水星の優しいたぬき   作:穢銀杏

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Case Ⅰ

 

「夢を見たよ、お姉ちゃん」

 

 澄んだ、綺麗な声だった。

 

 圧縮、裁断──物々しい工作機械のひっきりなしに稼働して、騒音が耳を聾するはずのスクラップヤードに於いてさえ、それは不思議とよく通る。濁世の穢れを拒絶する特殊な波長を帯びているとしか思えない、神韻ただよう声だった。

 

「またいつもの、『マーキュリーさん』が頑張る夢かい」

 

 そしてそれは、応える側もまた同じ。

 寸分違わず、同じ属性を帯びていた。

 

「うん、そうそう。ゆうべ(・・・)はいよいよ念願の、編入の日を迎えたんだよ、あっちでは」

「アスティカシア高等専門学園、だったっけ、確か。若手の指導に小惑星を一個まるごと使うだなんて、いやはや豪気な話だね」

 

 視覚に頼らず、ただ壁越しに遣り取りを聞いただけならば、十に八九は一人二役と思うであろう。

 

 その錯覚も無理はない。

 

 彼女たちは双子であった。

 

 それも一卵性の双生児。設計図(DNA)を共通させて組みあげられた生命体である以上、声帯のつくりも酷似するのは蓋し自然な帰結であろう。

 

「でも、初日からアクシデント続きでね。想像していた滑り出しとは、ちょっと違っちゃったかな」

「へえ、アクシデント。なんだい、クラス全員催眠ガスで意識を飛ばされ攫われて、目を覚ましたら見知らぬ土地でデスゲームの開始でも告げられたとか、そんなかい?」

「それもう『ちょっと』で済んでいないよ、お姉ちゃん。思いっきりジャンル変わっちゃってるし」

「そうかなあ、『これが本当の入学試験』みたいなノリで、まだまだ十分、学園モノの範囲内に収まってると思うけど」

「いやいやいやいや、アウトだってば。そんな根こそぎ世界観が台無しになることじゃなくって、もっと平和な──へ、へいわ?」

「おや、つっかえたね。そこでどもるということは、アド・ステラもなかなかどうして、お花畑じゃあない、か」

 

 否、声のみに限らない。

 癖のある赤毛も、褐色肌も、瞳の奥の輝きも──スレッタ・サマヤとエリクト・サマヤは鏡写しにしたように、まさに瓜二つであった。

 

「当たり前だよね。夢とは所詮、現実の記憶の断片を綴り合わせて描かれる、不出来なモザイク画の類。平素、僕らが目にする世界がこんなザマである以上、たとえ眠りの中であろうと理想郷は有り得ないのさ」

「……やっぱりただの夢なのかなあ、何もかも」

「そうでなければなんなのさ。分岐がどうの、平行世界がどうだのと、また蒸し返すつもりかい。厭だよ僕は、妹の頭にアルミホイルを巻くなんて。毒電波はやめてくれ。君の脳には一個半個の電極も埋め込まれていやしない、妙ちくりんな受信機とはさ、金輪際無縁なはずだ。ずっと一緒の僕が保証してあげる」

「でもね、エリクト」

「お姉ちゃん」

 

 短くぴしゃりと釘を刺す。

 エリクトにとって、ここは譲れぬ一線である。

 

 自分は姉、スレッタは妹。その長幼の関係を、事あるごとに強調したがる。

 

 良く言えば「お姉さんぶる」気質であろう。物心ついた時分から発揮していた傾向なれど、戦火で父母を亡くして以来、いよいよその度が激しくなった。

 

 己は姉の身なのだから、先に産道を降りたのだから。──妹を守る義務がある、悲しみ、怒り、手前勝手な感情なんかに甘ったれ、折れてる暇など無いんだぞ、と。無理矢理にでも使命感を掻き立てて、ともすればふと崩れそうになる膝を、なんとか支えているかの如く。

 

 そのあたりの心の機微を察しているのかいないのか、

 

「でもね、お姉ちゃん。こんなに長く同じひとつの世界観、同じひとりの人生を夢に見続けるなんてこと、やっぱり普通じゃないと思うの」

 

 とまれスレッタは逆らわなかった。

 素直に呼び名を修正し、まるで何事もなかったように続きを紡ぐ。

 

「脳はしばしば嘘をつく」

 

 返すエリクトの声色も、既に平素のそれ(・・)だった。

 

「本人すら詐術にかける、いけない器官なんだ、ここは。君の場合、目覚めた後から無意識的に補正をかけてる可能性も考えられる。本来『ない』脈絡を、あたかも『ある』と錯覚させる感じにね。いずれにせよ、常識で説明は可能だよ」

「……ううん」

 

