バイト戦士ことね   作:夜琥

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25. あたしの『可愛い』

ことねは、ノートを強く胸に抱きしめ、仲間たちの待つ、あの場所へと駆け出した。

 

肌寒い夜の冷たい空気が、火照った頬に心地よい。息は白く、心臓は、これから起こる全てのことに、期待と不安で、早鐘のように打ち鳴らされていた。

 

スタジオの重い扉を開けると、三人は、ことねの帰りを待っていた。その場の空気が、ぴんと張り詰める。

 

「……あの」

 

ことねは、乾いた唇を一度、舌で湿らせた。

 

「……書けました」

 

その一言で、三人の視線が、ことねの手に持つ一冊のノートへと、突き刺さるように集中した。

おずおずと差し出されたノートを、テーブルの中央に置く。三人が、その周りに、自然と集まってきた。

 

そこに綴られていたのは、決して詩的でも、文学的でもない。

だが、藤田ことねという一人の少女が、これまでの人生で感じてきた、痛み、悔しさ、喜び、そして、感謝の全てを、濾過することなく叩きつけた、魂の叫びそのものだった。

 

長い、長い、沈黙が流れた。

誰もが、その言葉の持つ、あまりに生々しい熱量に、息をのんでいた。

 

最初に声を上げたのは、美咲だった。

 

「ことねちゃん……これ……!」

 

彼女の目は、驚きと感動で、潤んでいた。

 

「『自信もない 上手でもない でも「やめた。」は言わない』って……!これ、ただの歌詞じゃない。パンクだよ、これ……!魂の、叫びじゃん……!」

 

「……すごい」

 

静が、一言だけ、呟いた。彼女は、ノートの一点を、食い入るように見つめている。

 

「『傷跡と同じ数の やりたい理由がある』……。普通の人間なら、傷跡の数だけやめる理由を探す。あなたは、それを、やる理由にするんだ。……強い」

 

拓也は、しばらく黙って歌詞を読んでいたが、やがて顔を上げると、ことねの目をまっすぐに見つめた。

 

「……ことね。これは、お前の歌だ。お前にしか、歌えない。そして、俺たちが、ずっと探していた音の、答えが、全部ここに書いてある」

 

彼は、おもむろに立ち上がると、自分のテレキャスターを、手に取った。

 

「やろうぜ、みんな。この、魂の音を、俺たちの音にするんだ」

 

バンドの「創造性の衝突」は、もう、そこにはなかった。

 

ことねの歌詞が、四人の、バラバラだった魂を、一つの場所へと導く、絶対的な道標となったのだ。

 

「一番のAメロ、『全力で走った どんどんすり減った』。ここは、もっと、切迫感のある、乾いた音がいい」

 

拓也が提案する。彼が奏でるギターリフは、以前のような哀愁を帯びたものではなく、もっと焦燥感に満ちた、鋭い音をしていた。

 

「だったら、ドラムは、心臓の音みたいに、バスドラだけで、静かに、でも、速く刻む感じがいいかな!」

 

美咲が、そのリフに、完璧なビートを重ねる。不安に煽られるような、焦る心臓の音。

 

「ベースは……その鼓動の下で、不安みたいに、低く、蠢いていたい。Bメロの『私ならって思えたの』で、少しだけ、光が差すようなフレーズを入れる」

静が、指先から、巧みで、美しいフレーズを紡ぎ出す。

 

そして、サビ。

 

「『だから見てて 見てくれなくちゃ 私、私たり得ない』!」

 

美咲が、歌詞を叫ぶ。

 

「ここはもう、全部爆発させるしかないでしょ!拓也さんのギターも、思いっきり歪ませて!」

 

「おう!」

 

「静ちゃんは、ルート弾きで、シンプルに、でも誰より骨太な音で、私たちを支えて!」

 

「……わかった」

 

「そして、ことねちゃん!最後の『そう、可愛いんだ!』は、世界中の誰に反対されても、あたしが一番可愛いんだって、そう、宣言するように歌うんだよ!」

 

そうだ。これこそが、この歌の、そして、あたしたちの核。

ことねは、マイクの前に立った。

仲間たちが、自分の言葉を、自分の魂を、こんなにも真剣に、そして的確に、音へと変えていってくれる。その光景が、信じられなかった。

 

彼女は、息を吸い込んだ。

 

