水星の優しいたぬき   作:穢銀杏

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Case Ⅲ

 

 赤いガンダムが出現(あらわ)れた。

 

 ジオンのエース・オブ・エース、シャア・アズナブルのかつての乗機が。

 

 一年戦争末期の死闘、敗けを薄々悟ってしまい、正気を喪失(なく)した連邦による最大最後の悪あがき。禁じ手上等、条約破りもなんのその、コロニー落としの意趣返しと言わんばかりの「要塞落とし」をめぐる攻防、第二次ソロモン会戦中に、ゼクノヴァなる謎の現象を惹き起こし、戦局を決定づけた末──もちろんジオン有利の側に──、搭乗者もろとも虚空に消えたモビルスーツが。

 

 そんなあまりにキナ臭い、いわく(・・・)付きにも程度があろう代物が、何故かいまさら、よりにもよってサイド6の宙域で。

 

 暢気に遊弋しているところを、確認されてしまったのである。

 

 これだけでもコロニー市民にしてみればたまったものではないのだが、更に輪をかけて最悪なことに、このガンダムは戦闘をした。

 

 ジオンの特殊部隊を相手に。

 

 公にはどんなカタログにも載ってない、おそらくは秘密開発されたと思しき新型機と取っ組み合って。

 

 外壁をぶち抜き、イズマ・コロニー内部にまで突入し。

 

「英雄」の乗機に相応しく、ド派手に暴れてくれたのである。

 

「それじゃあスレッタ、逃げようか」

「あ、やっぱり?」

「ガンダムが絡むと、死人が増える」

 

 身も蓋もない、何かとんでもないことを口走ったエリクトである。

 

「過去から未来まで変わらない事実だよ。なにもみすみす僕らまで、墓標の群れに加わってやる義理はない」

 

 およそエリクトの認識下にて、イズマ・コロニーが近い将来、修羅の巷と化するのは、もはや既定の事実であった。

 

 燃え上がる街、泣き叫ぶ子供、狂気して吠える狗の群れ。

 

 いつか(・・・)の景色が、どうせここにも顕現するに違いない──と、自分でも辟易するほどに乾いた瞳で予見している。

 

「あっち側でもさんざんな評判の悪さだったなあ。パイロットを死なせちゃう、呪いのモビルスーツって」

「GUND-ARM。縮めて曰く、ガンダム、か」

「モビルスーツがあって、ガンダムがあって、それからえっと、地球と宇宙に溝がある。お姉ちゃん、これは偶然の一致なの?」

 

 指折り数えてスレッタは訊く。

 姉に解けない謎なんて存在しないとてんから(・・・・)決めてかかってでもいるような、無垢な信頼を目元に浮かべ。

 

 エリクトは、それを重荷に思わない。

 

 むしろ自分の存在意義を改めて実感させてもらえると、歓迎する向きがある。歪んでいると心の隅ではとうに認めておきながら、手放せない喜々だった。

 

「近似値の世界ってことじゃないかな、おそらくね。いくら君でも、まったく縁もゆかりも無い、まるっきりの異世界へチャンネルを開くのは難しい。何かしら因果の繋がった、重なり合う部分があっても、それは必然なんだと思うよ」

「お母さんが赤い彗星みたいな仮面を被っていることも?」

「何度聞いても想像に苦しむ景色だねぇ、それは」

「あの赤いの」

 

 と、スレッタは唐突に、話頭を目前の現実へと引き戻し、

 

「本物かな?」

「あれがあそこで」

 

 と、そこで一旦言葉を切ったエリクトは、コロニー回転軸附近、0G領域に一見静止して見える、ジオンの強襲揚陸艦『ソドン』の艦影を顎で指し、

 

「──住民感情をささくれ立たせることぐらい、百も承知した上で居座り続けている以上、高いと思うよ、可能性は、相当に」

 

 そう睨んでいればこそエリクトは尻に帆をかけて、さっさと逃げ出したがってる。

 

