「すみません、生ビールもう一杯お願いします!」
週末の夜、居酒屋のホールはいつも以上に賑わっていた。ことねは笑顔を浮かべながら、注文をこなしていたが、どこか動きが鈍い。足元が重く感じられ、頭の中もぼんやりとしている。
「……えっと、生ビール、でしたよね?」
一瞬、注文を聞き返してしまい、ことねは慌てて笑顔を作った。お客は少し不思議そうな顔をしたが、「そうそう」と軽く返すだけだった。
トレーにビールを乗せて運ぶ途中、別のテーブルから声がかかる。
「すみません、追加で焼き鳥お願いします!」
ことねは一瞬立ち止まり、声の方向を振り返る。けれど、返事をするのがワンテンポ遅れてしまった。
「あ、はい!すぐにお持ちします!」
笑顔を浮かべながら答えたものの、心の中では焦りが募る。普段ならもっとスムーズに対応できるはずなのに、今日はどうしても体がついてこない。
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休憩時間、厨房の隅で水を飲んでいると、バイト仲間の拓也が声をかけてきた。
「お前、今日ちょっと様子おかしくないか?」
ことねは慌てて首を振り、笑顔を作った。
「全然大丈夫でーす!お金のためならいくらでも働けるし!」
「いや、さっきお客さんが『あの子、疲れてるみたいだけど大丈夫?』って心配してたぞ。俺も見てて思ったけど、無理しすぎじゃないか?」
この前も倒れそうになってたし、そう言った拓也の真剣な表情に、ことねは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに笑顔で返した。
「ほんとに大丈夫だから!いつも通り可愛くて元気なことねちゃんでしょ?」
そう言って軽く手を振ってみせるが、拓也は納得していない様子だった。
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その日の営業が終わる頃、店長に呼び止められた。
「藤田さん、ちょっといいか?」
ことねは内心ドキッとしながらも、「はい」と返事をして店長の前に立った。店長は腕を組み、少し困ったような顔をしている。
「今日、お客さんから『あの子、大丈夫か?』って声が何件かあったんだ。拓也くんからも話を聞いたけど、最近無理してないか?」
「いえ、大丈夫です!全然平気ですから!」
ことねは笑顔で答えたが、店長は首を振った。
「藤田さん、無理してるのが見てわかるんだよ。君、昼も夜も働いてるんだろ?それに配信もやってるって聞いたぞ。そりゃ疲れるに決まってる。」
「でも……あたしは大丈夫です!迷惑はかけませんから!」
ことねは必死に訴えたが、店長はため息をついて言った。
「厳しいことを言うよ。迷惑をかけないって言うけど、今日みたいにお客さんに心配されるのは、もう迷惑の一歩手前だ。だから、シフトを減らすことにする。」
「えっ……!」
ことねは驚いて店長を見つめた。
「君が倒れたら、店も困るし、何より君自身が一番困るだろ?だから、しばらくは週3に減らす。これ以上は譲れない。」
「でも……!」
ことねは反論しようとしたが、店長の真剣な表情を見て、言葉を飲み込んだ。
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帰り道、自転車を押しながら、ことねはため息をついた。
(あたし、迷惑かけてたんだ……)
自分では大丈夫だと思っていた。でも、周りから見ればそうではなかった。お客さんやバイト仲間、店長にまで心配されて、ようやくそれに気づいた。
(休むなんて、考えたことなかったけど……)
スキマ時間を埋めるようにバイトを入れており、プライベートな時間はそれこそ短時間の配信の時間のみの生活。
バイトを掛け持ちすることで、1つのバイトに対する労働時間は少なく見えるが、その総時間は過労死ラインに迫っていた。
ことねはスマホを取り出し、配信アプリを開いた。視聴者からのコメントが目に入る。
「無理しないでね」
「ことねちゃんのペースでいいんだよ」
「休むのも大事だよ!」
その言葉に、胸がじんわりと温かくなった。
(みんな、あたしのことを心配してくれてるんだ……)
ことねはスマホを胸に抱え、夜空を見上げた。
「少しだけ、休んでみようかな……」
そう呟いた声は、夜風に溶けていった。