バイト戦士ことね   作:夜琥

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19. 光を目撃した者たち

オープンナイトが開催された夜、ライブハウス「The Roar」のステージで放たれた光は、一夜限りの閃光では終わらなかった。

それは、波紋のように静かに、しかし確実に広がり、藤田ことねという少女を観測する者たちの心に、様々な色合いの像を結ばせていた。

 

【ミコ視点 ― 師匠の戦慄】

 

PAブースの硬い椅子に座り、ミコは腕を組んだまま、ステージ上の喧騒を冷めた目で見つめていた。フロアを揺るがす熱狂も、鳴りやまぬ拍手も、彼女にとっては聞き慣れた日常の音に過ぎない。少なくとも、表向きはそうだった。

 

だが、その冷静な仮面の下で、ミコの心はここ数年感じたことのない種類の高ぶりと、そして、ある種の戦慄に揺さぶられていた。

 

(……とんでもねえモンを、掘り起こしちまったかもしれねえな)

 

ステージで繰り広げられたパフォーマンスは、技術的に見れば、まだまだ穴だらけだった。

声のコントロールは甘く、高音には危うさがつきまとう。

ダンスも、基礎はしっかりしているが、動きの端々に荒削りな部分が散見された。

プロの尺度で測れば、間違いなく「未完成」の領域だ。

 

だが、そんな些末な欠点を、彼女のパフォーマンスは嘲笑うかのように凌駕していった。

 

問題は、技術じゃない。もっと根源的な、表現者としての「本能」。

 

ミコは、数多のミュージシャンを見てきた。

完璧な演奏技術を持つギタリスト、神に愛されたような声を持つシンガー、カリスマ性だけで数千人を黙らせるフロントマン。

彼らは皆、素晴らしい才能の持ち主だった。だが、藤田ことねという少女が放っていた輝きは、そのどれとも違う異質さがあった。

 

彼女の歌には、彼女が生きてきた日々のすべてが、濾過されずに流れ込んでいた。

バイトに明け暮れた疲労も、夢に破れた絶望も、仲間と出会えた喜びも、家族への愛も。

その生々しい感情の濁流が、聴く者の心を否応なく洗い、揺さぶる。綺麗に整えられた歌ではない。だからこそ、突き刺さる。

 

そして、ダンス。初星学園で何を教わったのかは知らないが、彼女がステージで見せたのは、アイドル的な記号の集合体ではなかった。

音楽と歌詞を、一度自分の魂で咀嚼し、それを身体という言語で再翻訳したかのような、純粋な表現そのものだった。

特に、サビで表情が爆発した瞬間。ミコは思わず息をのんだ。

あれは、計算されたパフォーマンスじゃない。音楽と一体になった人間だけが浮かべることのできる、恍惚と狂気が入り混じった顔だった。

 

(あいつは、全身が楽器で、全身が声なんだ)

 

ミコは、かつての自分を思い出していた。音楽で生きていくと決め、がむしゃらに歌っていた頃。

喉が張り裂けるのも構わず、ステージの上で自分を燃し尽くすことだけが、生きている実感だった。

だが、いつしか現実にすり減らされ、歌うことは「仕事」になり、声を出すことに「打算」が混じるようになった。

そして、一度は歌うことすら諦めた。

 

藤田ことねは、あの頃の自分に似ている。だが、決定的に違う。彼女は、一度どん底まで落ち、自分の無力さを知り、それでも這い上がってきた。その魂には、ただ若いだけの情熱とは違う、傷だらけの強さが宿っている。

 

ライブが終わり、楽屋で憎まれ口を叩いた後、ミコは一人、事務所で煙草に火をつけた。紫煙が、部屋の薄暗い照明に溶けていく。

 

「……及第点、ね」

 

自分で言った言葉を、自嘲するように繰り返す。嘘だ。及第点どころではない。

あれは、人の心を掴んで離さない、抗いがたい引力を持ったパフォーマンスだった。そして、それ故に危うい。

 