 少なくともイズマ・コロニーに留まるのは選択として有り得ない。欲を言うならサイド6自体から退散したいところだが、よしんばそこまで行かずとも、せめて別のコロニーには移りたい。頭を下げて、息を殺して、じっとしてさえ居たならば、そのうち去ってくれるが如き、甘い嵐でないのだ、これは。

 

「新型の方のつらつき(・・・・)も、パッと見ガンダムぽかったって話だし。厄ネタに厄ネタが被さって、ダブル()満喰らっちゃった感じかな、現状のこの有り様は」

「ヤクマンて。えぇ……そのセンスは、お姉ちゃん」

「親方たちのが感染(うつ)ったかって? 心配いらない、自覚ある」

 

 態とらしく、タバコでもふかす(・・・)かのように、エリクトは大きく呼吸(いき)をして。

 

「だから、まあ。こんなハコテン必至な河岸には、ちゃっちゃとおさらば決めちゃって。心機一転、巻き直しを図ろうよ。行こう、スレッタ、どこでもいいんだ、ここじゃなければどこでも、さ」

「──」

 

 妹は、一瞬なにかを言いかけて。

 裾で半分隠された、関節が白く浮き出るほどに握り込まれた姉の手に、すべての言葉を嚥下した。

 

「……これも『繋がり』のひとつ、なのかな」

「ん?」

「あっち側ではミオリネさんがしたがっていた脱出を、ここでは私とお姉ちゃんとでやるんだな、って」

「ああ、うん、確かに、言われてみれば。相似と取れないこともない、か」

「ミオリネさんの計画は、失敗しちゃったんだけど」

「決定打を打ったのは、あっち側の君だろう?」

「えへへ、そうだね、責任とれーって怒られちゃって。それでどんどん話が勢いづいてって、ホルダー、花嫁、凄いことになっちゃって」

「……うまくやれるさ、僕たちは」

 

 不吉な因果の蜘蛛の巣を振り切らんとする如く。

 力を籠めて、エリクトが言う。

 

「なんといっても、ここでは君が最初から事情を全部呑み込んでいる。一致して事に当たれるんだ。何から何まで、おんなじになるわけがない」

 

 

 

 が、エリクトは躓いた。

 彼女の脱出計画は、思う通りに運ばなかった。

 

 

 

 軍警が、──新型も赤いガンダムも、どちらもみすみす取り逃がし、取り逃がしたばかりではなくお抱えのモビルスーツ四機までもオシャカにされた治安部隊が、怒髪天を衝かんばかりに怒り狂っていたからだ。

 

 ──看板に泥を塗られた。

 

 と、彼らにすればこの一件は、既に面子問題である。

 

 端から市民の嫌われ者が確定している暴力装置、「必要悪」視されることさえ茶飯事な、そういう組織が社会に立つ瀬を保つには、ひたすら強くある以外ない。

 とにかく強くありさえすれば、信は無くとも威は保ち得る。大きな顔をしてられる。

 

 ところが今回、彼らは敗けた。唯一の拠り所が脅かされた。信なく威もない暴力装置が市民たちから次に受ける感情は、「軽蔑」のみと古来より、相場が決まりきっている。張り子と知れている虎を、恐れる者などなきゆえに。

 

 ──冗談ではない、認められるか、この辱めは絶対雪ぐ。

 

 と、血眼していきり立つのも無理はない。

 

 お蔭で街の巡廻にさえ以前になかった必死の気合がみなぎって、難民への締め付けも、日に日に強度を増す始末。

 

 エリクトは、大いに閉口させられた。

 

(まさかガンダムのパイロットの正体が、難民とまでは考えてはいまいけど。──)

 

 それでも手引するものが難民中に伏在している、程度の疑念は抱いているに違いない。

 

