バイト戦士ことね   作:夜琥

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お久しぶりです。間が空いて申し訳ありません。
楽曲の権利関連について問い合わせをしていました。
問題ないことが確認できたため、本日より投稿を開始いたします。


24. 魂の殴り書き

「――私たちの物語を、私たちの歌を作ればいいんだ!」

 

美咲のその言葉は、暗礁に乗り上げていた船にとっての、灯台の光のようだった。

そうだ。道標がないから、迷っていたんだ。自分たちの魂を乗せる、一曲の歌。それさえあれば。

 

全員の視線が、自然と、ことねへと集まる。

この物語の、そして、このバンドの中心である、彼女へと。

 

「……あたしが、書くんですか?」

 

「当たり前でしょ!」と美咲が笑う。「このバンドの物語は、ことねちゃんが主人公なんだから!」

 

「お前の言葉でなきゃ、意味がないんだよ」と拓也も頷く。

 

静も、こくりと、静かに同意を示した。

 

以前の自分なら、きっと「無理です」と首を振っていただろう。だが、今のことねは違った。

 

最高の仲間たちが、自分を信じて、見てくれている。あの十王星南を前にしても、自分の道を選び取ったのだ。もう、何も怖くはない。

 

「……わかりました。やってみます!」

 

その返事は、少しの不安と、それ以上の期待に満ちて、力強くスタジオに響いた。

 

---

 

その日の帰り道、ことねは文房具店に寄り、一冊の、リング式の新しいノートを買った。

 

いつもなら百円の、一番安いものを選ぶところだが、その日は、少しだけ厚手で、表紙の手触りが良いものを選んだ。これは、あたしたちの、最初の武器になるのだから。

 

自室の、小さな机に向かう。つるりとした、まだ何も書かれていない真っ白なページ。

 

以前なら、その白さが途方もないプレッシャーとなって、ことねの肩にのしかかっただろう。

 

だが、今は違った。この白さは、絶望ではない。これから、どんな物語でも描ける、無限の可能性だ。

 

(よし、やるか!)

 

気合を入れて、ペンを握る。

 

まずは、バンドの曲らしい、かっこいい言葉を探してみた。頭に浮かぶ限りの、それっぽい単語を並べてみる。

 

『孤独なハイウェイ、錆びついたネオン。偽りの摩天楼に、俺は中指を立てる』

 

「……うーん、なんか違う」

 

書いてみて、すぐに、ことねは首を捻った。

 

「ロックっぽいけど、あたしの心は、全然、動かない。これじゃ、歌えない。だいたい、あたし、中指立てたことないし」

 

問題は、才能の有無ではない。ただ、やり方がわからないのだ。

 

自分の心の中には、たくさんの、それこそぐちゃぐちゃになるほどの感情や経験がある。

 

最高の食材は、キッチンに溢れている。でも、それを、どう調理すれば最高の料理になるのか、肝心のレシピが一冊もない。

 

ことねは、ペンを置いた。

 

一人で悩んでいても、きっと、また同じ場所をぐるぐる回るだけだ。

 

(そうだ。あたし、一人で悩む必要なんてないんだった)

 

彼女はスマホを手に取ると、バンドのグループチャットにメッセージを送った。

 

『早速、壁にぶち当たってます!助けてください!』

 

---

 

数日後。再び「The Roar」のスタジオに集まった四人の前で、ことねは、正直に白旗を上げた。

 

「ごめんなさい!みんな、ちょっと聞いてもらっていいですか?」

 

ことねは、書きかけては消された言葉の残骸が並ぶノートを、テーブルの中央に置いた。

 

「色々書いてみたんですけど、全然しっくりこなくて…。拓也さんみたいなロックな感じとか、美咲さんみたいなポップな感じとか、真似しようとすればするほど、どんどん、あたしの言葉じゃない感じがしちゃうんです」

 

それは、かつてのように「できない」と諦める弱音ではない。

 

壁を乗り越えるために、仲間の知恵を借りようとする、前向きな「相談」だった。

 

「なるほどな」

 

ノートを覗き込んだ拓也が、自身の経験を語る。

 

「わかるぜ、その気持ち。良い曲を書こう、かっこいい歌詞を書こうって思うほど、どんどん書けなくなるんだよな。俺も昔、好きなギタリストの真似ばっかりして、自分の音がわからなくなった時期があった。そういう時は、一回、全部忘れちまうのが一番だ」

 

「そうそう!」と美咲も、スティックで軽快にリズムを刻みながら続けた。

 

「考えすぎだよ、ことねちゃん!歌詞なんて、もっとこう、気持ちの爆発なんだから!頭で考えるんじゃなくて、心で感じたことを、そのまま『うおおー!』って叫ぶ感じだよ!」

 

「……爆発」

 

静が、美咲の言葉を、静かに反芻する。

 

彼女は、ことねが「ダメだ」と思って消した、殴り書きの言葉の断片――『バイト、疲れた』『悔しい』『自信もない』といった、生々しい言葉たち――を、じっと見つめていた。

 