これから、彼女は多くの目に晒されるだろう。今日のライブを観た誰かが、SNSに動画を上げるかもしれない。業界のハイエナのような連中が、その匂いを嗅ぎつけるかもしれない。そうなった時、この不器用で、真っ直ぐすぎる少女は、その才能を守りきれるだろうか。

 

(あたしが、守るしかねえか)

 

煙を深く吸い込む。面倒なことに首を突っ込んでしまった、という呆れと、とんでもない原石を磨き上げるという、途方もない仕事への武者震いが、ミコの胸の中で渦巻いていた。

 

「ここからが本当の戦いだぞ、ことね……」

 

師匠として、そして、同じように夢に傷ついた先輩として。

ミコは、藤田ことねという才能を、この世界の理不尽さから守り抜き、そして、彼女が行くべき場所まで導いてやるという、重く、しかし心地よい覚悟を決めていた。

 

 

【拓也視点 ― 隣で見たヒーロー】

 

 

ジャキーン!と最後のコードを鳴らし、身体中の力が抜けていく。耳鳴りのようなフィードバックノイズと、地鳴りのような歓声。汗で滑るテレキャスターのネックを握りしめながら、拓也は隣で肩で息をしている少女の横顔を、信じられないものを見るような目で見つめていた。

 

(……誰だ、こいつ)

 

藤田ことね。居酒屋のバイト仲間。いつも元気で、少しおっちょこちょいで、でも、家族のために身を粉にして働く、健気な後輩。

それが、拓也の知っている彼女だった。

 

だが、今、隣にいるのは違う。

 

スポットライトを浴び、観客の熱狂を一身に受け止める彼女は、拓也の知らない、圧倒的な「表現者」だった。

 

練習の時から、その片鱗は感じていた。だが、本番のステージは、練習とは比べ物にならないほどの覚醒を見せた。

客の視線、会場の熱、バンドの生音、そのすべてをエネルギーに変えて、彼女は光そのものになっていた。

 

ギターソロの時、目が合った。その瞳は、緊張や不安ではなく、純粋な音楽への喜びに満ちて、爛々と輝いていた。

その瞳に引きずられるように、拓也も、ここ数年忘れていた感覚を取り戻していた。

 

プロになる夢を諦めてから、ギターは「趣味」になった。それは、諦観であり、自分を守るための予防線でもあった。

だが、今日のステージは違った。ことねの歌とダンスが、拓也の心の奥底に眠っていた「本気」を、無理やり引きずり出した。

もっと良い音で、もっと良いフレーズで、彼女のパフォーマンスを最高のものにしたい。その一心で、無我夢中で弦を掻き鳴らした。

 

(ああ、そうか。俺、バンドやってた時、こんな顔してたな……)

 

楽しい。理屈じゃない。ただ、この仲間たちと音を出すことが、楽しくて仕方がない。

 

鳴りやまぬ拍手の中、四人で肩を組んで頭を下げる。

自分に向けられているはずの賞賛が、そのほとんどが、隣にいる小さな少女に集中しているのを、拓也は肌で感じていた。

 

ほんの少しだけ、胸の奥がチリっと痛んだ。それは、嫉妬、と呼ぶにはあまりに些細で、そして温かい痛みだった。

 

(そりゃ、そうだよな)

 

今日の主役は、紛れもなく彼女だった。自分は、その物語の、ほんの少しのきっかけを作ったに過ぎない。

 

楽屋に戻り、美咲や静とハイタッチを交わす。全員が、最高の笑顔だった。

ことねも、泣きながら、でも太陽のように笑っている。その顔を見て、拓也は自分の役目が終わったような、そんな寂しさを感じていた。

 

彼女は、もう、ただのバイト仲間じゃない。

 

きっと、今日のステージをきっかけに、もっと大きな場所へ、自分の手の届かない場所へと行ってしまうのだろう。

それは、友人として、一人のファンとして、誇らしくて、嬉しいことのはずなのに。

 

「拓也さん!」

 

不意に、ことねが拓也の目の前に立ち、まっすぐな目で見上げてきた。

 

「今日のギター、最高でした!拓也さんがいなかったら、あたし、絶対に歌えませんでした。本当に、本当にありがとうございました!」

 

