は、思わず身構える。

ミコは、四人の顔を一人ひとり、じろりと見回すと、やがて、ふっと息を吐いた。

 

「……まあ、及第点だ」

 

その言葉に、三人がずっこけそうになる。

 

「ええーっ!?あれで及第点ですか、ミコさん!」と美咲が抗議するが、ミコは意にも介さない。

 

「調子に乗るなよ。これがゴールじゃねえ、スタートラインにすら立ってねえんだ。勘違いするな」

 

相変わらずの憎まれ口。

 

だが、その口元には、隠しきれない、ほんの僅かな満足げな笑みが浮かんでいた。そして、最後に、ことねの目を見て、静かに言った。

 

「……よくやったな」

 

そのたった一言が、どんな賛辞よりも、ことねの心に深く、温かく染み渡った。

 

---

 

喧騒が戻ったフロアの片隅で、ことねは一人、自分の手のひらを見つめていた。マイクを握りしめていた感触が、まだジンジンと痺れるように残っている。

 

あれが、新しい世界の扉を開いた感触だった。

 

たくさんの人に支えられて、最高の仲間たちと一緒に、自分の魂を叫んだ。そして、それを受け止めてくれた人がいた。

 

もう、大丈夫。

もう、道に迷うことはない。

 

「ここからだ」

 

ことねは、小さく、しかし力強く呟いた。

 

「ここから、あたしのステージが、始まるんだ」

 

夜の闇を切り裂く、黎明の光のように。

藤田ことねの物語は、今、確かな産声を上げた。

 

その瞳は、鳴りやまぬフロアの喧騒の向こうに、まだ見ぬ未来の、さらに大きなステージを、まっすぐに見据えていた。

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