バイト戦士ことね   作:夜琥

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3.現実に押しつぶされる

街の灯りが滲んでいる。

 

ことねはフラつく足取りで、自転車を押しながら帰路を進んでいた。道の端を歩くたび、揺れる街灯が視界の端で歪んで見える。体は重い。頭はぼんやりとしている。寒くもないのに、指先だけが妙に冷たい。

 

「まだ……いける……」

 

そう言い聞かせた矢先、膝が折れた。

 

力が抜けたわけではない。ただ、自分でも気づかないうちに、限界を超えていたのだ。

 

全身の重力に抗えず、視界がゆっくりと傾いていく。

 

**

 

目を覚ますと、ギターの音が響いていた。

 

「お前、マジで倒れるかと思ったぞ。」

 

聞き慣れた声に目を開けると、そこにはバイト仲間の拓也がいた。

 

ことねは薄く笑い、口を開く。

 

「いや、いけると思ったんだけどな……。」

 

「無理すんなよ。マジでヤバかったぞ。倒れた瞬間、みんな慌ててたからな。」

 

拓也はそう言いながら、古びたギターをつま弾いている。指が弦を撫でるたび、くぐもった音が小さな部屋の壁に吸い込まれていく。

 

「俺もさ、昔は夢あったんだよな。プロになって、でっかいライブやって――それで飯食えると思ってた。」

 

ことねはぼんやりとその言葉を聞き流していた。目を閉じて、ギターの音だけに耳を澄ませる。

 

しかし、次の一言が、彼女の胸の奥に鋭く刺さる。

 

「でもさ、現実はそう甘くねぇ。夢だけじゃ食っていけなかったよ。」

 

少しの間を置いて、ことねは呟くように言った。

 

「……それでも、音楽はやめてないんだね。」

 

拓也は小さく笑い、ことねの方へ視線を向ける。

 

「まぁな。好きだからな。」

 

ことねはギターの音に耳を傾けながら、心の奥に引っかかった疑問を言葉にする。

 

「でもさ、それって……今の生活、楽しいの?」

 

拓也は指を止めた。

 

「楽しい、か。」

 

ギターのネックを指でなぞりながら、彼は天井をぼんやりと見上げる。

 

「音楽は、今でも好きだよ。でもな、昔みたいに音楽だけに集中できるわけじゃない。昼も夜も働いて、ようやく少し弾ける時間を作ってる。」

 

ことねはその言葉を噛み締めながら、静かに問い返す。

 

「じゃあ、それでも続けてるのは……好きだから?」

 

「そうだな。……好きだから、っていうか……もう、好きで居続けるしかなかったって感じかな。」

 

拓也はふっと笑う。

 

「理想通りじゃないけど、それでも弾いてると落ち着くし、楽しいと思える瞬間もある。それで十分だと思えるようになった。」

 

ことねは、ふとスマホを開いた。画面の中には、かつての学園アイドルの同期たちの姿がある。彼女たちは今もステージで輝いている。笑顔で、楽しそうで、まるで夢の中にいるように見えた。

 

そこに、あたしはいない。

 

「夢なんか持ってても、どうせ、こうなるんでしょ……」

 

拓也は苦笑しながらギターを弾き続ける。

 

「それでも、好きだからやってる。それだけだよ。」

 

ことねは、その言葉にどこか引っかかるものを感じた。

 

夢を追って、壊れて、それでも――好きだと言えることがある。

 

彼は夢を失っても、音楽を手放さなかった。あきらめたはずのものを、まだ大切に持ち続けている。

 

そんな気持ち、ことねにはわからなかった。

 

「ことね、お前はどうなんだよ?」

 

拓也の問いが、じかに心に響く。

 

「今の生活……お前は、本当に楽しいのか?」

 

ことねは、答えられなかった。

 

楽しいなんて、考えたこともなかった。

 

ただ、生きるために働くだけ。そう思っていたし、それしか選べないと思っていた。

 

でも――それって、本当なの?

 

胸の奥で、何かが軋むような音がした。

 

**

 

翌日、ことねは再びバイト先に向かった。いつも通りの作業、いつも通りの接客。繰り返される一日。

 

でも、頭のどこかで、拓也の言葉がずっと残っていた。

 

「楽しいって……なんだろう?」

 

ことねは、稼ぐために働いてきた。家族の負担が少しでも減るなら、とアイドルを夢に見たこともあったが、才能がない、なれる保証なんてない。

もし続けたとしても、それが負担になってしまうのなら、夢なんて諦めたほうが良いと、ずっと思い込んできた。

 

でも、それは――本当に自分の気持ちだったのか?

 

その疑問が、ことねの中に、静かに芽を出していた。

それはやがて、彼女の未来を変える一歩になるのかもしれない。

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