アツコは時々深夜に目が覚めることがあるらしい。そして、眠ろうと思っても寝苦しく思うように眠れない。そんな時は、夜のバシリカや中庭を散歩すると帰ってくる頃には程よく疲れて良く眠れるのだという。
「それで私がカタコンベの外に出るところを目撃し、面白そうだから付いてきたと…」
「うん。そしたらマダムが女神様みたいになってびっくりした」
「ううーん…」
私は手を額に当てて思わず項垂れる。どうしたものか、口止めと言っても多少の説明がなければ納得してくれないだろうし…特にアツコはその辺り頑固そうだし…何より信頼してくれている子供に嘘をつくのは良心が咎める。
「まず、深夜の散歩についてですが…。まぁ、これについてはほどほどにということで…」
「良いの?」
「本当は駄目なのですが、寝苦しい夜の軽い散歩くらいは大目に見ますよ。…バレないようにこっそりやってくださいね?見付けたら叱らなくてはいけなくなります」
「うん。ありがとうマダム」
ここまでは教育者として。そして、次が本題だ。
「実は私、神様に成りかけています」
「やっぱり女神様?」
「いえ、こうなったのは生徒達…貴方達の信頼があってこそですよ」
「???」
言葉の意味が分からないのか、首を傾げるアツコ。私はそれに対して自分の来歴を明かしつつ説明を続けていった。…研究者で神様になる研究をしていたこと。アリウス自治区を立て直ししていたのもその一環であり、生徒達の信頼を勝ち取るためにやって来たこと。そして、その甲斐もあって神の力の一端を手に入れたこと。
「自治区の空が晴れたのも、きっと私の力によるものなのでしょうね…」
「そうなんだ…」
「何か分からないことはありますか?」
「…一つだけあるよ」
アツコは真っ赤な瞳で私の眼を射貫く。直感的に、私は次の彼女の質問に必ず答えなくてはいけないのだと確信した。言葉の続きを促すとアツコは明瞭に、しかしどこか探るようにその言葉を紡いでいった。
「マダムは私達生徒を愛してくれたかな…」
「………」
「それとも、あくまでも神様になるための…」
「アツコ」
言葉を遮られたアツコがビクリと身体を震わせる。私は彼女の潤んだ瞳に合わせるように、いつかヒヨリにやってあげたように屈んで視線を合わせた。そして、心に浮かんだ言葉を一つ一つ語り聞かせていく。
「サオリは実は化粧品に興味があるのですよ」
「……え?」
「ミサキは熊が好きです。サオリに作って貰ったぬいぐるみが熊でしたから。ヒヨリはああ見えておませさんで、レディース雑誌に良く目を通しています」
「マダム…?」
「リョウコは貴方と同じ美化委員でしたね。でも虫が苦手なので花に付いた芋虫に戦々恐々としています。アミは紅茶の香りが好きです。ですが渋い味が苦手でミルクと砂糖を入れないと飲めません。トオルは音楽が好きですね。とても綺麗にキリエを歌いますから今度聞かせてもらうと良いでしょう」
そうして一人一人、名前を呟く度にその生徒の顔と特徴が浮かんでくる。そして何より心が暖かい気持ちで満たされるのだ。この気持ちに名前を付けるとしたら、私はきっと一つしか浮かばない。
「愛は育むもの。最初はなかったかもしれない、打算ありきの関係だったかもしれない…それでも、確かに私は貴方達に愛されて…愛を返しました」
「………」
「証明することは残念ながらできません。でも、私は貴方達が喜んでいると嬉しく、苦しんでいると悲しい。きっと、これが答えなのだと信じています」
アツコの頭を軽く撫でる。すると、アツコの紅玉のような瞳から雫が一つ机に零れ落ちた。私は彼女の隣に座るとしゃくり上げる彼女の背中を優しく擦る。きっと、不安で一杯になったことだろう。それでも信じてくれたからこそ、彼女は今こうして私に身体を預けてくれていると信じている。
「マダム」
「何ですか?」
「私もマダムのこと大好きだよ」
そう言うと彼女は涙で濡れた顔を上げ、大輪の花のような笑顔で私に笑いかけるのだった。