深々と頭を下げる彼女を見て、拓也の中にあった小さな痛みは、すっと消えていった。

 

(……馬鹿だな、俺は)

 

届かない場所へ行く?何を勝手に決めつけているんだ。彼女は、まだ始まったばかりじゃないか。

そして、その始まりのステージに、自分はギタリストとして、隣に立っていた。それだけで、十分すぎるほどじゃないか。

 

「こちらこそ、だよ。最高のステージに誘ってくれて、ありがとう」

 

拓也は、ことねの頭をわしゃわしゃと撫でた。

その手つきは、もう後輩に対するものではなく、同じステージに立った、大切な「バンドメンバー」に対するものだった。

 

 

【美咲の視点 ― 太陽の引力】

 

 

「――最高だったよ、ことねちゃん!」

 

楽屋の扉を開けるなり、私は叫びながらことねちゃんに飛びついていた。

汗と、涙と、よくわからないアドレナリンで、身体中がぐちゃぐちゃだった。

でも、そんなことどうでもいい。とにかく、すごかった。すごすぎた。

 

正直、最初は軽い気持ちだった。バイト仲間の可愛い後輩が、初めてステージに立つ。その助っ人。

面白そうだし、一肌脱いであげよう。それくらいの、ほんの少し先輩風を吹かせたような気持ち。

 

でも、違った。全然、違った。

 

ステージ後方、ドラムセットに座る私の場所からは、三人の背中と、客席の熱気が全部見える。

最初のカウントを叩いた瞬間から、空気はいつもと違った。拓也さんのギターが、今まで聴いたことのないくらい、獰猛な音を立てていたから。

 

でも、本当の衝撃は、ことねちゃんが歌い出した瞬間だった。

 

(うわ、何、この子……)

 

練習の時とは、まるで別人のようだった。

声に宿る熱量が、背中からビリビリと伝わってくる。

そして、サビで彼女が踊り出した時、私は自分の役割を忘れ、一瞬、ただの観客になってしまった。

 

手足の動き、表情、視線。その全てが、音楽そのものだった。

彼女が踊ると、私たちの音が、もっと先へ、もっと高い場所へと引っ張り上げられていくような感覚。

 

(私たちが彼女を支えてるんじゃない。彼女の引力に、私たち全員が引きずり込まれてるんだ……!)

 

そう気づいた瞬間、身体が勝手に動いていた。予定にはなかったフィルインを叩き込み、シンバルを力任せに打ち鳴らす。

彼女のダンスが、私のドラムを解放してくれた。もっと!もっと速く!もっと強く!彼女の輝きに負けない音を!

 

ラスサビで、彼女が泣きながら笑っているのが見えた時、私の胸も、ぎゅーっと熱くなった。

ああ、この子は、本当に音楽が、表現することが好きなんだ。心の底から。

 

だから、こんなにも、人の心を揺さぶるんだ。

 

楽屋で、泣き笑いしながら「ありがとう」って繰り返すことねちゃんを見て、私はもう一度、強く思った。

助っ人なんかじゃない。今回限りなんて、絶対に嫌だ。

 

(ことねちゃん、あなたは太陽だ。そして、私たちは、あなたの光をもっと遠くまで届けるための、最高のバンドになるんだ)

 

そのためなら、なんだってしてあげよう。そう、固く、心に誓った。

 

 

【静の視点 ― 静寂の共鳴】

 

 

楽屋の隅で、私は自分のベースのペグを静かに緩めながら、少し離れた場所で繰り広げられる光景を、ただじっと見つめていた。

 

美咲が、太陽みたいに明るいことねさんに飛びついて、二人で泣き笑いしている。

拓也さんは、それを兄のような優しい目で見守っている。熱くて、眩しくて、少しだけ、私には遠い世界。

 

人と一緒に音を出すのは、ずっと苦手だった。

自分の世界で、完璧なベースラインを構築する。それは得意だ。でも、バンドは違う。

他人の感情、呼吸、その場の空気。予測不能な要素が多すぎて、いつも疲れてしまう。

 

だから、今回も、美咲に頼まれたから、仕方なく引き受けた。それだけのはずだった。

 

