水星の優しいたぬき   作:穢銀杏

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Case Ⅱ

 

 年端もいかねば縁故も持たぬ。しかも女だ。腕力もない。

 寄る辺なき、ないない尽くしの難民が、それでも今日まで曲がりなりにも生きて来られた事実には、もちろんのことタネがある。

 

 ──エリクト・サマヤは冴えて(・・・)いた。

 

 凡愚の眼からは神がかりとしか思えない、先見の月光の恵沢を、その身に受けた者だった。

 

(……笑顔に隠した狼心に、強面の下の人情家。縋りつく手を汚い、面倒、鬱陶しいと払い除けれる冷血と、後ろめたさを覚えちゃう、鬼になりきれない微温(ぬる)さ。誰を、どこまで信じていいのか、訴うべきは、利か、情か)

 

 すべて、すべて手の内である。

 

 人の本当(・・)が彼女には、条理を抜かして「視えて」いた。他者と関係を築くにあたって、これほど有利な特性はない。濫用とも呼べるほど、この才を酷使することで、彼女は今の生活を成り立たせるまで漕ぎ着けた。

 

 楽ではないが、非合法(イリーガル)にも手を染めず、亡き両親に恥じるべきどんな罪科も犯していない、表通りをちゃんと歩ける生き方を。

 

(認めたくはなかったよ、それが所詮は、薄氷の上の安寧と──)

 

 宇宙世紀は火種ばかりだ。

 

 誰かが燃料を振り撒けば──それが故意であれ無作為であれ──たちまち紅炎大紅蓮、轟天鳴地の破裂へ至る危うさの上に立っている。

 

 約言するなら世界情勢がどう転がるか。お偉方の弄ぶ賽の目次第で底辺庶民の暮らしなど、いつでも再び砕け散る。か細く、儚い凪であると知りつつも。

 

 それでも妹とふたり一緒に、しんみりとしたこの幸福に、浸れる限りずっと浸って居たかった。それがほんの昨夜までエリクト・サマヤが持っていた、赤裸な望みであったのだ。

 

(居たかった、と。過去形で語らなきゃなのがしんどい)

 

 ところが今や状況は大いに、大いに変化した。

 しんみりとした、どころではない。秋霜みたく痛烈な刺激がやって来たからだ。よりにもよって最愛の妹の内部から湧いた。

 

(スレッタの方の能力も、僕程度で済んでいたなら色々楽だったんだけど──)

 

 ところがどっこい、よもや世界の垣根を超えて、共振を起こすレベルとは。

 

 同位体が対象とはいえ、到底正気の沙汰でない。

 

 エリクトの感覚からしても、いったい何をどうやればそんなことが叶うのか、取っ掛かりすら掴めない、まさに神業、人の外。

 

(こうなって欲しくなかったからこそ、詭弁をいっぱい弄してまでも、ただの夢だと思う感じに誘導しようとしたのになぁ)

 

 結果的にその小細工は、見事に裏目に出たらしい。

 

(ごめんねスレッタ、僕は判断を間違えた。事態を未然に防ぐどころか、余計厄介にしたのかも。無事に帰って来ておくれ。そうしたら、力いっぱい抱き締めて、独り決めを謝って、今度こそ本当のことを言うから。包み隠さず、全部、ぜんぶ話すから)

 

 そのための予行演習だって実行中なのである。

 

「──とまあ、お分かりいただけたかな。これが僕らの、こっちの宇宙の、こちら側の人類の、重ねてきた歴史だよ」

 

 だいぶ端折りはしたけれど、要点(ツボ)は押さえたはずだから、と。

 呆然と口を半開き、目を丸くするスレッタ・マーキュリーめがけ、エリクトはにっこり笑ってみせた。

 

「宇宙世紀……? ミノフスキー粒子……? 一年戦争……? ジオン公国……? ニュータイプ……?」

 

 荒唐無稽な──彼女にとっては──そのくせいやに筋道の通っている情報を、立て板に水とばかりの勢でいっぺんに流し込まされて、思考回路が半分焼き切れかけている。いわゆる宇宙猫状態だ。自分の口から白煙が噴き上がってないことを、スレッタはむしろ不思議に思った。

 その反応に、

 

(……困るなあ)

 

 エリクトのよくない()が疼いた。

 

「そうそう。増えすぎた人口を宇宙に向かって吐き出し続けた挙句の果てが、逆に宇宙(ソラ)からコロニーなんて落とされて、総人口の半分が死ぬ終末戦争待ったなしじゃあ、いくらなんでも世話はない。天に唾するどころの騒ぎじゃないよねぇ」

「そっ、総人口の、半、はんぶっ……!?」

 

 斜に構え、人の悪い諧謔を露骨に前に押し出せば、思った通りスレッタは身をよじって戦慄し、舌をもがれたように絶句し、瞳孔を収縮させてまで動揺を表明してくれた。

 

 仔馬のようによく弾む、敏感な心の持ち主である。

 

 おまけに素直だ。

 

 なま(・・)な感情を曝け出して偽れぬ。およそ悪意ある者に、心理の綾を把握(つか)まれるのがどれほど危険かも知らぬ。

 

 自発的に鍋に飛び込む葱を背負った鴨よりも、見ようによっては食い物にし易そうな好餌であった。

 

(困る、こまる──そんな表情されちゃうと、もっとコマしたくなるじゃない)

 

 敏感な部分の粘膜をしたたかに逆撫でられでもしたように、強い酸味を伴ったぞくぞくした快感が、エリクトの背筋を這い上る。

 

 さても迷惑なことだった。

 

 本来のスレッタに対しては罪悪感が先立って、とても実行不能であったあれやこれやのイタズラも、この「水星」が相手なら、いくらでも施せそうなのだ。

 