そして、静かに、しかし、はっきりと告げた。

 

「……あなたは、間違っている」

 

「え?」

 

「あなたは、綺麗な言葉を、かっこいい言葉を探そうとしている。でも、あなたの本当の言葉は、こっち。この、あなたが『ダメだ』と思っている言葉の方」

 

静は、ノートの殴り書きの部分を、指でなぞった。

 

「これは、弱音じゃない。あなたの魂の音。私たちのバンドは、ここから始めるべきだと思う」

 

静の、的確で、優しい言葉が、ことねの心を貫いた。

 

そうか。あたしは、自分の魂の音を、汚いものだと思って、隠そうとしていたんだ。

 

「よし」

 

拓也が、ポンと手を打った。その顔には、何かを閃いたような、悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。

 

「じゃあ、一回、全部忘れよう。作詞とか、作曲とか、そういう難しいことは全部忘れる。ことね、そのノートの中から、今、一番叫びたい言葉を、一つだけ選んでくれ」

 

「え、一つ、ですか?」

 

「ああ。その言葉を、お前が、俺たちに、ただぶつけてくれ。歌わなくていい。叫ぶだけでも、呟くだけでもいい。俺たちは、そのお前の『魂の音』に合わせて、音を出す。そっから、何か見つかるかもしれねえだろ」

 

拓也の提案に、美咲と静も力強く頷いた。

ことねは、仲間たちの顔を見渡し、そして、自分のノートを見つめた。

 

そこに書かれた、たくさんの、かっこ悪い自分の欠片。

その中から、一番、ずっと心の奥底で叫び続けていた言葉を、見つけ出した。

 

四人は、再び楽器を構える。

スタジオの中央に、ことねが一人立つ。

彼女は、マイクを握りしめ、目を閉じた。

 

そして、絞り出すように、叫んだ。

 

「――こんなもんじゃない!あたし、悔しいっ!!」

 

その瞬間、拓也のギターが、切り裂くようなディストーションサウンドで咆哮を上げた。

 

美咲のドラムが、感情の奔流のような、激しいビートを叩きつける。

 

静のベースが、低く、重く、地を這うように、その叫びに応える。

 

音が、爆発した。

 

それは、もう、ただのジャムセッションではない。ことねの魂の叫びを中心に、三人の音が、一つの巨大な感情の渦となって、スタジオを満たしていく。

 

その音の渦の中で、ことねは、再び叫んだ。

 

「自信もない!上手でもない!」

 

ギターが、さらに歪む。

 

「でも、『やめた。』は言わない!」

 

ドラムが、加速する。

 

「私はここにいる!」

 

ベースが、地鳴りのように、響き渡る。

 

言葉が、メロディを呼び、メロディが、感情を呼び覚ます。

そうだ。これだ。

これが、あたしたちの、音だ。

この、衝動そのものが、あたしたちの歌なんだ。

 

その夜。

 

あの奇跡のようなセッションの後、ことねは自室の机で、再びノートに向かっていた。

 

もう、迷いはなかった。

 

(あたしは、あたしのままで、よかったんだ)

 

(かっこ悪くても、無様でも。この、みじめな気持ちも、悔しさも、全部……)

 

彼女の心に、あの日のファンからのコメントと、仲間の言葉、そして、一つの、とんでもなく不敵な「答え」が浮かんでいた。

 

(この、カッコ悪いあたしのまんま、世界で一番『可愛い』ってことにしてやろう!)

 

それは、弱さの肯定ではない。弱さを、最強の武器へと変える、反逆の狼煙だった。

 

その瞬間、彼女の中で、点と点だった感情が、一つの星座として、鮮やかに繋がった。

 

ペンが、走る。

 

『全力で走った どんどんすり減った』

『転んでも 無様でも 替えのない私なんだ』

 

『だっていくつも もらったから』

『本物にするため 私はここにいる』

 

そして、鏡に映る自分を見つめ、最強の魔法の言葉を、書き記した。

 

『それが私だ そう、可愛いんだ!』

『転んでも無様でも 可愛い私が好き』

 

弱くて、不完全で、かっこ悪い自分を、丸ごと抱きしめて、最強の「可愛い」で塗りつぶす。

 

これこそが、あたしの歌だ。

 

歌詞が、完成した。

 

ノートを閉じた時、ことねは、自分が今まで感じたことのないほどの、静かな達成感と、そして、猛烈な緊張感に包まれていた。

 

これは、ただの歌詞じゃない。あたしたちの、魂そのものだ。

 

これを、仲間たちに、見せるんだ。

 

ことねは、スマホを手に取った。

バンドのグループチャットを開き、深呼吸を一つ。

そして、たった一言だけ、メッセージを打ち込んだ。

 

『……書けました』

 

送信ボタンを押す指が、少しだけ震えていた。

すぐに、既読の表示が、三つ、並んでついた。

 

ことねは、ノートを強く胸に抱きしめ、仲間たちの待つ、あの場所へと駆け出した。

 

本当の意味で、バンドが産声を上げる、その瞬間へと向かって。

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