ステージの上、私はいつものように、目を閉じて、全体の音に集中していた。

ドラムのキックと、ギターのカッティング。その隙間を、自分のベースでどう埋めるか。

どうすれば、アンサンブルが最も心地よく響くか。それだけを考えていた。

 

でも、彼女の歌が始まった瞬間、私の世界は、壊された。

 

(……何、この声)

 

不安定なようで、奇妙な安定感がある。

どんな音域でも、どんなに激しいサウンドの中でも、決して埋もれない、心を直接掴む周波数が含まれている。

それは、理論では説明できない。

 

そして、彼女のダンス。

一見、自由で、衝動的に見える。でも、私の目には、その全ての動きが、音楽の構造と完璧に一致しているのが視えた。

無駄な動きが、一つもない。すべてが、感情を伝えるためだけに最適化されている。

あれは、習ってできる種類のパフォーマンスじゃない。天性のもの。

 

間奏。彼女が、拓也さんのギターソロに、ダンスで「返事」をした時。私は、自分の指が、勝手に動いていることに気づいた。

 

いつもなら、決めておいたフレーズを正確に弾くだけ。

でも、今、私の指は、彼女のダンスの軌跡をなぞるように、即興のベースラインを奏でていた。

 

彼女の伸ばした腕の先に、音を置く。彼女のターンの頂点に、アクセントを合わせる。

 

私の音が、彼女のパフォーマンスによって、意味を与えられていく。ただの低音の連なりが、生命を吹き込まれていく。

 

(……気持ち、いい)

 

人と音を出すのが、こんなにも。

 

ラスサビ、彼女は泣いていた。でも、その歌声は、少しも揺らがなかった。

むしろ、涙が燃料になって、さらに輝きを増していくようだった。その声の中心に、私のベース音を届けたい。

このアンサンブルの中に、もっと、ずっと、いたい。初めて、心の底からそう願った。

 

楽屋で、ことねさんが、私の手を握ってきた。

「静さん、本当にありがとうございます!」

 

その手は、汗で濡れていて、驚くほど熱かった。

 

私は、いつものように気の利いた言葉は言えない。ただ、こくりと頷いて、その手を、少しだけ強く握り返した。

 

言葉はいらなかった。音の中で、私たちの魂は、確かに共鳴していたから。

 

 

【星南視点 ― 再び灯る星屑】

 

 

初星学園・高等部の生徒会室。

その豪奢な一室で、会長である十王星南は、山と積まれた承認書類の最後の一枚に、優雅な所作でサインを書き終えた。

 

完璧な生徒会長としての業務。それが終われば、今度は完璧なトップアイドルとしてのレッスンが待っている。

それが彼女の日常であり、誇りだった。

 

ふと、星南は窓の外に目を向けた。

 

(……また、強く感じる)

 

ここ最近、彼女だけが持つ特技――アイドルの才能を「アイドルパワー」として可視化し、その気配をGPSのように察知する能力――が、都内の西側の方角に、無視できないほど強い反応を示していた。

それは既知のどのアイドルのものとも違う、未知で、そして底知れないポテンシャルを秘めた輝き。

 

「一体、誰なのかしら……」

 

後継者を探し、自らの生徒会を疑似的な事務所として運営する星南にとって、その輝きは看過できないものだった。

才能ある原石は、すべて自分が見つけ出し、磨き上げ、初星の未来を託す。

それが、自身の成長が止まってしまった今の自分にできる、唯一のことなのだから。

 

息抜きに、とタブレットを開き、趣味であるプロアイドルの情報をチェックする。その時、SNSのタイムラインに、ある動画が流れてきた。

 

『【衝撃】ライブハウスに現れた新人バンドがヤバすぎる【#The Roar #オープンマイク】』

 

よくあるインディーズバンドの動画。

だが、ハッシュタグにある「#The Roar」という名前に、星南の指が止まった。

そのライブハウスは、確か、自分の「アイドルパワー検知」が強く反応しているエリアにある。

 

(……まさかね)

 

軽い気持ちで、再生ボタンをタップする。

画面に映し出されたのは、薄暗いライブハウスのステージ。そして、始まった、荒削りだが熱量の高いバンドサウンド。

 

そのボーカルの少女がアップで映し出された瞬間、星南の完璧に保たれていたポーカーフェイスが、僅かに崩れた。

 

「……ことね?」

 

藤田ことね。中等部時代、星南が密かに「見つけて」いた後輩の一人。

あの頃のあなたのアイドルパワーは、こうだったわね。

 

【藤田ことね(中等部時代)】

Vocal: 58 / ???