・ ・ ・
「別に貴方が真実を伝えたいのなら構いませんよ」
あのあと、私は寮までアツコを送っていった。その間に口止めはしたものの隠したくなければ今回のことを明かしてしまっても構わないと伝えたのだが、アツコはそれに対して首を振って応えた。
「ううん。これは私とマダムだけの内緒にする」
「良いんですか?」
「良いの。このことだけはマダムのことひとりじめ」
そう言って白い歯を見せてニシシと笑うアツコに思わず吹き出してしまった。女の子の笑い方じゃないでしょそれは。わんぱく坊主の笑い方だよ完璧に。
「可愛らしいお姫様だこと」
「マダムも綺麗な女神様だよ」
「ウフフ。さ、もう寝なさい」
アツコの額に口付けを落とすと、扉の向こうへと送り出す。彼女は頬を林檎のように赤くして微笑むと、踵を返して大部屋の闇へと姿を消した。
この日以来、アツコからの愛情表現があからさまに増えたのはまた別の話である。ついでに言うと、その姿を見た他の生徒からの愛情表現も増え、揉みくちゃにされる頻度が増えた。でも、やっぱりその度に私の心は暖かな気持ちで満たされるのだ。
深夜2時。サッちゃん達にバレないように自室に戻った私は、布団の中で少しだけ考える。
『最初はなかったかもしれない、打算ありきの関係だったかもしれない…』
ねぇ、マダム。私が初めてあった貴方はね、喉を詰まらせたヒヨリを打算なんて関係なしに助けようとしていたように見えたよ。それにね、ただ信頼を勝ち取るためなら態々私達に勉強や遊びを教えなくても良かったんじゃないかなって思うんだ。
だから私にとっては、マダムは最初から私達の未来を見据えて色々なことを考えてくれる…そんな格好良い大人に見えていたよ。
『そうだね、マダムは良い大人だよ。変だけど』
あの頃は変としか思えなかったけど、きっとアレが愛だったんだって今なら分かるから。
『その子…アズサというのですが。孤立しているようなのでどうか気に掛けてあげてほしいと思いましてね?』
貴方の言葉を思い返せば思い返す度に、そこには打算抜きの愛に溢れていたから。だから私は貴方を信じられる。言葉ではなく、そこには貴方の背中が見えていたから。何より、私が貴方を愛しているから。
だから、信じたい。
「ふふ…」
これからはもっと、もっと素直になる。
私は頑固で欲張りでお転婆だから、マダムの愛がもっと欲しい。そして、それと同じだけの愛を返したいって思う。マダムは私達の目指す大人で、先生で、お母さんだから。3倍の愛をかけるのだ。それってとっても素敵なことだと思う。
明日はきっともっと楽しい日々になる。そんな予感がして私は胸を躍らせながら、深い深い眠りについた。
・ ・ ・
「あ、マダムだ」
「おや、アツコ。奇遇ですね」
「マダムもお花見にきたの?」
「そうですね。アツコは美化委員のお仕事ですか」
花に水やりをしていると、やって来たのはツナギを身に纏った女神様。私だけが知っている姿があると考えるだけで何となく不思議な気持ちが心の底から湧き上がってくる。マダムも私を見る度にあの夜を思い出してくれたらと、そう思った。
…ふと、思い付いたことがあった。
ちょっとした悪戯。でも、私からしたらこれも立派な愛情表現だから。
「マダム、額に土がついてるよ」
「おや本当ですか?」
「取って上げる」
そう言って手を伸ばすとマダムが少しだけ屈んでくれた。その隙を見逃さず、私は背伸びをするとマダムの顔を抱き締めて額に口付けを落とした。
「…!?」
「あはは。…大好きだよマダム」
眼を真ん丸にして驚くマダムに、はにかむ私。
分かるよマダム。きっとこれが愛なんだね。
「あーっ!!アッちゃんがマダムにちゅーした!!」
「ずるーい!!私もー!!」
「ちょ、ちょっと貴方達!!」
揉みくちゃにされるマダムの顔には隠しきれない笑みが浮かんでいる。きっとそれは誰一人信じて疑うことのない貴方の愛の証明。