「――自信もない、上手でもない」

 

その歌い出しは、もう、ただの弱音ではなかった。これから始まる反撃の、静かな序曲だった。

そして、サビ。

 

「――だから見てて!見てくれなくちゃ!」

 

拓也のギターが咆哮し、美咲のドラムが炸裂し、静のベースがうねりを上げる。

その音の嵐の中心で、ことねの歌声が、全ての感情を解き放つように、高らかに響き渡った。

 

『それが私だ そう、可愛いんだ!』

 

二番のBメロ、『残酷とは思わない だけど だけど 言わせて こんなもんじゃない 私、悔しい』。

 

演奏が少し静かになり、ことねの、吐き出すような、叫ぶような歌声が、スタジオに突き刺さる。ミコに、星南に、そして何より、過去の自分に叩きつけた、魂の言葉。

 

そして、ブリッジ。

 

『だっていくつも もらったから 本物にするため 私はここにいる』

 

ここで、ことねは、目を閉じて、仲間たちの顔を、そして、ファンの顔を、一人ひとり思い浮かべた。

もらったもの全部、この歌で、この音で、本物にしなくちゃ。

 

演奏が、クライマックスへと向かっていく。

最後のサビ。そして、アウトロ。

 

『全力で走って どんどんすり減って』

『転んでも無様でも 可愛い私が好き』

 

最後のフレーズを歌い終えた時、ことねは、泣きながら、心の底から笑っていた。

そうだ、これが、あたしだ。

 

荒削りな、デモ音源。

 

スタジオのスピーカーから流れるその音を、四人は、床に座り込み、疲れ果てた身体で、しかし、恍惚とした表情で聴いていた。

 

それは、まだ世に出ていない、自分たちだけの音。

拓也のロックな魂と、美咲のポップな衝動と、静のアーティスティックな知性が、ことねの剥き出しの心が、奇跡的なバランスで融合した、唯一無二の音楽。

 

「……できたね、私たちの曲」

美咲が、涙声で笑う。

 

「ああ。できたな」

拓也も、満足そうに頷く。

 

静は、何も言わず、ただ、目を閉じて、その音の響きを、全身で味わっているようだった。

 

ことねも、胸がいっぱいで、何も言えなかった。

ただ、この仲間たちと出会えて、本当によかったと、心の底から思った。

 

彼らが、その達成感に浸っていた、まさにその時だった。

スタジオの扉が、ギィ、と音を立てて開いた。

 

「……いい曲、書いてんじゃねえか」

 

ミコが、煙草を片手に、壁に寄りかかって立っていた。いつから、そこにいたのだろう。

その一言に、四人がはっとする。ミコが、自分たちの音楽を、初めて、はっきりと褒めた。

 

「み、ミコさん!」

 

「調子に乗るなよ、ガキども。まだ、生まれたての雛みたいなもんだ」

ミコは、そう吐き捨てると、一枚の、派手なデザインのチラシを、テーブルの上に、ひらりと投げた。

 

「一ヶ月後、このライブハウスで、対バンライブの枠、取ってやった」

 

「ええっ!?」

 

「相手は、お前らが今のままじゃ、逆立ちしたって手も足も出ねえような、この界隈じゃ名の知れた実力派バンドだ」

 

ミコは、四人の顔を順番に睨みつけるように見回した。

 

「その曲、一ヶ月で、客の度肝を抜くレベルまで仕上げてこい。それができなきゃ、お前らのバンドごっこは、そこまでだ」

 

そして、彼女は、ニヤリと、挑戦的な笑みを浮かべた。

 

「本気でやる気があるなら、その新曲で、てめえらの実力、証明してみせな」

 

それは、あまりにも無茶な、しかし、最高の目標提示だった。

 

四人は、顔を見合わせた。

まだ一曲しかない、生まれたばかりのバンド。

名前すらない、自分たち。

 

だが、その瞳には、もう、何の迷いもなかった。

あるのは、巨大な壁を前にした、挑戦者だけが持つ、獰猛な輝きだけ。

 

ことねは、完成したばかりの歌詞が書かれたノートを、強く握りしめた。

これは、ただの歌じゃない。

 

「はい」

 

ことねは、ミコを、そして、仲間たちの顔を、まっすぐに見据えた。

 

「あたしたちの、宣戦布告です!」

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