「貧は罪の母」、この俚諺から窺い知れるそのままに、三度のめしにありつけるのを当然と思い込んでいる恵まれたやつの脳内で、窮乏と悪徳は往々にして直結されてしまうもの。とかくこの種の境遇は、変事が起これば真っ先に疑念の目を向けられる、甚だ不利な立場であった。

 

(もしここで、この局面で目立つ動きをする難民が居たならば、軍警は即、マークする)

 

 さすれば後は身の破滅、潔白の身であろうとも、「彼らの施設に引っ張られた」時点でだいぶマズいのだ。特にサマヤの双子の如き、ニュータイプの身としては──。

 

(軍警内に浸透済みの工作員がガンだよね)

 

 サイド6は中立地帯。

 中立地帯に於いてこそ、最も熾烈な諜報戦が営まれるのは常道だ。

 二度の世界大戦及び、その後の冷戦期間に於いて、スイスが如何に凄まじいスパイどもの巣窟と化していたかを考えればすぐわかる。

 表の歴史に残らない、血で血を洗う暗闘が、しかし確かにそこでは巻き起こっていた。

 

 同じ理屈が、サイド6に対してもむろんそっくり当て嵌まる。連邦・ジオンの別なしに、社会のあらゆる階層に、工作員(スリーパー)は潜んでいるのだ。

 

(旗の模様は関係ない。ジオンであれ連邦であれ、)

 

 あの連中に嗅ぎつけられた段階でゲームオーバー待ったなし、人間としての生は閉じるとエリクトは信じきっていた。ニュータイプだと知れたが最後、必ずむりやり拉致されて、イカレたマッドサイエンティストの吹き溜まりへと御招待、この世の地獄の最底辺で『実験体何号』とかの扱いを強いられるに違いない、と。

 

(僕はともかく、スレッタに猫っかぶりは難しい。根が真っ直ぐなあの子のことだ、慣れない嘘は剥がされる。第一、もしも尋問中に『入れ替わり』が起こったら? 『水星』に即応を期待できるか?)

 

 深く考えるまでもない。

 状況を俯瞰すればするほどに、

 

(むりだ)

 

 という諦観が募らざるを得ないのである。

 

(おのれぇ。……)

 

 そうしてもたもたしている裡にも時間は流れ、事態はどんどん転がって。

 ありがたくもない新展開を、彼女の前に運び来る。

 

 

 

「代役、ですか?」

 

 

 

 近く、スクラップ業者同士の集まり、臨時会合があるという。

 議題は分かりきっている。ソドン進駐にはじまって、めっきり濃くなったジオンの影と、それが齎す波紋とに、どう対処するかに関してだ。

 

 そういう集会の席上に、社を代表して自分が代わりに出ろという。

 こともあろうに、一介のヒラに過ぎぬ自分が。

 

 ──このおじさん、正気かな?

 

 なんともはや、馬鹿げきった相談ではあるまいか。

 もう少しでエリクトは失笑するところであった。

 

「おおよ、お前に頼みたい」

 

 親方は寝床に横臥している。

 真っ昼間から布団に身を包んでる。ただでさえ赤ら顔なのが、今日は特に熟れたようになっている。かてて加えて、激しく胸を上下させ、ゼイゼイと荒い息遣い。

 

 どうもイズマ・コロニー内でタチの悪い感冒が流行の兆しを漂わせているらしく、上司はそれに引っかかったようだった。

 

「僕じゃ目方が軽すぎる気がしますけど。こういう場合奥様が、まずは相応しいのでは?」

 

 高熱により彼の脳から溶け消えた「判断力」というものを、なんとか恢復せしめんと、エリクトは抗弁を試みた。

 

「いつもならそれで間に合わせるさ、いつもなら、な」

 

 含みのある言い方である。

 余りにあからさま過ぎて、ツッコミ待ちが見え見えだ。

 

(相手は病人、相手は病人)

 

 溜め息をつきたい気分を抑え、エリクトは素直に乗っかってやることにした。

 

「今は違うと」

「準戦時だぜ」

 