 スレッタは唸った。

 ああやはり、どんなに智嚢を絞ろうと、簡単に上を行かれてしまう。口では一生、この片割れに勝てる予感が毫もせぬ。

 

「君の気持ちも分からなくはないけどね」

 

 悄然として項垂れる妹の姿に感じるところがあったのか、若干気配を柔らかくするエリクトである。

 

「学校、か。懐かしい、僕らも昔は通ったな」

「うん、憶えてる。きちんと卒業したかったけど」

「いかんせん、消えちゃったからね、物理的に、故郷ごと。戦争に巻き込まれた所為で」

 

 重い話は、さらりと軽く流すに限る。

 古い映画の主役みたいに振る舞おうと試みて、だがエリクトは、どうも失敗したらしい。

 唇の端から、怨嗟の火の粉が仄かに舞った。

 

「あれからずっと食うや食わずの難民暮らし。真っ当な市民様のやりたがらない、きつい、汚い、危険の3K労働で、辛うじて口に糊するばかり。目も当てられない悲惨さだ、僕らの生きる現実は。せめて夢の中くらい、華やかであってもいいじゃないか」

「私は、夢に逃げてる、の?」

「僕らはずっと逃げている。逃げたから今、ここに居て、こうして息を吸えているんだ。──今更なんだよ、なにもかも」

「……やっぱり違うな、マーキュリーさんと私とは」

 

 スレッタの視線は、ますます地面に吸いつけられた。

 

「逃げたら一つ、進めば二つ。あんな風には、私には──」

「僕は一つで構わない」

 

 ぎりっ、と。

 火花を幻視するほどに固く奥歯を軋らせて、宣するようにエリクトは言う。

 

「二兎は追わない、目標(めあて)は絞る。この手に残ったただ一つ、それさえ守り抜けるなら、要らないんだよ、他はもう。なんでも棄てる、地の涯てだって逃げてやる。それが僕の戦い方だ、僕が選んだ、僕だけの。ロクでもない現実ばかり投げて寄越して突き付ける、運命ってヤツとの、ね」

 

 彼女の手の中、安っぽいペットボトルが音を立てて潰された。

 

「……マーキュリーさん、一人っ子なんだ」

 

 ややあってから再び口を開くスレッタ。

 

「そこだけは、うん、そのことだけは、あの子よりも私の方がずっとずっと恵まれてるって、胸を張れるよ、お姉ちゃん」

「そろそろ昼の休憩時間も終わりだね」

 

 ことさら時計に熱視線を注ぎつつ、エリクト・サマヤは呟いた。

 

「親方にどやされるより前に、率先して動こうか」

「うん、そうだね、お姉ちゃん」

 

 どちらからともなしに立つ。

 呼吸がぴったり合っている。仲睦まじい、姉妹の日常景色であった。

 

 

 

 だがしかし、その「日常」も今日のこのとき限りまで。

 

 

 

 翌朝目覚めたエリクトは、まだ薄暗い寝床の中で、信じられないモノを見る。

 

「どっ、どどどどどどどど、どこなんですここ!? あっ、ああ、貴女は、えっ、嘘、誰なの、どうしてどうして同じ顔!??!」

「……こっちのセリフだよ、それは」

 

 隣に寝ていた妹が、覚醒するなり錯乱し、わけのわからぬ譫言を、ミニガンよろしく口からつるべ撃ちにしてる。

 

 一緒になって動転するのが常の反応なのだろう。が、エリクトの特殊な感覚は、既に目の前の妹が、しかしごっそり中身(・・)に於いて入れ替えられていることに、理屈を超えて勘付いていた。

 

「誰だい君は、僕の大事な妹の身体の中になんで居る。不法占拠と詰ってもらいたいのかな。ああ、まさかと思うが万が一にも、『マーキュリー』とか言い出さないでちょうだいよ」

「……!!?!??? ──、……?!!???!??!?!」

 

 もはや言葉を発するだけの余裕もなくしたようである。

 ざあっ、と音がしそうなほどに露骨に且つ急激に、目の前の顔から血の気が失せてゆくのに(まみ)え、エリクトは自分の直感が的中していたことを知る。

 

(スレッタ、スレッタ、僕の(・・)スレッタ、君はいったい何処にいる。──お願いだから無事でいて。滅多なことをしでかさないでちょうだいよ)

 

 エリクトの密かな祈りもむなしく。

 二つの宇宙、二つの歴史の歯車が、この瞬間より確実に、本来あるべき道筋からズレだした。

 

 






※入れ替わりは定期的に起こります。

※スレッタ・マーキュリーが宇宙世紀にいる間、スレッタ・サマヤがアド・ステラにすっ飛びます。

※難民姉妹はニュータイプです。少なくとも、資質はたっぷり持ってます。

※「双子ならではの息の合った連携です」とかシャリア・ブルに言わせてえ。


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