バイト戦士ことね   作:夜琥

4 / 36
4.偶然のステージと迷いの夜

喧騒の居酒屋、飛び交う笑い声とジョッキの音。 ことねはいつもと同じように忙しく動き回っていた。注文を取り、皿を運び、客の軽口に適当に合わせる。仕事は慣れたものだ。だが、今夜は少し違った雰囲気が漂っていた。

 

「誰か、盛り上げてくれよ!パフォーマンスできる奴いないのか?」 客の一人がそう言いながら、場の熱気を煽る。ことねは他のスタッフと顔を見合わせたが、誰も動こうとはしない。

 

「……仕方ないなぁ」

 

ことねは深いため息をつき、前へと踏み出した。

 

**

 

ことねが音楽に合わせて即興のダンスを披露すると、店内の空気が一瞬で変わった。ステップは軽やかで、リズムを刻む動きにはどこかプロの片鱗が見える。笑顔を絶やさず、観客を引き込む彼女のパフォーマンスは、まるでステージのようだった。

 

「すげぇ!お姉さん、プロか?」 「こんな居酒屋で踊ってる場合じゃねえだろ!」

 

ことねは苦笑しながら答える。

 

「いやいや、ただのバイトですよ~!」

 

しかし、その場にいたある男の視線がことねに釘付けになっていた。

 

**

 

ダンスを終え、厨房へ戻ろうとした瞬間、その男がことねの前に立った。

 

「……君、本気でアイドルをやってみる気はないか?」

 

ことねは一瞬きょとんとしたが、すぐに表情を引き締めた。

 

「アイドル?それは勘弁してください。あたしはただ稼ぐために働いてるだけです。」

 

男は驚いたように目を瞬かせる。

 

「そんな動きができる子が、ただバイトして終わるのは惜しいと思うんだ。」

 

ことねは笑いながら頭を振る。

 

「いやいや、夢なんか持ってもしょうがないですよ。あたしは働いて、稼いで、それで十分なんで。」

 

彼女の言葉は強く、はっきりとしたものだった。しかし、胸の奥でわずかな違和感が生まれていた。

 

**

 

その夜、帰宅後にことねはスマホを開き、初星学園時代の写真をぼんやりと眺めた。 ステージに立つ同期の姿。楽しそうな笑顔。彼女たちの輝く未来。

 

「もし、あたしがアイドルになってたら……?」

 

その考えを、ことねはすぐに振り払った。

 

「ありえないよね。」

 

しかし、一度芽生えた疑問は心のどこかに残り続けていた。

 

**

 

夜風が、肌にまとわりつくように生暖かかった。

ことねは自転車を押しながら、街灯に照らされた道を歩いていた。

疲れたはずなのに、頭の奥がざわついて眠気がこない。

居酒屋での出来事が、繰り返し頭を巡っていた。

 

「君、本気でアイドルをやってみる気はないか?」

 

まるで何かのドラマみたいな一言だった。

でも、それを聞いたとき、ことねの心は少しだけ揺れた。

心の奥の、ずっとフタをしていた部分が、小さく震えた気がした。

 

**

 

家に着くと、シャワーも浴びずにベッドに倒れ込む。

天井を見つめながら、ため息が漏れた。

 

「……今さら、何を夢見てんの。」

 

スマホを取り出し、画面をスワイプする手が自然とSNSへと向かう。

初星学園時代の同期たちのアカウント。

輝くステージ、ライトを浴びて踊る笑顔。

もう、手の届かない世界。

 

ことねは目を閉じた。思い出すのは、中学の頃の自分だ。

ステージの上で、ダンスに打ち込んでいた日々。

コンテストにも出た。練習は苦しかったけど、それ以上に楽しかった。

——でも、結果は出なかった。

上には上がいて、自分の限界を思い知らされた。

 

「才能がないなら、もう終わりだよな……って、あの時は思ったんだよね。」

 

もし、あの頃、誰かが——今回みたいに声をかけてくれていたら?

「君のダンス、いいね」って言ってくれる大人がいたら。

そしたら、自分はもっと前を向けていたのかもしれない。

 

「……なんで今なんだよ。」

 

どうして今さらそんな夢を見せるんだ。

中学のときにスカウトが来てくれてたら、あたしはもっと夢を信じられたのに。

あの頃なら、まだ傷つくことも、怖がることもなかった。

今さら夢なんか見たって、どうせまた挫折するだけだ。

 

それでも——なぜか、心は完全には否定できなかった。

 

**

 

ことねは体を起こし、スマホの画面を見つめ直した。

初星学園の公式サイト。学生ではなく、練習生の募集ページ。

 

「……見るだけ。どうせ私には無理だし。」

 

自分に言い訳しながら、要項に目を通す。

年齢制限は、問題なし。

必要な動画、写真、経歴——。

読めば読むほど、自分には縁がない世界に思えた。

 

「やっぱり、もう終わった話だよ。」

 

でも、本当にそうだろうか?

たしかに、今さらアイドルになるなんて現実的じゃない。3年やって無理だったんだ。

だけど——ことねには、ダンスがある。

踊ることなら、まだ体が覚えている。

ステージに立って輝くことだけが、夢じゃないはずだ。

ダンスを活かして、自分なりに表現する道だってあるんじゃないか?

 

**

 

夜が明ける頃、ことねはもう一度スマホを手に取った。

今度は動画サイトを開き、「ダンス」「振付」「パフォーマー」などのキーワードで検索を始める。

アイドルじゃなくても、ダンスを仕事にしている人たちがいた。

フリーで活動するダンサー、振付師、舞台演出——。

 

「……あたしにも、何かできるかもしれない。」

 

不安はある。でも、何もしなければ何も変わらない。

あの日感じた悔しさも、羨望も、全部抱えて、今の自分にできることを探してみたい。

 

それが、ことねの中で小さな決意となって灯った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。