 イズマ・コロニー住民のストレスレベルが如何ほどか、改めて思い知るエリクトだった。

 

「非常時ですか。物騒ですね」

「おおよ、だから張れるぶんだけめいっぱい、アンテナ張っておくことにする。どんな些細な機会だろうと逃せねえ。で、そうなると、ウチでいちばん頭の回転(まわり)が早ぇのはお前だ。俺がぶっ倒れた以上、ここはどうでも、お前に行って貰わにゃならん」

 

 眉間に、必死の相がある。

 それを見て、エリクトは早や説得の意思を失った。

 

「……手当て、はずんでくださいよ」

 

 照れ隠しの減らず口との印象を、相手に与えられるよう。

 それらしく装い作った声色を、肺の底から押し出した。

 

 その帰り道、エリクトは、夕日を背中に受けながら、流石に我が身が哀しくなった。

 

 人生という代物は、どうしてこうもことごとく思い通りにならぬのだろう。

 

 本懐はどんどん遠ざかり、くだらぬ雑事ばかりが増える。行く手を塞がれ、手足を縛られ、何につけても不自由だ。もういっそのこと、そのあたりの道端にモビルスーツが乗り捨てられてはないものか。したら即座にかっぱらい、スレッタとふたり、宇宙の果てまで逃避行を決めてやる。その程度の自由なら、別に認めてくれたって、誰にとっても大した損にはなるまいが。……

 

 長く伸びた影の中、人生の無情を儚んでいた所為だろう。

 

 この瞬間、エリクト・サマヤの精神は、過去にないほど無防備だった。溜まりに溜まった鬱懐が彼女の心を蝕んで、どういう防殻、ペルソナを纏う余力ももはや残っていなかった。

 

 だからこそ。

 たとえ道の向こうから、プレッシャーの塊が接近して来ようとも。

 彼女はそのまま進み続けた。

 

 常日頃なら相手に捕捉されぬよう、視界に入るずっと前から気配を殺してどこぞの路地に飛込むなりしてやり過ごす、当然の避難行動へ移っていたはずなのに。

 

 ──もういい。

 ──知らない。

 ──どうとでもなれ。

 

 今に限ってはそれすらも、たまらなく億劫だったゆえ。

 

 ──みじめだな、炎に向かう蛾のようだ。

 

 やけっぱちの昂揚に、自嘲の昏い悦びさえも混ぜながら。

 彼女はみすみす「同類」たちと相(まみ)える危険を冒す。

 

 ……向こうもどうやら気付いたらしい。ほんの僅かな気配の揺れが、しかしエリクトの主観では、スピーカー越しに耳元で怒鳴られたほど明瞭なサインとして機能する。

 

 異常な感度といっていい。あの妹にしてこの姉あり。方向性こそ異にすれ、エリクトもまた、遥か怪物。人のカタチをしていることが不思議なほどの「魔」であった。

 

 はたと先方の歩みが止まる。

 エリクトの脚は止まらない。

 ひたすら自分の爪先にだけ注視して、一定のペースで歩き続ける。

 

「ねえ、貴女──」

「うるさい、僕に話しかけるな」

 

 擦れ違いざま、毒霧でも吐きつけるような口ぶりにて言い放つ。

 

「君みたいな亡霊は、勝手に魂の場所を求めて戦い続けて死ねばいい。真っ当に生きれる分際で、好き好んでこんなところに来たりして。贅沢なんだよ、羨ましいんだ、持たないこっちの身としては、瞳が焼け焦げそうなほど──」

 

 そのまま遠ざかってゆく。

 相手は、追ってこなかった。

 

(……ふたり連れ、近々()り合う間柄、か)

 

 どちらの顔もエリクトは、ついにちら(・・)とも見なかった。

 

 






シイコ・スガイの横顔にブルー・マグノリアを幻視したのは俺なんだよね。
個人的には物凄く好きなタイプです。

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