狭いアパートの一室、ことねはスマホのカメラの角度を調整しながら、ため息をひとつ吐いた。
「これでいいのかな……」
数日前、ふとした衝動で作った動画投稿用のアカウント。何かを始めたい気持ちは確かにあった。でも、何をすればいいのか分からなかった。だから、とりあえず自分にできることを選んだ。それは、踊ること。
アイドルを目指していた中学時代、評価されなかったけれど、ただ踊るのは好きだった。誰かに見せるためじゃなく、自分が気持ちよく動ける瞬間。それだけでいいと、今は思える。
「今日は5分だけ。ライブ配信で軽く踊って、終わり。」
ことねはそうつぶやいて、配信を開始した。部屋着のまま、マットの上で小さくステップを踏みながら踊る。曲はリズミカルで、かつての自分がよく使っていたもの。体は覚えていた。ぎこちない動きもあるが、それが今の自分だ。
ライブが終わると、ことねはすぐに配信を切り、布団に倒れ込んだ。
「疲れた……でも、なんかスッキリした。」
充実感と、ほんの少しの不安。それでも、心には確かな火種が灯っていた。
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それからというもの、ことねは毎晩、短いライブ配信を続けた。
内容はさまざま。基本は「踊ってみた」、時々は自主練風景。スマホを立てかけたまま、無編集のまま垂れ流すだけ。編集する時間も、余裕もない。でも、それでも構わなかった。
バイトは減らさなかった。生活のためだし、今の環境を急に変えるのは怖かった。だから、夜の空いた時間に5分、10分、踊る。それが今の彼女にとっての“挑戦”だった。
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配信を始めて1週間ほど経ったある日、居酒屋の休憩中、拓也がことねに話しかけた。
「お前、なんか最近元気じゃね?」
ことねは一瞬驚いたように彼を見つめ、少し照れくさそうに笑った。
「そう見える?……ちょっと、自分のことに向き合おうって思って。」
「ほう、自分探し中か?」
「ちょっと違うけど……うーん、チャレンジ中、かな。」
「何やってんの?」
「ダンス。夜にちょっとだけ、ライブ配信してるの。」
拓也は目を丸くして驚いた。
「マジか。全然気づかなかった。で、楽しい?」
ことねは少し考えてから、答えた。
「楽しいっていうか……まだ怖い。でも、やってみようかなって。誰かに見せるっていうより、自分のためにやってる感じ。」
「へぇ。なんかいいな、それ。」
ことねは嬉しそうに笑った。そして、小さな声で付け加える。
「昔みたいに“アイドル”とか、そういうのじゃなくていい。ただ、ダンスが好きだから、できることからやってみたいの。たぶん、それが今のあたしにできる精一杯。」
拓也はギターの弦を軽く弾きながら、静かに頷いた。
「いいと思う。ことねには、そういう“好き”があるんだから。」
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その夜、ことねの最新の配信には、いつの間にか100人近い視聴者がついていた。
コメント欄には「すごい動き!」「プロっぽい」「もっと見たい」といった言葉が並んでいる。
でも、ことねはそれにまだ気づいていなかった。
彼女にとって、それはただの小さな一歩。けれど、確かに――それは、未来へつながる一歩だった。