楽曲の権利関連について問い合わせをしていました。
問題ないことが確認できたため、本日より投稿を開始いたします。
「――私たちの物語を、私たちの歌を作ればいいんだ!」
美咲のその言葉は、暗礁に乗り上げていた船にとっての、灯台の光のようだった。
そうだ。道標がないから、迷っていたんだ。自分たちの魂を乗せる、一曲の歌。それさえあれば。
全員の視線が、自然と、ことねへと集まる。
この物語の、そして、このバンドの中心である、彼女へと。
「……あたしが、書くんですか?」
「当たり前でしょ!」と美咲が笑う。「このバンドの物語は、ことねちゃんが主人公なんだから!」
「お前の言葉でなきゃ、意味がないんだよ」と拓也も頷く。
静も、こくりと、静かに同意を示した。
以前の自分なら、きっと「無理です」と首を振っていただろう。だが、今のことねは違った。
最高の仲間たちが、自分を信じて、見てくれている。あの十王星南を前にしても、自分の道を選び取ったのだ。もう、何も怖くはない。
「……わかりました。やってみます!」
その返事は、少しの不安と、それ以上の期待に満ちて、力強くスタジオに響いた。
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その日の帰り道、ことねは文房具店に寄り、一冊の、リング式の新しいノートを買った。
いつもなら百円の、一番安いものを選ぶところだが、その日は、少しだけ厚手で、表紙の手触りが良いものを選んだ。これは、あたしたちの、最初の武器になるのだから。
自室の、小さな机に向かう。つるりとした、まだ何も書かれていない真っ白なページ。
以前なら、その白さが途方もないプレッシャーとなって、ことねの肩にのしかかっただろう。
だが、今は違った。この白さは、絶望ではない。これから、どんな物語でも描ける、無限の可能性だ。
(よし、やるか!)
気合を入れて、ペンを握る。
まずは、バンドの曲らしい、かっこいい言葉を探してみた。頭に浮かぶ限りの、それっぽい単語を並べてみる。
『孤独なハイウェイ、錆びついたネオン。偽りの摩天楼に、俺は中指を立てる』
「……うーん、なんか違う」
書いてみて、すぐに、ことねは首を捻った。
「ロックっぽいけど、あたしの心は、全然、動かない。これじゃ、歌えない。だいたい、あたし、中指立てたことないし」
問題は、才能の有無ではない。ただ、やり方がわからないのだ。
自分の心の中には、たくさんの、それこそぐちゃぐちゃになるほどの感情や経験がある。
最高の食材は、キッチンに溢れている。でも、それを、どう調理すれば最高の料理になるのか、肝心のレシピが一冊もない。
ことねは、ペンを置いた。
一人で悩んでいても、きっと、また同じ場所をぐるぐる回るだけだ。
(そうだ。あたし、一人で悩む必要なんてないんだった)
彼女はスマホを手に取ると、バンドのグループチャットにメッセージを送った。
『早速、壁にぶち当たってます!助けてください!』
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数日後。再び「The Roar」のスタジオに集まった四人の前で、ことねは、正直に白旗を上げた。
「ごめんなさい!みんな、ちょっと聞いてもらっていいですか?」
ことねは、書きかけては消された言葉の残骸が並ぶノートを、テーブルの中央に置いた。
「色々書いてみたんですけど、全然しっくりこなくて…。拓也さんみたいなロックな感じとか、美咲さんみたいなポップな感じとか、真似しようとすればするほど、どんどん、あたしの言葉じゃない感じがしちゃうんです」
それは、かつてのように「できない」と諦める弱音ではない。
壁を乗り越えるために、仲間の知恵を借りようとする、前向きな「相談」だった。
「なるほどな」
ノートを覗き込んだ拓也が、自身の経験を語る。
「わかるぜ、その気持ち。良い曲を書こう、かっこいい歌詞を書こうって思うほど、どんどん書けなくなるんだよな。俺も昔、好きなギタリストの真似ばっかりして、自分の音がわからなくなった時期があった。そういう時は、一回、全部忘れちまうのが一番だ」
「そうそう!」と美咲も、スティックで軽快にリズムを刻みながら続けた。
「考えすぎだよ、ことねちゃん!歌詞なんて、もっとこう、気持ちの爆発なんだから!頭で考えるんじゃなくて、心で感じたことを、そのまま『うおおー!』って叫ぶ感じだよ!」
「……爆発」
静が、美咲の言葉を、静かに反芻する。
彼女は、ことねが「ダメだ」と思って消した、殴り書きの言葉の断片――『バイト、疲れた』『悔しい』『自信もない』といった、生々しい言葉たち――を、じっと見つめていた。