(ダメダメ、まずいよ、しゃんとしなさい。おかしな遊びを交える余裕が、今の僕の何処にある)

 

 (よこしま)なる誘惑を、意志の力で退けて。

 

「まったくさ、えらいところへ来ちゃったよ、君」

 

 顔を引き締め、仕切り直しを試みる。

 

「君自身には何の落ち度も無いのにさ。同情するよ、心から。本当に、どうしてこうなったのかなあ」

「な、なんででしょうね」

 

 沈痛そのものな表情に、ついスレッタも釣り込まれ、適当な合いの手を入れていた。

 

「まあ、おおよその原因は察しがついてるんだけど」

「ふぁっ!?」

 

 そして直後にまんまと梯子を外される。

 果たして真に「誘惑」を思慮の外へと追い出したのか、どうなのか。すこぶる怪しい所作だった。

 

 

 エリクトは語った。

 

 

 もうずいぶんと以前から、スレッタ・サマヤが異なる世界の情景を夢見という形式で目蓋に映していたことを。

 

 その世界の名が、アド・ステラであることを。アトランダムにあらずして、ひとりの少女に焦点を当て、展開されていたことを。

 

 その少女とは、もちろんスレッタ・マーキュリー。スレッタ・サマヤのおそらくは、並行宇宙の同一人物。

 

 やや推測も交えつつ。──以上すべてを、洗いざらいぶちまけた。

 

「だから僕らはアド・ステラ側がどんな世界か、多少なりとも知り置いている。けれど君からしてみれば、宇宙世紀はまるきり未知の世界観だ、そうでしょう?」

「はい、何から何まで初耳で、頭がパンクしそうです」

「それじゃやっぱり、現象の主体はこっちかな。妹の力が、たぶん大きくなり過ぎたんだ。宇宙世紀には、そういう異様な感覚を獲得した人類が、一定数混ざってる」

「ニュータイプ、でしたっけ」

「そうそれ、偉いよ、よく憶えてた。僕としても教え甲斐があったみたいで嬉しいよ」

「いっ、いえ別に、そんな大したことじゃあ……えへへ」

「謙虚だね。妹が憧れるのもわかる」

「憧れ、ですか?」

「うん。使えるんだろ、モビルスーツを、まるで手足の延長みたいに操れる。その技倆で、能力で、人助けに勤しむ君を、妹は尊敬していたよ。君を語るあの子の瞳は、あからさまに輝いていた。姉の僕をさしおいて、余人にそんな眼差しを──と、ちょっと嫉妬するくらい」

「そっ、そそそそそそ、そんな、すみません、恐縮ですぅ!」

「あっははははは、つくづくお人好しだなあ。そこで頭を下げちゃうか。君はむしろ、謝罪どころか、怒ってもいい立場だよ。プライバシーの侵害だ、出歯亀根性の覗き屋野郎、慰謝料寄越せや身ぐるみかっぱがれたいか──ってね」

 

 言って、エリクトはもう一度、快闊に破願してみせる。

 大輪の花、開くが如き──とは、この為にある比喩だろう。世界の彩度すら上げる、とろけるような満面の笑み。

 

 自分の顔がこれほどまでに艶のある、魅力的な動きが可能と知らされて、スレッタは血を熱くする。どくん、どくんと心臓が、肋骨(あばらぼね)を割りそうなほどに高鳴った。

 

「ええと、あの、その、エリクトさん」

「お姉ちゃん」

「えっ」

 

 ところがそんな浮ついた気は、ものの一秒で鎮静された。

 

「ダメだよ、スレッタ・マーキュリー。たとえ中身は違っても、その身体で、その舌先で、その声で、僕を姉と呼ばないことは許さない。──さ、言って。どうぞ、リピート・アフタ・ミー」

 

 声色こそ明るいままだが、目が一ミリも笑っていない。

 

 否応なく理解した。

 

 エリクトは本気だ。

 

 もし断ったり、言葉を濁して曖昧に誤魔化そうとしたならば、何か、想像もつかないほどにひどい何か(・・)を起こされる。

 

 自分の足が今やまったく地雷の上にあることを、スレッタは過誤なく知ったのだ。

 

「お、おおお、お姉ちゃん──さん」

 

 失態である。

 縺れた舌が附与した蛇足。やらかした(・・・・・)という自覚と共に、背骨に氷柱をぶっ刺されるの感を味わうスレッタだったが、

 

「……悪くない」

 

 エリクトの反応は意外であった。

 

「むしろいい(・・)。グッときたかも、その呼び方、イエスだね」

「あ、あはは」

 

 首の皮一枚で繋がったと判断し、スレッタは胸を撫で下ろす。

 

(どういう人、なんだろう)

 

 言葉の力は玄妙だ。

 特に発声行為には、本来大きな意味がある。

 

 自分の言葉に自分で興奮するという、自家中毒めいた作用は人間世界に珍しくない。心情を言語化するのではなく、なんの気なしにふっと放った一言に、心がいつしかずるずると引き摺られてゆくことは、人格形成の未熟な者に、特に頻繁に発生しがちな転倒である。

 

 この場合のスレッタが、まさにそうした典型だった。

 

 姉呼ばわりを強いられる前と後とで、彼女の中のエリクトへの関心は、明確に一段、深化した。にも拘らず、深まった(・・・・)というその事実に対しても、彼女はてんで無自覚だった。

 

(おかしな人。……でも、なんだろう、イヤじゃない。近くにいてホッとする)

 

 ──その安らぎの正体を、彼女が闡明するためには、まだ。

 

 智慧と、経験と、そして何より魂に刻み込まれた苦悩の傷痕(キズ)が、圧倒的に不足していた。

 

 

 

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