Dance: 85 / ???

Visual: 88 / ???

 

実数値だけ見れば、凡庸そのもの。学園には、あなたより優れた子などいくらでもいた。

でも、私には視えていた。その低い数値の遥か先、雲の上に霞むほどの、あなたのポテンシャルの輝きが。

だから、声をかけようとした。私の手で、その才能を開花させてあげようと。それなのに、あなたは自ら輝くことをやめてしまった。

 

(もっと早く声を掛けていれば、未来は変わっていたのかしら)

 

星南にとって、それはプロデューサーとしての、最初の「失敗」であり、苦い記憶だった。

 

その彼女が、今、画面の中で歌い、踊っている。星南の視界に、現在の彼女の「アイドルパワー」が映される。

 

【藤田ことね(現在)】

Vocal: 580 / 1800

Dance: 1120 / 1800

Visual: 1450 / 1800

Potential: ??? / ???

 

(……嘘)

 

星南は息をのんだ。たった数ヶ月、学園の外にいただけで、これほどの成長を遂げるなんて。

特にVocalの値。あれほど苦手としていたはずなのに、信じられないほどの伸びを示している。

DanceとVisualは、もはや学園のトップクラスに匹敵するレベルだ。

 

だが、星南を本当に戦慄させたのは、その数値ではなかった。

画面の中のことねが、サビで感情を爆発させた瞬間、彼女の視界の中で、信じられない現象が起きた。

 

Vocal: 580 → 750 → 980 → 1310 !!

Dance: 1120 → 1550 !!

Potential: 計測不能 → 限界値再定義中

 

【藤田ことね(現在)】

Vocal: 1310 / 1800

Dance: 1550 / 1800

Visual: 1450 / 1800

Potential: ??? / ???

 

「なっ……!?」

 

ライブ中に、リアルタイムで能力値が凄まじい勢いで跳ね上がっていく。

何より異常なのは、ポテンシャル。限界値を示すゲージが振り切れ、再計算を始めた。こんなこと、ありえない。

アイドルの能力とは、日々のレッスンで少しずつ積み上げていくもの。

感情の高ぶりで一時的に上昇することはあっても、限界値そのものがライブ中に書き換わるなど、前代未聞だった。

 

(これが……感情がパフォーマンスに与える影響…?学園の育成理論では、説明できないわ……!)

 

自分の能力値が、もう何ヶ月も【Vocal: 1800/1800, Dance: 1800/1800, Visual: 1800/1800】という限界値に張り付いたまま、1ポイントも動かないというのに。

 

パフォーマンスそのものも、異質だった。初星学園が教える、ファンを魅了するための計算されたメソッドとは全く違う。

自分の内面を、傷も弱さも全て剥き出しにして叩きつけるような、あまりにも無防備で、あまりにも生々しい表現。

 

(なんてこと……。なんて輝き方をしているの、あなたは……)

 

星南は、自分がアイドルであることを忘れ、一人のファンとして画面に釘付けになっていた。

 

Cメロ。「色を塗って生きるのは、あなた」と歌うことねの瞳。

その瞳は、自分に向けられているのだと、星南は錯覚した。

「あなたの伸びしろはもうない」と、自分自身に見切りをつけている星南の心を、優しく、しかし鋭く抉ってくる。

 

そして、ラスサビの「踊ってたい夜を知りたい」という願い。

それは、トップアイドルとして輝きながらも、その先の未来(引退)を見据えている星南が、心の奥底で渇望しているはずの、純粋な叫びだった。

 

動画が終わる。星南は、自分が荒い息をしていることに、初めて気づいた。タブレットを握る指先が、白くなっている。

 