そして、静かに、しかし、はっきりと告げた。
「……あなたは、間違っている」
「え?」
「あなたは、綺麗な言葉を、かっこいい言葉を探そうとしている。でも、あなたの本当の言葉は、こっち。この、あなたが『ダメだ』と思っている言葉の方」
静は、ノートの殴り書きの部分を、指でなぞった。
「これは、弱音じゃない。あなたの魂の音。私たちのバンドは、ここから始めるべきだと思う」
静の、的確で、優しい言葉が、ことねの心を貫いた。
そうか。あたしは、自分の魂の音を、汚いものだと思って、隠そうとしていたんだ。
「よし」
拓也が、ポンと手を打った。その顔には、何かを閃いたような、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
「じゃあ、一回、全部忘れよう。作詞とか、作曲とか、そういう難しいことは全部忘れる。ことね、そのノートの中から、今、一番叫びたい言葉を、一つだけ選んでくれ」
「え、一つ、ですか?」
「ああ。その言葉を、お前が、俺たちに、ただぶつけてくれ。歌わなくていい。叫ぶだけでも、呟くだけでもいい。俺たちは、そのお前の『魂の音』に合わせて、音を出す。そっから、何か見つかるかもしれねえだろ」
拓也の提案に、美咲と静も力強く頷いた。
ことねは、仲間たちの顔を見渡し、そして、自分のノートを見つめた。
そこに書かれた、たくさんの、かっこ悪い自分の欠片。
その中から、一番、ずっと心の奥底で叫び続けていた言葉を、見つけ出した。
四人は、再び楽器を構える。
スタジオの中央に、ことねが一人立つ。
彼女は、マイクを握りしめ、目を閉じた。
そして、絞り出すように、叫んだ。
「――こんなもんじゃない!あたし、悔しいっ!!」
その瞬間、拓也のギターが、切り裂くようなディストーションサウンドで咆哮を上げた。
美咲のドラムが、感情の奔流のような、激しいビートを叩きつける。
静のベースが、低く、重く、地を這うように、その叫びに応える。
音が、爆発した。
それは、もう、ただのジャムセッションではない。ことねの魂の叫びを中心に、三人の音が、一つの巨大な感情の渦となって、スタジオを満たしていく。
その音の渦の中で、ことねは、再び叫んだ。
「自信もない!上手でもない!」
ギターが、さらに歪む。
「でも、『やめた。』は言わない!」
ドラムが、加速する。
「私はここにいる!」
ベースが、地鳴りのように、響き渡る。
言葉が、メロディを呼び、メロディが、感情を呼び覚ます。
そうだ。これだ。
これが、あたしたちの、音だ。
この、衝動そのものが、あたしたちの歌なんだ。
その夜。
あの奇跡のようなセッションの後、ことねは自室の机で、再びノートに向かっていた。
もう、迷いはなかった。
(あたしは、あたしのままで、よかったんだ)
(かっこ悪くても、無様でも。この、みじめな気持ちも、悔しさも、全部……)
彼女の心に、あの日のファンからのコメントと、仲間の言葉、そして、一つの、とんでもなく不敵な「答え」が浮かんでいた。
(この、カッコ悪いあたしのまんま、世界で一番『可愛い』ってことにしてやろう!)
それは、弱さの肯定ではない。弱さを、最強の武器へと変える、反逆の狼煙だった。
その瞬間、彼女の中で、点と点だった感情が、一つの星座として、鮮やかに繋がった。
ペンが、走る。
『全力で走った どんどんすり減った』
『転んでも 無様でも 替えのない私なんだ』
『だっていくつも もらったから』
『本物にするため 私はここにいる』
そして、鏡に映る自分を見つめ、最強の魔法の言葉を、書き記した。
『それが私だ そう、可愛いんだ!』
『転んでも無様でも 可愛い私が好き』
弱くて、不完全で、かっこ悪い自分を、丸ごと抱きしめて、最強の「可愛い」で塗りつぶす。
これこそが、あたしの歌だ。
歌詞が、完成した。
ノートを閉じた時、ことねは、自分が今まで感じたことのないほどの、静かな達成感と、そして、猛烈な緊張感に包まれていた。
これは、ただの歌詞じゃない。あたしたちの、魂そのものだ。
これを、仲間たちに、見せるんだ。
ことねは、スマホを手に取った。
バンドのグループチャットを開き、深呼吸を一つ。
そして、たった一言だけ、メッセージを打ち込んだ。
『……書けました』
送信ボタンを押す指が、少しだけ震えていた。
すぐに、既読の表示が、三つ、並んでついた。
ことねは、ノートを強く胸に抱きしめ、仲間たちの待つ、あの場所へと駆け出した。
本当の意味で、バンドが産声を上げる、その瞬間へと向かって。