彼女の胸の中に、嵐のような感情が渦巻いていた。

かつて見つけた原石が、自分の知らない場所で、自分の知らない輝き方をしていることへの、歓喜。

自分の手の届かない場所へ行ってしまったことへの、焦り。

そして、何よりも強く――。

 

(あの子は、私のものなのに)

 

後輩を慈しみ、育てたいという純粋な気持ちが、ことねに対してだけは、歪んだ、甘い独占欲へと姿を変える。

星南は、自分のその感情に戸惑いながらも、抗うことができなかった。

 

「藤田ことね……私の、ことね……」

 

彼女は、恍惚とした表情で、その名前を呟いた。

 

「そう、あなたはそうやって、また私の前に現れるのね。最高の形で」

 

星南は、静かに、しかし素早く立ち上がった。その瞳には、もはや迷いはない。

生徒会長としてでも、引退を考えるアイドルとしてでもない。一人の「プロデューサー」として、最高の才能を前にした、狩人の瞳だった。

 

「待っていて、ことね。私が、あなたを本当のステージに連れていってあげる。私の隣で、一番星として輝かせてあげるから」

 

彼女はすぐさま、自分のプロデューサー――自分にとっては好敵手であり、目標でもある「先輩」――へと、連絡を取り始めていた。

後継者探しは、終わった。いや、今、本当の意味で始まったのだ。

 

 

【ミコ視点 ― 弟子との日常】

 

 

オープンマイクの熱狂から数日が過ぎた。

 

「The Roar」には、いつもと変わらない日常が流れていた。

ことねも、あの日ステージで見せた鬼気迫るような表情はどこへやら、今はカウンターの中で、先輩スタッフに教わりながら、一生懸命カクテルの練習をしている。

 

「ミコさん!見てください!シェイカー、ちょっとだけ上手く振れるようになったかも!」

 

無邪気に笑う彼女は、どこにでもいる、ただの頑張り屋の少女だ。

 

だが、ミコにはわかっていた。彼女の中の何かが、あの夜を境に、決定的に変わったことを。

 

レッスンに臨む彼女の目は、以前よりもずっと深く、真剣になっている。

自分の声の、身体の、ほんの僅かな変化も見逃すまいとする、貪欲なまでの集中力。

そして何より、彼女の周りの空気が変わった。自信、というにはまだ脆いが、確かな「核」のようなものが、彼女の中に生まれたのだ。

 

ミコは、事務所の窓から、そんなことねの姿を眺めながら、静かに煙草の煙を吐き出した。

 

あの夜の後、案の定、SNSではことねの動画が拡散され始めていた。

「#TheRoarの歌姫」「#オドループの天使」など、気恥ずかしいハッシュタグまで生まれている。

いくつかのインディーズレーベルや、得体の知れないプロダクションから、ライブハウスに問い合わせの電話もかかってきている。

もちろん、すべてミコが「うちはそういう窓口はやってないんで」と、冷たくあしらってはいるが。

 

(……始まったな)

 

これから、彼女は多くの選択を迫られるだろう。

甘い言葉で近づいてくる大人たち、心ない嫉妬や批判、そして、大きくなる期待という名のプレッシャー。

 

あのステージは、ゴールではなかった。地獄の釜の、蓋を開けたに過ぎない。

 

だが、ミコは不思議と不安ではなかった。

 

(あいつなら、きっと乗りこなすだろうさ)

 

一人ではないのだから。支えてくれる仲間がいる。

そして何より、彼女自身の中に、どんな逆境にも負けない、燃えるような「好き」というエンジンがある。

 

「おい、ことね!いつまで遊んでる!次のレッスン始めるぞ!さっさと来い!」

 

マイク越しに怒鳴ると、カウンターの向こうで「はーい!」という元気な声が弾けた。

 

ミコは、ふっと口元を緩める。

 

面倒で、手のかかる、最高に面白い原石。その輝きが、これからどんな色に変わっていくのか。

 

その未来を、もう少しだけ、一番近くで見ていてやるのも悪くない。ミコは、そう思った。

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